拍手お礼
2012 / 02 / 05 ( Sun )
こんにちは(・∀・)


そういえば拍手にお礼をちょっと入れておきました。

といっても本編を読む上で全然必要のない、
「旅する男女のちょっとした日常」をつづっていくと思います。

ちょくちょく替えて行くと思いますので、ログ記事もそのうち作りますね。


では!

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07.f.
2012 / 02 / 05 ( Sun )
 軽々しく口にしていい問いでは決して無いと、ミスリアはよくわかっていた。まるで、貴方の人間性を疑っていますと言っているようなものだ。

(それでも知らずに隣で歩き続けるなんて無理)
 空虚を、ミスリアは思い出していた。もしもあのひとが今まだ生きていたならと、一時も思い出さずにいられない。もっと、もっと、一緒にいたかったのに。

 返事を待つ間、沈黙に満ちた闇の中で行き場の無い不安を持て余し、足の指を意味もなく動かした。左から右へと順に一本ずつ。
 数分経って、ゲズゥがため息をついたのを聴いた。

「場合にもよるが……まったく、考えない訳じゃない」
 彼の言葉はいつに無く億劫そうだった。答えてくれたこと自体に驚きを覚える。

 ゲズゥの様子からミスリアはあることに気づいて、はっとした。

(私ってもしかしてひどいこと訊いたの? 人の一生が終わることの重さを、親族全員失った人が知らないはずないよね?)

 罪科を差し引いて考えれば、当然そういうことになる。心の中にどれほどの傷を、孤独を、抱えて生きているのかなんて、他人に量れるものではない。
 無思慮過ぎる。どうして今まで思いつかなかったのか不思議なくらいだ。きっと、「天下の大罪人」という肩書きに気を取られすぎたのだろう。深く反省した。

「ごめんなさい。今の質問は無かったことにしてください。私の方が浅はかでした」
 思わず身を乗り出しながら、ミスリアは慌てて謝罪した。伝わるかどうかあやしいけど頭も下げる。

 すると何か妙な音が聴こえた。喉を鳴らして笑っているような。
 ――笑っている?

「……お前は、気の遣いどころが、おかしい」
 暗闇より返ってきた声からは、重苦しさが消えていた。多く見積もって、「楽しそう」だった。ミスリアが謝る理由を見通してる風だった。

「俺は生きるために必要なら他者を喰らう。生存本能に倣って」
「それは……共存ではなく弱肉強食が人間の本質であると?」
「……少し違う。言うなれば相克――生き延びるために他者の命を奪えば、残った方が奪った命の分まで生きる義務を引き受けたということだ」

「な、るほど……?」
 解りそうで、今ひとつミスリアには解らない考え方だった。
 どうして共存ではだめなのか。もっと突き詰めて論じ合わねばならなそうだ。

「まぁ、今までが全部そうだったとは言わない」
 静かで無感情な声だった。
 もしや別の何かに基づいてる件もあるのだろうかと、ミスリアは気になって続きを待ったが、話はそこで打ち切られた。

「湯、沸かしてある」
 突然の話題転換に驚いて、ミスリアは瞬いた。
「――あ」
 そういえば魔物の内臓やらに汚れたままだったのだと、今更思い出した。

 ゆっくりと腰を起こして、はしごを降りた。支度を整え、寝室から踏み出す瞬間。振り返って、小さく言った。

「……最初の日に言ったとおり、本当に一生かけて償わなければきっとどうにもなりませんよ」
「余計な世話だ」
 そっけない返事。
「でも……」
 ミスリアが他に何か言える前に、遮られた。

「お前は俺の魂を『救う』ために命を拾ったのか」
「え……? ち、違います! そういうわけでは」
 勢いで即座に否定したが、胸がチクリと痛んだのは何故だろう。

「助けを求めてもいない相手に押し売りだな」
「そんな――」

「それは、偽善だ」
 氷のように冷たい声に、背筋が凍った。

「もういい。さっさとクソして体洗って寝ろ」
 言われたまま、ミスリアはそそくさと寝室をあとにした。
 廊下をパタパタと小走りに進む。

(救うため……? 自分ならできるというエゴがあって……?)
 今まで考えたことが無かっただけで、実はそうだったらどうしよう、とミスリアは気分がどんどん沈んでいった。

 そうしてまた一日が幕を閉じた。

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07.e.
2012 / 02 / 03 ( Fri )
 すすり泣きし出した聖女に興味をなくして、ゲズゥは瞑目した。
 眠くないので瞑想を始める。両の膝の上にそれぞれ手のひらをのせた。彼は己の呼吸にのみ意識を集中させるスタイルを好んで用いる。
 
 ――吸って、吐いて、吸って、吐いて、また吸って――

 次に呼吸のひとつひとつに合わせて数字を数える。息を吐く時にだけ、一から十数え、十に達したらまた一に戻る。時計の音が気にならなくなるまで続けた。
 何も思い描いていないので、瞼の裏には暗闇だけがあった。ふわりと自然にそこに踊りこんできた場面を、彼は特に拒まなかった。

 暖かい風にそよぐ木の葉が、ゆったりと揺れる。枝が、木の実が、手を伸ばせば掴めるほどに近い。眩しい光が葉っぱの天井から漏れる。
 地上を見下ろしたら、こちらを見上げて手を振ってくる女性がいた。長い銀色の髪を束ね、腕に生まれたての赤ん坊を抱いている。慎ましやかな笑顔と、清楚な身なり。

 女性の太ももに五歳前後くらいの幼児が引っ付いている。女性と同じ銀色の髪が柔らかそうだ。
 そこで、別の女性も視界に入ってきた。肩より少し長い、まっすぐな漆黒の髪。動きやすそうな短い袖のシャツと短い裾のスカート。

 彼女は、木の上から降りてくるようにと怒鳴っている。
 そこで一気に視界に緑が流れ、飛び降りたのだとわかった。立ち上がったかのように視界がずれる。ため息をついた黒髪女性の端正な顔の、右目の泣き黒子が印象的だった。

 ――カチッ!

 唐突に秒針の音が入ってきて、夢のような映像がはじけた。消えてしまう優しいひと時の欠片に手を伸ばしても、止められない。
 思わず目を開けた。

 そこでゲズゥははじめて、自分が実際に手を伸ばしていたことを知った。

「どうしたんですか?」
 鈴が鳴ったかのような淑やかな声。聖女はさっきまで居た場所からまったく動いておらず、姿勢も蹲ったままだったが、頭を上げていた。

「何でもない」
 伸ばした手を引っ込め、ゲズゥは組んでいた足を崩した。
「そう、ですか」
 聖女は毛布を頭から被るようにして顔だけ出した。

「あの……さっきの、ひと。魔物の彼が……貴方に頭部を切り落とされた時」
 途切れ途切れに、ボソボソと聖女は喋る。この話題がどこへ向かうのか見えなくて、ひとまず黙って続きを待つことにした。

「彼の記憶が視えました。といっても彼だけではなく、あの魔物を形成していた全部の魂の記憶の断片ですが……」
 やはりどこへ向かうのかわからない話だ。ゲズゥはベッドに横になった。

 しかし聖女にそんなにたくさんの記憶が視えていたというのなら、上の空になってた原因にも数えられよう。これは想像に過ぎないが、他者の記憶を視ていたら多分、聖女なら感情も引きずられて心がかき乱されたことだろう。

「彼の恋人は、彼の目の前で亡くなりました。他の魔物に、丸ごと食べられて」
 どこまでも沈んだ声で聖女が語る。視たままの光景を思い出しているのだろうか。

「そのショックに耐えられなくなって、忘れてたんですね……自分も魔物に成り果てて」
 凄まじい話ではあるが、今のご時世では別段珍しいということもない。それだけ壊れた世の中だということなのだろうが。
「それは、哀れだな」
 あまり真心のこもらない声で相槌を打った。

