26.c.
2013 / 09 / 15 ( Sun )
 夜にしては物の輪郭が捉えられるほどに明るい。
 ゲズゥ・スディルは息をひそめて周囲に注意していた。目当ての場所に辿り着けたはいいが、何かが腑に落ちない。

 目と鼻の先に立派な城がある。基盤は四方形で、それぞれの角には円錐型の屋根をした塔がそびえ、城の半径100ヤード(約91.4メートル)以上は空き地がある。空いて見える箇所は堀だと考えるのが妥当だろう。

 見たところこの城には外堡(バービカン)が建設されていなかった。城と外界を隔てるのは堀だけで、城壁や塀のようなものも無い。だからといって護りが脆弱なのかとなると、そうとも言えないだろう。四隅の塔には弓兵が潜んでいるだろうし、堀を渡るには架け橋を内から下ろしてもらう必要がある。

 ――では、その堀を泳いで渡るか?
 100ヤードなど、ゲズゥならば余裕で泳ぎ切れる距離だ。ましてや波や流れの無い水だ、バタ足だけでも充分に行ける。渡り切ったら外壁を登って窓から侵入すればいい。

 そこまで考えていながら、未だに行動には出ずにゲズゥは用心深く堀の外側を回っていた。
 腑に落ちない点は二つある。

 まず、水が汚れているからという理由では説明し切れないような、妙な臭いがする。平たく言えば獣の臭いだ。何かが、堀の中に棲んでいるのは間違いない。
 次に、架け橋の反対側には一定の間隔で岩が突き出ていた。まるで徒歩の侵入者に「こいつを使って渡ってくれ」と誘いかけているかのような不可解な岩の道が、城まで続いている。

 泳ぐにしろ岩を踏むにしろ、どちらにも罠の気配が濃い。こういう場合は空を飛ぶ能力でもあれば楽だったろうに、とぼんやり考えた。

 とりあえずゲズゥは堀の淵まで歩み寄った。水面を覗き込んでも自分の姿がほとんど映らない。暗い上に水が濁りすぎている。が、首にかけた銀色のペンダントだけは、煌めきでその存在を主張していた。

 ミスリアが落とした銀細工のペンダントだ。ポケットに収めていると動き回っている内に落としかねないので、失くさないようにゲズゥはチェーンを結び繋げて身に着けていた。それも始めは麻シャツの下に着けていたのだが、何故か段々と重く感じるようになって、出した。肌に触れれば触れる程重苦しく感じる。何度確かめても質量は変わっていないのに、全く奇妙な話である。

 ゲズゥは意を決し、水の中に入る準備をした。一応いつでも岩の道に飛び移れるように、その近くの場所を選ぶ。それから蛭対策に、ズボンの裾をブーツの中に詰め直し、靴紐を上までしっかり結んだ。最後に、声を殺す為の猿ぐつわも結び直す。

 ――剣は置いて行くべきかもしれない。泳ぐには邪魔だ。
 数秒の間逡巡し、結局背負ったまま踏み入った。短剣だけでは対応し切れない何かが現れると想定して。

 つうっ、と水面にさざ波が広がった。獣の臭いが一層濃くなる。
 足が地に着いても、水位は膝下までしかない。予想していたよりも浅い。ゲズゥはなるべく静かに左足をも水の中に下ろした。そうして数歩進むと、水は腰まで上がり、やがて胸辺りまで来たが、それ以上深くならなかった。

 どこかで急に切れ落ちるのだろうか。ペンダントが濁水に浸るのをチラッと眺めつつ、ゲズゥは慎重に歩を進めた。ずっとこの深さなら泳ぐまでも無いが――。

 ふいに、右足の裏が変な感触を捉えた。これまで踏んでいた土の柔らかさと打って変わって、でこぼことしていて、弾力のある何か。すぐに警戒した。何故なら、踏んだモノが動いた気がしたからだ。

 刹那、雲間から月明かりが射した。
 映し出された水面下の景色に、ゲズゥは目を大きく見開いた。
 いかに水が濁っていようと、見間違えられない。長く黒い塊が無数に重なり合って蠢いている。浅い水に棲む全長10フィート(約3メートル)以上の生き物、となると。

 ――アリゲーター。
 肉は揚げるのが一番美味いとか、本来なら人間を無視するはずの生き物だとか、もっと南の方の沼に棲んでいるはずだとか、そういう考えが同時に過ぎったが、すぐに我に返ってゲズゥは飛び上がった。幸い、噛み付かれる前に逃げられた。

 黒い塊が一斉に動き出すのが見える。さっき食べたリスの残骸を囮に使えるように取って置くべきだった、と後悔しても仕方がない。
 ゲズゥは空中で一回転して、一番近い岩に飛び下りた。

 ガコン、と岩が音を立てて下にずれた。
 それが何を意味するのか――結論を待たずにまたゲズゥは高く跳ぶ。そんな彼を捕えようと飛び上がったアリゲーターの一匹が、獲物をギリギリ逃して顎を噛み合わせた。

 あんなのに捕まったら脚の一本は失うだろう。そう思ったのも束の間。
 水の中から長い棒のようなモノが五、六本、素早く伸びた。棒は岩の上に収束し、アリゲーターを無残に貫き殺した。

 ――そうか、これが、「罠」。
 納得したゲズゥの脳裏に「鉄に貫かれて苦しめ」と高笑いした男の声が蘇る。岩を踏むと串刺しにされる仕組みになっているのか。

 しかし全部の罠がたった今のような速度で発動するならば、生き延びる勝算はある。ゲズゥは先祖から受け継いだ瞬発力に頼って、次から次へと罠が飛び出る前に岩を跳び渡った。間隔がやや長いので跳ぶ疲れは溜まるものの、これも100ヤード程度なら余裕で行ける――。

 距離の半分も進んだ時点で、ふと、ゲズゥはしゃがんだまま足を止めた。
 今しがた乗った岩が他のそれと違う。削り磨かれたように平になっていて、幅が広い。大人が三人、肩を並べて立てるだろう。しかも岩は鉄の輪みたいなものに縁取られている。何かの罠には間違いない。

 ドゴン、とやはり不自然な音がした。
 次に視界が赤と橙に満たされた。信じられないことに、鉄の輪から火柱が立ったのである。中心のゲズゥに火が迫ってくる様子は無いが、数十秒待っても炎の檻は消えない。

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07:56:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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