23.d.
2013 / 06 / 13 ( Thu ) どうして人混みに揉まれていたのか、向かう場所があったのかそれともふらふらと目的地も無く暇を潰していたのか。訊ける前に彼の方が先に問いを振った。
「どっか行くん?」 「鍛冶工房と武器屋」 これにはゲズゥが答えた。 「マジでー、いいなソレ。オレも行く」 「あの! その前にちょっと」 ミスリアは思わず声を上げた。この流れのままに進む前に、伝えるべきことがある。 「ヨンフェ=ジーディが探していましたよ。血相を変えていたと言ってもいいでしょう」 その先を、戻ってきたラノグが告げた。心なしか責めるような声音だった。 「へえ。そりゃ悪いことしたな、後で謝っとくよ」 対するイトゥ=エンキは含みのある笑みを作った。紫色の双眸を明らかな拒絶の光が過ぎる。まるで「身内の問題に他人が口出しするな」とでも言いたげだ。 「……なら、いいのですが」 ラノグは食い下がらず、むしろ気圧されたように僅かにたじろいだ。 「で、武器屋に行くんだって? オレも連れてってくれよ」 打って変わって、イトゥ=エンキの雰囲気が明るくなった。束の間張り詰めてた空気が和らぐ。 「…………そうですね。この道です。ついてきてください」 まだ何か言いたげな、複雑そうな表情を浮かべつつも、ラノグは一同を先導した。 _______ 南端に並ぶ店の背後。緑茂る坂を下りた先に、一軒だけ建物がポツリと建っていた。 街から少し離れているのはおそらくはあの煙突から上るおびただしい煙が人の迷惑にならない為だろう、とゲズゥ・スディルは考える。 灰銀色の屋根とベージュ色に塗られたレンガは薄汚れ、街中の建物より全体的に華やかさで劣る外観だが、二階建てで広そうではある。 ハンマーが何かを叩く音が外にまで響いている。 これでは扉にノックをしたところで聞こえやしない、ということで全員はそのまま入口から入った。鍵はかかっていなかった。 工房の中心にて鉄を鍛える初老の男がいる。 「師匠、おはようございます! 昼前に起きてらっしゃるなんて珍しいですね!」 「おう、ラノグか。よく来たな。死んだ女房に怒鳴り散らされる夢見て、目が早く覚めただけじゃい」 ハンマーを下ろす手を止め、鍛冶職人は前歯の抜けた笑みを返した。その背後で、加熱炉の炎が激しく燃えている。おかげで屋内の温度はなかなかに高かった。 「んで? 客か、さっさと紹介せんか、バカ弟子」 「バカは余計です。えーと、こちらが巡礼の聖女様と護衛の方。こちらは……」弟子の男はエンに顔を向けて、口ごもった。「お二人と一緒に来た方で、まあヨンフェ=ジーディの弟さん? だそうですけど……?」 「ほお」 「よろしくお願いします。ミスリア・ノイラートと申します。それから、私の旅の護衛のスディル氏です」 スカートを広げる礼と共にミスリアは自己紹介をした。隣でゲズゥは特に何もしなかった。 「どーも。オレはイトゥ=エンキってんだけど、ヨロシク」 エンは片手をポケットに突っ込んだまま、空いた片手を振った。 「ほお、ほほお。聖女様、しかも可愛いお嬢さんは大歓迎だ。よろしくよろしく。にしてもそっちの兄ちゃんは顔にすごい刺青じゃな」 長いあごひげを撫でながら、値踏みする目で鍛冶職人は来訪者を一人一人見回した。 「コレは生まれつきですよー」 「生まれつき? ソイツは傑作じゃ」 何がどう傑作なのかよくわからないが、エンと職人が笑い出したので弟子もミスリアもなんとなく合わせて笑っている。 「さぁて。今日は何か特定の用向きでもあるんかいの。そのバカデカい剣なんてどうじゃ。鞘が無いのかね」 職人は腕を組んでゲズゥを見上げた。正確に言えばゲズゥの背中の大剣を凝視している。 ゲズゥは剣を下ろし、巻いてある包帯を手早く解いた。 刃が露わになった途端に職人とその弟子が真剣な面持ちになって近付いてくる。 「こりゃあ見たことの無い型の剣じゃな。しかも鉄も珍しい……」 指を刃の上に滑らせたりしている。 「こことか、所々に綻びが見えますね。修理しますか?」 弟子の方が顔を上げて訊ねる。 「ああ。いくらかかる」 金の管理をしているのはミスリアであるにも関わらず、ゲズゥは真っ先にそれを訊いた。 「まさか、受け取れませんよ。巡礼中の聖人・聖女様方からはお金を取らないのがナキロスでの原則です」 弟子は意外な返事をした。 |
ぱちぱち
2013 / 06 / 11 ( Tue ) |
23.c.
