21.c.
2013 / 03 / 08 ( Fri )
「その方は、今はどちらに?」
 辺りを見回しても、話題に上った人物の姿がない。
「順調に進んでんならぼちぼち家に着いてんじゃないかな」
 ゲズゥと並んで歩くイトゥ=エンキが口を挟んだ。

「無事にご自宅へ戻れたのでしょうか」
「さあなー。でも嬢ちゃんはできるだけのことしたんだ。後は坊ちゃん自身の問題だろ」
「……はい」
 口で同意はするが、本音では、突き放した言い方だと思った。

(でもこの二人にしてみれば、きっと私の方がおかしいんだ)
 今のミスリアたちには見ず知らずの他人の世話を焼く余裕が無いのも事実だった。あったとしても、ゲズゥもイトゥ=エンキも自発的に人助けをしたがらない。利益に繋がらない限りは、他人が苦しむ場面では傍観に徹するだろう。

 それを勝手に冷たいと感じるのは、傲慢かもしれない。

「私たちが今ここに居るということは、あの後、うまく交渉できたんですね」
「まあな。ヴィーナ姐さんが気まぐれに味方してくれたのも大きいな。でなきゃお前らが揉み消されたかも。あのオヤジは自分の敗北なんざ何とも思っちゃいないが、外部の人間にそれを見られたのが面倒だと思ったんだろ。まあ、それで敗北した相手を消したら大々的に負けを認めてるってことにもなるけど……」

「そう、ですか。ヴィーナさんが」
 ミスリアは何と言えばいいのかわからず、あの妖しく光るサファイア色の双眸を思い出していた。
 それはともかく、揉み消す判断が下されなくて良かった――。

「ところで嬢ちゃん、腕に力入る? この布ほどいてやろうか」
 イトゥ=エンキが顔を寄せて問いかける。次いで温かい手がミスリアの手首に触れた。
「お願いします」
 驚きを隠して、答えた。

「ん」
 彼は頷いてから、手を動かした。濃い紫色の布を弄り、瞬く間に結び目を次々とほどいている。
 待っている間にミスリアはポツリと漏らした。

「イトゥ=エンキさんは、寂しくないのですか」
 ――十五年過ごした場所を離れたのに。

「別に。仲間意識はそれなりにあったけど、最初から部外者のつもりで接してたからなぁ。アイツらだって、オレが居ても居なくても同じだよ」
 と、顔を上げずに彼が言った途端、ゲズゥが怪訝そうな顔になった。
「どうしました?」

「……泣きつかれていた。老若男女に」
「あー、あれはー、ほら。その場の熱みたいなもんだから。一日経てば忘れて、元の生活に戻るだろ」
 尚も顔を上げずにイトゥ=エンキが軽くあしらった。表情が前髪に隠れて見えない。ゲズゥはもう一度顔をしかめたが、何も発言しない。

「よし、取れたぜ。今度は自力で捕まってるんだな」
「ありがとうございます」
 ミスリアは自由になった手首を、そっと撫でおろした。布に縛られていた箇所には薄い痕が残っている。
「さーて、あとちょっとだ。こっから三十分走ればもう樹海に着くぜ」

 イトゥ=エンキが親指で指した方向は、坂だ。ミスリアはついでにゲズゥの背後を見やり、そこにそびえ立つ山々を目にした。どうやら寝ていた間に随分進んでいたらしい。山越えがほとんど終わっている。

「捕まっていろ」
「あ、は――」
 ミスリアが返事を返し切らない内に、ゲズゥはもう走り出していた。首に手を回すのが間に合わなくて、ミスリアは彼の胸筋辺りでシャツを握った。

(凄まじい瞬発力ね)
 荷物などものともしない素早さで「静」の状態から「動」の状態に移ったのである。これから一生鍛えても、ミスリアが同等の身体能力を身に着ける日は来ないように思える。

 一方のイトゥ=エンキもゲズゥの右に並んで走っていた。黒髪を後頭部で束ね、上着を着ずに動きやすいシャツ一枚の姿である。
 ふとこちらの目線に気付いたイトゥ=エンキが、にっこり笑う。
 それをきっかけに、ミスリアは叫んだ。

「イトゥ=エンキさん! 一息ついたら、ご家族の話、聞かせてくださいね!」
 彼はにやりと口の端を吊り上げた。
「いいぜ! 樹海の中に入れたらな!」
「楽しみにしています!」

 坂の下に、根元から折れた大きな樹が横たわっている。先にゲズゥがそれを飛び越え、数秒遅れてイトゥ=エンキが続いた。再び走り出して間も無く、彼が口を開く。

「オレさー、実は子供の頃は家の外に出られないくらい体が弱かったんだ」
 こともなげに告げられた過去の話に、ミスリアは息を呑んだ。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:59:33 | 小説 | コメント(0) | page top↑
山山山
2013 / 03 / 06 ( Wed )
いれかえました。

