49.a.
2015 / 10 / 13 ( Tue ) 全身を幾重もの衣で覆った十人ほどの人間が、闇の中を走っていた。数人が持つ小枝のみを松明とした、隠密に徹した一行だ。 元々身軽でしなやかな動きを特徴としていたのだろう、その進みは流れるように速く、滞りなかった。衣服を着込んでいるというのに、帯をこまめに絞めているためか、はためく音はほとんどしない。しかも意図して足音を殺している走り方である。迷いなく洞窟の中を走り抜ける姿には一本の芯が、使命感が通っているのがわかる。 ただし、集団が今しがた走り抜けた空間――その遥か上に空洞があり、直径五フィートほどの外と通じる窓があることを、彼女らは知らない。 窓を囲む人影は三人。内、フードを目深に被った男が静かながらも力強い声を発した。 「牢があるという事実。それは、たとえ短くても攫われた女たちが生かされている期間があることを示唆する。連中の目的は、女を取り返すことだったか」 「でもこのままでは、『混じり物』の少年たちにはち合ってしまいます。無事で済むとは思えません」 「だから?」 「彼らを守りましょうとまでは言いませんけど、できれば傍観以上の手助けをしませんか」 ミスリアが食い下がると、オルトファキテ王子はフッと鼻で笑った。 「最初からそのつもりだ。でなければ此処まで足を運んだりしない」 「そうですよね、よかった。では二人とも気をつけて――」 「それでいいのか」 送り出す挨拶を、ゲズゥが遮った。黒曜石を思わせる右目と前髪の間から除く白い目が、じっとこちらを向いている。 「?」 「俺は、お前の護衛だ」 不用意に離れても良いのかと暗に問うているらしい。ミスリアは軽く笑って答えた。 「大丈夫です。私はここから絶対に動きませんし、危険を感じたらすぐに逃げますから」 「…………」 ゲズゥはまだ何か言いたそうに眉を寄せる。その傍らで王子が話を進めていったため、やがて視線は逸らされた。 「ざっと見下ろしただけではわからんが、男に見える体格を持つ者も居たな。私ならうまく紛れ込めるかもしれん。飛び抜けて背の高いゲズゥではその役割は無理だ、二手に別れるぞ」 「わかった。お前は牢で、俺は研究所とやらに向かう」 「ああ。この窓から下りよう」 早速王子が窓の縁に手をかけると、その背後からゲズゥが名を呼んで引き止めた。 「敵の大将に会ったらどうする気だ。殺すのか、利用するのか」 それを聴いてミスリアは小さく息を飲み込んだ。そういえば王子はこれまでに一度も、ハッキリとどういう決断を取るのかを口にしていない。 「いい質問だ」 振り返りざまに王子はニヤリと口角を吊り上げる。まさかとは思うけれど、懐柔したいと企んでいる可能性が――その疑惑を、彼は次の返答で払拭した。 「私は未知なる領域に手を出す挑戦心には共感するが、御(ぎょ)せない力を追い続ける愚かさは評価しない。ゆえに、その男に会えたら、葬り去るさ」 |
48.h.
2015 / 10 / 05 ( Mon ) 奴隷という生い立ちが深層意識に根付いているがゆえに、行動パターンの柔軟性を封じられることがある。イマリナの場合は過剰に恐怖を覚えるとパニック状態に陥る。 リーデンがどれほどの訓練を施しても、害意に触れる瞬間に硬直し、身動きできなくなるのだ。そうなってしまえば、感情を上塗りして肉体に染み込ませた反射運動に頼るほかない。 鍛えても鍛えても彼女に攻撃性を持たせることはできなかったがゆえに、リーデンはかわす働きのみを教え込んだ。それでも咄嗟に対応してくれないので、骨折り損に思う時もある。だが今はそういう時ではなかった。自分の、彼女にとっての唯一の主の命令する声がきっかけとなりえた。 「アンタらは里を脅かす谷底に居座った敵、ってイメージを描こうとしてたけどさ。とどのつまり、身内から出た錆なんでしょ」 闇の奥から伸びる魔手を身軽にかわしつつ退避する彼女と、後ろに控える里人たちを見比べた。その間リーデンは麻痺から解放されてきた手足を簡単に動かしたりした。 目の前でイマリナが高く跳んだ。すんでのところで的を外した触手が、べちゃりと地面を打つ。生肉を成熟させたような汚臭が散った。 「もう大丈夫だよ、マリちゃん」 慣らした足で前に歩み出て、彼女を背中に庇う。安堵のため息が漏れるのを聴いた。ここになって冷静さを完全に取り戻せたリーデンは、ようやく敵に注目した。 「さあて、オニーサン。よかったら君の家名と個人名を教えてよ」 そう呼びかけると、大気が拒絶に震えた。予想通り、目前のそれは自我や意識を持ったナニカであった。 『嫌だと言ったら』 山猫の咆哮のような声だ。それでいてかろうじて聴き取れるような、北の共通語。 「いいじゃん、僕のも教えてあげるから。リーデン・ユラス、だよ。ユラスは母の結婚前のメイデン・ネーム(旧姓)でさぁ、父親の姓名はクレインカティって言うんだ」 『ややこしいな。個人名を先に名乗るとは、他所の風習か。ここでは家名を先に名乗るのが主流だ』 奴がクレインカティの名を聞き流した以上、戦闘種族とは縁が無いのだろう。とりあえずそれを確認できたのは幸いだ。 「ふーん、そうなんだ。ねえもしかして、君もヤンさんだったりしない」 『どうやって知ったのかはわからんが、そうだ。おれはヤン・ナヴィと言う名だった。お前たちの中にヤン・ナラッサナの姿が無いが、暖かい家の中でお留守番か? いつまでも意気地の無い女だ』 一向に闇から姿を見せようとしないアンタはそれじゃあ意気地があるのかと突っ込みたかったが、我慢した。 「どこだろうね。ホント、回りくどいことしちゃって、ヤンおばさんの狙いは謎すぎるよ」 リーデンは大げさに肩を竦めてみせた。 (でも、いいよ。もうちょっとだけ踊らされてあげよう) 倒せるかは別として、ヤン・ナラッサナは「解放主」とヤン・ナヴィを見(まみ)えさせたかったのだ。足元には何故か剣と盾が揃っているし、そういうことなのだろう。