2013 / 06 / 08 ( Sat ) 弟と言っても二十六歳の成人男性のことだ。普通なら、一晩姿を見なかったくらいでここまで気にかける必要は無いはずである。しかしこの姉弟は十五年も離れて生きていて、突然再会したばかりだ。決して普通とは言えないだろう。
「大体、身体が弱いのに一人で街中をふらついていいはずが無いんです」 「あ、そのことでしたら、もうすっかり健康になったそうですよ」 彼女のただならぬ気の揉み方に別の理由が垣間見えた気がして、ミスリアは思わず言った。 「強がりではなくて?」 ヨンフェ=ジーディが訝しげに眉根を寄せる。 「はい。実際、旅の道中も涼しい顔で長い時間ずっと走っていましたし」 「そう、ですか」 彼女は考え込むように口元を指先で押さえた。きれいな形に切り揃えられた爪が目に付く。 (改めてよく見ると、イトゥ=エンキさんにどこもかしこも似てない) 髪や瞳や肌の色だけでなく輪郭や顔のパーツですら似ている箇所が無い。唯一共通しているのは、紋様の一族である点だけだ。ここまでだと、いっそ血が繋がってないのかな、などとも考える。 ふいに背後で扉が開く音がした。皆の注目がそちらに集まる。 「……もしも街中で奴に会ったら、お前が探していたと伝えておく」 振り返らずにゲズゥが無機質に言った。その言葉をきっかけに、ラノグも動き出した。 「じゃあそういうことだからヨンフェ、また後で」 「わかったわ……。気を付けて」 頷いたヨンフェ=ジーディに、ミスリアは会釈した。 教会を出て通りに出るとラノグが申し訳なさそうに笑った。 「すみません、聖女様。ヨンフェは元から心配性なんですけど、今回はなんていうか……特別なんでしょうね」 「気にしていません。それだけ彼女は思いやりが深いのですね」 「そう、そうなんです」 彼はとても嬉しそうに破顔する。なんとなくこっちも嬉しくなってきて、笑みをこぼす。 ミスリアとラノグは並んで道を歩いた。大剣を背負ったゲズゥが無言で数歩後ろをついてきている。 レンガに舗装された道の手入れが行き届いていて歩きやすいことに、なんとなくミスリアは気が付いた。 「何を隠そう僕は行き倒れていたところを彼女に救われまして」 「行き倒れたのですか?」 「はい、その時は一人旅をしていて、この町に辿り着いて間も無く体力が尽きたんです」 「大変ですね」 「そうですね。でも皆さまの優しさに救われた、という大切な想い出なので……」 ラノグは急に手を広げて町並みを指した。 「この町、ナキロスは美しいでしょう?」 彼の動きに吃驚した鳩がパタパタと飛び交う。 美しいか、と訊ねられてミスリアは周囲に視線を巡らせた。 辺りの建物の輪郭が青い空にくっきりと浮かんでいる。黒または灰色の屋根が白とパステルカラーの外装の建物たちによく似合っていたし、植物の緑に彩られたベランダや丸く可愛い窓の形まで、すべて丁寧に設計されたのだと素人目にもわかる。 外観だけではない。設備がしっかりしているのだろう、汚水の漏れや汚臭も無い。町の清潔は生活水準の高さと結び付きが深いものだ。 この町は西に断崖、東に樹海と地理的に孤立していながらも栄えている。それはヴィールヴ=ハイス教団が多方面で支援しているからであって、一方で国家からはある程度の自治権を認められているらしい。 「確かに素敵だと思います」 (きっと美しいのは見た目だけじゃなくて) |
えびに素敵な淡い色合いのらくがきもらいました
2013 / 06 / 05 ( Wed ) ミスリアはどこか居心地悪そうに辺りをきょろきょろと見回し――ある壁の前で唐突に表情が翳った。 |
23.b.