 すると何故か聖女は落ち着かない様子で毛布の中をもぞもぞした。

「あ、あの……」
 何か言いたげだがものすごく言い出しづらそうである。面倒くさい方向の話ではないかと予感がして、ゲズゥは「何だ?」と訊かなかった。

 数秒後、聖女が息を吸い込むのが聴こえた。

「……ゲズゥは過去に人を殺した時、その人の気持ちや苦しみとか、家族の苦しみや遺族がどうなるのかとか、考えたりしなかったんですか? 人一人の一生が終わるという事態の大きさを顧みなかったんですか?」

 カチ、カチ、カチ……。
 ゲズゥは質問の内容を噛み締めるように沈黙に身をゆだねた。

「それとも他人だから、気になりませんか……?」
 少女の儚い声を聴き取って、ああこれは面倒くさい方向の話だな、と思った。

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07.d.
2012 / 02 / 01 ( Wed )
 寝室は一部屋だけであり、その中に二段ベッドが三台並んでいる。
 聖女はかろうじて魔物の浄化を終えて結界を再現したもののすっかり上の空で、教会の中に戻ってくるなり一番奥の壁際の上段ベッドにのぼり、毛布にくるまって閉じこもったのである。

 それから数時間後。やっと、聖女のかすかな寝息が聴こえてきた。ずっと何かに怯えるように震えていたのが収まったらしい。
 何に怯えていたのかというとそれはもしかして自分かもしれないな、と廊下の壁に寄りかかって座るゲズゥは考える。

 どうしてそんなところで気配を消して聖女が寝付くのを待っていたのか、自分でもよくわからなかった。聖女が睡眠不足になっては明日の「忌み地」行きに支障が出たりしないかと、確かに心配だったが。心配したところでどうしようもない。まさか、子守唄を提供するわけにもいかない。

 何故だか、胸の奥にモヤモヤした感覚があった。思い当たる節はひとつ、さっきの魔物退治だ。
 ゲズゥにしてみれば、別に間違った行動も言動もしていない。むしろ聖女の甘ったれた主張の方が支離滅裂で、随分と無駄の多い生き方を選んでいるように思える。

 しかし効率が悪くてもそれはその者だけの生き方だ。

 生きた年数がたったの十九でも、ゲズゥにはよくわかっていた事があった。何が重要で何がそうでないかの線引きは人によってどうしても異なるという、事実だ。
 各々の価値観があると熟知していてなお、聖女のそれだけは看過できなかった。癪に障るといっても過言ではない。

 おそらくは身近にいて共に旅をしているからだろう、ということに今はしておこう。

 考えるのをやめてゲズゥは風呂場へ向かった。せっかくなので諸々の汚れを洗い落としたい。午後ずっと寝ていたからか、まだ眠くない。
 身体を流したあと、タイルの敷かれた床の上で何となく腕立て伏せをした。百ほどやって飽きた頃、腹筋を鍛える事にした。それに飽きたら服を着なおし、逆立ちをしてみる。

 逆さになった状態で風呂場を見渡した。蝋燭一本しか灯してないので当然、暗い。バスタブ近くにぜんまい仕掛けの時計を見つけ、時間を見ようと頑張ったが、逆さでは難しくて脳が混乱した。
 頭に血が上りつつある。身につけているシャツも少しずつ重力に屈して、顔にかかる。

 そんな時、少女の短く鋭い叫び声を聴いた。ゲズゥは逆立ちから半回転して人間の本来あるべき両脚立ちに戻った。
 予想では多分、悪夢に目が覚めたといったところか。
 面倒だと思いながらも、結局寝室へ行ってみた。

 廊下から寝室の入り口に立った途端――

「こないで」
 泣き出しそうな声だった。ゲズゥは部屋に入ると、聖女からもっとも離れた反対側の壁際の下段ベッドの上で胡坐をかいた。割と夜目のきく彼には、明かりのない部屋でも窓一つあるだけで大分見える。

 膝を抱えて蹲(うずくま)っている少女が一体どんな悪夢に魘(うな)されたか、想像できない。
 想像できないので、とりあえず訊ねた。

「何の夢だ?」
「………………あまりうまく説明できる気がしません……」
 答える義務など何処にもないのに、聖女がか細く呟いた。悪夢だったのは間違いないらしい。

「そうか」
 ゲズゥの発する言葉のひとつひとつに、聖女はぴくりと身体を震わせている。やはり、怯えている。だが女子供に怖がられるのはよくあることなので、どう思うことも無い。軽く腕を組んで、ゲズゥは不動でいた。

 寝室に沈黙が降りた。
 
 ――カチ、カチ、カチ……。
 一秒おきに繰り返される音が近い。部屋のどこかに時計があると考えられる。しばらくは秒針の音と、聖女の吐息だけに耳を澄ました。

 ほとんど無意識からその疑問を口にした。

「何で、俺だった?」
 暗闇の中で、聖女の驚きを気配として感じ取った。質問の意味はちゃんと伝わっているだろう。

「……言いたくありません……」
 聖女は膝に顔を埋(うず)めた。

 自分に聞く権利ぐらいあると思うが、まあ、言いたくないのなら仕方ない。

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14:30:58 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
07.c.
2012 / 01 / 31 ( Tue )
 いわばあれは、魂同士をつなぐ役割を持った歌だった。これまで断片的に読み込めた「想い」が、映像という形でよりはっきりと伝わるようになり、また、こっちの言葉ももっとスムーズに相手に通じるようになる。

「もう苦しまなくて大丈夫です。私たちにできることなら、力になります」
 そうは言ってみたものの、彼の「彼女」はおそらく他の魔物に喰われて探しようがないだろう、とミスリアは考えた。

 一体の魔物は複数の魂の残留思念が絡まりあうことによって構成されている。ひとつの魂が他よりも未練が強いなら、それが主軸となって全体の思考や行動を支配する。
 骨ごと魔物に喰われた人間の魂は、そのまま絡めとられて魔物の一部となる場合が多い。そうなったら、なかなか探し出せるものではない。誰かに浄化されて昇天していた場合も、探し出す術がない。

 つまり目の前の獺の主軸の魂を、恋人と再会させられないまま納得させ、浄化に持ち込まなければならない。

「私はミスリア・ノイラートと申します。よかったらお名前を教えてください」
 できるだけ優しく微笑みかける。
 すっかり大人しくなった魔物は声を出そうと口を開いた。
「わ、たし……の、な……は……」

 次の瞬間、魔物がのけぞった。胸から剣の先がにょっきり生えている。何が起きているのか飲み込めず、ミスリアは目をしばたかせた。

 ビチャッ。
 気がつけば、視界が赤と黒と紫に彩られていた。変な音と変な臭いと一緒に、生暖かいものがミスリアに降りかかる。
 さまざまな映像が流れるようにして次々と脳内を過ぎり、息をすることさえ忘れた。

「何を呆けている」
 ゲズゥの声でようやく目が覚めた。顔や手についたソレが何であるのか、何が起こったのか、理解する。

 喉から出(い)でた甲高い悲鳴を、まるで他人事のようにミスリアは聴いていた。素早く横を向いて地面に片膝つき、道を外れた芝生へ胃の中身を吐き出した。
 痙攣がおさまってから振り返った。口元を袖で拭う。

 ゲズゥは、解せない現象を見るような表情をしている。
 それもそのはず、今までにだって何度もグロテスクな場面に出くわし、その都度ミスリアは慣れからこれといった反応を示したことはなかった。だが今までは程よく距離を取り、今回ほどダイレクトに臓腑をかぶらなかった。問題はそれだけでは無い。

 魔物が唸り、憤然として立ち上がろうとした。
 ミスリアが何か言うより早く、ゲズゥが動いた。長剣で、獺の脚を六本とも胴体から切り離した。あまりに鮮やかで感想ひとつ出ない。