意図も勝算も依然としてはっきりしないが、あの女の首を締め上げる前に企みに乗り切ってやっても損は無いのではないかと、自らの勘が訴えかけている。 勝つ必要は無い。 目の前に立ちはだかっているのは圧倒的な絶望を撒き散らす存在だ。しかしリーデンの中に恐怖は生まれない――それを通り越した達観した場所に辿り着いている。規格外の相手に自分のできることなどたかが知れているのだ。当面の課題は、イマリナと共に生き残ることのみでいい。 人間勢の中でこの夜の結末を左右しうる者がいるとすれば、おそらく聖女ミスリア・ノイラートがその筆頭だろう。そう思ったのもまた、勘に過ぎなかった。世の中にはそれを「信頼」と呼ぶ者も居る。 『ジェルーチ、ジェルーゾ! 牢・研究所の周辺と裏口を確かめろ。こいつらは陽動だ。他にも部隊が居るはずだ』 咆哮が空間に響いた。反響によって、この場所はそこそこ広いながらも天井と壁があるのだと理解できた。 「あいよー! じゃーオイラは牢と研究所! ルゾは裏口な」 「めんどくさい、けど…… わかった……ヤンが言う、なら」 その叫びの応酬が交わされる間、呪いの眼を使用して情報を手短に伝達した。 ――そういうことだから。そっちは任せたよ、兄さん。 返事は無いが、伝わったに違いない。 『健康そうな女だな。よこせ。そいつにも、孕ませる』 既にヤン・ナヴィはこちらににじり寄り始めていた。 ずる、ずる。 人間の腕ほどの太さをした無数の触手が這いずっている。背後の人々は固唾を飲む者が多数を占める中、松明を持って前に押し出る者も居た。 ――未知の化け物はよく見えた方が恐ろしいのか、見えない方が恐ろしいのか? 答えはそれぞれだろう。 触手の繋がる源に、大型猫の頭部があり、その更に上には人間の男の胴体があった。男の肩や背中には歪な突起の影が見える。頭蓋は膨れ上がっており、眼窩に瞳らしい瞳はなく、どろどろとした液体が漏れ出ている。後ろ首からは大きな翼が生えているように見えた。 右腕は蛇、左腕は百足。 最初に抱いた感想は、化け物は化け物でもどこか神話的な姿だな、である。神話の類には疎いリーデンだが、何故だかそう感じたのだった。 「あー。うちのマリちゃんは触手お断りなんだ、ゴメンね」 リーデンはぐっと顎を引いた。覚悟を決めた仕草などでは決してなく、耳飾りを揺らしてチャクラムの重みを噛み締める為であった。 (本能的な危険信号を、わざと無視する日が来るなんてね。人生、何があるかわかったもんじゃないね) 柄にもなく、剣と盾を構えた。 さながら神話に登場する英雄のように、そうして彼は大いなる不浄の者に挑んだのだった――。 48終わりです。執筆のろくてすみませぬ。 触手プレイw 今回はこのまま49に入るのであとがきはなしっす。では! |
48.g.
2015 / 10 / 04 ( Sun ) (まだそうと決まったわけじゃない。もしかしたら隣接してて気付いてないのかも)
これまでに巡礼してきた聖地では、傍で人が普通に生活をしていた。聖気を扱う訓練をしていない者がそこに何も感じないのは頷ける話だ。あの空気感を感じ取れるか取れないかは慣れから来るもの、ミスリアも回を重ねるごとに感度が上がっている手応えはあった。 けれども彼らは人ではなく、闇に闊歩する異形ではないか。 (真逆の性質を感じ取るはずだわ。好きでその位置を選んだってこと?) 聖地から漏れる気配に強弱があるらしいことに、巡礼している内にミスリアは気付いていた。或いは彼らにとっては気にしなくて済む程度の濃度なのかもしれない。 それとも、当て付けのつもりでそこに陣取ったとでも―― すぐ近くからあからさまな舌打ちが聴こえてきたため、思考は中断された。 「急に何だ?」 王子が舌打ちの発生源であるゲズゥに訊ねた。 「リーデンの意識が遠ざかった。連中に何かされたのだろう」 「想定の範囲内ではあるか……どちらにせよ、わざわざチヤホヤしてやったくらいだ、生かして使いたいのだろう。と言っても急いだ方がいいな。私も無駄口はやめるとしよう」 宣言通り、王子はその時点から黙り、つられてミスリアも口を噤んだ。 月が照らす夜の河辺をひたすらに押し進む。 河と風の流れる音を除いて、周囲は気味が悪いほどに静かだった。 _______ 眠りについた記憶は無いのに、途端に目が覚めたような気がした。両手両膝を地面に付いた姿勢だ。 (あ、酔いが醒めた感じの方がよく似てるかも) 試しに掌の中に息を吐いてみたが、酒の匂いはしなかった。リーデンはゆっくりと瞬きを繰り返した。暗い。松明に照らされたを探して目を彷徨わせるも、成果は芳しくなかった。 (気配……前方に一人と一ナニカ、背後に複数人) 半ば癖で兄の存在をも検索した。近くに居るらしいのはわかるが、別の空間なのか、多くの障害物に遮られているようだ。少なくとも目と耳の届く範囲で捉えることはできない。 耳と言えば――何やら馬鹿げた叫び声が聴こえてくる。 「解放主! 憎き怪物を退治してください!」 「彼女がやられてしまいます! お早く!」 実につまらない叫びが続いているな、と思ったが、やられそうになっている女が気になったので顔を上げた。 「そういえば攫われた女の子たちがその後どうなるのか、聞かせてもらえなかったな」 これは直に答えを見つけるチャンスだ。そう思ったのと時を同じくして、背後から松明が放物線上に投げられる。フォン、と炎が空を切る音がした。 刹那の間、巨大で気色悪い異形が照らされる。そしてソレの足元で蹲る女性の姿を見つけて、一気にリーデンの血液が頭部に集中した。 「あんのクソ女(アマ)、今度会ったら頭髪を十本ずつ引っこ抜いてやる」 ――なんて悪辣な策だ。思った以上の女狐だったか、いっそ称賛を送ってやりたいくらいだが、それはとっ捕まえて拷問にかけながらにしよう。 全てはこの局面を切り抜けられたらの話だ。 「マリちゃん、立って! 考えるな!」 ――逃げなさい―― 最も彼女と馴染み深い言語で怒鳴りつけた。 主人の命令を受けて、イマリナは一瞬だけ凍り付いた後、行動に移した。 |
48.f.
