1-3. b
2018 / 04 / 29 ( Sun ) 「ぜに……? めい、よ? なんのはなし……きみ、だれ?」
安心というよりは困惑が勝る。けれどひとりではなくなったことに、ひそかに喜んでおいた。手を握る感触には確かに勇気づけられるものがある。 見ると、少年は袖なしのシャツと半ズボンを着ていた。偉そうな口ぶりの割には、何の変哲もない格好をしている。金持ちの家の子、というわけではなさそうだ。 「おいらは、みずちだ」 「ミズチくんっていうの」 「んにゃ、個体名でなければ種族名でもない。数百年の生を経て龍の位階に登ったから、蛟《ミズチ》だ」 聞いたことのない言葉が一気に並んで、唯美子は目を回した。「いかい」は異世界のことだろうか。異世界に登った龍の一族がなんとかかんとか……。 「りゅうっておそらをとぶ、あのひげのながいやつだよね。じゃなくてドラゴン?」 「空はまだとべねーなー。最低でもあと八百年かかりそう」 「とべるの!?」 びっくりして大声になる。洞穴の中でこだまして、変な感じがした。興奮のあまり、唯美子は少年が先ほど述べた数字を聞き逃していた。 「まだだっつーの」 「でも、とべるんだ!」 「はいはい。いつかとべるようになったら、雲の向こうに連れてってやるよ。もうともだちだし」 少年は目を細めて笑った。 胸の奥を突き刺す単語に、唯美子は手を引いた。知らず、目元に涙がたまる。 「……わたしといたらこわいことがいっぱいおきるんだよ。いたいことも。だからだめ。ともだちはだめ」 「はあ? 知ってるし、んなこと」 デコピンされた。 痛むおでこを押さえながら、近所にこんな子いたっけ、と唯美子は不思議に思った。こちらの事情を把握しているのだから、きっとそうなのだろう。 「知ってて、いってんだよ。だめとかはナシだぜ。おまえに拒否権ねーから。よし。川を見にいこーぜ」 「よるのやまはうろついちゃだめだっておとなたちがいってたよ」 「だいじょうぶだって」 「まいごになったら、たすけにきてくれないんだよ」 「ふーん、薄情なんだな。いくら夜が危険っつってもいなくなったのがガキじゃあ、捜索隊ってやつ、だすんじゃねーの」 「そうなの?」 思いもよらなかった可能性に、しばし唯美子は言葉を失くした。ハクジョウの意味はわからないが、ソウサクタイはなんとなくわかる。 「知らんし。どうなんだよ、まわりのおとなは」 「くる……かなあ。わかんない」 「ま、どっちでもいいや。心配すんな、おいらが家に帰してやる」 「でも――」未だに及び腰の唯美子を、彼は力づくで洞穴から連れ出そうとする。膝に力を込めて抵抗を試みたが、少年の腕力には勝てなかった。「あ、雨にぬれちゃう」 雨滴が皮膚に跳ね、服に吸い取られていく。濡れた土と草木の匂いが、むんと鼻孔に飛び込んだ。気持ち悪さと寒さに全身が強張った。 外の世界は暗かった。完全なる暗黒が刻一刻と迫り来る予感に、竦み上がりそうになる。悪天候の山中にて確認できる僅かな熱源は、ミズチの手のみだった。 その事実を実感した時、出会ったばかりの少年の腕にすがりついていた。 「なあ、ゆみ」 「な、なに……」 くっつきすぎだと文句を言われるのかと思って、身構える。 こちらを見下ろす双眸は愉快そうに光っていた。光っているように見えるのではなく、実際に黄色っぽい燐光を発している。しかも黒目の部分が細長い形で、動物みたいだった。 「ちょっとさ、うで、ひろげてみろよ。たのしいぜ」 「た、たのしくない……よ。さむ、さむいよ」 「いいから。いちど『こわい』っておもったらさ、からだぜんぶで怖がるんだ。だからその『こわい』ってきもちを手放してから帰らないと」 「てばなし……?」 「そ。こうやって、ばーん! って手をひろげて、余計なもんをすてるんだよ」 ミズチは唯美子の拘束をするりと逃れて数歩下がり、口にした通りに、両手を思い切り広げてみせた。 刹那、周囲が眩い光に照らされ――続いて、激しい轟音がした。 唯美子は悲鳴を上げて顔を覆った。雷鳴がさらに数回響く。骨の髄にまで届きそうな振動だった。 その場に成すすべなくうずくまる。次に目を開けたら雷に打たれて焼け焦げた新しい友達の姿が見えるはずだ。きっと、そうだ。 泣いて怯える唯美子の耳は、やがて妙な音を拾った。 ――笑い声。 おそるおそる顔を上げる。なんと、ミズチは無傷どころか笑いの発作に身もだえているようだった。馬鹿にされているらしいことがひしひしと伝わってくる。 一次選考を通過したのがうれしかったので、拍手御礼を特別に入れ替えてます。 |
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