いつも皆様ご訪問&ご愛読(希望)&拍手ありがとうございます(∩´∀`)∩
とても励みになっています。

さて、私はよくゲズゥのことを「黒ヒョウ」とたとえてますが、正確にはイメージは黒ジャガーです。日本語の響きでなんか黒ジャガーってどうなの的な気分になり、ヒョウにしちゃいました。

でもジャガーはジャングル住まいなので、そこら辺も微妙ですね。アルシュント大陸の南東最先端などは暑いしジャングルに通ずるものもあるのでしょうけど… その範囲自体はあまり広くないと思います。

こういうことばかり考えながら書いている私。(ウィキペディアありがとう

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:33:04 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
21.b.
2013 / 03 / 01 ( Fri )
 今しがた交わされた会話の内容も大変気になるが、ミスリアは自分の置かれた状況をまず飲み込もうと努めた。

(木と土の匂いがする。少し空気が湿ってるから、最近、雨が降ったのかしら)
 おそらく屋外、しかも緑の濃い場所にいるはずである。
 他には汗の匂いと頬に触れる熱。髪を撫でる風からは、速く移動していることがうかがえる。

 そして、何かを抱き込むような体制で両の手首が縛りつけられていた。拘束する為の縄ではなく、ただの布だ。きっと、眠っていたミスリアが落ちない為の措置。
 これらの手がかりを合わせると、やはり運ばれているのは間違いないだろう。

 やがて両目の焦点が合って、考えた通りの状況だとわかった。
 視線を感じ、ミスリアは頭を左へ巡らせた。右目は黒、左目は白地に金色の斑点に彩られた、左右非対称の瞳がこちらを見つめ下ろしていた。顔が、息が重なるほどに近い。

「んん? 嬢ちゃん、目が覚めたのか?」
「そう見える」
 低い声と共に吐息が額にかかって、ミスリアは思わず身震いした。

「おー、良かったな。オハヨー」
 リュックを背負ったイトゥ=エンキが飄々と笑った。旅のせいか、髪や服やリュックまで、全体的に汚れて見える。
「……おはようございます」
 どうにも動かしづらい舌を懸命に回し、ミスリアは彼に挨拶を返した。

「気分は」
 立ち止まったゲズゥが無機質に訊いた。心配や労わりを欠いた、事務的な質問だった。ミスリアは気にせず答えた。
「…………体が、とても重いように感じられますが……。あの、私、どれくらい眠っていましたか?」

 涼やかな空気と木々の間から差し込む日差しの角度からして、早朝のようだった。けれども身体の感覚で計れば、もっと長い間動いていない気がする。

「そうだなぁ、えーと」イトゥ=エンキは指を折り曲げつつ数えた。「五日ぐらいだな」
「いっ……!? そんなにですか?」
 こめかみを押さえていたミスリアが跳ねるように顔を上げた。

「おうよ。冷水浴びせたり気付け用の薬草焚いたりさー、色々試したけど全っ然起きなかったぜ。一応、脈と呼吸は普通っぽかったから大丈夫そうだと思って。でもこれ以上起きないんだったらどうしようって話してたんだよな」

「そうだったんですか……」
 生返事をして、ミスリアはゲズゥの鎖骨辺りに頭を休め、物思いに耽った。
 理由ならすぐに思い当たる。

(カイルの言った通り、離れた場所から聖気を送るのは、無茶だったのね)
 理論上は可能で、現実にも実現できた。
 しかしその都度何日も眠り込むのでは、割に合わない。無防備が過ぎるし、周りに迷惑もかかる。

(例えば大技の直後にゲズゥやお頭さんを治していなかったとしても、反動は大きかったはず)
 結局は友人の考え通りに、実用性の低い術なのだろう。
 よほどの状況でなければ使えない。それでも、使えると判明しただけでもある意味では収穫だった。

「……お前が助けた男が、礼を言っていた」
 いつの間にかまた歩き出していたゲズゥがぼそりと呟いたので、ミスリアは彼を見上げた。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

12:53:33 | 小説 | コメント(0) | page top↑
〆(・ω・)
2013 / 02 / 27 ( Wed )
近いうちに久々に拍手お礼を入れ替える予定ー

イトゥ=エンキがパーティに加わるとなんかゲズゥの野生児風味に拍車がかかるような……気のせいか。違和感が減るだけか。都会育ちキャラは出ないのか。そもそも都会なんてあるのか。

ヤモリの串焼きなどを二人でばりぼり食ってる絵が似合うような気がします。そういう無駄な場面をもっといっぱい入れたい気持ちもある!