2013 / 06 / 01 ( Sat ) (昨夜から姿を見ないと思ったら……樹の上で寝たのね……) 祭壇の前で泣き崩れる所を見られた所為で気まずいかも、と心のどこかで心配していたけれど、おそらくゲズゥは気に留めていない。だったら、一方的に気にしても仕方のない問題だった。 「それで一言『かわる』と言って斧を取られました。おかげで休憩できましたよ」 (いつもと同じ無表情なのに。どうしてかな、ちょっと楽しそう) 「さて。そろそろまた僕がやりますよ。あと少しですね」 (あ、コップ一つしか持って来てないわ) ゲズゥはコップではなく水差しを片手に取った。それを頭よりも高い位置に持ち上げ、上向きに首を傾け、開いた口にとくとくと水を注ぎ込んだ。注ぎ口に触れることなく。 「き、器用な飲み方ですね」 「町に?」 「鍛冶屋ですか」 「行きます。ラノグさんも、是非、ご案内お願いします」 数十分後には割り終えた薪を纏めて教会の中に持ち込み、三人は町に出る為に正面玄関に向かった。 「どこ行くの?」 「やあ、ヨンフェ。少し早いけど、鍛冶屋の方に行くよ。聖女様方も行きたいそうだし」 「ねえ。イトゥ=エンキを見なかった? あの子、昨日はどこ泊まったのかしら……晩餐にも来なかったわ」 昨晩、イトゥ=エンキが「町に消える」や「晩御飯を適当にどこかで食べる」と言っていたことは伝えるべきだろうかと迷う。本人は、あまり追われたく無さそうだった。 「朝は一瞬だけ聖堂に居たって司祭様の証言があるのだけれど。逃げられている気がするのはどうしてかしら」 「聖女様、お願いです。昨日は訊けなかったけど、教えて欲しいことがあります。イトゥ=エンキとはどうやって出会ったんですか? どうして一緒に旅をしてたんですか? あの子は今までどこで何をして――」 |
長い名前
2013 / 05 / 31 ( Fri ) ファンタジーとか古代史もの読んでて思った。
名前のリズムって大事だよね。 かの有名なピカソのフルネームですら、自然な区切りというかリズムがあるがゆえに言いにくいとは別に思わないけど、古代日本名で いもよろずはたとよあきつひめのみこと とか見て、これはどう区切って発音するのだろう? とものすごく頭をひねった私がいます。 発音しにくい・リズムが無い、となると覚えにくさがかなりUPします。私の中では。 まあ、上記の登場人物は通称「とや」だけどさw ちなみに、マダガスカルの過去の王 Andrianampoinimerina もまたすごい区切りにくそうなニオイだよね。うぃきぺでぃあの記載によると アンドリアン・アンポイン・イメリナ になるらしいけど、果たしてどうだろうか。 |
着せ替えミスリア2
2013 / 05 / 29 ( Wed ) |
ぷち修正
2013 / 05 / 24 ( Fri ) ちょっと思い直して時計塔の屋根の色を灰銀にしました。
私(と本編)の中でのつじつま合わせなので、別に深い意味というか意味は無いです。 どうでもいいけど最近天気が良くて風が気持ちいい^p^ ミスリアの世界は文化が中世欧州寄りですが、天候や植物・動物などの「自然」は北米をモデルにしています。 |
23.a.
