44.b.
2015 / 06 / 07 ( Sun ) まずは自らの頭を水の中から突き出し、流れる動作で小脇に抱えた少女の頭も水から上がらせて、共に肺一杯に空気を吸い込んだ。 まだ肺活量に余裕のあったゲズゥと違ってミスリアは急くように息を継ぎ、喘鳴交じりの咳をしていた。 「大丈夫?」 同じ掛け声を重ねる男が二人。片方は神父の黒い礼服を着た聖人で、もう一人は伸びた銀髪を馬のしっぽのように一つにくくったリーデンだ。 ゲズゥは沼を横切り、待つ者らに向かって泳ぐ。 十分に近付けたところでミスリアを聖人の方に預けて、自身は弟の手を借りて地に上がった。その場に座り込み、水めがねを外して手首にかける。 春と言ってもまだ、正午の気温は濡れた肌にはこたえる。沼の水だってかろうじて人間が触れてもいい温度というだけで、決して温くはなかった。 リーデンが差し出すタオルを有難く受け取って使った。ついでに手首の縄も切り離してもらう。 「何か収穫あった?」 「そ、ですね……」 ほとんど寝巻き姿と変わらない簡素な薄着を纏った少女にも、リーデンはタオルを差し出した。生理現象で全身に震えを来(きた)しているミスリアに代わり、聖人がタオルを受け取って身体を乾かしてあげる。丸まった背中や華奢な肩、栗色の髪や濡れた衣服から、着々と水気が吸い取られていく。 「沼の底で、これをみつけました」 水めがねを外し、握っていた拳を開いて、ミスリアは先ほどの光る石を提示した。 それが目に入るとまたしても嫌な印象を受けた。 そして驚くべきことにリーデンも同じ印象を受けたようだった。むしろゲズゥ以上に過剰に反応し、天敵に出会った野生動物のように瞬時に数歩後退った。 腰を低くして片手を地につけ、三角形による不屈の体勢を築きつつ、右手は既に愛用のチャクラムを手にしている。 左眼を眇めた。いつになく低い、警戒に満ちた声で問う。 「ねえ。その石は、なんなの」 呆気にとられた聖人と聖女の二人は、おもむろに石を見つめた。 改めて見直すと、随分と平べったく円い石だ。青だか紫だかの透き通った色で、沼の底に転がっている石にしては不可思議な外観である。 「これは水晶だね。聖気を含んでいる、それもかなりの高密度で。これだけ純度の高い水晶は特殊な場所でしか発生しないと言われている」 懐から取り出したハンカチで、聖人はそっと石をミスリアの掌から広い上げた。雲間から漏れる日光がもっとよく当たるように高く掲げ、あらゆる角度から眺めている。水晶を通って屈折した陽の光が、聖人の琥珀色の瞳にかかる。 眩しい。左眼を瞑らずにはいられないほどに。耐えかねて、ゲズゥは僅かに視線を逸らした。 「特殊な場所ってのは、つまり聖地のことかな」 未だに警戒を解かないリーデンが更に訊ねた。 「その通り。ただし最後に聖獣が蘇って以来、二十九の聖地はとうの昔に教団に隅々まで検証されていて、今更新たに水晶が見つかる可能性なんて皆無に等しいんだけどね。さすがに、沼底は検証しきれなかったか」 「これとよく似た、教団で保管されていた物を見たことがあります。聖獣の鱗ですよね。剥がれ落ちた後、しばらくして水晶化するという」 毛布で身を包んだミスリアが立ち上がった。宝物を見つけた子供のように、茶色の双眸が輝いている。 「そうだね。聖獣の鱗で間違いない。これはすごい発見だよ。人の手にまだ触れられていない、加工される前の水晶には相当な希少価値があるからね」 聖人はハンカチに包んだ水晶をミスリアに返し、賞賛を込めた微笑をかけた。 「ところで、一つ訊いてもいいかな」 そして直立してゲズゥとリーデンを順に見やった。 「うん? 何かな、聖人さん」 ほんの少し警戒を解いたリーデンが答える。体勢は普通に佇んでいるだけに戻っているが、水晶との距離は開いたままだ。 「君たちのその左眼は……魔性に通じているのかい?」 |
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