26.i.
2013 / 10 / 10 ( Thu )
 包み込むような柔らかい感触があまりに気持ちよくて、意識が遠のきそうになる。
 ふかふかのベッドなんていつぶりだろうか。ここしばらくは、野宿か安宿の硬いベッドばかりを体験していた気がする。

「気に入ったか?」
 しゃがれた声が真上から降ってきた。
 ミスリアは手枷付きでベッドに投げつけられたという現状を思い出して、即座に身を撥ねさせた――が、何か重いモノによって体を押さえつけられた。

 それが何であるのかなんて、考えてはいけなかった。人肌の熱も感触も、酒臭い息もくぐもった笑い声も、到底受け入れられるものではない。
 両手に枷をはめられていながらもミスリアは無中で身をよじった。圧迫感からなんとか滑り出て、広すぎる程広いベッドの上を、後退した。

「ぐふふ。逃げられるのも、たまらん。逃げ場など無いのだからな」
 まさにその通りに、ミスリアの小さな背中は羽毛枕に当たった。もうその後ろにはベッドの背板と壁しかない。
 部屋のたった一つの扉の外には相変わらず武装した兵士が控えているだろう。

(やめて、来ないで)
 心の中で繰り返し念じても、懇願がどこかに通じる気配は無い。
 これから自分に何が起こるのか、実際のところ、ミスリアは把握し切れていない。然るべき知識に乏しいからだ。それでも言い得ぬ拒否感が恐怖と相まって腹の奥底で渦を巻いている。

(たすけて――――!)
 知らず、瞳から涙が零れた。
 歪に肥えた手が、ミスリアのスカートをめくろうと伸びる。

「いやあっ」
 その手を蹴ったのは条件反射だった。けれども震える足ではダメージを与えることはかなわず、しかも両の足首を捉えられてしまった。

「ムダだムダだ。さあ、可愛い声で啼け」
「…………!」
 抗いようもない力で強引に股を開かれた瞬間。羞恥ではなく突き刺すような恐怖が全身を支配した。

(たすけて、だれか、おねがい、だれか、)
 声が出ないどころではない。
 溺れる。そう、溺れているように息が出来ない。

 現実から少しでも逃れようと、ミスリアの視線は上へ上へと彷徨った。蝋燭に照らされた天蓋の刺繍が、淡く幻想的で美しい、などとどうでもいい発見をした。

(お姉さま、お母さま、お父さま、カイル、先生方、猊下、イトゥ=エンキさん…………)
 自分と縁のあった人間を、誰でもいいから思い浮かべた。
 どんな絶望に出遭っても嘆いてはならない、と語った優しい声を思い出した。

「つっ!」
 下腹部に冷たく硬く、微かに濡れた何かが触れた。視線を落とすと、ウペティギが、歯を使ってミスリアの下着をスカートごと引きずり下ろそうとしているのが目に入った。

 甲高い悲鳴が部屋の空気を切り裂いた。
 それが自分の声だったと、意外に声がまだ出るのだと、遅れて気が付く。

(たすけて――)
 するり、布が脚の柔肌を擦る。
(ゲズゥ――――――――!)
 崩れそうな心は、ただ、その名に縋るほかなかった。

 いっそショックで失神できればいいのに、不幸なことにミスリアはそういった体質ではなかった。
 ただ、目を瞑って恐ろしい時間が過ぎ去るのを待つしかできない。いずれは過ぎ去るのだと、信じるしかできない……。

 ――ゴヅッ。
 骨が骨を打ったかのような、大きな音がした。
(………え?)
 今度はどんな恐ろしいことが起きたのだろうか、とおそるおそる目を開けると。

 黒曜石のような右目と白地に金色の斑点が散らばった左目、この世に二つと無いであろう瞳の組み合わせと視線がぶつかった。
 二度と会えないと思っていた青年は、相変わらずの無表情で、右膝を城主ウペティギの顔面にめり込ませていた。

 どうやらミスリアが目を瞑っていた間に城主はどうしてか振り返り、そこにやってきたゲズゥが膝から跳び蹴りを食らわせたらしい。
 肥満体が後ろに倒れかかる。しかしゲズゥは続けざまにその脳天に肘鉄を決め、更に体を翻して、城主を蹴飛ばした。ウペティギは、綺麗なラッグに飾られた床に顔を突っ伏した。

「これで何発か殴ったことになるか」
 着地したゲズゥの無感動な呟きが意味するところをミスリアは知らない。それにしても、殴ったのは一発だけで後は蹴ったことになるのではと突っ込んでやりたいけれど、声がまた出なくなっている。

「ぐっ……貴、様……」
「ひっ」
 ウペティギがずるずると起き上がったので、ミスリアは悲鳴を漏らした。元々美しいとは言い難い顔は鼻が折れ、血にまみれている。

「堀の罠をどうやって……あれは人間の反応速度ではどうしようもない、はず。まさか――つまりお主は、戦闘種族、なのだな!」
 いきなりウペティギの声色が明るくなった。一方、ゲズゥは眉間に皴を寄せたようだった。
「前から一人手元に欲しかったのだ! 今やその希少価値は計り知れない! 速さ自慢の『セェレテ』か? それとも瞬発力を強みとする『クレインカ――」

 言い終わることは無かった。ゲズゥの拳が醜い顔にめり込んだからである。城主は今度こそ気絶して倒れた。
 そして寝室に奇妙な静寂が訪れた。

(なにこれ……助かった、のかな……)
 目の前の光景を飲み込めず、この上なく情けない体勢のまま放心する。
 ほどなくして、漆黒の髪と色素の濃い肌が特徴的な青年が、ミスリアを振り返った。

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