2013 / 05 / 21 ( Tue ) 時計塔の鐘が鳴り終わるまで、ミスリア・ノイラートは灰銀色の屋根の塔を見上げて待った。 十回鳴った後で音が止まる。 その余韻がまだ耳朶に残っている内に、ミスリアは目を瞑って一呼吸した。 日差しが心地良い。どこからか風に乗って伝わってくる焼き立てのパンの匂いが香ばしい。足元で、鳩が食べ物を求めてレンガの道を突く音がする。 通りを行き交う人々の声に、雑踏に、活気が溢れていた。こうしていればその活気を分けてもらえる気がした。 (よし。私も一日頑張ろう) 両手で頬を軽く叩いて、ミスリアは目を開いた。 「おはようございます、聖女様」 開いた目に入ってきたのは黒い服と銀のアミュレット。真正面に、いつの間にか誰かが立っていた。聖女の制服を着ていないのにそう呼ばれたからには、知り合いなのだろう。 ミスリアは目線を上げて、茶色の巻き毛と垂れた耳たぶが特徴の、昨日出会ったばかりの中年男性を認めた。 「おはようございます、神父さま」 「まだ寝ているものかと思っていました。疲れていらっしゃるでしょう」 神父は元々細い目を更に細めて、のほほんと笑った。 「いいえ、そんな訳には」 ミスリアは頭を振った。 この町の朝は早く、既に一日が始まってから数時間経っている。旅の疲れがあったものの、周りより起きるのが遅かったことに対してミスリアは何故か申し訳ない気持ちになっていた。 「そういえば神父さま、聖地へご案内していただけませんか?」 思い出したようにそう訊ねると神父の笑顔が揺れた。 「聖女ミスリア、それはいけません。週の始めの赤期日と言えば聖職に携わる者にとっての正式な休日。今日は、のんびりと何もしなくて良いのですよ」 「で、でも……。ではせめて何かお手伝いします」 何もしなくていいと言われると余計に戸惑う。 教会に住んでいる人間は休日を利用して家事やら買い物やらに忙しいのに、自分だけ何もしないのは気分が落ち着かなかった。 「それも、いけません。貴女様は大切なお客様です。お手を煩わせるなど」 口元をむっと引き結んで、神父は取り合わなかった。 「私が望んでいても……ですか」 「困った言い方をしますね。では、そうですね。庭の方で薪割りをしていらっしゃるラノグさんに飲物を持って行って下さいませんか」 「勿論構いません」 ミスリアは笑顔で請け負った。 そうして、水差しとコップとスコーンの乗ったトレイを持って裏庭に向かうことになった。 庭は広く、ずっと先まで見渡せばやがて庭から野原に変わり、そして緑が途絶える。あそこが聖地たる崖なのだろう。いずれゆっくりと見て回る必要があった。 右へ進み、斧が木を打つ小気味良い音を辿って、ミスリアは探し人を見つけ出した。 しかし彼は木の株に腰を下ろしていた。ミスリアに気付いて顔を上げ、明るく手を振って来る。 「聖女様! おはようございます。いいお天気ですね」 「おはようございますラノグさん。休憩中なら調度良かったです、お水とお菓子をどうぞ」 ミスリアは薪割りを続行するもう一人の人物の姿に驚きながらも、まずは挨拶した。 差し出されたトレイをラノグが受け取ると、ミスリアは水差しからコップへと透明の水を注いだ。 「有り難いです。いただきます」 ラノグは夢中になってスコーンの山を一個ずつ崩し始めた。その間も、すぐ隣で薪が割られる音は続いた。 しばらくしてミスリアは薪割りに没頭する長身の青年を振り返った。 脱いだシャツを腰に巻いて、青年は傷跡だらけの褐色肌の上半身を日に晒していた。どれくらい作業をしていたのだろうか、黒髪から汗の粒が滴っている。 苦笑しながら、ミスリアはラノグに小声で問うた。 「……ところで、どのように誘って彼の協力を得たのですか?」 「僕から誘ったワケでは無いですよ。ここで薪を割ってたら降ってきたんです。えーと、ちょうどあの辺りの樹の上から」 ラノグは近くの大樹を指差して答えた。 |
22 あとがき
2013 / 05 / 17 ( Fri ) |
22.g.
