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2014 / 08 / 31 ( Sun ) 「愚かでしたわ。十分な才能もカリスマ性も持たないのに、ひいお祖母様を目指した。聖女の理想像に憑りつかれて、いらぬ犠牲を出してしまいました」
レティカが言うには、かつて聖女アンディアが活躍した時代にはまだ聖獣を蘇らせなければならないという切迫感が少なく、聖女が個人の力で成せる業も限られていたとか。それでも社会を左右する力は持たずとも人の心を照らす力があった。信仰心は民の暮らしに潤いと、不安のはけ口を与えるものだ。 そしてその信仰心の象徴となる為に聖女アンディアは立ち上がった。 聖女レティカは今の時代で同じことをしようとしたのである。 「聖地巡礼は口実、いわばついででした。何もかもが売名行為だったのですわ。本当はわたくし、聖気を扱う力量もそれほど優れてないんですの。もっと修行を積んでから旅立つか、地道に慰安の旅に専念すべきでした」 涙の煌めきが白い頬を伝う。 「わたくしが欲張ったりした所為で二人は……! わたくしに、生きる権利はありません」 「違います。それは、違います」 ミスリアは強く否定した。 (あの二人はもしかしたら、聖女レティカの本心を見抜いていたんじゃないかしら) 知っていたからこそ彼女の人生観が好きだと言ったのではないか。 欲張った所為で死んだのかなんて、断言できない。欲張らなければ死なずに済んだのかなど、誰にもわからない。かつてユリャン山脈付近の集落にて、ゲズゥに似た言葉をかけられた時が脳裏を過ぎった。 高い理想を目指すことそのものが、間違っているはずが無い。誰かが高い壁を超えんと挑み続けなければ、後に続く他の者は挑むことさえ忘れてしまう。ましてや―― 「レイさんとエンリオさんは貴女のひととなりを、使命を! 魂を信じて、それに殉じたんです」 彼らは無理やり連れ回されていたのではない。熟考した果てに、従おうと選んだのだ。 「貴女が自分の価値を信じられなくても、信じて命を賭した誰かが居た事実は変わりません。それをどう受け止めて行くかは貴女の自由です」 去った人間の想いをどう解釈するかは、残された人間が悩み抜いて決めるしか無い。 「そのお言葉がきっとわたくしにとっての真実なのだろうと、なんとなく頭ではわかっていますわ。でもどうしても受け入れられませんの」 レティカは悲しげに目を伏せた。 「お医者様の仰った通り、時間が必要ですわ」 ミスリアは頷く代わりに微かに微笑んだ。 「私、今日はもう帰りますね」 そう告げるとレティカの視線が追ってきた。 「また今度、お話できませんか。聖女ミスリア」 「勿論です」 「ありがとうございます」 いくらか生気を取り戻した顔で、レティカは笑ってみせた。 _______ 戦局が討伐隊にとって不利に傾き始めたといち早く察したのはエンリオだった。 そうとわかれば彼は一切迷わなかった。自分の対となっている同僚と目を合わせ、その方へ愛する主を突き飛ばした。 「エンリオ!? 何を」 「行ってくださいレティカ様」 それ以上言葉を紡ぐ余裕が無い。 女騎士も察しがよく、聖女レティカを担ぎ上げて颯爽と走り出した。 「待って! は、離しなさい、レイ! 貴方たちはどうして普段喧嘩ばかりなのにこういう時は結束が固いんですの!?」 一番の笑顔を向けたつもりだったのに、対するレティカはこの世の終わりを見たような顔になった。 その時、大地が割れた。 死の臭いが瘴気と共に溢れだした。 危惧していたことだ。河から上がる個体ばかり警戒して、誰も土の下から出る魔物に反応し切れていない。魔物狩り師たちは逃げ惑っている。 巨大な舌の形をした異形どもをかわしながらエンリオは攻撃を繰り出した。レティカの去った方向を確認しつつ、ナイフを放つ。一体でも逃がしはしない―― 敵を牽制しつつ距離を取ろうとしたエンリオは、俄かに片足を絡めとられた。 ――化け物の分際で、すばしっこい奴。 実際には問題は速さではなく数だった。いかにエンリオの素早さでも、かわしきれない。 次いで腕も捕まった。鋭い歯が肌に食い込む感触があった。激痛に耐えんと奥歯を噛み合わせる。 ふと目をやると、ずっと先の方でレイが担いだ荷物を思いっきり投げ飛ばしたのが見えた。その乱暴な方法により、主は安全圏に届いた。司教様たちに引かれて聖女レティカは結界の中に入ったのである。 身軽になったレイは踵を返し、エンリオが逃がした追っ手を斬りに戻っている。 その時点でもう、視界がぼやけていた。レティカの身の安全が確認できた途端に気が遠くなったのもある。 ――レティカ様は柔らかいな……。 触れる機会など滅多と無かったから、突き飛ばした一瞬の感触に浸った。 「どう、か……あな、たの――願いを、りそう、を……かなえて――」 つまらない人生に意味を与えてくれた女性に想いを馳せる。何があっても諦めずに頑張ってほしいと、誰よりも応援したいと思えた、本当はとても弱いヒト。 腹を喰い破られ、四肢を引き裂かれ、ついに意識が途絶える最期まで。 エンリオはずっと人知れず笑っていた。 |
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