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:03:45 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
おシラセ?
2013 / 02 / 23 ( Sat )
新しいお仕事始まりましたので、ちょっと更新頻度が落ちる…かも?

┌(。Д。)┐

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

07:31:20 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
21.a.
2013 / 02 / 20 ( Wed )
 高い崖だった。
 崖下には深くて流れの速い川が沿い、水は不思議と澄んでいた。
 崖上は、まったく人の手が加わっていない伸び放題の草に覆われ――そのどこまでも広がる緑の中に、白い野花が混じっている。

 野原の端に一人の女性が佇んでいた。胸の辺りまでもある長い草に包まれ、安らかに微笑んでいる。
 彼女が野草の上に止まった大きなキリギリスに手を伸ばすと、虫は遠くへ逃げた。
 一瞬残念そうな顔をしてから、女性はくすりと笑った。蜂蜜色の長い髪が風になびいた。それを押さえるように右手を髪に絡める。

「ヨンフェ=ジーディ! いるー?」
 ふいに、誰か別の女性の呼ぶ声がした。
「私はここよ。どうしたの?」
 蜂蜜色の髪の女性は振り返り、返事をした。

(……え?)
 認識が急に広がった。
 その瞬間に――ミスリア・ノイラートは、自分がまるで鳥の体に入っているかのように、大地を見下ろし一人の女性を眺めていた事を知った。

(どうして? これは夢……?)
 だとしても益々鮮明になっていく。野原の香りも、風に草が揺れる音も、二人の話し声も、妙に近く感じられた。

「もう! またここにいた」
 後から来た女性が長い草をかき分けながら、ヨンフェ=ジーディに走り寄る。
「ごめん。だって落ち着くの」
 遠くて顔がよく見えないのに、彼女の空気が憂いを帯びたのが何故かよくわかった。

「……まだ悩んでるの? 一人になりたかったのね」
「うん、でも気にしないで。元より『聖地』はあんまり近づいちゃいけないんだし、そろそろ戻るわ。何か用事あったんでしょ?」
「そう! そうなのよ、司祭さまが呼んでるわ。準備手伝って欲しいって――」

 女性たちの話は尚も続いたが、ミスリアはそれ以上聞かなかった。

(もしかして、私……あの女の人じゃなくてこの場所に同調した……? 聖地だから?)
 もう一度よく周囲を見回そうとしたけれど、視界がぼやけ出して、できなかった。
(でも確かに崖の上だわ。司祭さまって言ったし、もしかすると後ろに教会があるんじゃ――)

 しかしそこで思考が途切れ、夢も解けた。

_______

「ふーん、片手抱きにしたか。てか、お前左利きだったっけ?」
「逆だ。荷物は左に集中的に持って、利き手は空けておきたい」
「確かに利き手の方が何かあった時に咄嗟に使いやすいな」

 二人の男性の会話が聴こえる。多分、イトゥ=エンキとゲズゥだ。
 ミスリアの両目はまだ形を映さず、下手な絵画みたいに色がたくさん混ざり合って見える。

「ところでさー。お前、天下の大罪人とか言われてっけど。実際会ってみて――ああ、噂が一人歩きした奴の典型かなって思った」
「ある程度は、その通りだろうな」
「オレとしては一番気になるのは、どうやって二回も脱獄したんだってトコだけど」

 ミスリアは二人の会話にただ耳を傾けた。身体が異様にだるくて動けない。
 何だか揺れている感覚がする、まるで、誰かに運ばれているような。

「お前を捕まえたのってあの国際的な対犯罪組織だろ? 凶悪犯罪者の為だけに、鋼でできた鉄格子の牢獄を開発したって聞いたぜ。お前もそういうの入ったんだろ」
「機を見て看守から鍵を奪った。左目を使って」
「呪いの眼って、使えるモンだったんか」

「滅多に使わん」
「ちょっと羨ましいぜ、オレの紋様にも何か力があったらなー、ってたまに思う。どうやって使うんだ? 何で滅多に使わないんだ?」
「……そこまで説明する気は無い」
「ふむ。まあいっか」

 声でしか判断できないけれど、二人はいつの間にか随分打ち解けているようだった。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

23:25:35 | 小説 | コメント(0) | page top↑
20 あとがき
2013 / 02 / 19 ( Tue )
どうも、お頭の顔はネアンデタール系で五男坊は童顔だと思っている甲です。

続きから、20読み終わった人向け。

拍手[0回]

続きを読む

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

03:21:40 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
20.i.
2013 / 02 / 17 ( Sun )
「冗談だって。あんま大声出すなよ。魔物や猛獣が寄ってくるぜー」
 けらけら笑いつつエンが鎖を引いた。
「魔物はいいけど、野獣には出遭いたくないなー」

