14.c.
2012 / 07 / 07 ( Sat )
「ミスリア、少し下がろう。巻き込まれたら困るからね」
 ふいにカイルの声がした。
「でも……」
「心配いらないよ、きっと。この場合、周りが見えてる方に分があると思う。その点、彼は十分に冷静だから」
 
 戦闘に関する知識に乏しいミスリアには、カイルの示す理論に異を唱えられない。引かれるままに、馬を下がらせる。ついでにカイルの手を借りて、馬上から降りた。
 鉄と鉄のぶつかる音。傍目にもゲズゥよりも筋力の優れた男が、勢いに任せて剣を弾き飛ばした瞬間だった。
 
 ミスリアが息を呑むのとほぼ同時に、ゲズゥは元兵隊長の懐に踏み込んだ。左手で槍を制し、右肘で腹を押さえ込む。そういえば前にも、似たような展開があった。得物を失うとゲズゥはうろたえるどころかそれを逆に利用するらしい。
 元兵隊長にできた隙は、短かった。ゲズゥはその内に飛び上がり、相手の顎に頭突きをくらわせた。見るからにかなり痛そうだ。
 
「がはっ……!」
 元兵隊長は呻いた。
 普通ならば衝撃で身動き取れなくなりそうなものの、彼は報復に燃える両目を光らせ、後ろに倒れつつも足で槍の柄を蹴った。
 
「――!」
 ゲズゥは声ともいえない呻き声を漏らした。槍の刃がちょうどこめかみ辺りにぶつかったようである。
 血飛沫に驚いて、ミスリアは小さく悲鳴を上げた。
 しかし斬られた当人は体勢を崩していない。むしろ、体勢を崩した元兵隊長にすかさず踵落としをくらわせている。
 
「……あんな早業、初めて見たよ」
 呆然と感心を表すカイルに、ミスリアは頷いた。
 
 それでも元兵隊長はよく粘る。鎧を着込んでいない分だけ身軽であり、彼は地面から跳ね上がった。
 再度槍による攻撃を繰り出すが、それをゲズゥは淡々と避け続ける。まるで、突かれる位置を先読みしているようだ。
 
「逃げるな! 貴様、なんぞに! この私が! 敗れていいわけがあるか!」
 いっそ彼が瘴気でも吐いているかのように見える。急に背筋が寒くなって、ミスリアは身震いした。
「……そうか」
 いつの間にまた相手の背後に回ったゲズゥが、興味無さそうに言う。
 
 これもまた早業だった。瞬く間に、あんなにも図体の大きい元兵隊長が宙を飛んでいる。運が悪いのかゲズゥが狙って投げ飛ばしたのか、彼はそのまま小岩に激突した。多少の土やら草やらが跳ねる。
 
 ゴツッ、という音に思わずミスリアとカイルは顔をしかめた。
 元兵隊長は岩を背にぐったりしている。タフな彼も流石に動けないのか、口を半開きにして息も荒い。意識はあるようで、瞳は未だに憎悪に燃えている。
 
「お疲れ。といっても、彼みたいに憎しみに振り回される方が疲れる気がするけどね」
 カイルは爽やかな笑顔を浮かべて、佇むゲズゥに声をかけた。
 確かに、元兵隊長がぐったりしているのは身体的なダメージだけが原因とは思えない。彼は父親を失って悲しかったのだろうか。それとも家が没落した事で受けた屈辱の方が、大きかったのだろうか。
 
「嫌味か」
 冷淡な返事が返ってきた。
 
(そういえば将軍さんを殺したのは憎しみからだって言ってたわ)
 ならばゲズゥも憎悪に振り回される感覚を知っているのだろう。カイルの言葉が自分に対する嫌味と受け取るのも不思議ない。
 
「え? そういうつもりで言ったんじゃないけど……」
 困ったようにカイルが苦笑いをする。ゲズゥはそれ以上は何も言わず、弾き飛ばされた大剣の回収に向かっている。本気で気にしていないのかもしれない。
 
「まあそれはいいか。それよりどうする? このまま置いていくのはひどいし、だからといって治癒を施すのも何だか気が進まないな」
「そうですね……」
「気になるなら、近くの人里に捨ててくればいいだろう」
「……君が言うと、段々それが最善に思えてくるのは何でだろうね」
「無責任です! それでは罪も縁も無い人に厄介ごとを押し付けることになります」
「うん。ここまでの執着心、適当に捨てただけじゃあまた追ってきそうだしね」
「では誰かに身柄を引き渡すべきと?」
「そうだね……。ねえ、ところで耳からものすごい血が出ているよ」
「あっ! 私が治しましょうか」
「ほっといても塞がる」
 
 目前の危険が消え、三人とも緊張を緩めて話をしていたからか。
 樹の後ろから滑り出てきた新しい人影への対応が遅れてしまった。
 
 勿論、最初に気付いたのはゲズゥだった。彼が目を細めたことに、次はミスリアが気付いた。あろうことか彼は何の行動にも出なかったので、視線の先を追うだけにした。
 人影は元兵隊長の横に立つと、長く細い物を伸ばした。
 
「シューリマ……セェレテ!? 何故――」
 驚愕に彩られた声は、それだけしか言えなかった。すぐに喘ぎ声と、何かおぞましい音が続いた。
 何が起きたのか理解した時にはもう終わっていた。
 
「ミスリア! 見ない方がいい」
 カイルに頭を抱き抱えられ、彼の胸に額を押し当てられた。
 けれども、既に映像は目に焼き付いている。
 
 シャスヴォル国の元兵隊長の喉元に細い剣が生えていた。
 あれでは間違いなく事切れていた。聖気を展開するまでも無い。
 ミスリアはカイルのシャツを握り締め、体が震えるのを止めなかった。吐き気を通り越して、頭がぼうっと麻痺している。

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