30.b.
2014 / 03 / 07 ( Fri )
「うわあああああん」
 知った顔に安堵したのか、一気に嗚咽が号泣に変わる。すると彼女は宥めるように笑った。
「ごめんなさいね。怖かったでしょう」
 おいで、と呼ばわる優しい声の方へリーデンは走り寄った。

 義母はリーデンを腕に抱き上げ、「終わった」二人の身体を見下ろして、悔しそうに彼女らの名を呟いた。

「……無念を晴らすことはできないかもしれないけど、この子だけでも必ず助けるわ。安心して眠りなさい」
 右手を伸ばして、義母は開かれたままの緑色の瞳を静かに閉じさせた。
 一度ため息をついてから、彼女は林の濃くなる方を見据える。

「リーデン、樹の登り方はわかるわね」
 そう問いかけた時点で彼女はもう走り出していた。
 何故それを今訊ねられるのかはわからないが、リーデンは小さく頷いた。

「わかるよ。こわくないよ」
 兄にくっついて遊んでもらっている内に気が付けば樹に登っている日が多く、それゆえに自信があった。高い場所への抵抗も全くない。
「よかった。だったら、ここにちょうど良いのがあるから、できるだけ高い所まで登ってちょうだい。これなら下からは見えないでしょう」

 義母は走るのを止めて、一本の樹の前に立った。たくさんの枝と木の葉を誇る、幹の太い、大きな樹だ。
 なんで、と訊き返そうとしたリーデンは、義母の真剣な表情を目にして言葉を呑み込んだ。

「わかった? 高く高く登って、それから静かにしているのよ。何を聴いても、見ても、絶対に動いては駄目」
「でも……」
 リーデンは口ごもった。疑問は多くあった。ありすぎて、何から訊けばいいのかわからなかった。

「いいわね――絶対に絶対に、動いちゃ駄目よ。眠くなったら寝てもいいけど。たとえ下の方でどんなことが起きても、降りないのよ」
「う、ん」
 嫌だとは言えない雰囲気だったので、つい同意してしまった。

「良い子ね」
 義母の温かい唇が頬をかすめた。顔面に付着したままの血の臭いもしたが、それはさほど気にならないことだった。

「いやだよ」
 地に下ろされたリーデンは意義を唱えた。泣いて暴れて癇癪を起こしても良かったが、本能的に、きっと無駄だと悟った。なので、静かに呟くだけに留める。「おいてっちゃやだよ」

「……わがまま言わないで。樹の上でずっと静かに、良い子にしてたら、そのうち」――彼女はどこか寂しそうに微笑んだ――「お兄ちゃんが、来てくれるわ」
 その言葉を聴いたリーデンは思わず顔を上げた。

「ほんと? にいちゃ、くる?」
「ええ。ずっとずっと待ってたら、迎えに来てくれるわ、必ず。できるわね?」
「できる! まってる!」
「えらいわ、リーデン」

 そうして五歳児は一心不乱に巨木を登ることにした。もうこれ以上は難しいと思った高さで止まって、辺りを見回す。太い枝を選んで、足をぶらぶらさせつつ座った。
 木の葉の隙間から覗ける地上の世界が、まるで遠い景色のように彼の目には映った。
 勿論、その景色の中に黒髪の女性の影はもう何処にも無い。

_______

 一息ついて美青年は、色っぽい仕草で茶菓子を食んだ。弾みで彼の腕輪が小気味良い音を立てる。
 ソファの反対の端に腰かけているミスリアは、小さく口をぱくぱくさせていた。

(まさか、それだけ? というよりそこで止めるの?)
 そんなはずはない、再開するはずだ、と信じてミスリアはお茶を啜った。
 しかし当のリーデンはのんびりと茶菓子を称賛している。

「バノックってモチモチした食感が嫌いだからあんまり食べないんだよね。でもこれいいね、しっとりしてて。流石は僕の好みをわかってるって感じ。ちゃんと後でマリちゃんを褒め称えなきゃ。ね、聖女さん」 (バノック=スコーンの原点)

「……そうですね、すごく美味しいです。…………ではなくて、あの、それでお話の続きは」
「んー?」
「ですから、その。大人しく待ったら、ゲズゥは迎えに来てくれたんですか?」

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