「どうしてです?」
 再び地に足を付けてから、五男坊が訊ねた。
 その問いに、わかってないなー、と頭を振りながらも、エンは詳しく答えた。

「動物は侵入者を襲う時とそうしない時を判断するから、駆け引きが重要になってくる。仲間や子供が隠れてるとまた色々面倒だし。魔物はどんな時も必ず襲ってくるから対応は『倒す』の一択で、楽だ」

「はあ……楽なんですか……」
 五男坊は力なく答えた。
 そうだぜー、と静かに笑いながらエンは斜面が切れ落ちる直前まで踏み出た。ポケットに片手を突っ込み、遥か下へ視線を注いだ。

「どうする? オレの記憶してる高さのままだったら、簡単に降りれるもんじゃないぜ。荷物もあるからなー、特にお前」
 エンがゲズゥの背中をチラチラ見ながら言った。

 旅に必要な物を入れたリュックしか持っていない二人と違って、ゲズゥは荷物が多かった。
 剣帯を調整し、大剣が水平になるよう左肩から提げ、右肩には必需品の入ったバッグをかけ、その上でミスリアを背負っている。それぞれ単体ではさほどの重さが無いが、こうやって合わさるとそれなりに足が遅くなる。しかもこの状態で山肌を降りるには、バランスが危うい。

「一直線に進む必要があるのか」
「や、ちょっと北西に回ればもっと斜面が緩やかなとこもあるはずだ。坊ちゃんの家に帰るにしてもそっちのが近いしな」
「送って下さるんですか?」
 明るい声で五男坊が訊く。

「まさか。あと半日もすれば道が分かれるぜ。残りの道のりは自分で行け、少なくとも山賊団はもうお前には手を出さねーだろ」
 そう答えながらもエンはもう踵を返していた。五男坊が慌ててついていく。

「……はい……。助けて下さってありがとうございました。本当にどう御恩をお返しすればいいものか……」
「オレ何もしてないぜ。お前が本当に礼を言うべきはミスリア嬢ちゃんだし」
「わかってます。でも聖女様は、まだ眠ってます。代わりに伝えて下さいませんか」

「いーけど。せめてゲズゥには言ってやれよ。オレの方が話しやすいからって逃げんなよー」
 子供を優しく叱る時の親を思わせる口調で、エンがたしなめた。
「すみません……」申し訳なさそうに答え、五男坊はゲズゥを振り返り、闇の中でもはっきりと怯えた目を向けてきた。「彼が鬼のように強いあの頭領を負かしたって聞いて……ちょっと苦手で……」

「最初あんなに縋ってたじゃねーか。ほら、拷問されてた夜さー」
「うぅ、その時のことは忘れてください!」 
 五男坊は立ち止まり、ゲズゥを向き直った。一拍置いて、ありがとうございました、と腰を折り曲げて頭を下げた。育ちの良さが垣間見える、丁寧な礼だった。

「伝えておく」
 ミスリアに、という意味合いを込めて、ゲズゥは言った。
 顔を上げた五男坊の目には未だに怯えがちらついていたが、それでも笑んでいた。

「ところで、坊ちゃんは帰ったらどうする気だ?」
 やり取りを見守っていたエンが訊き――途端に、五男坊を取り巻く空気が凍り付いた。
「討伐隊を引き連れようなんて考えてるんならやめとけ。無駄な人死にが出るだけだ。家宝を隠すとか移動させるのも、恨み買いそうだからやめときな」
 五男坊は図星をつかれたのか、黙り込んだ。

「だからそんなことより、酷い目に遭わされたっていうアンタのお姉さんを支えてやれ。ま、余計な世話かな、これは」
「余計なお世話ですよ。助けて頂いて感謝していますが、貴方があの山賊団の一員だった事実は残っています」
 怒気をはらんだ声色で吐き捨て、五男坊はさっさと先を歩いた。

 取り残されたエンが、困ったように頬をかいた。

「痛いとこつくなぁ」
「……あの男には、想像が付かない」
 ふとゲズゥが呟いた。

「んー? 生き方を選べない人間が居るってこと? ま、貴族だって、あんまり選べる余地が無いだろうけど。そういうのとは、違うよな」
 語尾に向けて、声音が暗くなった。
「ああ。後戻りができないのとは、違う」

「どう後悔したって、選んだ道の結果も、他の道を選ぶ勇気が無かった過去は消えない。後になって、向き合うのも受け入れるのも難しいんだよ」
 エンは深くため息をついた。
「ヨン姉の消息がわかったとしても、わからなかったとしても、それからオレはどうすればいいんだろーな」

「……その時になってから考えても遅くないはずだ」
 そう答えながら、ゲズゥは歩き出した。
「だな」
 相槌を打って、エンも歩き出した。

 しばらくして二人は小走りになり、足の長さもあってか、貴族の五男坊にすぐに追いつけた。
 三人は月の無い夜を慎重に進んだ。
 遠くから、獣の鳴き声が響く。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

02:50:45 | 小説 | コメント(0) | page top↑
バレンタイン効果
2013 / 02 / 15 ( Fri )
 
クリックで大きく。


みっすん 意を決して渡そうとする、の図。

バレンタインという異次元な行事に伴い、普段なら見れないようなツンデレ表情でお送りします。

なんか描いてよ~ とせがんだ私に、えびから贈り物! いぇあ!

