3-3. f
2019 / 07 / 04 ( Thu ) 家族と呼ばれて、胸の内にどのような感情が生じたのか、当のミズチにもわからなかった。 「とじこめられてるあいだ……自害して、楽になろうとはおもわなかったんか」葉を零れ落ちる朝露のような、ささやかな問いを投げかける。 「思ったさ。けどそれじゃあ、蛟龍の話し相手がいなくなるだろう」 「――――」 変な気を回すな、そう笑い飛ばしてやりたいのに、何故だか喉が詰まって何も言えない。感心しているのか――今わの際に、他者に心を割くこの者の気概に。 「おまえ、ニンゲンの中じゃ生命力は平均以下のくせに。精神力は、つよいほうだな」 「そう、かな」 ――味方がひとりでもいればそれだけで充分なものだ。 青年は目元に笑みを浮かべて言葉を継ぎ、時を惜しむように饒舌になる。 「十年以上経つのに、故郷の言葉を忘れずにいられたのは、蛟龍のおかげだ。お前が気まぐれに僕らの言語をおぼえたからだ。感謝してる。感謝しか、ないくらいだ」 「カンシャね」 またか、とは言わないでおいた。ラムの満足そうな声音は、以前に村への情を語った時のそれと似ている。 「何度か……死んで楽になりたいとも思ったさ。これが……さいごの心残り、それともわがまま、か」 一周して再び頼み事の話題に戻ったところで、今度は、ミズチも拒絶を示さなかった。 「僕に、墓、が建てられれば、そこに家名を刻んでほしい。ないなら、作ってほしい」 「なんでわざわざ」 「僕は家族から遠く離れた地で死ぬけれど、霊は、先祖の元に、逝きたい。その道しるべだ」 「あー、『死後の世界』しんじてるんだったな」 「妖怪であるお前は、信じないんだったな。でも魂の存在は肯定していただろう」 「死に際のいきものの生命力の残滓みたいなもんがとぶのは、みえる。それが消える時、いきつく先があるかどうかは、しらん」 「……なら、いまも見え」 「やなこときくんじゃねー」 言葉を被せて、ミズチは蛇として威嚇する時みたく、舌を出して鋭く息を吐いた。思いのほか気が立ったのか、外の強風に勝るほどの音量が出た。 ラムはか細く笑うだけだった。 得も言われぬ苦しさがミズチの喉の奥を襲う。 死にゆく者から生命力が溢れることは、ある。風に舞う雪結晶のように、光源の前に踊り出す埃のように。両目を凝らさねば気が付かないほど微かな何かが散る――まさにこの時、この場でも。 見たくなどないのに。無意識に目を逸らし、そこでしまったと思った。 狭い場所だ。いくら弱っていようと、ラムがそのような動きや気配をとらえないわけがなかった。時として行動は言葉以上にものを言う。 「僕が死んだら――お前への、せめてもの礼に、この身体を明け渡そう。肉は少ないだろうけど……食べて腹の足しにするのも、解剖して仕組みを研究するのも、自由だ」 「いらねー」吐き捨てるように答える。「そんなことしなくても、この数十日間、ずっとカンサツしてたからな。もうじゅうぶんだ」 実際、青年の身体機能がひとつずつ力尽きていくさまを、詳細に感じ取ってきた。次にニンゲンの擬態をする時は、これまでとは比べ物にならないくらい緻密に再現できるだろう。 解剖までしたならば、ますます精度を上げられるに違いない。 それはミズチにとって好都合のはずだった。かつての自分なら喜んで承諾していた。否、今でも、有益な取引だと思う。 であれば相手が悪いのか。他の誰かなら、肉体が腐り果てるまでじっくりと見守ってやったかもしれない。 この青年の白骨死体を想像すると、拒否感のあまり眩暈がした。 (情がうつったか) 認めたくない事実に意識を向ける。 悔しさともどかしさを発散する方法がわからなくて、ミズチは敢えてニンゲンがするように歯ぎしりをした。顎の筋肉が張る感覚がやたら不快だった。 (カゾク……家族だったら、どうする。承けるべきか?) どうすべきかではなくどうしたいかでしか物事を判断してこなかったゆえに、咄嗟に考え方を変えるのは困難だった。 石に一文字刻むだけ。大した労力のかからない頼みだ。どのみち暇だけは持て余している身で、この男が死ねば、これからどうやって暇をつぶせばいいのか改めて探す必要ができてしまう。 「だー、家の名前をほりゃーいーんだな。彫れば」 「ありがとう! もうひとつ、頼みがあるんだ――」 「おまえな」 「――忘れないでくれ。時々でいいから、僕という人間がいたこと、思い出してくれ」 瞬間、ミズチは息を呑んだ。 もとより忘れるつもりなどなかった。だがこの時を境に、長い一生の中で、能動的にニンゲンとの思い出をなぞるようになったのも確かである。 ふいにラムが笑った。何がそんなにおかしいのかと問い質すと、お前こそ笑っているじゃないかと返された。 三ヶ月も更新が開いてしまった…。 あと1記事でようやくこの三章も終わりです!!! |
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