「…………」
 声が出せない。口をぱくぱくさせながら、何とかミスリアは立ち上がった。
 明らかな苛立ちを表して、ゲズゥが剣を持ち直した。はやくやれ、とでも言いたげに親指で背後の魔物を指す。

「……ど、うして……」
 あまりに小声で、ゲズゥには届かない。
 なお上体を起こして噛み付こうとする魔物の頭を、切り落とさんと剣を構えている。

「――やめてください! 話の途中でしたのに、なんてひどいことをするんですかっ」
 声を振り絞って叫んだ。
「はぁ!?」
 そういう声も出るんだ、と一瞬だけ思ったのは置いておくとして。

「あと少しで、分かり合えるかもしれないんです」
 ミスリアは抗議した。
「馬鹿言え。どうせ無に帰すくせに、分かり合ってどうする。相手は死人だろう」
「でも、同じ浄化するにしても、相手が納得してくれた方がいいです。可能なら全員と対話する方が」

「訳のわからんことを」
 ゲズゥは剣を振り上げた。
 止めたいのに、体が強張って動けない。

「そうやって出会った魔物にいちいち親身になって同情するのか? 所詮他人なんてのは、意味の無い存在だ」
「そんなことありません!」
「聖女なだけに、分け隔てなく慈悲深くて、結構なことだな」
 皮肉って話す彼の横顔には、くらい笑みが浮かんでいた。それは敢えて形容するなら、嘲笑だった。

「お前がいくら粉骨砕身、人類のために一生を捧げたところで、人類はお前のために何一つしない」

 そう言い捨てて、ゲズゥは剣を振り落とした。
 魔物の頭部が胴体から離れた瞬間、ミスリアはそれを形成する魂たちの記憶の断片を、一気に浴びるように視せられた。

 耐えかねて、その場にくずおれた。

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03:06:09 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
07.b.
2012 / 01 / 29 ( Sun )
 自殺行為だな、と思った。丸腰で魔物に近づいて無事で済むわけなかろうに。
 だが聖女の真剣な目を見て、考え直した。

「好きにしろ。ただし、斬るべきと俺が判断したら躊躇なくそうする」
「……わかりました」
 聖女は一瞬、抗議したそうだったが、言葉を呑み込んで頷いた。それもそのはず、今グダグダ喋っていていいほど敵の気が長くない。

 再度飛び掛ってくる魔物。ゲズゥは咄嗟に少女を片腕で抱えて避けた。
 血の涙を流し続ける魔物の瞳に、理性の欠片も映し出されてない。どうやって会話するつもりなのか見ものだ。

 おろしてください、と聖女が頼んだので言われたとおりにした。しばらくは待つしかないと悟って、ゲズゥが剣を低く構えなおした。

 魔物はまた喉を振動させて声を発している。
 聖女が小声で何か歌い始めた。聖気とやらを出して、一歩ずつゆっくり歩み寄る。
 歌に魅入られたように、魔物が動きを止めた。

「大切な人を、うしなったんですね」
 聖女は歌うのをやめて語りかけた。
「よかったら何があったのか話してくれませんか?」

 子供をあやすみたいな優しい声に、魔物は安らいだように瞼を下ろした。獺が何か返事をしたなら、それはゲズゥには唸りにしか聴こえない。

「そうだったんですか、恋人との旅の途中で詐欺に遭ったんですね」
 聖女は、獺に向けて手を伸ばした。顎のひげにそっと触れる。
「慌ててその人を追ったら、忌み地の近くで迷ってしまったと」

 聖女の一方的な受け答えから情報を拾うと、つまりこうだ。その男は襲い掛かってきた魔物から命からがら逃げたはいいが、いつの間にか恋人とはぐれていたという。探しに戻ったが、いくら探しても探しても彼女の衣服以外見つからず、気がつけば男は今の姿に成り果てていたそうだ。
 本人は自分が何時頃「死んだ」のか、自覚していないらしい。

 そこまで聞いて、「呪いの眼」ゆかりの者ではないとはっきりわかった。
 ならばゲズゥにしてみればそれは最早ただの魔物、退治すべき対象でしかない。

 ちょうど魔物が聖女に気を取られて静止している。今なら巧いこと倒せるかもしれない。たとえば足を六本残らず切り落とすか、頭部を胴体から切り離すか。
 あまりに敵が大きいので、確実な方法を取りたい。

 ゲズゥはさっと辺りを見回した。
 教会の正面玄関からは綺麗に管理された土手道が伸びている。聖女と魔物はその道の上にいる。土手道の両側には並木が均等な間隔を取って植えられている。半年前に建った辺境の小さな教会の割には変に凝っているな、と違和感を覚えた。

 今はそんなことより、高い足場になりそうな物を探す。並木はどれも細くて若すぎる。足場になるような太い枝が見当たらない。ならば、並木の間に揺れる申し訳程度のともし火はどうか。
 ゲズゥと多分そう変わらない高さの街灯は、間隔が長く数が少ない。しかし運良く、そう離れてない距離に一本立っている。

「――大丈夫です。私たちにできることなら、力になります」
 なおも対話を続ける聖女を尻目に、ゲズゥは音を立てずに移動した。
 魔物の背後に回り込み、数歩離れた位置の街灯まで近寄った。街灯のてっぺんは三角錐みたいな形で、とがっている。踏むとしても一瞬しか立っていられないだろう。

 十分だ。
 ゲズゥは街灯の上目がけて高く跳び、右足だけで着地した。サンダルを通して、足の裏が街灯の尖がり具合を知ることになった。刺されはしないがやはり痛い。
 構わず、そこを足場にして更に高く跳躍した。

 獺の背に、剣を突き立てた。
 金切り声をあげ魔物がのけぞり、後脚だけで立つ。振り落とされないよう足腰に力を入れながら、ゲズゥは長剣を抜いた。

 もう一度高く跳ぶと、振り落とす力と重力を合わせて、魔物の横腹を切り裂いた。
 裂け目から、血液と臓物に似た赤黒い塊がいくつも溢れ出す。見れば、臓物の一つ一つに人面が浮かんでいる。相も変わらず気色悪い存在だ。

 獺が地に崩れるのを見届け、ゲズゥは聖女の方を一瞥した。少女が異臭放つ汚物にまみれる姿には、多少罪悪感を覚える。

「何を呆けている」
 向こうが再構築する前にさっさと浄化に取り掛かれ、という意を込めて声かけた。
 聖女は目を大きく見開いて、両手についた汚れと、深手を負った魔物とを見比べてわなわな震えている。一体何事だというのだろう。

 大丈夫か、と訊こうとして一歩近づいたら、逆に一歩退かれた。

「い、」
 聖女の向けてきた眼差しは恐怖と絶望に満ちている。

「いやぁあああああああああああああああっ!!!」
 空気を裂くような少女の絶叫が響き渡った。

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07:27:32 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
07.a.
2012 / 01 / 27 ( Fri )
 星明かりの下で、六本足の巨大な獺(かわうそ)と対面していた。ソレは、魔物特有の青白いゆらめきを発しながら、教会の正面玄関に向かって姿勢を低くしている。

 小屋ぐらいの大きさだ。これが跳びまわっていたのなら、確かに地震と勘違いするほどの揺れが生じるだろう。末恐ろしい魔物が闊歩する世の中になってしまったものだ。シャスヴォルといいこのミョレンといい、近所の魔物狩り師どもは一体何をしている。
 
 獺の姿をした魔物は、シャ―――――ッ、と大きく口を開いて威勢よく声を出した。前足で宙を引っかいたが、教会の結界に邪魔されてそれ以上進む事ができない。
 しかしそれはゲズゥたちとて同じことだった。目に見えない壁に阻まれて、外に踏み出す事が不可能だ。

 傍らに立つ聖女を見下ろすと、服の下からペンダントを取り出している。司祭が首にかけていたのとよく似た銀製の物だが、司祭のより大きい気がするし他にもどこか相違点がありそうだ。はっきりとは思い浮かべられない。