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

01:34:57 | | コメント(0) | page top↑
ヾ(●ω●)ノ
2013 / 02 / 12 ( Tue )
ちょっとまた引っ越します。

なんか私の人生こんなんばっかだな…

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

06:26:50 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
20.h.
2013 / 02 / 09 ( Sat )
 部屋中の視線がアズリの太腿に吸い付いた。蝋燭立てのすぐ隣であるだけに、その白さは一層際立っていた。
 彼女の笑顔は、勝ち誇っているようにも見えた。
 
「まあ、いいじゃないの。ひな鳥が巣立つのを見送る親鳥の要領で、送り出せば?」
「ヴィーナ。口を出すんじゃねぇ」
 強気な口調の頭領の方へ、アズリは身を乗り出した。

「見苦しいわよ」
 軽蔑の込められた目だった。
「なっ……」
「刺された目を治してもらったでしょ。約束守れないオトコはカッコ悪いわ」

 何があっても怯まなそうな大男が、自分より一回りも二回りも小さい女に、冷たい目を向けられただけで萎縮している。

 エンが頭領に出した条件は――自分の望みを一つ叶えてくれるなら、負傷した目を治すように聖女に掛け合ってやる、だった。
 他の日であれば頭領はそんなものを笑い飛ばしたかもしれない。隻眼になったところで生活はできる。だが、あの時ばかりは事態が切迫していた。
 奴は条件を呑んだ。少なくとも、そのように振る舞った――。

「奪って生きるのは正しいことよ。でも、嫌われたくない相手から奪っても、自分が悲しいだけだわ。親子というキレイな思い出のまま、終わりたくないの?」
「おめぇが気にかけてんのは部外者の方だろぉ。何でそこまで肩を持つ?」
 苛立った質問に対して、アズリは笑みを返した。

「アナタがイトゥ=エンキを傍に置きたいように、私だってあの子たちが可愛いのよ。アイの形が違うだけ」
「愛、だと――」
「欲張らないで。十五年も居て、しかも反抗期も無かったんでしょう? 充分だわ。それ以上望んでどうするの。子供ってのは、追い詰めたら逆上するものだから。自由にさせるべきよ」
 あのゆっくりとした話し方で、アズリは威圧的な言葉を浴びせる。
「そりゃあまあ……おめぇの言うコトもわかるが……」

「姐さん、子供産んだことあるんですか」
 耐えかねたように、苦笑交じりにエンが口を挟んだ。
「どっちだと思う?」
 ふふ、とアズリは笑う。

 いつの間にか、話の流れをアズリが掴んでいた。

「一番可愛いのは自分だけど、お気に入りの玩具にだって、たまには手を貸すわ。ましてや昔なじみだもの、そのよしみで助けてあげたいの」
 アズリはゲズゥに向けてウィンクした。次いで、滑り込むように頭領の膝の上に乗った。
 ねぇ、と甘い声で囁く。

「――……しょーがねぇなあ」
 頭領は、呆れと疲れの混じった深いため息をついた。
 その答えを聞いたエンが破顔した。全身の肌に、黒い模様が浮かび広がっている。

_______

 眼前に何か障害が待ち受けているような予感がして、立ち止まった。
 踏みしめている草の感触が、サンダルの裏から伝わる。
 ゲズゥは足元を注視した。灯火の無い夜の闇では、ほとんど何も見えない。その上、今夜は新月らしい。星明かりもあまり頼りにできない夜だ。

「どした? 敵か?」
 すぐ後ろから追いついてきたエンが、小声で問うた。
「気配は無い。ただの勘だ」

 しばらく目を凝らしてみたら、数歩先の闇が濃さを増しているように見えてきた。

「ちょっと待て」
 エンは今まで通ってきた道を思い返すように、額に指先を当てて唸った。周囲の正確な地図が頭の中に記録されているらしい。
「そうか、此処は――」

「何を立ち止まってるんですか?」
 若い男の声がしたと思ったら、その男がゲズゥの横を通り過ぎた。
「あ、こら、貴族の坊ちゃん。だからそっちは」
「ぎゃあっ」

 エンの制止の声もむなしく、どこぞの貴族の五男坊とやらは、身体を宙に浮かせた。
 じゃらっ、と音がした。奴の腰にエンが鎖を巻き付けて、転落を防いだのである。

「斜面が急に切れ落ちるから気を付けろ、って言おうとしたんだ」
「すみません……ご迷惑おかけします」
「なあ、お前けっこー重いのな。オレ非力なんで、引き上げんの無理かも」
「そ、そんなあ!」
 掠れた声での、悲痛な叫びだった。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

