3-2. c
2018 / 12 / 17 ( Mon ) 地面にまで下りて、草の隙間を縫っての進行に移った。次にどこへ向かうのか、皆目見当がつかない。 外は薄暗かった。(時系列で言えばさっきの場面より前、でいいんだよね) 木陰でナガメの進行が止まったかと思えば、形容しがたい感覚が全身を包んだ。 超高速で、あるはずのものがなくなって、あったものに替わって何かが浮かび上がっている。自分自身が、元の場所から脱していくようだ。 数分して、曖昧にしかつかめなかった周囲のイメージが鮮明になっていく。足元を見下ろすと、小さな蛇が脱皮した抜け殻があった。それをナガメは感慨なさげに踏みつぶす。 「ここにいたか」 突然かけられた声の源をたどると、息を切らしたラムが、いつぞやのように大股で駆け寄って来ていた。彼は流れるような慣れた動作で、自らの羽織っていた上着をナガメに譲った。 「外で変化したら寒くないか」 「へーき」 「だからって全裸で歩き回るな。誰かに見られたら、」 「わーってるって」 幾度となく繰り返されたやり取りなのか、ナガメは煙たそうにする。少年の体には明らかに大きすぎる着物になんとか帯を締めて、再び顔を上げた。 「で、なに」問われた青年は目に見えて怯んだ。きっと言いにくいことだろう、唇が微かに震えている。「てかなんつー顔してんだ。おまえ、なぐられたんか?」 その言葉で、唯美子はラムの顔を二度見した。すると片方の頬が、最初に目に留まらなかったのが不思議なくらい、すごいことになっていた。顎まわりが腫れてあざができ始め、口元には血がついている。 「そうだ。歯も一本抜けてしまった」 「うわーヒサンだな。ただでさえオトナの歯は生え変わらないんだろ」 「……どうして蔵の食べ物を盗んだんだって、あのひとに事情を聞こうとした。でも取り合ってもらえなかった。自分はやってないの一点張りで、しまいには激昂して……このザマだ」 「なにやってんだよ、ばっかじゃねーの。犯人がスナオにやりましたってふつう認めるわけないじゃん」 ナガメは青年の脛辺りに軽い蹴りを入れる。ラムは短く呻いた。 「返す言葉もない。僕はお前の証言を信じてるけど、あのひとが目を合わせて否定してくれれば、そのまま受け入れようと思っていたんだ。だけどかえって不信感を抱いてしまう結果になった」すっかり意気消沈したような、悲しい苦笑を浮かべる。「教えてくれないか。お前は動機を知っているって、前に言ったな」 知ってる。肯定を述べて、ナガメはぽすんと草の上に腰をかけた。隣の位置を手の平で叩いて、ラムにも座るように示した。青年は神妙な面持ちで応じた。 それから少年は語る。 これまでに見聞きしたすべてを。三つ子を産んだ夫婦の抱える秘密と、その代償を。最後に彼らの悪意の向いた先についても、淡々と伝える。 当事者となってしまった青年はまず驚きに目を見開き、表情を曇らせ、そして深く頭を垂れた。 「話してくれて、ありがとう。蛟龍」 一言一句、重いものを引きずるように、彼は口にした。 「ん。これからどーすんの」 胸中に巣食う心配を声に出さないのは努めてのことなのか、それとも自然とそういう仕様なのか。ナガメは足元の草を片手でぶちぶちと引き抜きながら返事を待っている。 そんな折、唯美子は思い返した。水田でラムを見送った際の独り言を。 (責められない……きっと同情する) かくして、憂えていた展開に繋がったわけだ。 「どうもしないさ。どうしようも、ないことだ」 ナガメが俯いていたため表情は見えなかったが、答えたラムの声は穏やかだった。 「ほんとばっかじゃねーの」 ――ぶちっ。 ひと際大きな音を立てて、草の束が根ごと大地から引っこ抜かれた。 * 他者の記憶をたどる旅が中断された。まだもやのかかった頭で、なんとなくそれだけは理解できる。 夜中に細かい物音で起こされるような浮遊感があった。人工的な灯りが照らす室内は明るく、目が慣れるまでに何度も瞬きをしなければならなかった。あの三人組の女性客は既に立ち去った後なのか、それらしい影が見当たらない。 ふと唯美子の耳に剣呑なやり取りが届いた。意識が呼び戻された外的要因はこれか、とゆっくり上体を卓から起こす。 「てめーはいつも面倒ごとおしつけるな。大物相手ならさいしょからそう言え、よけーな体力つかわせやがって」 「おや、あなたほどの個体に『余計な体力』という概念があったとは驚きです。もしや苦戦したのですか? いい気味ですね」 「狸のくせに狐みたいな顔すんだなー」 「それより水を滴らせながら店内を動き回らないでいただきたい」 「なんか拭くもんくれ」 手ぬぐいが宙をよぎったところで、ちょうど唯美子の目の前がクリアになった。出かけた時と同じ、十六歳ほどの少女の姿をしたナガメが、乱暴な手つきで髪を拭っている。 (この姿も知ってるひとを写したのかな) 段の入ったショートヘアやほっそりとした手足、上下が完全にコーディネートされたパステル色のふわふわとしたブラウスとスカートが、あまりにも調和が取れている。かなりの美少女と言えよう―― 片足を椅子にあげていなければ、の話だが。いかに見た目が可憐そうでも、中身まで擬態する気がないのかもしくはこの場は織元の目しかないのでスイッチを切り替えているのか、ナガメはやはりナガメだった。 |
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