「用意はいいですか? 陣を消さずに結界を強引に解除します」
 何を言ったのかイマイチ理解できないが、ゲズゥは一言ああ、と答えて長剣を鞘から抜いた。

 ――もしもの話。
 あの魔物が村の跡地の封印から出てきた個体なら、素となった人間が、ゲズゥの知る者である可能性が出る。といっても十二年前のあの日から帰ってきてないので、たとえそうだとしても思い出せるかどうか謎だ。

 聖女はペンダントを片手で握ると、残る手で何か文様を宙に描いた。そうしてゲズゥの知らない言葉を唱え始めた。
 南の共通語ではない。北の共通語でもない。他のどの国の言葉とも異なる響きを持っている。或いは、ヴィールヴ=ハイス教団内で使用される呪文用の言語やもしれない。

 聖女が唱え終わった瞬間、空気が震えるような気配があった。
 もう壁は消えたのだと、なんとなく感じ取れる。
 獺が黄色い四つの眼を光らせた。

「下がってろ!」
 あの巨体なら三回跳べば充分距離が縮まる。
 聖女はすかさず従って玄関まで後退した。

 巨体にしては信じられない速さで、魔物が飛び掛ってくる。どうせ聖女の方へ向かうだろうと読んで、ゲズゥはタイミングを見計らった。
 ズン、と魔物の一度目の着地。二度目の跳躍。

 二度目の着地――

 ゲズゥは横へ跳び、獺の後ろに回り込んで長い尾に切りかかった。斬った部分は綺麗に本体から離れ、転がり落ちた。剣を研いだ成果が早速見れて少し楽しい。
 獺はこの世のものとは思えない鳴き声を上げた。頬を、血色の涙が伝っている。

 おーん、おーん、と動物のように鳴きながら、ソレは振り返った。

 笑ったり唸ったり慟哭したり、忙しい声帯だと思った。これが全部人間的な感情に基づいているというのか。わけがわからない。
 標的をすっかり変えて、魔物はゲズゥに飛び掛る。前足に絡まれないように、飛びのいた。一度でもあの爪か牙に当たれば大打撃を受けるだろう。

 魔物が再び地を蹴ったが、今度はゲズゥは前へ走った。
 奴の高い跳躍を逆に利用して、下に潜り込むように進み、剣を上へ構えた。切っ先は獺の腹部分を引っ掛けて、しばらくして抜けた。浅い。手ごたえでわかる。少量の魔物の血液が顔にかかった。

「オ、ノ、レ……」
 またしても地震を起こしながら着地した魔物の口から、白煙とともに妙な声が漏れた。
「ノ……カ、……ェ……」
 喉が大きく振動しているのが闇の中でも見て取れる。

「何だこれは」
 背後にいるはずの聖女に向けて、訊いた。
「……かろうじて言葉を形づくるぐらいの知能が残っているみたいですね。貴方にも聴こえるほどに」
 真剣な声が返ってきた。

「何を言ってるのかわかるか」
 それは相手が「誰」であるのか判断する上で、重要になる。もし、知る人物であるなら――自分は果たして、どう対応するだろう。
 ゲズゥは剣を構えて、獺の動きを警戒した。

「えーと……『おのれ、彼女を返せ』? 一体どういうことでしょう……」
 さぁ、と答えたいところだが、止めた。
 聖女の声が近くなっているからである。振り返ったら、すぐそこにいた。下がってろと言ったのにどういうことだ。

「あの、彼と少し話をしてきてもいいですか?」
 暗い中、聖女の潤った茶色の双眸はねだるようにゲズゥを見上げてきた。

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簡易紹介 登場人物(ネタバレ無)
2012 / 01 / 26 ( Thu )
人物の名前がこんがらがってきてどうしよー 
な時に参照する程度のものです。
名が出てないキャラはここには載せません。

{名前の}登場順↓



ミスリア・ノイラート
世界を救うために旅立った聖女。
素直でお人よしな少女。
趣味:読書、家事


ゲズゥ・スディル
ミスリアの旅の護衛。
無表情で何事にも動じない青年。
趣味:筋トレ、武器の手入れ、木登り


カイルサィート・デューセ
ミスリアと同時期に修行をした聖人。
笑顔が爽やかな好青年。
趣味:散歩、読書、勉強


アーヴォス・デューセ
カイルサィートの叔父で、司祭。
小さな教会を受け持っている。
趣味:園芸


シューリマ・セェレテ
国境を守る若き女騎士。
主の為と思って、過ぎた行動を取りがち。
趣味:巡回、新人いびり


ルセナン
ラサヴァの役人。副業は料理屋。
人当たりのいい三十路妻帯者。
趣味:自家製の酒を造ること


オルトファキテ・キューナ・サスティワ
ミョレン国第三王位継承者。
有言実行の、企む王子。
趣味:馬術の訓練、その他不明


ツェレネ
ユリャン山脈付近の集落に住む少女。
喜怒哀楽に富み、学校を開くのが夢。
趣味:読書、先生ごっこ、料理


トリスティオ
ユリャン山脈付近の集落に住む少年。
弓が得意で、一人前の魔物狩り師を目指す。
趣味:魔物狩り、鍛錬


アズリ/ヴィーナキラトラ
山賊団の頭領に寄り添う妖艶な美女。
面倒見の良いお姉さんに見えるが……?
趣味:美容、人をからかうこと


イトゥ=エンキ
顔の左半分に複雑な模様がある。
仲間に一目置かれる、飄々とした男。
趣味:煙管、菓子類の試食


ヨンフェ=ジーディ
住み込みで教会に奉仕する女性。
世話焼きで働き者だが、やや心配性。
趣味:料理、市場回り


ラノグ
町の鍛冶屋に弟子入りしている男。
昔行き倒れていた所をヨンフェに救われた。
趣味:教会の手伝い


ウペティギ
ゼテミアン大公家と縁ある血筋の貴族。
偉そうにしているが根は臆病者。
趣味:女遊び、宴


リーデン・ユラス
非合法的な商売に携わる絶世の美青年。
ゲズゥとは旧知らしいが、仲は良くない。
趣味:賭博、人間観察


イマリナ
リーデンが解放した(?)奴隷。
口がきけないからか純朴さが際立つ。
趣味:リーデンの身の回りの世話


レティカ・アンディア
聖職者の家系から出た若き聖女。
実家への誇りと使命感に燃える。
趣味:布教活動、オペラ鑑賞


エンリオ
投げナイフを操る小柄で童顔な男性。
レティカの護衛の一人。視力が優れてる。
趣味:曲芸鑑賞


レイ(元レイチェズ)
ロングソードを携える強面で大柄な女性。
レティカの護衛の一人。騎士の家の出。
趣味:剣の稽古


フォルトへ・ブリュガンド
国際的対犯罪組織に属する中肉中背の男。
仕事への姿勢はどこか締まらない。
趣味:手芸、ユシュハに付きまとうこと


ユシュハ・ダーシェン
フォルトへの上司。野性的な女戦士。
正義の為ならいくらでも冷酷無慈悲になれる。
趣味:仕事


ティナ・ウェストラゾ
ボーイッシュなのに男嫌いで気の強い女子。
帝都の城壁外にある孤児院に住む。
趣味:買い物


デイゼル
孤児たちの中で最年長の少年。
何故か絶対に帝都の内側に入ろうとしない。
趣味:探検、悪戯


ジェルーチ & ジェルーゾ
魔物に襲われない体質の双子。見た目は少年。
無邪気さと残忍さに境目が無い。
趣味:動き回る遊び(追いかけっこなど)


