42.f.
2015 / 04 / 18 ( Sat )
「おれ、本当の名前って、デイゼリヒ・エニセ・ルードアク、って言うんだって」
 少年は闇の中に静かな声を響かせた。
「長いのによく覚えられましたね」
「もっと小さかった頃に一回きいておぼえた。わすれていいものじゃないって、あのとき、そんな気がした」
「そうですね。名前はとても大切です」
 あの時とはどの時なのか、訊いていいものか迷う。

 ひとまず当たり障りのない返事をしながら、記憶の中を探った。ルードアク、とはどこかで聞き知ったような名だが、果たしてどこだっただろうか。どうしてか、やんごとなき身分の家筋と通じていそうだと思った。
 デイゼルの次の言葉がその予感を一層強いものにした。

「本当の名前は知られちゃいけないんだ。おとしだね、なんだって。おれたちみんなそうなんだよ。いつもキフくれるえらい奴が言ってたの、前にこっそりきいたんだ」
「おとしだね?」
 これはとんでもない爆弾の方の打ち明け話なのだと直感が訴えかけている。

「みっすんはおれと歳一個しかちがわないけどさ、『大人』なんだろ。どういう意味なのかわかるんだろ」
「え……」
 もう一度考えを巡らせてみた。

(落としだね――って、まさか落胤のこと)
 思い当たったと同時に理解した。どうしても好転する見込みの無い状況とはまさか、孤児たちが孤児であり続けなければならない所以にあるのか。もしかしたら、実の親は彼らの存在を容認していないのに、生かす為の金銭的支援だけを続けているのかもしれない。

 寄贈者の中には――落胤の存在が明るみに出れば困るという――他の協力者が混じっているとも考えられる。

「ティナ姉がさ、最近元気ないんだ。きっとおれたちのせいだ。おれたちのために何か悪いことしてるんだって、ほんとは知ってる」
「……知っていた、んですか」
 驚きを押し隠して応じた。

「おれだけじゃなくてほかにも一人か二人いる。知ってて、知らないふりしてる」
「いつから気付いてたのですか?」
「わすれた。けっこー前だよ」
 膝か腕に顔を埋めたりしたのだろうか、その先の発言はくぐもって聴こえた。「おれたちが生きてるから、ティナ姉はしあわせになれないんだ。これからも、他にやりたいこととか一緒にいたい人が見つかっても、きっとあきらめちゃうんだ」

「そんな悲しいこと言わないで下さい。ティナさんは貴方がたと一緒にいるのが何よりの幸せなんです」
「わかってるよ。でも、ヤなんだよ。一人でぜんぶ背負ってるティナ姉と、一緒にいてもたのしくない。自分のことを一番にできないのは、つらそうだ。見てるこっちだってつらい」

「彼女が貴方がたを優先してしまうのは、そうしたいからです」
 母親の無償の愛と同じで、無理に我慢しているわけではないから――と続けたくてもできなかった。会って間も無い人間を知った風に語っていいとは思えないのだ。

 かける言葉を失ったミスリアは、自らの踵を意味もなく抱えた。何度か口を開き、やはり閉じてしまう。
 その内、なあ、とデイゼルがまた声をかけた。

「せいしょくしゃって、たのしい?」
「え?」突拍子も無い問いかけにミスリアは数秒ほど目をぱちくりさせた。「聖職者が……? 楽しいかどうかと言うとよくわかりません。大変なこともたくさんありますけど、いつでも誰かのお役に立てますし、とてもやりがいのある仕事ですよ」

「ふーん」
 心なしか興味を持ったような返事だった。
 彼ももうじき成人した歳になる。己の将来の可能性を色々と検討しているのだろうか。それは、選び取るだけの将来が彼に許されているのが前提ではあるが。

「あのさ、たのみがあるんだけど」
 少年の真剣な声がぐっと近付いて来た。それに対してミスリアは、同等の真剣さで応えねばならないと思った。
「私にできることなら可能な限り力を貸します」
「ありがと。みっすんは、いいやつだな」

 ――そうして秘密が漏れる心配のないこの狭き場所で、デイゼルは一つの望みを言葉にした。

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