2015 / 10 / 01 ( Thu ) 「……みたいだな」
両目を閉じて静止したゲズゥが、しばらく経ってから不機嫌そうに答えた。 「王子、貴方には敵の居場所がわかるんですか?」 「知っている。向こうは隠してもいないから、軽く偵察すればわかるような位置にあるぞ」 ただし、と彼は河の方に視線をやった。 「――向こう岸にある。泳いで渡るのは論外として、飛行能力を持たない我々では、橋のかかっている地点まで行く必要がある」 「橋があるってことは、向こう側にも里が?」 「いや、反対側に民家は無い。どうも猛獣が住処としているらしくてな、定住地に使えなかったそうだ。橋は主に狩りや採集に行く時や移動の為に使っているらしい」 どうやって調べ上げたのか、相変わらず王子はカルロンギィの事情に精通していた。 時間を一秒たりとも無駄にできないとわかって、すぐに全員でこの場を去る支度をした。速度を優先するため、食糧や毛布などの生活用品は捨てることになる。 「ここから距離は」 大剣を背負い終えたゲズゥが質問した。それに対して王子は闇の中を指差す。 「四マイル未満と言ったところかな」 「となると三十分前後か」 「待て待て、私をお前みたいな若々しい化け物と一緒にするな。無装備で走ったとしても四十五分以上はかかるぞ」 「………… 」 胡乱げな目をするゲズゥと、愉快そうに笑う王子。その横でミスリアは何とも言えない心持ちで二人を交互に見やった。もし自分の足で走ろうとすれば、一時間はかかる。 「くくっ、本気で置いて行きそうな顔をするなよ。あの銀髪はお前にとってそれほど大切か? すぐに駆けつけねばどうにもならない種の人間か?」 「……すぐに駆け付けなくても死にはしない」 くるりと王子に背を向けて、ゲズゥはこちらに手を差し伸べた。歩み寄ると、ふいに足が地面から離れた。そのまま軽々と青年の肩に担がれる。 何の合図も無しに、月下での疾走が始まる。振り落されないようにミスリアは逞しい背中にしがみついた。 「私は先回りして隠れ場所を見つけることを勧める」 しばらく走ってから、王子が口を開いた。息は上がっているものの、ゲズゥの方が彼に合わせて減速をしているようである。 「何の為にです?」 「決まっている。カルロンギィの民の出方を観察する為だ。運が良ければ目的も突き止められる。大体、深夜に『混じり物』の棲家に率先して飛び込みたいとは思わんな」 「そ、それは勿論私だってそんなことしたくありませんよ」 「だからこそだ。里の連中が行動に移したからには人員も揃えているはずだ。我々のみで突撃するよりは安全性が増す」 「でも私たちの安全と引き換えに彼らに犠牲が出るのでは」 「知らん。現状、そこまで気にしている余裕はなかろう」 「確かに――」 返事の途中、ただならぬ感覚が背骨を通り抜けた。 ゲズゥの肩に担がれているがゆえに向いていた後方ではなく、進んでいる方向を振り向こうと上体を捻る。 「どうした」 短い問いかけがあった。答えようとしても声が出ない。 (この感じ!? 聖地が、近い!) そんなまさか、よりによって聖なる地の近くに魔性の者が居を構えるなど―― |
48.e.
2015 / 09 / 29 ( Tue ) 曰く、皆が攫われた際に投与された毒、そしてそれが塗ってあった吹き矢が、谷底で王子が受けた傷の原因と一致するものであるという。 「あれは国の伝統工芸だ。関連付けるには十分だが、因果関係までは定かではない。谷底の者が里を取り込んだのか、里の者が谷底に流れ着いたのか」 オルトファキテ王子はそんな一言を添えた。 「やっぱり国ぐるみで何か企んでいるのでしょうか」 「わからない。それを前提として今後の展望を考えるのもいいかもしれないな。最悪を想定していた方が対策も立てられよう」 「もうひとつ情報がある」 そう切り出して、ゲズゥはリーデンから聞いた話を伝えた。耳を傾けている内に王子はまた起き上がった。 (この話、きっと呪いの眼の作用で通信したのよね) あらかじめからくりを知っていなければ不自然に感じるはずなのに。情報をどういう方法で得たのかを王子が問わない辺り、信用の表れのように感じられた。 そして件の情報の内容は、ミスリアを戦慄させた。 「女が集中的に狙われていたというのは初耳だ。言われてみればあの里は若い女が少なかったな」 王子も驚いているようだった。 「十人の女を見ても、二十歳以下は二人も居なかったと。リーデンはそう数えたらしい」 「里の女はよく動いてよく働いていたからな。男よりも数が少ない印象はなかった。歳に至っては、あの顔を隠す布の所為で、私は気付けなかった」 「どうして女性ばかりを……」 つい思い出してしまうのは、ウペティギの城での一件だ。世間では男性が女性を数多く所望するのは、あまり珍しい現象ではない。そのことを自分も理解しつつあるけれど、恐怖に慄くのはやめられない。 ゲズゥは相変わらずの無表情のままで、一方では王子は色々とひとりごちている。その着眼点は、ミスリアとは少し違うところにあった。 「女を攫われたのが自演でないとなると、関連していても共犯とは限らないか? いや、その程度の工作くらいやってのけるか。この区域の長は聡明な女と聞く――聡明さが狡猾さと同義かと言うとそうでもないが、しかし自演をしているのなら目的は何だ?」 革の手袋の甲の部分を前歯に軽く引っ掛けながら独り言を続けている。よほど考え込んでいるのだろう。 (この人、頭の回転が速いけど、なんだか不思議な感じ) 人を疑う様に鬱屈としたものが無い。 (あらゆる可能性に考えが及ぶだけで、それは人間不信とかではなくて) 人は誰しもいつでもどの道にでも転ぶものだと、考えているようだった。人間の性根には必ずどこかに善意があるのだと信じたい自分や、その逆の考えを持っているらしいゲズゥたち兄弟とはまた、違う人生観である。 「最も問題視すべきはそこではないな」 王子は勢いよく立ち上がって、何故か荷物をまとめ始めた。 「どういう意味だ」 「予想以上に連中は切羽詰っているということだ。少なくとも明日明後日は動きが無いと踏んでいたが……もしかしたらもう、移動しているのではないか」 |
48.d.
