22.g.
2013 / 05 / 17 ( Fri )
 ミスリアの顔に安堵の色が広がるのを目の端で捉えた。
 一方、優男教皇は胡散臭い笑みを浮かべている。

「そうですか、失礼しました。なにぶん少数民族に関する情報が少なすぎますから。聖女ミスリアは息災そうですし、私は護衛である貴方に感謝こそすれ責め立てる理由はありませんね」
 そう言ってやっと手の力をいくらか抜いた。
 奴はまだ何か訊きたそうな目をしていたが、ゲズゥはその隙に手を引いた。これ以上の会話をする気は無いとの意思表示で顔を逸らす。

 一瞬、黒い兄弟から鋭く睨まれた気がした。

「では、そろそろ私は皆に挨拶をして回ります。また後ほどお会いしましょう」
 意思が通じたのか、教皇は裾を翻してすたすたと聖堂を後にした。兄弟がその後ろに続く。奴は結局何の為に聖堂に寄ったのか、これではまるで雑談をしに来ただけである。
 残った三人の間に数秒ほどの沈黙が訪れた。

「じゃあオレは町にでも消えるかな」
 と言ってエンも出入口に向かい出した。
「イトゥ=エンキさん? 晩御飯はいいのですか?」
「パス。適当にどっかで食ってくるから」

「そうですか……」ミスリアは残念そうに俯き、次いで何か思いついたように顔を上げた。「余り分があったら夜食として出しっぱなしにされると思います。後で、誰も居なくなった時にでもどうぞ」

「おー、気が向いたら寄っとく」
 振り返りざまに一度笑ってから、エンは音を立てずに去った。
 おそらく姉を避けたい理由が口で言った以上にいくつもあるのだろう。事情は詳しく知らないが、複雑な心境であることは間違いない。ミスリアもそれを察し、寂しそうな表情を浮かべるも引き留めようとしなかった。

 しばらくして、脱いだ手ぬぐいを両手の間に折ったり広げたりして、少女は何か言いたそうに視線を彷徨わせた。

「大丈夫ですか」
 ミスリアがゲズゥを見上げて訊ねる。
「何が」
 思い当たる節が無くて思わず訊き返した。

「……その眼の話をするのは、好きではないのでしょう?」
 伏し目がちに、静かな口調でミスリアは言った。
「群れのボスより、俺を気遣うのか」
 気が付けばそう答えていた。

「ボスって、教皇猊下の事ですか? それは……立場も大事ですけど。身近……な人間を思いやりたいですから。ゲズゥを私の旅に付き合わせて、嫌な想いをさせたかった訳ではありませんし……」

 遠慮がちに答える少女を見下ろし、ゲズゥは得体の知れない優越感を覚えていた。
 頂点に立つ上司よりも優先してもらえたから? 「身近」と言ってもらえたから?
 ――わからない。実に、得体の知れない――

「気にするな。ああいう誤認には慣れている」
「……本当に?」
 上目づかいで茶色の瞳が見上げてくる。

「一族も別に正そうとしなかった。『呪いの眼』と自称していたのは、ソレを持って生まれた人間が呪われているからだ。最初から、他人を呪う力など無い」
 だったら「呪われた眼」と呼ぶべきだったかもしれない。先祖の考えた事はわからない。

「なら……理不尽な差別に怒らないのですか……」
「無意味だ。何を主張した所で、見た目が気味悪いのは変わらない」
「私は綺麗だと思います」
「お前は少数派だ」
 そこで、会話がぱたりと止んだ。

 ミスリアはどこか居心地悪そうに辺りをきょろきょろと見回し――ある壁の前で唐突に表情が翳った。
 何を見たのだろうかとゲズゥは視線を追う。演壇から見て左隣の壁だ。台の上で蝋燭が列になってびっしりと並べ置かれている。蝋燭は全部に火が点いていない。

 急に我を忘れたように、滑るように歩いてミスリアはその台を目指した。ゲズゥは動かずに、目だけで後ろ姿を追った。
 蝋燭の一本一本に、銀細工のリングみたいな蝋燭立てが付いていた。何か彫られているのだろうか、ミスリアは指先でそれらを夢中で確認している。

 やがて目当ての一本を見つけ、白い指はある一本の蝋燭の前で止まった。ミスリアは片手で口元を覆い、空いた手をマッチ箱へ伸ばした。震える手で蝋燭に火を灯す。
 ことん、と音を立ててマッチ箱が戻された。

 少女はしばらく揺れる炎を見つめていた。
 次には両手を絡み合わせ、祈る姿勢で何かを呟いていた。それもしばらくして崩れる。ミスリアは力なく床にへたり込んだ。頼りなく細い肩が激しく震えている。

 すすり泣きが、聴こえた。

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