12:23:44 | 小説 | コメント(0) | page top↑
恋愛モノの落とし穴(?)
2013 / 02 / 08 ( Fri )
どうも皆様こんにちわん( ̄▽ ̄)
長いコトゲズゥ視点が続いてますが、私の中ではこの子も十分に主役なので問題ありません。むしろ最近一番書きやすいような気さえしてくる…

ところで、これ一応恋愛要素が濃い方の物語、と宣言しているわけですが…
女性(私)が男性(ゲの子)視点から語っているわけですよね。

あずりんの胸が押しあたっている状況とか、太腿が見えているとか、唇とか舌とかそういう場面でですね、男であるから意識しているに決まってるんです。いくら鋼鉄の心臓のげっさんでもね。

だけど、私がそれを書いているわけで…… ……

はっずっ! はずいよ! 恥ずかしいよお母さん!(悶)


なのでうやむやな感じになってたらそれは100%書き手のせいであって。
まあゲズゥも鈍い方というか明確に「おお、いい胸が腕に当たってるぜ、げへへ」なんて考えが形になるタイプではないのですが。ですが、ね。

何が言いたいのかというと、何だろう! 精進します!

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

08:05:54 | 余談 | コメント(0) | page top↑
20.g.
2013 / 02 / 07 ( Thu )
「まだ儂を疑ってんのか、おめぇは」
 短く剃られた髪に分厚い掌をこすっている。動作に苛立ちがにじみ出ている。
「白々しい。十五年、否定も肯定もしなかったくせに」
 そう答え、エンの顔から表情が消え去った。

 二人はまるで周りに誰もいないかのように話し込んでいる。実際はアズリやゲズゥたち以外にも四人居た。全員、テーブルを囲って座る気になれないのか、壁を背にして立っている。
 頭領の後ろに控える体格の良い二人はものものしい雰囲気を漂わせ、一方でエンの後ろの二人はハラハラしながら視線をさまよわせている。

「確信を得るに十分な材料が無くたって、アンタを憎むには足りた」
「儂はおめぇを引き取って育てた。後ろめたいモンがあったらやらねぇだろ? わざわざそんなコト」

 ゲズゥはあることを連想した。
 世の中には、子持ちと知らずに雌狼を退治し、後に罪滅ぼしのつもりでその子供を育てる物好きな人間も居るらしい。この巨漢がそんな人種とは思えなかった。

「後ろめたさを感じるような人だったん? つっても、育ててくれたのは一応感謝してるぜ。おかげで、この歳まで生きられた。でもそれと家族を奪われた恨みは別モンだ」
 その時ゲズゥは、エンの言葉に妙な引っ掛かりを感じた。
 確かに険しい世の中を子供が一人で生き抜くのは困難だが――ゲズゥの実経験が十分に証明している――それだけで、「この歳まで生きられた」と表現しないような気がする。

 しかしそんなことよりも、エンが頭領を家族の仇と認識していることが明らかになった。
 涼しい顔のアズリ以外の人間が、新事実に驚愕している。

「お頭が、アニキの家族を奪ったって、どういうことだ……!? 殺したってコトなんか?」
「知らねぇよ! オレだって初耳だっつーの! アニキのことは、ガキの頃に拾ったとしか……」
 エンの後ろの二人が小声とは言えない音量でひそひそ話をした。
 頭領の後ろの二人は微動だにしないが、平静を装うのが巧いだけで、以前から知っていたとは限らない。

「誰を恨んだとしても死人は返らないぞ」
 外野の動揺を全く気に留めない様子で、頭領が冷ややかに断言した。
「わーってるよ。だからオレもアンタを殺そうなんて考えちゃいない。ま、ちっさい頃は何度か寝首かこうとして返り討ちにされたけどな」
 言い方は軽いが、紫色の瞳には憎悪が浮かんでいた。

「そうだったなぁ、懐かしい」
「ぜーんぶ、無駄なあがきだったな。どっちみち、オレは頭を殺して……山賊団を、こんな大勢の人間の人生をめちゃくちゃにする度胸も無いんだ」
 これでも仲間だし、と背後の二人に向けて呟く。二人の男は嬉しそうに頷いた。

「ほう」
「だから、出てくだけにしとく。オレにつけてる監視を外せ。そんで二度と関わるな」
「……何で、今になって出てく。ソイツらの為か?」
 頭領が大きくため息をついて、目配せでゲズゥを指した。