2015 / 09 / 24 ( Thu ) 前回の48cに、私が寝ぼけて重複させた台詞がありました。最後の五行ぐらいだけ読み返してください。 もし先週あたり見つけて気になってたけど何も言わずにいた方いましたら、こっそり修正しましたぜ。ご安心を★ 「いえ、あまり」 「早めに調べた方がいいぞ。何せこの地域に馬は居ない」 王子は起き上がって胡坐をかいた。近くから採った野いちごを取り出し、話を続ける。 「主な移動手段は徒歩、そして大型の山羊。渓谷の地形に特化した種の山羊で、人間が騎乗できるほどに大きい。お前たちも連れ去られた際は馬までは攫われなかったのではないか」 「言われてみれば、私たちが連れていた馬もロバも姿が見えませんでした」 「荷だけ奪われて馬は捨て置かれたはずだ。カルロンギィでは価値が無いからな」 話す合間に王子は野いちごを手の平にのせている。片手でがばっと豪快に頬張ってから、「いるか?」とミスリアにも差し出して来た。その言葉に甘えて手を伸ばし、五個ほどつまみとる。 「ではもし聖地がここからずっと離れた位置にあったとしたら、徒歩で辿り着かなければならないのですね。或いは山羊を手配できればいいのですけど」 「ついでに言うと、この国では四つの区域に挟まれた中心部に一人の王が座している。区域を管理する者たちは皆、王の血縁者らしい。おそらくこの周辺の長もそうだ。山羊は重要な資産、事細かに管理されていて奪うのも買い取るのも一筋縄ではいかんぞ」 「詳しいですね」 説明を聞きながらもミスリアはいちごを口に含んだ。奥歯で噛みしだくとそれはあっさり潰れ、酸味と甘味を同時に爆発させた。 「興味のある事柄には自然と詳しくなるものだ」 そう言って王子は笑った。 「聖地――それらには必ず伝承がつき物だとはわかっていたが、まさか怪獣大戦だったとはな。化石でも残っていれば尚更面白い」 野いちごを平らげ、再び王子が横になる。彼の意味深な節回しには何やら記憶を刺激させる効果があった。そう、怪獣大戦とは、以前聖地の逸話を語った時にも彼が漏らした感想だったはず。 「――あ! そのお話の中で、聖獣が戦った相手が『竜』でしたね!」 かつて七百年前に聖獣がこの渓谷で一晩をかけて沈めた超大型の魔物、その姿は空を駆ける爬虫類だったと言われている。もっとも、聖獣の姿も似た系統のものと言われているが、重要なのは―― 「私たちの前に現れた混じり物の子供の一人が、竜に変化していました。何か関係があるのでしょうか」 「あるかもしれないし、無いかもしれない。聖女よ、お前はどう見る? 私は関連していると思うがな」 見上げてくる藍色の双眸はとても楽しそうだ。 「な、七百年前以上から続く混じり物の筋、とか?」 「それは飛躍しすぎだ。誰の噂にも留まらずそれほど長く維持できるなど、考えづらい」 「でも、魔物信仰だってひっそりと続いて来たものです」 「仮に竜の血筋なんて代物があったとして、組織立った動きをすれば、教団か某対犯罪組織が嗅ぎ付けて来るだろう。戦闘種族などのように散らばっていた方が賢明だ」 「確かに……」 「少なくとも今この谷で起きている出来事は、少数の主犯者を軸とした事件だ。他の集団とも切り離されている。そう捉えた方が辻褄が合う」 「そうですね」 王子の推測には納得できるものがあった。 (……相手が少数だからってこちらも少数で対抗できるとは限らないけれど……) 不安という鎖が、心臓をがんじがらめにする。和らげる為に服の上から水晶の硬さに指を触れた。この仕草は段々とクセになりつつあった。 「まあ、国ぐるみで擁護しているという可能性も残るが」 「こ、怖いことを言わないでください……」 「オルト」 前触れなく、ゲズゥが会話に割って入ってきた。見上げると、寝そべった王子の背後にぬうっとその黒い影が立っていて、思わずミスリアは身構えかけた。 「何だ?」 「吹き矢について知っているか」 脈絡も無い問いかけに、王子は動じずに瞬く。 「ああ、知っているぞ」 |
48.c.
2015 / 09 / 15 ( Tue ) (よくもまあ、そこまで勝手なイメージを膨らませてくれるよね)
求めているのは高い統率力でも戦闘力でもなく、都合の良い英雄像に当てはまるような「タイミング良く現れた人間」。そこに呪いの眼のような限定された身体的特徴がついてくると、更に信憑性が跳ね上がる。 「そういうことだったら、ほどほどに期待してればいいよー」 信者たちににっこり笑いかけた後、出て行くように手の動きで促した。連中は無言で従った。 国全体が幻想に惑わされているならそれはそれでおめでたい話だが、どうもそんな気がしない。都合の良い英雄像の実用性とは何か? おそらく、世論を操作する為であろう。 ――何故、世論を操る必要があるのか。誰に、その必要があるのか。 やはり真相は大してややこしくないはずだ、とリーデンには予感がしていた。 『毒見しようか?』 誰も居なくなった後、イマリナがワインを見やりながら提案してきた。 『んー、やめといて。マリちゃんが変なモノに当たるのも嫌だし』 ゴブレットを手放し、リーデンは手話で返事をした。声に出して返答しても良かったが、外の見張りに南の言語を解する人間がいるかもしれない。 (……にしても、あの矢筒。弓矢とかクロスボゥよりも、もっと小型の武器っぽかった) ヤン・ナラッサナ以外にも同じ装備をつけている人間が居たことに、リーデンはしっかり気付いていた。 (谷底で王子とやらが負った傷と僕らが受けた攻撃は同系統……ううん、まったく同じ物) 渓谷に運ばれた経緯について、今一度思い返してみた。 一応兄やイマリナにも問い質してみたが、やはり全員が全員、敵と遭遇して攫われるまでの記憶が曖昧だそうだ。四人も居れば一人くらいは殴打の痕があってもいいのに、それらしい痕跡が無いのもおかしい。 ほとんど音を立てずに死角から攻撃できて、なお傷跡も残りにくい武器―― (もしかすると吹き矢か針かな) 先に塗られたのは、即効性で対象の意識を奪い、やがて時間差で麻痺をもたらす毒。男女の扱いの差を考慮すると、ミスリアやイマリナには解毒剤がいつの間にか与えられたのかもしれない。 常人よりは毒への耐性を鍛えてきたリーデンには、麻痺の効果が現れるのが遅れているのだろう。不審に思って、連中は別の毒を盛った飲み物を持ってきたのではないか。 「あーあ。コレに入ってるのが、解毒剤だったらいいのに。面倒なことになりそうだなぁ」 イマリナを抱き寄せ、呑気に耳打ちした。 _______ 「貴重な隙間時間だ、少し話をしようではないか。と言っても、私の話は聴き飽きたであろう。まずはそちらから聞かせてくれ」 オルトファキテ王子が焚き火の傍でくつろぐように寝そべる。今日はもう休息を取ろうという流れになり、三人で岩陰に身を潜めたのだ。 (緊張感が無い……) 向かいで膝を揃えて座ったミスリアは、「飽きたなんてことはありませんよ」と苦笑交じりに手を振った。 ちなみにゲズゥは少し離れた場所で岩壁に背を預けて寝ている――ように見える。 「たとえば、カルロンギィ渓谷の長さは二十マイル(約32.2km)にも及ぶ。どの辺りに聖地が位置するかはわかっているのか」 *今回の話に登場している毒は消化器官や気管を経由するPoisonではなく血管などに注射されるVenomですが、日本語では同じ「毒」になるみたいですね。PoisonにはAntidoteが用意されるのに対し、Venomに効くのはAntivenomです。 |
48.b.
