18.e.
2012 / 12 / 01 ( Sat )
「真ん中の二人がこっちに手振ってるぜ。呼んでるっぽいな、行けば?」
「い、いえ、遠慮します。私は輪の外側でいいです」
 激しく被りを振った。ただでさえ人の多さに酔ってしまいそうなのに、中心になんて行ける訳が無い。社交性を特徴としないゲズゥもまた、同じ気持ちであると信じている。

 その時、中年ぐらいの女性がイトゥ=エンキの肩を叩いた。
 女性は身をかがめた彼に何かを伝えた。

「わり、ちょっと外すわ。すぐ戻ると思うけど」
 話を聞いていた時の彼の表情の変化を見るに、それほど深刻な話でもないようだった。
「どうぞお気になさらず。案内ありがとうございました」
「おー、後でまた話そうぜ」

 イトゥ=エンキは中年女性について行ってその場を去った。
 ミスリアはふとゲズゥを振り返ってみた。彼は通常通りに何の感情も表していない。
 黒曜石を思わせる色の右目がじっとこちらを見下ろした。

「あの親父」
 前触れなくゲズゥが呟いた。すぐに視線を別の方へ投げかけた。
 彼の目線の先を追うと、そこは輪の中心だった。となると頭領の話をしているのだろう。

「もしかしたら、――――かもしれないな」
「え? 何ですか?」
 肝心な言葉だけが騒音に掻き消されて聴き取れなかった。繰り返すように頼んでも、ゲズゥはあさっての方向を見ていて答えない。
 何て言ったんだろう、と考えを巡らせていたら、誰かにいきなり横からガッシリと肩を抱かれた。ここでのこういう展開にはもう慣れたけど、身体は勝手に吃驚して震えた。

「お嬢ちゃん! しけたツラしてないで飲め! 飲んで食え!」
 銅製のゴブレットが視界に飛び込んできた。静かに考え事を続けられる環境でないのは明らかだった。
「お気持ちは有難いのですが、私はお酒は飲めません」
 などと断りの言葉を色々並べてみたものの、まったく聞き入れてもらえない。

「ほらほら」
「ですから、私はお酒は……」
「はい飲んだ!」
 唇に強引にゴブレットを押し付けられた。こうなっては仕方ない。解放されたいが為に、ミスリアは琥珀色の液体に口をつけた。この状況なら教団の規制に背いてもやむなしである。

 立ち上る強烈な臭いに頑張って耐えながら、少量の酒を喉に流し込む。
 そしてすぐに噎せ返った。

(うっ、な、何これ! 不味い!)
 というより喉がヒリヒリする。儀式や祭日の際の濃度の薄いワインしか飲んだことが無かったから、こんな衝撃に対して心の準備はしていなかった。

「あーあ。そんな飲み方じゃあダメだ。なあ?」
 男は傍に居る仲間たちに話を振った。すると男たちは一斉に手拍子を叩き出した。
「一気飲みしかないぜ! 一気!」

 誰かがそう叫ぶと、皆が一斉に「イッキ! イッキ!」と何かの呪文のように唱え始めた。

(無理! 誰が何と言おうと無理なものは無理っ)
 しかし包囲されていては成す術も無い。涙目になりながら、ミスリアは手が滑った振りをしてゴブレットを落とそうか、と思案した。

 救いの手は唐突に伸びてきた。
 見覚えのある手がミスリアの右手からサッとゴブレットを奪い取った。呆然と視線を巡らせれば、既にゲズゥが酒を飲み干した後だった。
 周りは豪快な飲みっぷりに歓声を上げる。

 当のゲズゥは総てどうでもよさそうに、銅製のゴブレットを壁に投げつけた。大きな音の後、すぐに歓声が止んだ。広場中の注目が長身の青年に集まる。
 その間、輪の中心の二人は面白そうに眺めるだけで関与しない。

「不味い酒より、飯」
 短く言い捨てた後にゲズゥはミスリアの腕を掴んでその場を離れた。
 酔っ払いたちはもう飽きたのか、追ってこない。広場の喧騒が元に戻るのに数秒とかからなかった。
 ミスリアは前を歩く青年の背中を見上げて口を開いた。

「あ、ありがとうございました」
 あそこから救い出してくれたことに関してのお礼を言った。ゲズゥは歩を緩めないので、聴こえたのかどうかは定かではない。
 食べ物が並べられているテーブルの前でようやく彼は足を止めた。

(ご飯を食べたいというのは本気だったのね)
 かくいうミスリアも空腹だったと、今更ながらに思い出した。
 ボウルを取ろうと手を伸ばす。

「…………お前、よくわかっていないだろう。模様の男の話し方だと伝わりにくかっただろうがな」
 ミスリアは頭上からかかってきた声の方を向いた。
「わかっていないって、何をです?」
 空虚な両目に見つめられて、ドキッとしながらも訊き返した。 

「業の深さ」
 低い声が、ずしりと重く言い放った。

「今にわかる」
 ゲズゥが何を指して言っているのか皆目見当が付かなくて、ミスリアはただ彼を見上げて瞬いた。


**この場面で登場しているお酒はCognacみたいなものと想像してください。
ただし質が悪いので不味い(・∀・)

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