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2015 / 08 / 31 ( Mon ) 魔に通ずる存在は、聖なる因子に魅入る。ヴィールヴ=ハイス教団は聖職者に、特に聖人聖女たちにそのように教えてきた。大陸の夜を侵す悪夢のような異形は、濃い聖気に惹かれるモノだと。 ――今まさにその特性は試される。ひとまずミスリアは自らを包囲する魔物たちの気を逸らすことには成功した。 それから王子とゲズゥは俊敏に反応した。あらかじめ教えた通りに王子はアミュレットを手放して戦線を離脱し、ゲズゥも何かを察して後退した。 取り残されたジェルーゾとジェルーチが、顔を見合わせて疑問符を飛ばしている。二人は謎の光の柱を見つめて首を傾げ、光源である地に落ちた銀細工のペンダントを覗き込んだ。 頭上に無数の影が集まったことに、彼らはすぐには気が付かない。 一秒、二秒、三秒、と間があった。 「わあっ!? な、なにッ――」 <ふわっ!> その様は堰(せき)を切った洪水を彷彿とさせた。 ミスリアのアミュレットめがけて、次々と魔物たちが雪崩れ込む。谷底に出現していた魔物が総じて束になれば、さすがの「混じり物」でも動きが封じられてしまうほどの重量であろう。 (やった!) 作戦は成功し、二人は魔物の山に埋もれてしまった。などと、心の中で勝利の一声を挙げたのも束の間。 低い唸り声がした。瞬く間に光の柱の周辺に、轟きと共に炎が広まった。 これぞ悪夢の光景、涙せずには直視できない。 よくお伽話の中の竜は火を噴いたりするものだが、目前の竜型の存在は、全身の皮膚から熱気を発していた。急速な気温の上昇に空気はゆらめき、相当離れているというのにミスリアの肌から汗が噴き出る。 「バッカだなー。これくらいでオイラたちがやられるわけないじゃん!」 やはり無傷なジェルーチが勝ち誇ったように腹を抱えて笑っている。 五十匹は居たであろう。あれだけの数の魔物を残らず灰塵に帰させて、なお余裕があるなんて――。ミスリアは心が折れる予感がした。 そんな折、味方側の二人が動いた。一人は矢を番え、一人は剣を両手で持ち直す。 煙の幕を突き破って、矢は竜の首の付け根辺りに命中した。ジェルーゾは激しく咆哮した。 「んなっ、なにしやがる!」 痛がる相方を見上げたジェルーチは、死角の低い位置から振り上げられた鋭利な金属への対応が遅れる。 ギリギリのタイミングでかろうじて仰け反り、頭部への損傷を免れたが、代わりに右腕が切り離された。彼も怒り狂った悲鳴を上げる。 「くっそおおお! おぼえてろー!」 涙声で恨みごとを吐きながらも、少年は竜の首に片腕でしがみついた。切り落とされた腕は竜の歯の間に収まり、そのまま二人は夜空へと消えて行った。 羽ばたく音が大分遠ざかってやっと、ミスリアは安堵のため息をついた。とりあえずは事なきを得られて良かった。 「追わぬが得策だろう。追いついた頃には再生しているやもしれんしな。撃退できたのは、まぐれと考えた方が良い」 傍らに戻ってきた王子が、まず口を開く。「本命は奴らを総べる者。この少人数で、ろくな準備もせずに遭遇していい相手ではないはずだ」 「わかっています。お二人とも無事に済んで何よりです。王子、貴方が荷物を持って現れたおかげですね。わざわざ取りに行ったんですか?」 「まあ、私はあの竜が出現した時点で、谷に降りるのを断念して里への道を逆戻りした。進むか戻るかで追われる確率は五分五分だったとしても、入り組んだ狭い道ならば隠れやすいと思ってな。その先で、口のきけない女に会った。あの時檻から助け出さなかった女だ。そいつが荷物をこっそり持ち出してきた」 「イマリナさんですか!」 思わぬ人物の名に、ミスリアは目を丸くした。 「詳しくはわからんが、銀髪の男の計らいだとか」 王子はゲズゥを一瞥して答えた。そういえば、ゲズゥは王子の登場に際して、遅い、と言っていた。それこそ彼が武器などを持って現れることを想定していたかのように。 「お前がそっちに近付くかもしれないと、アレには伝えておいた。巡り合わせが良かったな」 ゲズゥは荷物から自分の服を引っ張り出し、機械的な動作で着直し始めた。 (そ、そういうことは一言断ってからにして欲しいわ) いくら暗いからと言って、異性が服を着ているところを見るのは気恥ずかしい。ミスリアは目線を泳がせた。 「ほう。銀髪との連絡手段があるのか? それはかなり好都合だ。移動しながら、一度情報を整理しよう」 王子のごもっともな提案に、ミスリアとゲズゥはそれぞれ「はい」「ああ」と同意した。 そうして三人は荷物を軽く整理してまとめ直す。 最後にミスリアは、自分にとっての唯一無二のアミュレットを拾いに行った。表面に付着していた土や砂をスカートの裾で拭き取って、銀細工に水晶の施されたペンダントを、掌でそっと包み込んだ。 (何度この手を離れたって、必ずまた探し出してみせるから。どうかこれからも私に付き合って下さい) 心の中とはいえ、無機物に話しかけたい気分だった。 (行こう。立ち止まってなんていられない) どんなにありえない現実が立ちはだかろうとも、心の支えとなる人や物が共にある限り――。 ミスリアは、支度を終えて待ってくれている仲間の方へ、小走りになって追いついた。 |
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