2015 / 09 / 14 ( Mon ) 「ワインをお持ちしました」
言うや否や、ヤン・ナラッサナの背後から盆を持った若い男が現れた。赤紫色の液体を陶器製のゴブレットに注ぎ、男はそれをリーデンに差し出した。 「こりゃご丁寧にどーも」 ゴブレットを受け取り、漂う甘い香りに鼻を近付けた。「どうせなら僕は……ヤンさん、君みたいな美しい女性と一杯を共にしたいね」 「そう誘っていただけるのは光栄でございますが、謹んでご遠慮申し上げます。わたくしはただ、あなたさまが快適に過ごされているか気になりましたので。このような簡素な天幕でなく、ちゃんとした宿をご用意しますのに……」 女の表情筋はまるで仮面を被ったかのように変動しない。発した言葉が嘘か真かを見抜くのが容易ではないということだ。 (布で鼻から下を隠してる時点で表情なんて見えやしないけどねー) おそらくは砂が気管に入らないように覆っていたのが元々の理由だったはずが、今となっては別の用途に役立っている。 (僕も明日からはそーしよっかな) と思ったものの、偽りの顔をつくるのは楽しい。誰にも見てもらえないのは些かもったいない気がする。 「快適快適。僕は天幕の方が良いって言ったでしょ」 「しかし……」 なおも食い下がる女は、俄かに首を巡らせた。天幕の外が騒がしくなったのである。彼女は厳しい声色で問い質す。 「何事ですか」 「ナラッサナ様! 魔物が出現しました」 ヤン・ナラッサナは眉間に皴をよせて「わかりました」と呟いた後、すぐに周りといくつか問答し、指示を出し始めた。出現した方角はどちらか、近くの女子供の避難は済んだか、迎え撃つ手筈は整ったのか――。 「手伝ってあげようか?」 未だにワインに口を付けず、リーデンは親指と人差し指との間でくるくるとゴブレットを弄る。 「いえ、このような些事に解放主のお手を煩わせるわけにはまいりません。あなたさまは、後日の作戦の為に力を温存していてください」 振り向きざま、ナラッサナはハッキリと断った。 (温存……? 適当な魔物相手にぶつけて、僕の実力を測りたいってキモチはないのかな) 正直、意外だった。彼らが何かを企んでいるとするなら、それくらいやってのけるのは当然である。 (相変わらず何かを隠しているのは明らかだけど。解放主ってヤツを、戦力を必要としない「使い方」をする気?) その疑問が沸いたからには、リーデンは直接質問することにした。 「君たちは結局僕に何をさせたいの?」 ――大いなる敵の餌にして、その隙に全員で総攻撃、とか? 笑顔の裏にそんな問いを潜ませてみたのだが、相手方が気付いたかどうかは知れない。 「解放主たる者、勇敢に先導して下さるだけで我々は救われます」 ヤン・ナラッサナは深く一礼して淀みなく応じた。 |
48.a.
2015 / 09 / 11 ( Fri ) ひとまずは、謎の第三者の働きでなんとか兄たちが事なきを得られてよかった。 通信を通しての報告だけでなく兄が左眼の視界を共有してくれたため、聖女ミスリアの元気な姿も確認できた。これ以上この件に意識を割く必要は無くなったのである。 これからどうしようか、とリーデン・ユラス・クレインカティはカルロンギィ渓谷の住民に即席で作ってもらった天幕の中、ひとり思案に明け暮れていた。 天幕の中はほぼ真っ暗だった。思考をするだけなら光は要らないし、むしろ視界に余計なものがあると集中できなくなるからだ。 (まだピースは揃ってない。そんなに難しいアレじゃない気がするんだけど……) とりあえず、リーデンは外の会話に耳をそばだてた。天幕の周囲に見張りが数人つけられたのは、果たして大事な解放主(ヴゥラフ)を不届き者からお守りする為なのか、それともこの谷から逃がさない為なのか――。 しばらく聴いている内に何かしら言葉の意味を拾えた。連中はどうやら、先刻現れた「催促」の者が人里まで来ずに去ったことを不可解に思っているらしかった。催促の化物はそもそももっと間隔を開けて訪れるらしいとのことだ。 (間隔ねえ。ん~……肝心なことをいくつかまだ聞いてないな) 聞かされていないだけと言えばそれまでのことだ。こちらが質問しても、たまにはぐらかされることはあった。だからと言って、リーデンは気を悪くしない。立場が逆であれば自分は同じ選択をしていたに違いない。 天幕の外の声が突然大きくなった。入り口の布がめくれたのである。 次にイマリナが入ってきたため、リーデンは近くの燭台に火を点けた。他の誰かであればいざ知らず、彼女と暗がりで話をするのは困難だ。 「お疲れ。どうだった?」 そう声かける間に、すっきりとした香りが広がる。蝋に香草が練りこまれていたようだ。 『見た目は聞いてた通り。王子様というより、普通の人。でも、目がきれいだった。ご主人様みたい』 イマリナは地面の燭台の傍に膝を揃えて腰を落ち着かせた。分厚い三つ編みに結ばれた紅褐色の髪を肩の後ろにどけてから、巧みな手話を繰り出して答える。 「僕に目が似てるって?」 『色や形じゃないの。鋭くて、きっと頭いい人なのかなって、思った。ずるい意味で』 「なるほど、つまり僕に似て信用できない人物ってことね。兄さんの知り合いがまともじゃないのはしょうがないとして、聖女さんもかわいそうにね」 胡散臭い悲壮感を込めてそう言うと、イマリナがクスリと笑いを漏らした。 が、楽しい時間はそこまでとなった。再び天幕の布がめくれ、今度はあの五十代の女が顔を出した。 「失礼します、解放主」 初対面の際と変わらない、落ち着いた雰囲気と知的な眼差し。見たところ女はこの区域の代表者らしかった。少なくとも他にそれらしい影は無い。 加えて、他の民のやり取りを眺める内に、この都市国はもしかしたら母権制社会なのではないかという考えが頭をもたげている。何せ物事に対する決断力を発揮しているのは、主に年配の女ばかりだ。男はその年齢に関係なく、女の命令に頷いて従うのみ。実に興味深い文化である。 「失礼は別にいいよ、何か用? えっと、なんだっけ……」 リーデンは言を切った。女の名前をさっき聞いたのに、思い出せない。自身にとってはどうでもいい情報なのだが、好感度を維持する為には多少は気にかけているふりをすべきだろう。思い出そうとしている努力をアピールするため、表情を真剣そのものに歪ませた。 「ヤン・ナラッサナでございます」 女は優美に胸に手を当て、片膝をつく礼をした。砂色のマントが一瞬だけ翻る。 「そう、ヤンさん。どうしたの」 煌びやかな笑顔を向けながらも、リーデンは女の腰に提げられていた小さな矢筒を見逃さなかった。 |
47 あとがき + 拍手返信
2015 / 08 / 31 ( Mon ) @47.f. みかん さま
そん、なに…!? とまあ、うちの子たちを愛でてくだすってありがとうございますw @47.h. はる さま 私の方こそ毎日更新を楽しんで下さってありがとうございます! ラブモードw ナカヨクしてる場面はこれからきっと増える一方かと思われます。ゲズゥは今年こそデレると宣言しましたけど、皆様にはデレたように見えたでしょうか? まだこれから…? 妖しげな子たち>絡んでるにおいがしますよね。でも実際どうなのかは、彼らの主に会ってみればわかる…ような気がします。 ではあとがきは続きから! |
47.k.