「きっかけを待ってた」
 エンは頭領の視線から顔を逸らした。
「もう何を言ったって無駄だし、取引は取引だ。オレは山脈を出てくぜ、ゲズゥとミスリア嬢ちゃんと一緒に。どうしてもダメだってんなら……」
「ダメだってんなら、何だぁ?」
 頭領は白の混じった薄茶色の髭を撫でた。

 ただでさえ涼しい部屋の気温が、更に下がったような感覚があった。テーブルを挟む両者が睨み合いになり、会議室が不穏な空気に包まれた。

 ――関与したくない、けれどもエンを見捨てるのは得策ではない。事態がこじれたらこっちを解放する約束も白紙に戻されかねない。
 ゲズゥはミスリアを抱える手に僅かに力を込めながら、考えた。
 そもそもこの頭領がエンに執着する理由が不明瞭だ。いや、理由があると仮定するのが間違いかもしれない。

 数分かけてもこれといった案が浮かばなかった。ゲズゥは試しにアズリの方を一瞥した。
 すると期待通り、空気が凍りかけている部屋で、彼女だけが動いた。

「血気盛んだわねぇ」
 トン、とアズリは石のテーブルの上に腰をかけた。次いで足を組むと、衣が翻り、白い太腿が現れた。
 あれだけ裾が長いというのにどうやって脚を見せたのか、器用な座り方だ。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:54:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
20.f.
2013 / 02 / 06 ( Wed )
 ぽたっ、とどこかで水滴が天井の鍾乳石から滴っては、地面で弾けた。
 アズリの形のいい鼻が頬をかすめた。

「旅の道中、何を見て、聞いて、体験したのかしら? 誰かの生き方に感化でもされた?」
 右耳のすぐ近くに放たれたその一言をきっかけに、今までに関わった面々が脳を流れ過ぎた。

 迷いながらも何か目に見えないモノに立ち向かおうとする小さな聖女。目的を達成する為に、進むべき道を模索し続ける聖人。夢を抱いて命尽きた赤毛の少女と、その遺志を汲もうとする、魔物狩り師を志す少年。高みを目指して飽くことなく進むオルトや、奴に心酔して付き従う元・女騎士。或いは、己の目指す場所を見失って迷走した司祭でさえ、ゲズゥに影響を与えたというのだろうか。

「心当たりがあるのね」
 ゲズゥは無言で瞬いた。アズリの指の背が、頬を撫でる。

 ――わからない。
 誰も彼もが理解しがたく、自分とは異質な世界に生きているのだと割り切っていた。
 割り切っていた、が。他人の在り様を眺めつつ「何故?」と疑問に思う頻度は、近頃上がっているように思えた。ことミスリアに関しては特にそうだ。

「波紋が広がってるわ」
 主語が省かれたので、どういう意味か想像した。――「風無き日の水面が如く揺らぎを知らなかった心に、波紋が広がってる」――?
 サファイア色の双眸に慈しみの色が過ぎったように見えたが、次の瞬間には消えていた。

「それがアナタの今後の人生をもっと豊かにするのか、それとも辛くするだけなのか、私にはそこまで予想がつかないけれど、ね。好きなだけもがけばいいわ」
 しゃらん、と腰回りのアクセサリーを鳴らしてアズリが身を翻した。
 すっかりゲズゥへの興味が失せたかのように、すたすたと歩き去ってゆく。十ヤード先で止まり、こちらに手招きしてきた。呼ばれるがままに、ミスリアを両手に抱えたまま、ゲズゥは歩み寄った。

「そろそろお邪魔するわよ」
 布で仕切られた入口に向けて、アズリが声をかける。
「おう、ヴィーナか。入っていいぞ」
 あの頭領の野太い声が、カーテンの向こうから響いた。

 優雅な仕草でカーテンをどけて、アズリは部屋に入った。ゲズゥが一歩遅れて続いた。
 会議室の役割を担う部屋なのだろう。長方形に削られた、大きな石造りのテーブルが空間をほとんど占めている。
 テーブルの中心に高価そうな蝋燭立てが置いてあった。樹木みたいに大元から枝分かれした形で、十本もの蝋燭が使われている。

 長方形テーブルの両端に――頭領は胡坐をかき、エンは片膝を立てて、それぞれ座している。
 どちらも微妙な笑顔を面(おもて)に張り付けていた。エンは先程の状態が納まったのか、模様が左頬だけになっている。

 闘技場で勃発した乱闘が収まってからも諸々の後始末があったらしいが、ゲズゥ自身は傷の手当や着替えを済ませて、遅い朝食を摂っていた。
 山賊団の問題に関与する気は毛頭なかった。誰かが絡んできても、丸きり無視してやった。
 そうしてミスリアの様子を見つつ通路の隅に座り込んでいた時に、アズリの取り巻きに呼ばれたのである。あの二人の「取引」の結末を見に来い、と。