ヤン・ナラッサナ
カルロンギィ市国の一番大きい里を束ねる。
落ち着いた雰囲気の聡明な女性。
趣味:刺繍、毒の調合、吹き矢の射撃練習


ヤン・ナヴィ
超越者を目指して里を離反した男。
新しい力を貪欲に求める狂人。
趣味:研究


カタリア・ノイラート
温和ながらどこか抜けた印象のある聖女。
記憶力が良いが、何故か極度の方向音痴。
趣味:祈祷、読書、名所巡り


シュエギ(仮名)
過去の記憶を喪失している白髪の男性。
毎夜、機械が如く淡々と魔物狩りに勤しむ。
趣味:睡眠、木工


グリフェロ・アンディア
枢機卿の一人。レティカの大叔父。
義理堅く、真面目一辺倒。
趣味:美術展や博物館巡り


ディアクラ・ハリド & イリュサ・ハリド
優秀な魔物狩り師の兄妹。
高飛車で言動がネチネチしている。
趣味:月見酒、鍛錬




[本編目次]

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02:04:23 | 補足 | コメント(0) | page top↑
06.g.
2012 / 01 / 25 ( Wed )
 前触れなく地が揺れた。
 ミスリアは飛び跳ねて、危うく食器を取り落としそうになった。
 
「じ、地震……?」
 身を固くしてしばらく待った。しかし一度きりの揺れだったのか、あたりは静まっている。
 安堵し、洗い終わったばかりの皿を向き直る。

 頭上のキャビネットに手を伸ばした途端、また大きく揺れた。右手から皿が滑る。

(やだ、割れちゃう……! 自分の家じゃないのに!)
 少しでも衝撃を和らぐために身を挺すべきだと頭ではわかってても、体は自己防衛本能に正直で、勝手に飛び退いた。

 皿は割れなかった。突如現れた別の手によって支えられ、あるべき場所にしまわれる。

「あ、ありがとうございます。さすが速いですね……」
 ゲズゥは淡々とキャビネットに食器を戻した。思えば長身の彼こそ、踏み台のお世話になる必要のあるミスリアよか、遥かにその作業に向いている。

 食器が全部キャビネットに納まり、ゲズゥがそれを閉めた。

(食事の時に食卓を囲うのは嫌がるのに、片付けは手伝うんだ)
 協調性があるのかないのか、相変わらず、何を考えているのかまったく読めない男である。

(美味しいとも不味いとも言わなかったけど、残さず食べてくれたわ)
 今はそれだけでよしとしよう。そういうことを思いながらゲズゥの背中を見ていたら、彼が口を開いた。

「地震の揺れより、魔物じゃないのか」
「え……」
 それはつまり、地を揺らすほど重いまたは大きい魔物がすぐ近くに来ているということ。

 ミスリアは、出かける際に神父アーヴォスが残した注意を思い出す。

 ――戸締りをしっかりして、教会の結界から絶対出ないようにしてください。「忌み地」の封印が古くなり、修復しきれない速さで綻びが生じています。この近辺の魔物は数こそ少ないんですが凶暴で、強大です。いいですかノイラート嬢、くれぐれも外へ出て行かれぬよう――。

 そこでまた地が揺れた。
 静かな夜に、身の毛がよだつような笑い声が響く。

 気がつけばミスリアは、ガラス張りの戸に指を触れ、声の主を探るように闇を見つめていた。夢中で探したけども、どう目を凝らしても月明かりに庭しか見えない。もしやここのアングルが悪い?

「お前にはアレが、どう聴こえる?」
 ゲズゥの低い声で我にかえった。いつの間にか隣に来ている。黒曜石に似た右目と呪いの左目が、じっとミスリアの答えを待っている。
 芯まで見透かすような眼差しに落ち着かないけど、平静を装った。

「どう聴こえると言われましても……そうですね、説明しにくいんですが……」
 笑い声が止んだ――と思えば今度は慟哭が響く。

「私たち人間は言語を持ち、自由に思考をする生き物です。けど魔物は『言葉』を扱う能力が崩壊してる場合が多いので、感情を形にできず放出してるとでも言いましょうか。私にはああいった奇声が、想いとして直接脳に届いてるような、心を打っているような、何ともいえない揺さぶりを覚えます」
 言いながらも、胸が締め付けられて苦しい。
「『言葉』……?」

「多くの魔物は、死んだ人間の魂を素(もと)としてます。彼らはかつては表現できた感情を持て余しているのです」
 それは教団に属する人間にしか語り継がれない真実だ。一般論では魔物は瘴気のある場所に自然発生する現象となっている。案の定、ゲズゥは瞠目した。

 魔物の慟哭は獲物を威嚇するような唸り声に替わった。音量から判断すると、まさに教会の結界のすぐ外に待ち構えているのだろう。

「ご存知ですか? 魔物は決して他の動物を襲うことなく、人間のみを狙うんです」 
 恐怖よりも深い悲しみに打たれて涙が零れた。
「彼らの餓えは、肉体の空腹からくるものではありません」

 地が再び揺れ出し、ミスリアはバランスを崩した。ゲズゥの腕に支えられ、なんとか転ぶことだけは免れる。咄嗟にその腕にしがみついた。
 頻繁になった揺れだけで想像すると、大きな子供が地団太を踏んでいるみたいだ。結界に阻まれて、業を煮やしているのだろう。

 ミスリアはゲズゥの顔を見上げた。するとさっきと同じ眼差しが、じっと彼女の次の動きを待っているように、見つめ返してくる。
 時々、彼がこうして自分を観察していることは知っている。何をするわけでもなく、静かに見るだけ。

 最初は狩人のような、野性の捕食動物のような視線だと思って冷や汗かいたものだが、慣れてくるとそれはどちらかといえば子供が蟻の行列を観察する眼差しと同じだと思った。悪意ではなく興味や好奇心に基づいている。
 一呼吸してから、ミスリアは発話した。

「お願いがあります」
 ゲズゥはミスリアから腕を離すと、内容を聞く前に頷いた。
「行くか」
 どこに置いてあったのか知れないが既に長剣を手に持っている。心なしか声が楽しそうだ。理由が何であれ、一緒に外へ行く気になってるのは有難い。

 ミスリアは胸元を押さえ、服の下のアミュレットを確認した。

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14:30:17 | 小説 | トラックバック() | コメント(2) | page top↑
06.f.
2012 / 01 / 24 ( Tue )
 開いた目に最初に飛び込んできたのは、絵画だった。

 描いた者は青、赤、黄色の三つの原色に白を混ぜたりして色合いを調整したようで、他の色は使われてない。ディテールが一切描かれておらず、全体を見通せばぼやーっと何かがそこにあるような曖昧なものだ。印象派芸術と呼ばれるジャンルに該当するのだろうか。闇市で見たぐらいの認識だから自信は無い。

 もしかして、描いた人物は飛翔する「聖獣」を表現したかったとか? 聖堂の天井に描かれる絵画といえば、まさか魔物を飾ってるとは考えにくい。少なくともゲズゥには、黄色い光に包まれた巨体が茜の空を飛んでいるように見える。その巨体の腹を見上げてるような気分だ。散らばっている青系の点が何なのかまでは彼には想像つかない。

 翼を広げて輝くソレを見上げても、神々しいだの尊いだの思わなかった。芸術を解さない、感性に乏しい――と言われればそれまでだが。

 ゲズゥは起き上がった。窓から射し込む陽の傾きからして夕方近い時刻らしい。
 後ろを手で支えながら、首をならした。木製のベンチにしてはまずまずの寝心地だった。やはり木の枝の上が一番だ。

 剣を研ぐに適してそうな石を庭から拝借して物置部屋に動かしたのを思い出し、立ち上がる。
 廊下で聖女と鉢合わせした。聖女は小さく笑みを浮かべてから、書斎のある事務所みたいな部屋に入った。ゲズゥは特に何も考えずにその入り口に立って、聖女を観察した。窓からの陽射しが躍って幼い顔に影を作っている。