2015 / 08 / 31 ( Mon ) 魔に通ずる存在は、聖なる因子に魅入る。ヴィールヴ=ハイス教団は聖職者に、特に聖人聖女たちにそのように教えてきた。大陸の夜を侵す悪夢のような異形は、濃い聖気に惹かれるモノだと。 ――今まさにその特性は試される。ひとまずミスリアは自らを包囲する魔物たちの気を逸らすことには成功した。 それから王子とゲズゥは俊敏に反応した。あらかじめ教えた通りに王子はアミュレットを手放して戦線を離脱し、ゲズゥも何かを察して後退した。 取り残されたジェルーゾとジェルーチが、顔を見合わせて疑問符を飛ばしている。二人は謎の光の柱を見つめて首を傾げ、光源である地に落ちた銀細工のペンダントを覗き込んだ。 頭上に無数の影が集まったことに、彼らはすぐには気が付かない。 一秒、二秒、三秒、と間があった。 「わあっ!? な、なにッ――」 <ふわっ!> その様は堰(せき)を切った洪水を彷彿とさせた。 ミスリアのアミュレットめがけて、次々と魔物たちが雪崩れ込む。谷底に出現していた魔物が総じて束になれば、さすがの「混じり物」でも動きが封じられてしまうほどの重量であろう。 (やった!) 作戦は成功し、二人は魔物の山に埋もれてしまった。などと、心の中で勝利の一声を挙げたのも束の間。 低い唸り声がした。瞬く間に光の柱の周辺に、轟きと共に炎が広まった。 これぞ悪夢の光景、涙せずには直視できない。 よくお伽話の中の竜は火を噴いたりするものだが、目前の竜型の存在は、全身の皮膚から熱気を発していた。急速な気温の上昇に空気はゆらめき、相当離れているというのにミスリアの肌から汗が噴き出る。 「バッカだなー。これくらいでオイラたちがやられるわけないじゃん!」 やはり無傷なジェルーチが勝ち誇ったように腹を抱えて笑っている。 五十匹は居たであろう。あれだけの数の魔物を残らず灰塵に帰させて、なお余裕があるなんて――。ミスリアは心が折れる予感がした。 そんな折、味方側の二人が動いた。一人は矢を番え、一人は剣を両手で持ち直す。 煙の幕を突き破って、矢は竜の首の付け根辺りに命中した。ジェルーゾは激しく咆哮した。 「んなっ、なにしやがる!」 痛がる相方を見上げたジェルーチは、死角の低い位置から振り上げられた鋭利な金属への対応が遅れる。 ギリギリのタイミングでかろうじて仰け反り、頭部への損傷を免れたが、代わりに右腕が切り離された。彼も怒り狂った悲鳴を上げる。 「くっそおおお! おぼえてろー!」 涙声で恨みごとを吐きながらも、少年は竜の首に片腕でしがみついた。切り落とされた腕は竜の歯の間に収まり、そのまま二人は夜空へと消えて行った。 羽ばたく音が大分遠ざかってやっと、ミスリアは安堵のため息をついた。とりあえずは事なきを得られて良かった。 「追わぬが得策だろう。追いついた頃には再生しているやもしれんしな。撃退できたのは、まぐれと考えた方が良い」 傍らに戻ってきた王子が、まず口を開く。「本命は奴らを総べる者。この少人数で、ろくな準備もせずに遭遇していい相手ではないはずだ」 「わかっています。お二人とも無事に済んで何よりです。王子、貴方が荷物を持って現れたおかげですね。わざわざ取りに行ったんですか?」 「まあ、私はあの竜が出現した時点で、谷に降りるのを断念して里への道を逆戻りした。進むか戻るかで追われる確率は五分五分だったとしても、入り組んだ狭い道ならば隠れやすいと思ってな。その先で、口のきけない女に会った。あの時檻から助け出さなかった女だ。そいつが荷物をこっそり持ち出してきた」 「イマリナさんですか!」 思わぬ人物の名に、ミスリアは目を丸くした。 「詳しくはわからんが、銀髪の男の計らいだとか」 王子はゲズゥを一瞥して答えた。そういえば、ゲズゥは王子の登場に際して、遅い、と言っていた。それこそ彼が武器などを持って現れることを想定していたかのように。 「お前がそっちに近付くかもしれないと、アレには伝えておいた。巡り合わせが良かったな」 ゲズゥは荷物から自分の服を引っ張り出し、機械的な動作で着直し始めた。 (そ、そういうことは一言断ってからにして欲しいわ) いくら暗いからと言って、異性が服を着ているところを見るのは気恥ずかしい。ミスリアは目線を泳がせた。 「ほう。銀髪との連絡手段があるのか? それはかなり好都合だ。移動しながら、一度情報を整理しよう」 王子のごもっともな提案に、ミスリアとゲズゥはそれぞれ「はい」「ああ」と同意した。 そうして三人は荷物を軽く整理してまとめ直す。 最後にミスリアは、自分にとっての唯一無二のアミュレットを拾いに行った。表面に付着していた土や砂をスカートの裾で拭き取って、銀細工に水晶の施されたペンダントを、掌でそっと包み込んだ。 (何度この手を離れたって、必ずまた探し出してみせるから。どうかこれからも私に付き合って下さい) 心の中とはいえ、無機物に話しかけたい気分だった。 (行こう。立ち止まってなんていられない) どんなにありえない現実が立ちはだかろうとも、心の支えとなる人や物が共にある限り――。 ミスリアは、支度を終えて待ってくれている仲間の方へ、小走りになって追いついた。 |
47.j.