「気は変わらないのか。イトゥ=エンキ」
 何か落ち込むことがあるのか、頭領の声音は重苦しかった。
「無理。今更だと思うかもしんねーけど、オレはココにいられないんだよ。理由は、知ってんだろ」
 これまで頭領には丁寧な口調を使っていたエンが今は砕けた言葉で、答える。

 どうやらエンの離脱が会話の論点らしい。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

16:08:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
20.e.
2013 / 02 / 04 ( Mon )
 腕の中の少女を見下ろした。一見眠っているようで、実際は力尽きてぐったりとしている。
 ゲズゥは左手を肩、右手を彼女の膝裏に回してそれぞれ支えていた。ミスリアの栗色の髪が幾筋か顔にかかっていて、口元を覆い隠している。

 頭領との交渉が落ち着いた直後に、ミスリアは倒れた。
 おそらくは聖気を使ったことに関係ありそうだが、あの決闘から数時間経っても、一向に意識が戻る兆しはない。
 果たしてこれが深刻な問題に展開するかどうか、気がかりである。

 ふいに顎をつままれた。

「どこ見てるの。目の前にこんなイイ女が居るのに、無視するなんてひどいわ」
 ずいと顔を近付けたアズリが、すぼめた唇で文句を垂らした。日頃の冗談よりも真実味のある言葉に、ゲズゥは違和感を覚えた。
 熱い吐息から香る、甘酸っぱさに混じった独特な匂い。それを嗅いだ途端、察した。底なしに酒に強いアズリが酔いを表す程、グラスの中身は濃い酒といえよう。

 アズリの右手がゲズゥの頬にそっと触れた。
 柔らかい指の温かさが、背に触れている硬い壁の冷たさと対照的だ。

「アナタは初めて会った時から、不思議で、面白い子だったわ。一緒に生きることは無いでしょうけど、それでも一時でも私たちの道が交差して、楽しかった」
 うっとりと、懐かしむ目だった。これも、真実味を帯びた物言いに思える。

 ゲズゥは特に返す言葉を持っていなかった。あの思い出はあまり楽しいと形容できるものではなかったし、もう一度戻って選び直せと言われたら、今度は関り合いにならない方を選ぶかもしれない。どちらでも大して変わらない気もする。
 そしてこの絶世の美女が自分をどう思っていたか、前々から感じ取っていた。

「……私は自分の生き方が気に入ってるわ。変えるつもりは無いし、その必要も無いと思ってる」
 そう言ってアズリの美貌が更に接近してきた。

 背後が壁なので後退ることはできない。左右にアズリの取り巻きが佇立してるので横へ逃れることもできない。ミスリアを抱きかかえたまま飛び上がるのも楽にできない。
 が、次に起きることを逃れたり拒まなかったりした一番の理由は、意識のどこかでそれを求めていたからだろうか。

 首を屈めて瞼を下ろした。

 押し寄せてくる、女の微香。
 頬を撫でる手よりも柔らかい感触が、唇をかすめた。次いで湿った舌が上唇をなぞってきた。応じて舌を絡め取ると、酸味がした。少し遅れて甘い後味が口の中に残る。

 四年前――つまらない世界を漂って生きていただけの自分に、アズリの存在はやけに鮮明に焼き付いたのだった。
 ――この女も、漂って生きているから?
 自分と違って、やたらと楽しそうにではあるが。

 熱情に憑かれていなかった時はこの包み込まれるような心地良さを求め、強く惹かれた。
 総て錯覚だったと後になって理解したが、甘美な錯覚であると、今でも認めざるをえない。

 こうしている間もアズリの取り巻きは何一つ干渉して来なかった。しばらく、無心に唇を重ねた。
 ようやく少し隙間を開けると、まだ大分顔を近付けたまま、アズリはくすりと笑った。

「昔からアナタはどこか空虚な印象があった。その場その場で生きていた感じかしら。生に執着があったとしても、生きる上での選択肢に対しては、無かったのでしょう」
 的を射た指摘だ。

「効率がよければ、どんな生き方でもいいと思っている節があった。でも再会したアナタは少し違う。雰囲気そのものは変わらないけれど、潜在的な場所で、執着が芽生えた。それか、長く諦めていた何かにまた手を伸ばそうとしているのかしら」

 笑顔で囁いたアズリを、ゲズゥは片眉を吊り上げて見つめ返す。
 よく人を観察している女だ、と思った。
 ゲズゥ自身ですらほんやりとしか認識できなかった感情を、次々と言い当てている。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

16:06:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
前ページ| ホーム |次ページ