「結構いろんな本が並んでますね……何か読みますか?」
 仮に観察されてることを気にしてるとしても、表に出していない。
「いい。俺は字が読めない」
 ゲズゥの言葉に、聖女は本をめくる手を止めた。目を丸くしている。

 字の読み書きができる人間が少数派であるアルシュント大陸では、珍しくないことだ。文字が、専門職に就く人間以外に開放されて二百年経ってない。大陸中に学校を普及させようという社会運動があるようだが、その夢が実現される日までまだまだ遠い。
 中には庶民以下に読み書きの能力を断固として許さない国とてある。シャスヴォルはここ数年でその制度が廃止の方向に進んでいるが、元々そうだった。

 ゲズゥは必要最低限に南の共通語とほか数ヶ国語が読めるが、それはあくまで実生活に直結するような単語ばかりで、文章となると別だ。

 そうだったんですか、と聖女が困ったような表情を浮かべる。
 しかしゲズゥは特に気にしてない。そんなことより剣のことを思い出し、物置部屋へ移動した。

 小さな窓が一つしかない部屋だ。蝋燭を灯し、砥石と長剣と水を含ませた布を準備してから胡坐をかいた。
 シャッ、シャッ、と丁寧に刃を研ぎ始める。
 一分ほど経った頃、どういうわけか開いた扉にノックがあった。

「私もそっちに行っていいですか?」
 躊躇いがちに訊く聖女は手に革張りの分厚い本を持っている。
「何で」
 短く聞き返した。物置部屋は狭く暗く椅子も無く、読書には向かないだろうに。

「……り…………から……」
 聖女は消え入るような声で何かしら呟いたようだが、聴き取れなかった。俯きながら、もじもじと挙動不審だ。
「は?」
「ひとりは、つまらないから」

 茶色の瞳が濡れているように見えるのは、光の加減の所為なのか、それとも――?

「……好きにしろ」
 女子供という無駄話の多い種の中で、この聖女はまともな方だった。物分かりが速くて余計な詮索もしない。そこにいられても邪魔にならないだろう。
「ありがとうございます」
 聖女は踏み台に腰掛けて、本を開いた。
 
 それ以上互いに関ることなく時が過ぎた。
 ページの捲られる音が、こっちのシャッ、シャッ、という音の間を時折挟む。
 単調な作業に心が安らぐようだ。

 最初は緊張気味だったらしい聖女も、次第に本にのめり込んだのか外界を意識から除外している。同様に、ゲズゥも丹念に剣を研ぐことに集中した。
 布で拭って刃の研ぎ具合を確かめた何度目かの時に、顔を上げた。小窓から夕焼けの端が見える。いつの間にかそんな時間になっていた。

「晩御飯にしましょう。私、つくります」
 聖女が分厚い本を閉じる。
「何か食べられないものとかありますか?」
「…………味の濃いもの」

 大真面目に答えたつもりだ。対する聖女は少し笑い、がんばります、と言ってキッチンへ向かった。

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14:55:13 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
06.e.
2012 / 01 / 23 ( Mon )
 物置部屋の壁際のチェストに保管されてるだけあって、どの武器も大分前に手入れされて久しいようだった。種類こそ多く揃っているが、錆びれて使い物にならなそうなのばかりだ。教会が建ってまだ半年だというのだから、最初からこの状態で持ってこられたと考えるのが妥当か。

 それにしても鎖鎌からメイスやモーニングスターなど、教会にしては物騒な武器まである。まともな状態に戻せれば魔物相手に十分健闘できるだろう。

 魔物は他のどんな生き物とも違って、決まった急所が無いのが特徴だ。個体差あれど四肢を裂かれても動き続けることは可能だし、時間を置かずに元通りに再構築されることだってある。ゆえに徹底的に無力化する必要がある。
 人間の敵は比較的脆く、両の手だけでも退けられる。魔物との戦闘を思慮に入れて武器を選ぶ方が賢明だ。しばらく、チェストの中を漁るのに没頭した。

 リーチの長い武器が好ましい。投げるタイプの槍を手にとったが、やめた。チェストの底の長剣が目に入ったからだ。柄を掴み、引き上げた。鉄と鉄がこすれあう音がする。
 ゲズゥの両腕を広げた幅と同じくらいの長さの剣は、決して鋭利な刃を持っていないが、研げば使えそうだ。裏を返したり、刀身に触れたりした。

 ふと近づく足音に、ゲズゥは振り返った。

「あの、カイルの叔父様がお茶を出すそうです」
 聖女は今朝と同じ水色の質素なワンピースのまま、髪を首元の右側に結んでまとめている。出会ってから今まで見た中で一番、目が穏やかだった。

「わかった」
 通常ならばめんどくさいと感じて無視を決め込むところだが、叔父という男が引っかかるので、行くことにした。

 ダイニングルームに、ハーブの香りのようなものが漂っている。ティーポットとカップは白地に多少の模様が入ったような一式だ。
 テーブルに向かっているのは叔父ひとり。聖女がその隣の椅子に腰掛けた。面倒と思いながらも、ゲズゥがその隣の椅子に座った。偶然にも叔父と向かう形になる。

「改めて初めまして、私はアーヴォス・デューセと申します。聖人カイルサィート・デューセの父方の叔父で、この教会を受け持つ司祭です。ようこそいらっしゃいました」
 司祭と名乗った男は一礼し、二人にハーブティーとクッキーを勧めた。事情を甥に聞いたのか、追及するような発言はない。その甥は祈祷の後に急用に出たらしく、結局茶の席にいない。

「ありがとうございます。私は聖女のミスリア・ノイラート、彼は私の旅の護衛です。昨日からお世話になってます」
 差し出されたティーカップを受け取りながら、聖女は小さく礼を返した。

「ゲズゥ・スディル、『天下の大罪人』であって『呪いの眼』の一族の最後の生き残りですね。これはまたすごい用心棒を得られましたね」
 その笑い声にゲズゥはかすかな濁りを感じた。
「確かにすごい人です」
 聖女は微笑みを返している。

「今夜はお二人だけで大丈夫ですか?」
 司祭は急に話題を変えた。チラリとゲズゥを一瞥した後、再び聖女と目を合わせる。

「それはどういった意味で?」
「実は今、隣の町で魔物が頻繁に出現していましてね。昨晩はその対応に出かけて戻らなかったんです。するとそこで病が流行っているともわかって、今晩カイルを連れて行こうと思っています」
 やり取りを、ゲズゥはバタークッキーを食べながら静観した。

「私も手伝いましょうか?」
「いいえ、お気持ちだけで充分ですよ。ゆっくりお休みください」

「……ではお言葉に甘えてそうさせていただきます」
 ゲズゥの意見を仰がず答え、聖女は横目でこっちを見た。別に仰がれても是とも非とも助言するつもりは無いのでどうでもいい。

 一度頷いてから薄い黄色の茶を味わい、思わぬ甘さにぎょっとした。

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14:39:51 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
06.d.
2012 / 01 / 21 ( Sat )
 聖女の友人らしい青年の背中を、ゲズゥは座ったまま見送った。
 因みになんて名前だったのかもう忘れた。ただでさえ他人の顔も名前も覚えられないゲズゥに、あの聖人のファーストネームは試練だった。

 信用してない人間に友人を託すなど、判断材料を検討したとしても聖人の言い分は矛盾していると思った。聖人聖女は皆そういうものなのか? もっと、頭の固い連中かと想像していた。
 或いは教えに反して動く聖職者にばかり、たまたまゲズゥが会っているだけかもしれない。

 聖女もその友人という聖人もどこか「違う」気がした。何がどう違うのかとなると、漠然とそう思うだけで皆目見当もつかないが。
 そんなことを考え込んでも仕方ないので、立ち上がった。そろそろタバコも終いだし、中に戻ろうと歩き出す。