2015 / 08 / 31 ( Mon ) 「私は人間の身体能力の高みなど目指してはいない。そんなものはお前が目指していればいいさ」
「……興味ない」 既にゲズゥは湾曲した大剣をマホガニー製の鞘から抜いていた。夜気に晒された鉄の煌めきをこれほどまでに頼もしく思ったことは、かつてあっただろうか。 (マホガニー=木材の一種。時と共に赤茶色の色味を増すことを特徴の一つとする) 「オルト、ミスリアを頼む」 「よかろう。頼まれてやる」 颯爽とゲズゥが駆け出したので、王子が声を張り上げて応じた。 「さて。私は白兵戦は苦手な方でな。規格外が相手では役に立てん」 自慢げとまではいかないけれど、開き直った様子で王子はスラリと剣を抜いた。ゲズゥの助太刀に向かう気は無いと断っているようだった。 「あ、あの。竜の方は厄介な音波攻撃をしてくるので、できるだけ妨害できませんか」 「なるほど。わかった……と、ならば聖女よ、お前はあの二匹を僅かな時間でも拘束する術を持っているか?」 目を細めて、王子は南の共通語で囁きかけてきた。何かを企んでいる眼光だった。 「推測の域を出ないが、奴らはおそらく一度に一つ以上のことに集中できない」 彼が片手間に切り伏せている魔物を尻目に、ミスリアは思考回路を力いっぱい回した。あることに思い至ると、王子が地面に下ろした荷物を手早く漁り、目当ての物を取り出す。 「できると思います」 「ほう」 「これを、持って……私が合図をしたら、すぐに手放して離脱して下さい」 荷物から取り出した小物を王子に差し出した。彼は素直にそれを受け取って手の内に握り締めた。 「承知した。それはいいとして、お前を一人にして平気なのか」 「大丈夫です。行って下さい!」 ミスリアが懇願すると、王子は口の端を吊り上げた。彼はそれ以上は何も言わずに、踵を返した。 荒事の渦中に向かって走る男性。先にそこに居た長身の青年は、大剣を振り回して「混じり物」の二人を翻弄している。こうして離れて眺めていると、少年たちがあまり実戦慣れしていない事実が浮き彫りになってくる。王子の言った通り、意識の幅が狭いのである。怒りの標的を巨大な刃物を振り回す人間に絞っている所為で、王子の立ち回り方にまで注意し切れていない。 ジェルーゾが飛翔しようとすれば王子のクロスボゥから矢が飛び出し、ジェルーチが攻撃を仕掛けようとすると、ゲズゥの大剣が振り下ろされた。 一方、ミスリアの周囲には十から二十ほどの数の魔物の個体が近付いていた。どれもあのモグラ・アルマジロのような大きさは無いが、サソリが地中に潜るみたいに、動きは素早くて不規則だ。 ミスリアは膝を折った。地面に正座して身を安定させ、目を閉じる。 祈りはきっと容易に届く。十五年の人生の中で最も長い間持ち歩いていた代物なのだ。その重みも感触も、移ろう温度も、銀の匂いも、細かい傷の数に至るまで、熟知している。 「未熟者どもめ。宝の持ち腐れとは、お前たちのことを言う。せっかくの強大な力も、真っ直ぐ向かって来るだけでは芸が無いぞ」 「はあ!? おっさん、いきなり出てきて偉そうにすんな!」 王子の挑発にのせられて憤るジェルーチ。 「今です! 離れて下さい!」 好機とばかりに、ミスリアは叫んだ。 避雷針に雷を落とすイメージ―― 胸元の水晶を用いて溜め込んだ聖気を、オルト王子に持たせたアミュレットに向けて解き放った。 目を開くと――後一歩でミスリアの膝に噛み付けそうなほど傍に来ていた、狼にも似た化け物が、ぴたりと動きを止めるのが確認できた。 |
47.i.
2015 / 08 / 29 ( Sat ) 突然、石が空を過ぎった。それが変身中のジェルーゾに当たって、集中力を途切れさせている。振り返ると、ゲズゥが大きめの石を拾って投げていた。流石に生身でアレを攻撃をするのは危険と判断したのだろう。 そこでジェルーチが横合いから身を乗り出して、石を一つ受け止めた。「おーっと、ダメだぜ、デカブツ! 邪魔すんなし!」 受け止めた石をそのまま投げ返す。ゲズゥは無表情に避けた。 そんな二人の応酬の向こうでは、ジェルーゾの変化が進行し続けていた。やがてその不安定な形が固定する。 ――翼を持ったナニカに。 戦慄した。 竜という空想上の生き物がこの世に存在するなら、きっとこんな姿だろう――。 仁王立ちになって翼を広げた姿、全長五ヤード(約4.6メートル)。翼幅はその倍以上あり、すらりと伸びた長い首と尾は角のような隆起が数多く生えている。滑らかに光沢を放つ寒色の皮膚が、美しい。 見惚れている場合では決してないのに、ミスリアはその場から動けなかった。あんな華奢な少年がものの数分でこれほどの変身を遂げるなんて、俄かには信じられない。 竜はその顎(あぎと)を開いた。 直後、耐え難い耳鳴りに襲われた。人間にとっての不快な音域を選んで、大音量で響かせている。ミスリアは耳を押さえて膝をついた。並よりも耳が良いゲズゥも、同じように耳を覆って表情を歪ませていた。 頭が痛い。一体いつまで続くのか。唯一ラッキーなのは、魔物の多くもこの振動を受けて不快そうに遠ざかっている点だった。 「ふはははは! 苦しめ苦しめぇ!」 すぐ隣にいる相方の方は全く影響を受けていない。 <ジェルーチ……わらって、ないで。おんな……ちゃんと、つかまえて……> 不快音を出すのを止めて、竜は喉の奥から人語を発した。そのことに、ミスリアは唖然となった。 (あの形態でも喋れるの!?) 異形の姿でも思考を保って言語を繰ることができる――それだけで、通常の魔物とは明らかに相違している。 音が止んでも、余韻が頭蓋骨の中でわんわんと跳ね回っている。まだ、動くことはできない。 「はいよ! しつれいー!」 ジェルーチが数回跳んでミスリアとの距離を一気に縮める。恐怖に固まっている内に、サッと間にゲズゥが入って迎え撃った。今度はジェルーチもあっさり蹴られず、ゲズゥからの初手をかわして殴りかかった。 それを左手の甲で弾き、ゲズゥは難なくカウンターを入れた。 一分ほどそんなやり取りが続いた。少年の一撃一撃がとても重そうに見える。なのに残らずに捌ける辺りは、ゲズゥの地力と経験の差だろう。受け止められないほどに威力の大きい攻撃は、受け流したり避けたりしている。その都度、勢い余ったジェルーチがミスリアの居る方に飛ばないようにも配慮しているらしい。 いくら防御が完璧であっても、攻撃の方は効いていない。長引けば疲れが蓄積されるのはゲズゥの方だし、ジェルーゾもまた高音攻撃を出すかもしれない。 「なめんなよ……こうなったらオイラだって!」 そこは運が良かった。気が短いのか、殴ろうとしてもなかなかうまく行かないことにしびれを切らしたジェルーチが、数歩下がって身構えた。瘴気が濃くなるのを感じて、彼も変身をしようとしているのだとわかった。 (ダメ――――!) 心の叫びが届いたのか否か、ジェルーチの足元に矢が刺さった。少年の注意が矢の飛んできた方向へ逸れる。そう、ちょうどミスリアたちの背後からする土砂崩れのような音へ。 誰かが滑り落ちてきている。 「遅い」 間もなく飛び降りてきた人影に向かって、ゲズゥが話しかけた。 人影は様々な形の荷物を背負っている。膝に手を付いて着地し、ゆっくりと立ち上がった。 「くくっ、待たせたと言うなら、悪いことをしたな。主に、お前のコレの所為で足が遅くなった」――王子は重そうに何か長い物をゲズゥに渡した――「全く、よくこんな物が振り回せるな。私には到底無理だ」 「鍛錬が足りないんだろう」 ゲズゥの返事に、王子は大笑いした。 |
47.h.