2013 / 05 / 17 ( Fri ) ミスリアの顔に安堵の色が広がるのを目の端で捉えた。 一方、優男教皇は胡散臭い笑みを浮かべている。 「そうですか、失礼しました。なにぶん少数民族に関する情報が少なすぎますから。聖女ミスリアは息災そうですし、私は護衛である貴方に感謝こそすれ責め立てる理由はありませんね」 そう言ってやっと手の力をいくらか抜いた。 奴はまだ何か訊きたそうな目をしていたが、ゲズゥはその隙に手を引いた。これ以上の会話をする気は無いとの意思表示で顔を逸らす。 一瞬、黒い兄弟から鋭く睨まれた気がした。 「では、そろそろ私は皆に挨拶をして回ります。また後ほどお会いしましょう」 意思が通じたのか、教皇は裾を翻してすたすたと聖堂を後にした。兄弟がその後ろに続く。奴は結局何の為に聖堂に寄ったのか、これではまるで雑談をしに来ただけである。 残った三人の間に数秒ほどの沈黙が訪れた。 「じゃあオレは町にでも消えるかな」 と言ってエンも出入口に向かい出した。 「イトゥ=エンキさん? 晩御飯はいいのですか?」 「パス。適当にどっかで食ってくるから」 「そうですか……」ミスリアは残念そうに俯き、次いで何か思いついたように顔を上げた。「余り分があったら夜食として出しっぱなしにされると思います。後で、誰も居なくなった時にでもどうぞ」 「おー、気が向いたら寄っとく」 振り返りざまに一度笑ってから、エンは音を立てずに去った。 おそらく姉を避けたい理由が口で言った以上にいくつもあるのだろう。事情は詳しく知らないが、複雑な心境であることは間違いない。ミスリアもそれを察し、寂しそうな表情を浮かべるも引き留めようとしなかった。 しばらくして、脱いだ手ぬぐいを両手の間に折ったり広げたりして、少女は何か言いたそうに視線を彷徨わせた。 「大丈夫ですか」 ミスリアがゲズゥを見上げて訊ねる。 「何が」 思い当たる節が無くて思わず訊き返した。 「……その眼の話をするのは、好きではないのでしょう?」 伏し目がちに、静かな口調でミスリアは言った。 「群れのボスより、俺を気遣うのか」 気が付けばそう答えていた。 「ボスって、教皇猊下の事ですか? それは……立場も大事ですけど。身近……な人間を思いやりたいですから。ゲズゥを私の旅に付き合わせて、嫌な想いをさせたかった訳ではありませんし……」 遠慮がちに答える少女を見下ろし、ゲズゥは得体の知れない優越感を覚えていた。 頂点に立つ上司よりも優先してもらえたから? 「身近」と言ってもらえたから? ――わからない。実に、得体の知れない―― 「気にするな。ああいう誤認には慣れている」 「……本当に?」 上目づかいで茶色の瞳が見上げてくる。 「一族も別に正そうとしなかった。『呪いの眼』と自称していたのは、ソレを持って生まれた人間が呪われているからだ。最初から、他人を呪う力など無い」 だったら「呪われた眼」と呼ぶべきだったかもしれない。先祖の考えた事はわからない。 「なら……理不尽な差別に怒らないのですか……」 「無意味だ。何を主張した所で、見た目が気味悪いのは変わらない」 「私は綺麗だと思います」 「お前は少数派だ」 そこで、会話がぱたりと止んだ。 ミスリアはどこか居心地悪そうに辺りをきょろきょろと見回し――ある壁の前で唐突に表情が翳った。 何を見たのだろうかとゲズゥは視線を追う。演壇から見て左隣の壁だ。台の上で蝋燭が列になってびっしりと並べ置かれている。蝋燭は全部に火が点いていない。 急に我を忘れたように、滑るように歩いてミスリアはその台を目指した。ゲズゥは動かずに、目だけで後ろ姿を追った。 蝋燭の一本一本に、銀細工のリングみたいな蝋燭立てが付いていた。何か彫られているのだろうか、ミスリアは指先でそれらを夢中で確認している。 やがて目当ての一本を見つけ、白い指はある一本の蝋燭の前で止まった。ミスリアは片手で口元を覆い、空いた手をマッチ箱へ伸ばした。震える手で蝋燭に火を灯す。 ことん、と音を立ててマッチ箱が戻された。 少女はしばらく揺れる炎を見つめていた。 次には両手を絡み合わせ、祈る姿勢で何かを呟いていた。それもしばらくして崩れる。ミスリアは力なく床にへたり込んだ。頼りなく細い肩が激しく震えている。 すすり泣きが、聴こえた。 |
22.f.