 フェンスの軋む音がした。
 見ると、四十路ぐらいの男が庭の縁に立っている。独特の黒装束からして、聖職者っぽい。それに首にかけている銀細工のペンダントは、神に仕える者の象徴だった気がする。聖女も聖人も持っているのを見た。

「おや……お客様ですか?」
 ゲズゥより頭一個分未満ほど背の低い男は、禿げた頭のてっぺんを手のひらでこすった。耳の上辺りだけ、プラチナブロンドの頭髪が生えている。整えられた顎鬚も同じ色だ。

 ゲズゥが答えずにいると、禿げ頭の男は近づいてきた。

「ほう。その目はもしかして……」
 男の琥珀色の瞳に――好奇心と、別の何かが混ざったような煌きがよぎった。それは過去に何度も見知っている感情。人道はそれを歪んでいるとみなすが、とても人間的だとゲズゥは思う。
 口元がつり上がるのを男が手でうまく覆い隠したのを、ゲズゥは見逃さなかった。

「あれ? アーヴォス叔父上、お帰りなさい。お仕事お疲れ様です」
 ガラスの戸を開けっ放しにしてた聖人が、中からひょっこり顔を出した。

「ただいま、カイル」
「玄関から入ればいいのに、そんなに庭が気になりますか?」
「いいじゃないか」
 明るく談笑する男の面からは、さっきの表情がきれいさっぱりなくなっている。

「あとでお客様にお茶をお出しするから、ちゃんと紹介してもらうよ」
「はい」
 聖人の叔父という男は、庭の方へ関心を移し、あちこちの葉っぱの色やら土の具合やらを確かめに歩き回る。マメな性格らしい。

 現時点で、あれが警戒すべき人間かどうかはまだ見極められない。小さく頭(かぶり)を振って、ゲズゥは教会の中へ戻った。
 ダイニングルームに、聖女の姿がなかった。

「ミスリアなら、お風呂場の奥の洗濯部屋だよ」
 聖人はいつの間にか着替えている。最初に会ったときの軽装よりも、白いローブの裾が長い。手袋やローブの下に履いてるズボンまで真っ白だ。こんなに白い格好が様になってる男に出会ったのは初めてかもしれない。ゲズゥだったら一色だけ着るなら絶対黒を選ぶ。肌や髪色の合う合わないじゃなくて、性格に起因してるのだろうか。

「僕はちょっと聖堂の方に入るけど、君も来る?」
 明るく誘われたが、ゲズゥは頭を横に振って断った。神とやらを祀った場所には別段興味がない。そもそも神が地上を去って聖獣が眠っているという設定の信仰なのに、一体何に祈りを捧げるのか、ゲズゥには理解できない。

「そう。何か他に必要なものあるなら遠慮なく言って」
「……武器庫」
「廊下を出て左の物置部屋。あそこのは全部誰も使ってないから、どれでも好きに選んでいいよ」
 ひらひらと手を振りながら、聖人は身を翻した。

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07:19:52 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
06.c.
2012 / 01 / 19 ( Thu )
 カイルサィートは、ガラス張りのドアの前に置いてあるサンダルを履きつつ、ダイニングルームから中庭へと足を踏み出した。

「邪魔するよ」
 先客のゲズゥが庭に敷かれた煉瓦に座っている。もちろん裸足だ。片膝を立て、その膝に片腕を置き、残った手で葉巻タバコを吸っている。クセのあるニオイだ。

(僕より一個年下なのに、渋いなぁ)
 ゲズゥはどこへともなく視線を庭にやっている。

 木製フェンスで囲まれたこの広い中庭は、叔父によって手入れが行き届いている。縁に植えられた色とりどりの薔薇が蕾を出し、朝日に照らされて鮮やかな輝きを見せている。めいっぱい息を吸い込むと、タバコのニオイを凌駕して季節外れの茉莉花の甘い香りが肺を満たす。
 煉瓦のパティオの中心に鳥用の餌台が立ち、そこで繰り広げられるリスとコマドリの取り合いが微笑ましい。或いはゲズゥはこの生存をかけた勝負の行く末を見守っているのかもしれない。

「肩の怪我、もう大丈夫?」
 昨日会った時に彼が負っていた矢傷のことをカイルサィートは訊ねた。
 数秒待っても返事がないので、構わずまた喋りだした。

「僕が治したので気になってね。ミスリアのようにはできないから」
 近づきすぎず、なおかつ声が届くほどの距離に落ち着いて、カイルサィートはゲズゥの隣に並んだ。

「彼女は特別だよ。僕らは同じ時期に修行をしたけど、ミスリアは普通より遥かに幼い歳で教団に入ったんだ。他の子は歳相応にはしゃぐし、恋だってするし、自分の人生の選択を何度も迷う。…………ねえ」
 静かに呼びかけてみた。すると前しか向かなかったゲズゥはようやっと、隣のカイルサィートに視線を移した。白地に金色の斑点で彩られる左目は、何度見ても慣れない。

「僕は、君の事を信用に足る人間と思わない。これっぽっちも、思ってないよ」
 ゲズゥを見下ろし、カイルサィートは低い声で断言した。
 瞬き一つの反応も返って来ない。対するカイルサィートも瞬かなかった。

「ミスリアが決めたことだから止めない。それでも僕はやっぱり反対だし、今でも考え直せと彼女を揺すりたい。友人として、心配なんだ」
 ミスリアが取り寄せた「天下の大罪人」に関する書類を、カイルサィートもひととおり目を通してる。その上で、彼は彼女と違った結論に至った。

 ゲズゥは視線をそらし、葉巻を口元から離し、長い一息を吐いた。

「……で? 俺にどうしろと」
 抑揚のない、関心に薄いひとことだった。

(本当に不思議な人だ……)
 決して礼節を弁えた態度ではないのに、腹が立たないのは何故だろう。静かで、冷淡で、夜の湖面のように落ち着いている。もしこの人に対して癇癪を起こしたら、醜いのは自分の方になってしまうのではなかろうか。

「信用はしない。でも、君が体を張って彼女を守り抜いた功績を、高く評価しているよ。だから、」
 カイルサィートは深く礼をした。

「これからも、聖女ミスリア・ノイラートをよろしく頼みます」
 顔を上げると、驚いたように片眉を吊り上げたゲズゥの顔が見えた。
 表情を変化させられたことに心の中で、してやったり! とガッツポーズを決める。

「話は変わるんだけど――」
「わかってる。行けばいいんだろう」
 本題に移り変わろうとしたカイルサィートは、鋭く遮られた。

「果てしなく気が乗らないが、行ってやる。里帰りに」
 苦い顔でゲズゥが承諾の意を表した。再び庭の方を見ている。

 説得するまでもなかったようで、カイルサィートは拍子抜けした。

「ええとじゃあ、明日の夜とかどう?」
 連日の移動でまだ二人とも疲れてるだろうし、早くても明日まで待とうと考えての誘いだ。

 試しに聞いてみたら、あっさり頷かれた。

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06.b.
2012 / 01 / 19 ( Thu )
 ミスリアは絶句した。
 滅びた「呪いの眼」の一族がかつて暮らした場所。それが忌み地になるということは、彼らにひどい災難があったことを意味する。

「カイル、それは確かですか?」
「少なくとも僕はそう聞いている。あの地域はもともとシャスヴォル国の領内で、一族が滅びた後に国境がずらされたそうでね。ミョレンに押し付けようとしたみたいだけど、結局『忌み地』になったから放置状態。両国の民からも秘匿されている事実だね」

 丁寧に語るカイルの声に耳を傾けていたが、別の音にふと気づいた。

 ぽた、ぽたり、と水滴が零れ落ちるみたいな。ミスリアは音源を突き止めようと視線をさ迷わせ、そして見つけた。
 ゲズゥのマグカップを持つ手が、激しく震えている。コーヒーが幾筋か、その手を伝って垂れ落ちている。今にもカップを握り壊しそうなのを堪えているようだ。指関節が心なしか白い。

