夢と現の境を再び飛び越えた瞬間、目に映ったのは同じ端整な青年の顔だった。
ミスリアは息を呑んだ。
覗き込まれていると形容して良いほどに顔が近いが、相変わらずその顔に表情は浮かんでいない。
状況を思えば、魘されていた、みたいな事を指摘されるかと思ったけれど、ゲズゥは開口一番に別のことを言った。
「模様の男が来てる」
「はい?」
入り口に立つ、白いシャツに麻ズボンといった楽そうな格好をした男性の姿を認めて、ミスリアは理解した。肩に届くくらいの長さの黒髪が無造作に跳ねている。
「イトゥ=エンキさんですね。……あれは刺青では?」
「いや。おそらく『紋様の一族』だ。生まれ付きだろう」
「もんようの……?」
ミスリアはベッドの上で起き上がり、夢の余韻を忘れようと努めた。寝汗が少し気持ち悪い。
「へー、よく知ってんな、超マイナーなのに」
イトゥ=エンキは己の左頬をつねった。
「会うのは初めてだがな。話くらいは聞いていた」
「流石、同じマイノリティの『呪いの眼の一族』ってとこか」
二人が何気なく言葉を交わす内にミスリアは自分の格好を見直し、失礼な箇所が無いと確認してから、ベッドを滑り降りた。
紳士ならば寝起きの淑女の下をいきなり訪ねたりしないものである。ここでそういう常識が通用しないことにはもう驚いたりしない。
「オハヨウ、嬢ちゃん。昼でも一緒にどうだ?」
イトゥ=エンキは軽い調子で誘った。よく見れば精悍な顔立ちなのに、やる気の無さそうな雰囲気がそれを些か台無しにしている。
「もうお昼の時間なんですか?」
つい訊き返した。
「まあな。洞窟の中だと昼も夜もねーけど」
彼は肩を竦めた。
(そんなに寝てしまったの)
なんてだらしない。
一瞬焦るものの、よく考えれば何時に寝たのかが定かではないのだから、短い睡眠時間だったかもしれない。
「この山脈全体がオレらの拠点みたいなもんだから、山々の間とか天辺に吹き曝しの集合場所があるぜ。そんで食堂も外だ。今日は晴れてるしちょうどいいだろ」
「凄いですね」
「来るか?」
彼は再度誘いの言葉を発した。
「あ、はい、行きます」
昨晩の約束があるので、迷わず承諾した。
それまで静観していたゲズゥにも、一緒に来ないかとミスリアは目で問いかけた。
「俺はもう少し寝る」
そう言いながら欠伸をしている。
「わかりました」
ミスリアは支度をさっと済ませてから、イトゥ=エンキについて食堂へ行った。
迷路のような洞窟を十分ほど進んで、やっと日の光が目に入る。
あまりの眩しさにミスリアは瞼を伏せた。闇が急に光に転じるというのは、どことなく、さっき見た夢を思い出させる。それは決して気分の良いものではなかった。
爽やかな午後の澄んだ空気を吸い込んで、頭の中を良い意味で真っ白にした。
そこからしばらくの間、伐採された山肌を二人で登った。
こうして見渡すと、伐採されているいくつかの箇所を除いて、山は全体的に濃い緑色に覆われていた。全貌を目に入れるとただ絶句するしかないような大自然は、山に慣れた人間、または余程の理由がある人間でなければ、踏み入ってみたいとは思わないような世界だった。
登った先に、先ほど言っていた通りの吹き曝しの広場があった。足場が平たくなっていて歩きやすい。
木製のベンチと長方形のテーブルが並び、その半分くらいが既に取られていた。
笑い声と怒鳴り声と歌声が入り混じったようにざわついている。
「ここがそうだ。ウルサイとこで悪いなー」
イトゥ=エンキは片手をポケットに突っ込み、煙と湯気の立ち上がる場所へ向かってつかつかと歩いた。
「何食べる? 主な選択肢は煮物と揚げ物、鳥と兎と……」
「えーと、私はイトゥ=エンキさんと同じでいいです」
「りょうかい」
料理人に向かって、彼はミスリアには理解できない言語で話しかけた。しばらくの応酬の後、木から彫られたお椀を両手に持ったイトゥ=エンキが先導して、二人は空いたテーブルに座った。
「熱いから気をつけてな」
「はい」
他のテーブル含め、誰も食器を使っていないので、どうやら啜って飲む物らしい。いつも以上に注意を払いながら、お椀のふちに口をつけた。
(この人は親切そうなのに……というよりまともな人な感じがするのに、盗賊なのね)
向かいに座る男性を上目遣いに盗み見た。
ミスリアは困惑を覚えていた。自分が抱いていた賊のイメージと、目の前の人間が噛み合わない。
――悪事を働く人間が、果たして皆悪人であるのか?
「天下の大罪人」に会うと決めた以前から疑問に思っていたことが、今またミスリアの中で一つの問題となって浮かび上がっていた。
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