2013 / 05 / 15 ( Wed ) 顔を上げ、ミスリアは差し伸べられた手を小さな両手で口元に引き寄せ――教皇の右手の中指に嵌められているごつい指輪に口付けを落とした。 ゲズゥは片眉を吊り上げた。男が女の手にキスするのはそれなりによく見る挨拶だが、女が男にそうする場面は初めて見たかもしれない。 「よくぞ無事にここまで辿り着けましたね。安心しました。貴女は世に出た聖人聖女たちの中でも最年少ですし、何かと気がかりで」 教皇は子供か教え子にするように少女の頭を優しく撫でた。ミスリアはくすぐったそうに身じろぎする。 「ありがとうございます、猊下。苦難あれど、何とか旅を進めています」 ミスリアの返答に教皇は満足げに微笑むと、今度はゲズゥへと眼差しを移した。振り向く際に、低い位置で一つにくくられた髪が揺れた。 「左目がうまいこと黒い前髪に隠れていますけれど、貴方がゲズゥ・スディル氏ですね。お初にお目にかかります、私はヴィールヴ=ハイス教団を代表する者の一人。位は教皇。聖女ミスリアがお世話になっております」 優雅に一礼してから教皇は右手を伸ばした。数フィート離れているというのに、まさか握手しに来いとでも言いたいのだろうか。ゲズゥは微動だにしなかった。 「ちなみに指輪にキス、は信徒の挨拶。信徒じゃないなら握手でいいんだよ」 エンが楽しげに耳打ちしてきた。 「教皇っつーと最高責任者だな。そいつの握手を拒むのって、スッゲー失礼だと思うぞー? 従者の黒い兄弟に刺されるかも」 そういうエンも失礼な口を利いていたはずだが、特に問題ないのか、教皇や兄弟からの反応は無い。 「俺に礼節を重んじろと」 「ココの飯食うつもりなら重んじた方がいーんじゃねーの。ミスリア嬢ちゃんの生活費とか教団からもらってんだろーし。お前も世話になってんじゃん?」 声を小声から普通の音量に戻し、エンは肩をすくめた。 「貴方の釈放を許可したのも私ですけれどね?」教皇がにっこり笑う。「おかげさまで対犯罪組織の怒りを買ってしまいましたよ。とはいえ元々あの組織もシャスヴォル国もいちいち過激です。死は本当の意味では贖罪になりえませんのに」 「…………」 どうやらこの男は死刑に対して反対のスタンスを通しているらしい。だからこそ「天下の大罪人」の釈放に繋がったのだろうが、それでも礼を言う気になどならない。 ゲズゥは沈黙の内にいくつかの事項を考慮し、主にエンの意見を取り入れて噛み締めた。 この優男教皇と友好関係を築いた方が今後動きやすそうだろうという結論に至り、重い足取りで教皇の前まで歩いた。顔を見ずに、奴の骨ばった細い手に己の手を重ねた。想像通りの弱い握手が返ってきた。 「時に、スディル氏」 何故かシーダーの香りが鼻をかすめた気がしたのと同時に、教皇の握手に見た目からは想像できない強い力が加えられた。反射的に抵抗しかけ、思い直して力を抜いた。相手の骨を折る結果を招きかねない。 「経過はどうです。貴方にとってどのような行路であるのかは存じませんけれど、我々の大事な人財に、まさか呪いをかけたりはしていませんね?」 脈絡の無い問いかけにゲズゥは教皇の白い顔面へと目線を上げ、瞬いた。 ――旅の途中でミスリアに呪いをかけたりしていないか――? 普段のゲズゥならば馬鹿馬鹿しいと一蹴するか無視するような、くだらない質問である。 そんな心配をするぐらいなら最初から釈放を許可しなければいいだろうに。そもそも「呪いの眼」という呼び名から派生する誤解と迷信を信じているなら、当人に面と向かって訊けないはずだ。冗談に過ぎないのか、教皇の意図が掴めなかった。 ところが優男の鮮やかな青い双眸や掌を圧迫する握力が、何故か言い逃れを許さない雰囲気を湛えている。意図が何であれ半端な答えに納得するとは思えない。いっそ今からでも無視してやろうか、と奴の顔から視線を外した。 不安と気遣いに表情を曇らせる少女の姿が目に入り、ゲズゥはしばらくミスリアの茶色の瞳を見つめて更に思考を巡らせた。 気遣いの心が何を意味するのかはわからない。ただ、他でもないこれからも一緒に旅を続けなければならない聖女に、こっそりと化け物と疑われるのは面倒ではある。 「…………思い過ごしだ。左眼に他人を呪う力は無い」 やがてゲズゥは、これまでぼかし続けてきた問題について、今は真実を答えるべきだと判断した。 |
22.e.