 そうだった。
 当事者の彼にとっては、この話題は決して他人事ではない。瞳に、数日前に見せた憎悪の色が濃く浮かんでいる。ミスリアは知らず身構えた。

「あの時、何があったのかは公にされてないので僕も知らない。生き残ったのは、一人だけだと聞いているけどね」
 カイルはまっすぐにゲズゥを見据えて言った。威圧感に応じて額に脂汗が滲み出ている。

「…………」
 今やゲズゥの全身から強烈な怒気がほとばしっている。静かな感情が、かえってこちらの背筋を冷やす。
 二人が下手に動けば躊躇無く噛み殺しそうだ。また、黒ヒョウのイメージが沸いた。

 しばらく、三人とも静止したままだった。

 やがて飽きたようにゲズゥが小さく息を吐き、コーヒーを一気に飲み干した。カップをテーブルに雑に置いて、立ち去る。
 ミスリアはそっと胸を撫で下ろした。

「どこ行くんですか?」
 まだ恐ろしさは残るけど、訊かずにいられなかった。

「煙草」
 珍しくゲズゥから返事があった。中庭へと続く大きなガラス張りの戸を、横へ引いて開けている。

「ってそれ、叔父上の葉巻と火打石。いつの間に……」
 ゲズゥが手にしてるものを見て、カイルは苦笑した。
 ぴしゃり、と音を立てて戸が閉められる。

「――なんていうか、不思議な人だね」
 カイルは別に、気を悪くしてないように見えた。額の汗をナプキンで拭き、片付けのために立ち上がる。

「ちょっと後ろめたいなぁ。ああいう言い方したかったわけじゃないんだけど、こっちだって情報の少なさに切羽詰っているんだ。あの魔物と対面すれば、きっとわかるよ」
 ミスリアは頷き、片づけを手伝った。二人でシンクの中に食器を集める。

「君らと此処で会ったのも何かの縁かもしれないね。ミスリア、一緒に来てくれるかい? 君がいれば心強い」
 食器を水で洗いながら、カイルがミスリアにそう頼んだ。
 ミスリアは、チラリと中庭の方を一瞥した。煙以外、ゲズゥの姿が無い。
「私は構いませんけど……」

「君に戦闘能力がほぼ皆無なのは知っているよ。彼がいなきゃ不安だよね、きっと」
「えっ、そういうことでは――」
 ――ないのだけど、なんとなく恥ずかしくなって俯いた。自分の運動能力の低さは自覚している。教団に居た頃、まったくといっていいほど剣技も筋力も身につかなかった。確かに、ゲズゥの桁外れの強さが無ければ今までに何度か死んでいる。

「まぁ、それでなくとも関係者が居ると何かわかるかもしれないし是非とも同行を願いたいね」
 テキパキと手際よく、カイルが皿やコップを洗っていく。
「そうですね」
 洗い終わった食器をタオルでミスリアが乾かし、磨いた。

「彼と話してきていい?」
「どう……ぞ……?」
 説得でもするつもりなのだろうか。
 思えば今までの短い間、ずっとゲズゥの方が主導権を握って旅を進めてきた。他人の言葉に左右されるのかどうかあやしいところだ。

 ミスリアの力の無い返事にカイルはにっこり笑い、水道の水を止めた。

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06.a.
2012 / 01 / 18 ( Wed )
ヴィールヴ=ハイス教団は、アルシュント大陸中のいくつかの「忌み地」の管理もしている。

 忌み地とはすなわち過去に何か大きな惨事があり、今では瘴気と魔物に満ち溢れた場所を指す。人間が近寄ると骨も残らず喰われ、中には日中でも魔物が闊歩している土地もある。

 対策の一つ目は単純。
 内と外を隔てるために、教団の人員がまず封印を施す。魔物が逃げ出ないように、下手に人間が迷い込まないように近くで聖職者の誰かが常に見張る。

 厄介なのはその後だ。忌み地を清めるには数日または数ヶ月、下手すれば数年の労力を要する。浄化が終われば、封印も解かれる。
 しかし常に人手不足に苛まれている教団から、長い間誰も派遣されないケースもある。

 よってそれらの忌み地は封印されたまま長年存在し続けている。

_______


「つまりカイルサィートは、忌み地の浄化を手伝うために、叔父様の受け持つ教会に来たと言うわけなんですね」
 ラズベリージャムを塗ったトーストを両手で持ち、聖女ミスリア・ノイラートが感心して友人に確認した。

 明るいダイニングルームの小さな丸いテーブルを囲んで、ミスリアとカイルサィートが朝食をとっている。お互いに水色の質素な服装をしている。これは、教会から借りたものだ。
 ミスリアの護衛のゲズゥ・スディルは、テーブルに座すことを拒否し、何故かキッチンの隅で立って食べている。食べかすが散らからないように、一応ゴミ箱の真上で。やはり似たような服を着ているが、肌色が濃いめの彼には、若干似合わない。

 キッチンとダイニングルームはカウンターひとつ隔てただけで空間自体は繋がっている。ゲズゥは、ロールパンを食べながらテーブルの方向に視線をやっている。何に焦点を合わせてるのかここからではわからない。

「カイルでいいよ、ミスリア。そういうことになるね。特にここは教団が干渉しにくい国にあるし、ずっと無人で立ち入り禁止にされていただけだったみたい。半年前くらいに叔父上が来て、小さな小屋を教会に建て直したんだ。今、僕等がいるこの建物だね」
 カイルは二人分のマグカップにコーヒーを注いだ。コポポ、と黒に近い茶色の液体が泡を立てる。

「大変そうですね」
 トーストを皿に置いて、ミスリアは花柄のマグカップを受け取った。ありがとう、と小さくお礼を言ってから、ミルクと砂糖を少量加える。まだ熱すぎるので、嗅ぐだけにした。濃厚な香りが鼻に届く。
 
「聖獣を蘇らせる旅に出る前の準備運動と思えば悪くないよ」
 カイルは気持ちのいい、爽やかな笑顔を見せた。
 自然とミスリアも笑顔になった。

 短く切りそろえられた亜麻色の真っ直ぐな髪に、小麦色の肌、琥珀の瞳、通った鼻筋、そして長くほっそりとした輪郭。数ヶ月前に教団本部で別れたきり、彼はまったく変わらない。

「君も、飲む?」
 キッチンに立つゲズゥに、カイルが空いたマグカップを持ち上げて声をかけた。
 ゲズゥはいつの間にか食べ終わっている。一度瞬いてから、ゆっくり歩み寄ってきた。

「なかなか解決の糸口が見つからないのだけどね。実は、強大な魔物が核となってあそこに居座ってるんだ。僕程度の剣の腕じゃあ相手は強すぎて迂闊に近づけないし、「対話」を試みても応じてくれない」
 ゲズゥのためにコーヒーを注ぎながら、カイルが続けた。

 数人の魔物狩りの専門家を伴っても、みんな途中で腰を抜かして逃げ出すのだという。彼等が優秀かどうかはさておいて、かなり手強い魔物らしい。

(対話、か……)
 浄化するだけなら教団の他の役職の人間にも可能だが、対話は魔物の内なる「心」に触れられる、聖人聖女にしかできない芸当だ。教皇猊下を例外として。

「……ここからわずか東の、村の跡地か」
 ブラックコーヒーの入ったマグカップを受け取り、ゲズゥが口を開いた。

「そうだね」
 一瞬だけ驚いた顔を上げ、カイルが短く相槌を打つ。話した内容より、ゲズゥが急に喋ったことに驚いてるのではないかと思う。

 どうして、ゲズゥがそんなことを知っているのだろうと、ミスリアは首を傾げた。
 カイルはテーブルの上で両手を組んだ。

「そこはかつて、『呪いの眼』の一族が暮らしていたとされる場所なんだ」

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