20.e.
2013 / 02 / 04 ( Mon )
 腕の中の少女を見下ろした。一見眠っているようで、実際は力尽きてぐったりとしている。
 ゲズゥは左手を肩、右手を彼女の膝裏に回してそれぞれ支えていた。ミスリアの栗色の髪が幾筋か顔にかかっていて、口元を覆い隠している。

 頭領との交渉が落ち着いた直後に、ミスリアは倒れた。
 おそらくは聖気を使ったことに関係ありそうだが、あの決闘から数時間経っても、一向に意識が戻る兆しはない。
 果たしてこれが深刻な問題に展開するかどうか、気がかりである。

 ふいに顎をつままれた。

「どこ見てるの。目の前にこんなイイ女が居るのに、無視するなんてひどいわ」
 ずいと顔を近付けたアズリが、すぼめた唇で文句を垂らした。日頃の冗談よりも真実味のある言葉に、ゲズゥは違和感を覚えた。
 熱い吐息から香る、甘酸っぱさに混じった独特な匂い。それを嗅いだ途端、察した。底なしに酒に強いアズリが酔いを表す程、グラスの中身は濃い酒といえよう。

 アズリの右手がゲズゥの頬にそっと触れた。
 柔らかい指の温かさが、背に触れている硬い壁の冷たさと対照的だ。

「アナタは初めて会った時から、不思議で、面白い子だったわ。一緒に生きることは無いでしょうけど、それでも一時でも私たちの道が交差して、楽しかった」
 うっとりと、懐かしむ目だった。これも、真実味を帯びた物言いに思える。

 ゲズゥは特に返す言葉を持っていなかった。あの思い出はあまり楽しいと形容できるものではなかったし、もう一度戻って選び直せと言われたら、今度は関り合いにならない方を選ぶかもしれない。どちらでも大して変わらない気もする。
 そしてこの絶世の美女が自分をどう思っていたか、前々から感じ取っていた。

「……私は自分の生き方が気に入ってるわ。変えるつもりは無いし、その必要も無いと思ってる」
 そう言ってアズリの美貌が更に接近してきた。

 背後が壁なので後退ることはできない。左右にアズリの取り巻きが佇立してるので横へ逃れることもできない。ミスリアを抱きかかえたまま飛び上がるのも楽にできない。
 が、次に起きることを逃れたり拒まなかったりした一番の理由は、意識のどこかでそれを求めていたからだろうか。

 首を屈めて瞼を下ろした。

 押し寄せてくる、女の微香。
 頬を撫でる手よりも柔らかい感触が、唇をかすめた。次いで湿った舌が上唇をなぞってきた。応じて舌を絡め取ると、酸味がした。少し遅れて甘い後味が口の中に残る。

 四年前――つまらない世界を漂って生きていただけの自分に、アズリの存在はやけに鮮明に焼き付いたのだった。
 ――この女も、漂って生きているから?
 自分と違って、やたらと楽しそうにではあるが。

 熱情に憑かれていなかった時はこの包み込まれるような心地良さを求め、強く惹かれた。
 総て錯覚だったと後になって理解したが、甘美な錯覚であると、今でも認めざるをえない。

 こうしている間もアズリの取り巻きは何一つ干渉して来なかった。しばらく、無心に唇を重ねた。
 ようやく少し隙間を開けると、まだ大分顔を近付けたまま、アズリはくすりと笑った。

「昔からアナタはどこか空虚な印象があった。その場その場で生きていた感じかしら。生に執着があったとしても、生きる上での選択肢に対しては、無かったのでしょう」
 的を射た指摘だ。

「効率がよければ、どんな生き方でもいいと思っている節があった。でも再会したアナタは少し違う。雰囲気そのものは変わらないけれど、潜在的な場所で、執着が芽生えた。それか、長く諦めていた何かにまた手を伸ばそうとしているのかしら」

 笑顔で囁いたアズリを、ゲズゥは片眉を吊り上げて見つめ返す。
 よく人を観察している女だ、と思った。
 ゲズゥ自身ですらほんやりとしか認識できなかった感情を、次々と言い当てている。

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