45.g.
2015 / 07 / 18 ( Sat )
 そう言われてミスリアは数拍の間考え込んだ。
 助けて欲しいという望みが形になる前に相手方から提案されるのは、流石に警戒してしまう。

「失礼ながら信用できません。そうして貴方は何か得することがあるとでも?」
 動揺を見せないように、努めて冷静に言い放つ。
「無論だ。私は等しく有能を愛し、無能を嫌悪する。脳ある人間ならば何者であろうと可愛がるさ」
 王子は歯切れよく宣言した。器が大きいのか小さいのかよくわからない発言である。

「交換条件は何です」
 流れに飲まれてなるものか、と声を低くする。
「察しが良くて何よりだ、聖女」
 ふっ、と笑って彼は頭を僅かに斜め横に逸らした。見下ろすような目線は相変わらずである。

「まず言っておくが、お前が先に私の条件の方を飲まねば、助けてやるのは不可能だ」
 助けてやらない、とは言わずに彼は不可能という言い回しを使った。何かが引っかかる。
「意味がわかりません」
「なに、別にややこしいことではない。要求は単純で、しかもお前にしか果たせない類のものだ」

「私にしか……?」
 そういえば妙だと思った――彼が何かを求める相手がゲズゥでなく自分であるのは。どんな事情かはわからないけれど、普通に考えて王子は無力な自分よりも確かな戦力を必要としそうだ。

 彼は鉄格子に嵌めていた踵を引き抜いて、長靴の爪先を嵌め直した。そうして前のめりになった姿勢で重心を安定させ、右手を自由にする。
 空いた手でマントを肩の後ろへと払った。そこから現れただらしなく垂れ下がった左腕を、右手で持ち上げる。
 左腕が動かせなかったのか、とミスリアは理解した。緩く包帯に巻かれた腕はよく見ると毒に侵されているかのように紫黒色に変色していて、手は赤く腫れあがっている。

「この檻の鍵は上からかかっていて、尋常でなく頑丈だ。生憎とそれをこじ開けたり壊したりするには道具が無い。が、意外と下の網は脆く、鋭利なナイフ一本で切り開ける」
 貴方は試したことがあるんですか、と訊きたいのを我慢し、ミスリアは言葉の意味を噛みしめた。
 宙ぶらりんの檻を下から切り開くには両手が使えなければ難しい。片手では落ちないようにするだけで必死だ。

「私が腕を治した直後に貴方が逃げてしまわないという、保証はありませんね」
 言ってから、疑り深くなったものだなと自覚する。
 以前の自分なら何の疑問も抱かずに首を縦に振っていたかもしれない。ゲズゥたちの影響だろうか。これを成長と呼んでいいのか、なんとも言えない気分になった。

「心配には及ばない。何故なら、私はお前個人に更なる使い道を見出しているから」
「使い道…………」
「それも、ややこしいことではない」
 藍色の瞳はミスリアから離れ、遥か下へと向かった。

「谷底だ」
 つられてミスリアも谷底を見た。一瞬、息が止まるほどには、やはり高かった。
 底そのものは靄(もや)がかかっていてよく見えない。奥にどんな景色があるのかまるでわからない。
 注視していると、段々と一つの不安が沸いた。このうすら寒い予感を言葉にするなら――

「カルロンギィの人々は夜に怯えている。その意味、聖女ならばわかるだろう」
「……予想はつきます」
 静かに答えた。
「私の目的の為にヤツの排除は必須だ。協力しろ。ここから出すついでに有益そうな情報もくれてやる」

「魔物退治を手伝えと言うんですか」
「少し違う。見様によってはヤツは人でなければ、魔でもないし、しかし両方である」
「それ、は」
 王子を振り返りながらも、いつの間にかミスリアの掌から上って袖の中に隠れている目玉に意識が行った。

「おかしな挑戦をしたらしい。魔物と同化するという、挑戦を」
 大きく目を見開いて、ミスリアはオルトファキテ王子を見やった。
 王子はその心中に何が潜んでいるのか、随分と複雑そうな表情をしていた。

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