2013 / 05 / 11 ( Sat ) 「お二人とも凛々しいお顔立ちですね」 突然、感心混じりに男が述べ――そう思いませんか、と後ろについてきた二人の長身痩躯の男を振り返った。黒ずくめの男二人は最後列のベンチの後ろに直立して控えている。双子か兄弟だろうか、よく似ていた。兄弟は意見を挙げずにただ頷いた。 「それはどーも」 煙を吐きつつエンが不敵な笑みを浮かべる。 前を向き直り、へにゃり、と華奢男は頬を緩めた。どこか気の抜けた笑い顔が、益々男臭さを遠ざける。ただでさえ眉毛が細く、肌がキレイすぎる。この男の顔にはニキビや日焼けの痕もシミも見当たらない。そのためか年齢が推測不能だ。 腰上に巻かれたスカーフのような絹をなびかせ、男は歩み寄ってきた。教団の象徴を象った巨大なペンダントをかけている。人間の掌より全長が長く、嵌められている紫水晶も雀の卵と同等の大きさである。 「……神様ってのは人類を試したり裁いたりするもんだろ?」 男が立ち止まるのを待って、エンが言った。ゲズゥは無意識にその「凛々しい」横顔に目をやった。 当然のように掠り傷や僅かな髭の剃り残しがある。一層、頬に赤みすら無い華奢男の方が病気に思えた。 「さてどうでしょう。神の在り様が――命を生むもの、世界を創造するもの、裁くもの、救うもの、と多く説かれています。神々は多くの事象を司る、人間の理解の範疇を超えた大いなる存在です」 男の話し方は音楽的で、それでいて確信が込められていた。すべて、と発音した瞬間など、大袈裟に手を広げていた。 「摂理をお決めになるのが神様? それとも、理そのものが神様であらせられるのか? その答えは、誰にもわかりません」 間近だと、男が斜視であることが見て取れた。真正面を見ているのに、左目だけがわずかにずれていた。 「オレにも訳わかんねーよ。このロン毛優男(ヤサオ)は何言ってんだ?」 エンは軽く笑った。後半の質問はゲズゥに向けられたが、まさかこちらにもわかる訳が無く、頭を振った。 「基準なんて判然としなくても良いのです。命ある限り償い続ければ、いつかは聖獣の恩恵にあずかります。それが摂理なのですから、罪を犯した者にも神々へと続く道が照らされる日は訪れます」 そう言って微笑んだ男の存在感に、ゲズゥは何か妙な引っかかりを覚えた。 奴が現れた瞬間をエン共々に感じ取れなかった点から元々生命力が希薄だったのかと思ったが、少し違う。聖気を使う時のミスリアみたいな、この世とかけ離れた儚さに似ている。 「そして聖獣が我らを救う存在であると、それだけは確かです。私(わたくし)はそれを説いて、人々を導くのが役目ですから」 「確かって言うからには、何か証拠があるんか?」 「難しい事をお訊ねになりますね。証拠や確信の有無について話すには、二日や三日ではこと足りませんよ」 「はは、今してる話だって十分難しいじゃねーか」 「それもそうですね!」 二人が笑い合う横で、ゲズゥは欠伸をした。存外、エンも本気でこの雲の上の会話を楽しんでいるように見える。こっちはとっくに振り落されて飽きているというのに。 その時、扉が開いて手ぬぐいを被ったエプロン姿のミスリアが入ってきた。 「ゲズゥ、イトゥ=エンキさん、やっぱりここに居ましたね。お腹空いてますか? 食事の準備が整いましたよ」 呼びかける途中で、佇立した二人の黒服の男に気付き、ミスリアは振っていた手を下ろした。 瓜二つの男を見比べて更に通路の先の華奢男へと視線を流した。男は肩を振り返ってミスリアと目を合わせた。 「……おや。もしや聖女ノイラート――いえ、聖女ミスリアですね?」 男は嬉しそうに目を細めた。何故呼び方を言い直したのかは不明である。 「教皇猊下! もういらしていたのですか」 慌てて手ぬぐいを引っ掴んでは脱ぎ捨て、ミスリアはその場で跪いた。 「予定より早く着いてしまいましたので先に聖堂に寄ってみたのですよ」 教皇と呼ばれた男は通路を歩き出した。一歩進む度に白い服の裾が床に引きずり、しゅる、しゅる、と小さな音を立てた。 教皇は膝をついた少女の元へゆっくりと近寄り、右手の甲を差し伸べた。 |
22.d.
