09.b.
2012 / 02 / 26 ( Sun ) 演壇の前に神父アーヴォスが立ったので、聖堂は静まりつつある。
神父は暖かい笑顔で両手を広げ、挨拶の言葉を並べた。それが済むと演台の上で本を開き、創世記の一節の解釈を朗読し出した。 「神々が訪れる以前の大陸は岩だけのただの荒野でした。『固体』や『液体』や『気体』という性質こそ存在したものの、物質がそれらの間を自然に行き来することはなかったのです。 太陽、月、星の動きなどが大陸に影響をもたらすこともありませんでした。 『時間』や『進化』といったいわば直線的な変化も存在しなかったのです。時はただ延々と輪の上を走り続けるのみでした。 ある時どこからかまったく新しい存在――神々が、大陸を訪れました。数は判然としません。彼らはそれぞれ別個の存在だったかもしれませんし、皆どこかしら繋がって連なっていたかもしれません。神々は普遍的な大陸にて精神体しか持たなかったのですが、それでも世界の有り様に作用する強大な霊力を有していました。 彼らは大陸に『水』そして『空気』を賜り、『はじまり』と『おわり』という概念をも具現化しました。 すぐさま大陸は変わりました。 いつしか命が芽吹き、進化という道のりをたどり始めました。微細なる生物から始まり、植物や動物へと分岐しました。 そうして人間なる種が世に現れてまもなく、神々は地上を去ることを決めたのです。彼らは過程を見納めたことに満足したのかもしれません。次なる大陸を潤しに向かったのかもしれません。 何であれ神々は次々と天へ昇り、我々人間には想像もつかないような別の世界へと旅立ったのでしょう。 しかし神々は地上を見捨てられたのではありません。 天には、神々へと続く『道』が残っています。それは生きた者の肉眼に捉えられないような道です。更には肉体の死を経て人間もまたその道を目指せるように、神々は地上に聖獣を遺されました。 世界の清浄化をして下さるだけでなく、ちっぽけな私たち人間の魂を神々の元へと導いてくださるのもまた、大いなる聖獣なのです」 神父アーヴォスは演台の上でそっと本を閉じた。 典礼の始め方において、司祭がどんな話をするのかはそれぞれの自由であった。今日は聖獣が創世記に登場する辺りまでらしい。 「偉大なるその存在を今ここで讃えましょう――」 讃美歌の合唱が始まった。毎週ボランティアで何人か、ローテーションでそれをリードするのである。黒い服を着た五人が一列に並び、一章目を歌う。 皆がベンチの背の物入れから、小さな薄い本を出してそれを開く。ミスリアもカイルも、讃美歌集を開かなくても暗唱できるので動かない。 ハープの音だけを伴奏に、声が重なる。 天井の絵画から、かの聖獣が見守っているような錯覚を覚えた。 聖堂の中に居る百五十人近くの人間が、讃美歌を通して一体になる。 ミスリアは目を閉じて、その感覚に身をゆだねた。 _______ 典礼も終わって、人々が中庭でくつろいでいる。 パティオには飲み物やお菓子が用意されたテーブルがある。そのテーブルを囲って人々が立ち話をしている。 ミスリアとカイルは群れから外れた木陰で、談笑していた。 「そういえば護衛の彼は? 朝から見ないけど」 林檎ジュースの入ったティンカップを口元から離して、カイルが訊ねる。 「……どこかの樹の上じゃないでしょうか」 知り合って数日、彼が昼寝と木が好きということだけはわかった。 加えて護衛としてあまりミスリアから離れないという点を守る気もあるらしく、罪人という身分でひとり無一文でうろついたりしないぐらいの常識も持ち合わせているのは間違いない。 ふーん、とカイルは一口ジュースを飲んだ。そういえばさ、と話題を変える。 「昨夜は驚いたよ。今までもあんな感じで密着してきたの?」 カイルは何かを抱え上げる動作をパントマイムした。その意味を理解して、ミスリアが青ざめる。 「み、密着……!? あれは私の足が遅いからああしたほうが効率がよくて……確かに、何度か運んでもらってますが、そんなわけじゃ――」 「そうなの? 何度か抱き上げてもらってるんだ?」 カイルがくすくす笑った。 「からかわないでください……」 体格差を思えばどちらかというと大人が子供を腕に抱くようなものだった。それでも実際は青年と少女なのでまったく無害な行為ということにもならない。 (考えないようにしてたのに……) ミスリアは苦笑した。 |
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