2015 / 08 / 28 ( Fri ) 普通に言い放たれた過激な内容に、一歩退いた。 (なぶり殺す? 逃げた一人って、王子のこと……?) 視界が歪んだ気がした。目に見えるものを信じてはいけない、そんな心境だ。 しかし相手は待ったなしで仕掛けてくる。 二人が岩を飛び降りるのが見えた。片方が空中で回転し、ミスリアたちの背後に回った。もう一人が体勢を調整して落ちる速度を加速させた。 (――!) 伏せろの一言もなしに、ふいに背中を押しつけられた。 こんな時は素直に身を委ねていい。経験上、ミスリアはそれを知っていたため、抵抗せずにしゃがんで地面に手をついた。背中に触れた手は離れなかった。 「ふぎゃっ」 衝撃音と、少年の呻き声の方を振り向く。 ミスリアの背につけた手を支えに、ゲズゥが半月を描いた蹴りを決めたのである。その流れを生かして、逆側に滑空していたもう一人をも蹴飛ばした。 「いってえな、なにすんだよっ! デカブツ!」 「ジェルーチ……きをつけて……そいつ、つよい……かも」 二人は各々距離を取って体勢を立て直した。 「大体さあ、オイラたちの可愛いペット君をよくも消しやがったな!」 少年がびしっとゲズゥに人差し指を指した。 「ペットってもしかしてあの大型魔物のことですか?」 つい口を挟まずにいられなくなり、ミスリアは質問した。 「そだよ! 珍しいモグラと珍しいアルマジロのコラボが面白かったのに」 ジェルーチと呼ばれた方の少年が地団駄を踏んだ。相変わらず暗くてよく見えないが、輪郭だけでは見分けがつかない。話し方が頼りだ。 「そうだ、さっきの……ひかり……なにしたの」 ジェルーゾと呼ばれていた方がボソボソと不満そうに言ったので、ミスリアはあることに気が付いた。 (この子たちは聖人聖女に会ったことがないのね。魔物が浄化されるのを、初めて見た?) ならば聖気と瘴気、その因果関係に関しても無知かもしれない。悟らせないようにすれば、後々有利に働くかもしれない。 (それにしても魔物をペットと呼ぶなんて。彼らの倫理観は危険だわ) 他にも山ほど危険な点はあるが、敢えてそこに意識を集中させた。好奇心旺盛であれば、そこに付け入る隙があったりして――? 「お、教えて欲しかったら、周りの魔物たちを引かせなさい」 ミスリアは強気に出てみた。 「えー、つまんないからやだ。ルゾ、こいつお持ち帰りしてからゆっくりきこーぜ」 「わかった……」 何気ない一言の後に。 己の正気を疑う出来事が始まった。 (な、に。何が起きてるの!?) ジェルーゾから瘴気が濃く立ち昇った。壮絶な悪臭に、空吐きしそうになる。 そして人の形がドロドロと溶け始め――別の形を成し始めた。 |
47.g.
2015 / 08 / 27 ( Thu ) どうすれば自分もそんな強さを手に入れられるだろうかと、改めて悩む。 (今はそんな場合じゃないか)真っ赤な炎に聖気の黄金色が混ざり、やがて鮮やかな光景は解かれるようにして、銀色の素粒子だけを残して鎮まった。 浄化が終わると、急いで衣服を回収して袖に腕を通した。 外ではちょうどゲズゥが小さな魔物を一匹、二匹と倒していた。ミスリアが傍に駆け寄るなり、振り向かずに彼はひとつ問いかけた。 「……オルトは『混じり物』が何体居ると言っていた?」 突拍子のない質問に驚きつつも、ミスリアはつい数時間前の会話を思い返した。 「数は聞いてません。『ヤツ』と呼んでいたので、一人かと……」 「そこが思い込みの始まりか」 「思い込み?」 「俺も、その時の会話は多少聴こえていた。水を伝うようでハッキリとしないが、左眼は聴覚的情報を受けられる」 相槌を打つことができなかった。急に、小型の魔物がそこかしこに姿を現し始めていることに、気を取られたのである。 それなのにゲズゥの落ち着いた視線の先は別の物を捉えていた。 「まともな武器もなしじゃ、厳しいな」 魔物に完全包囲された現状を超える苦境、を予想させる一言。 (これ以上に何があると言うの) 確認する勇気を、ミスリアは己の中のどこかから掬い上げた。 「女だ! しかも珍しい色白! しめたー!」 斜め上辺りの岩の上から声がした。暗闇の中から疎らに魔物の燐光が見て取れるものの、その者の全体像を浮かび上がらせるには足りなかった。 「ほらみろ、オイラの言ったとおり、里行くのやめて正解だったな! 夜まで待って魔物の集まるとこを探すだけで、簡単に見つかるもんだよなぁ」 「さいしょに……みつけたの……ルゾ」 「だな! 滅多に降らない雨にお前がはしゃぎまわったおかげだな。みうしなったけど!」 聴き慣れない訛りとはいえ、しっかりとした北の共通語だった。まるで、こちらにも理解できるように共通語をわざと使っている風に感じた。 (子供……?) 目を凝らして、十五か十六歳くらいの少年を二人見つけた。 (少年、なのかな) 長い髪に華奢な体型、どちらともいえない高らかな声、どれも中性的な印象をつくっている。 そして一目見て、彼らがまともではないとわかった。 何故なら、異形の集いに混ざって平然としているのである。 以前ティナが魔物の群れを連れて行動していたと聞いたが、それとは性質が違う。目の前の魔物は、少年たちに対して遺族への執着のような感情を見せず、食べようともせず、ひたすら無視している。 (魔物の興味を引かない……この子たちが、「混じり物」?) 状況的に、彼らを疑うのは仕方ない。 隣のゲズゥもそう結論付けたのか、迂闊に攻めずに、ただミスリアの前に立ちはだかっている。 「新参――じゃなかった、よそ? よそもんは価値があるってさ。連れて帰ったら、ヤンの奴喜ぶかな。なあ、ジェルーゾ」 「でも、ひとり……にげた」 「いいんだよー、あれはどうせ男だったし」 「よそもの……にがしたら……ヤン、おこる……」 「わーかってるって。この後ちゃあんとさがし出してなぶり殺すから、それでいーんだ」 |