2013 / 05 / 07 ( Tue ) 動揺に反応して紋様が広がっていくのがわかる。向かい合っているヨンフェ=ジーディも同じで、彼女の場合は顔の右半分と首周りに黒い模様が広がっている。元々彼女の紋様はイトゥ=エンキのそれと比べて感情の起伏に影響されにくく、それ以上は広まらなかった。 やがて連れの男がそっと近付き、ヨンフェ=ジーディを引き剥がしてくれた。「落ち着いて」と優しく声をかけながら。 「積もる話もあるだろうから、教会に着いてからまたゆっくり続きを話そう」 男の提案に、彼女は目元を拭いながら頷いた。イトゥ=エンキは心の中で男に感謝する。野次馬の注目がそろそろウザかった。 「では行きましょうか。僕のことはラノグと呼んで下さい」 こちらに向かって男が手を伸ばし、握手を求めた。 握りたくは無かったが、拒絶する訳にも行かなかった。ここはミスリアに代表してもらおうと考え、イトゥ=エンキはくるっと身を翻して少女の右手を取った。仲介人の真似事で、横に立って二人を握手させる。 ミスリアは驚いた表情を見せたが、すぐに微笑みで対応した。 「ミスリア・ノイラートと申します。よろしくお願いします」 心底嬉しそうな笑顔だった。何がそんなに嬉しいのか謎だ。 こちらを一瞥したミスリアの茶色の大きな瞳には、「よかったですね」或いは「おめでとうございます」と書いてあった。ああ、それが嬉しいのか。 (良かったけど。素直に喜べねーし) と、イトゥ=エンキは作り笑いの下で苦々しく思った。 _______ ゲズゥ・スディルは色の付いた窓を眺める内に既視感を覚えていた。少し後退って、縦長の窓をもう一度眺めると、それが一つの絵画のようになっているのだとわかった。 ここが教会の聖堂という場所なら、絵は聖獣を描いているのだろう。 ――そうか。林の中の教会も、聖獣の絵を飾っていた。 あの時も静寂の中で宗教画を眺めていたのだった。 印象派めいたあの天井の絵と違って、この窓の絵はもう少しはっきりとしていた。 翼の生えたサンショウウオが野原に降り立っているように見える。ゲズゥは首を傾げ、聖獣はこういう姿なのか、と不思議に思った。 ふいに入り口の扉が開き、長身の男がするりと入り込んできた。風呂に入って着替えたためか先刻よりも身なりはきちんとしている。黒髪を頭の後ろに結び、服は教会の人間が用意した無地の物で、小麦色の肌に合っている。腰に巻かれた太い鎖さえ無ければ、そこらの町人の群れの中に溶け込めるかもしれない。 「ステンドグラスか」 エンはゲズゥが見ていた着色ガラスへと視線を向けた。聖獣の絵を一瞥してから、興味をなくし、どこからか小型の煙管を取り出した。 「教会って禁煙だっけか? ……まあどっちでもいいや」 などと自問自答してから火を着けた。ふう、と灰色の煙を吐く。 「晩餐とか冗談じゃねーよ。堅苦しーんだよ。ガキの頃ならともかく……オレは頭の商談にだって参加したくなかった系だ」 他に誰も居ない聖堂の中で、エンはぶつぶつと文句を垂れ始めた。ポケットに片手を突っ込み、煙管をゲズゥにも差し出した。 「意外だな。お前は社交性が高いと思っていたが」 差し出された煙管を受け取り、ゲズゥも吸っては煙を吐いた。 夕刻に近い今、教会の人間は特別な客とやらを迎える準備に奔走している。それが誰であるのかまでは聞いていないし、興味も無いが。既に巻き込まれたミスリアを放って、ゲズゥは掃除も済んでちょうど無人となっていた聖堂に逃げた。 エンは姉によって巻き込まれたのかと思っていたら、こいつも上手いこと逃げたらしい。 「まあ、普通はな。でもヨン姉が居ると、どういう顔すればいいのかわかんないんだよ。起き上がれない度に麦粥を匙で食べさせてくれた人相手に、今更カッコつけられっか。年中同じ顔のお前には関係ない悩みかもだけど」 「……ああ」 ゲズゥは煙管を返した。この男が、済ました顔を演じていられないほど精神的な余裕を奪われるなど。それだけ、家族は特別だということだろう。 一つため息ついて、エンは広い聖堂の奥の方へ歩き出した。ステンドグラスの窓の前に演壇が置かれ、窓を挟む垂れ幕には、例の十字に似た象徴がそれぞれ描かれている。 「聖獣信仰の教えって何だっけか。善事に励めば天に昇れる、聖獣が蘇れば世界が美しくなる、って親が言ってたよーな」 ゲズゥはゆっくり首肯した。 「……多分、ミスリアも似たようなことを言っていた。それと、罪人などが死ねば魔物になると」 これだけは公にされていない情報だとも言っていた気がする。 「うげー、めんどくさそう」 嫌そうな顔をしてはいるものの、エンの反応に深刻さは無かった。 「生きている内に全部償えば救われるらしいが」 これも受け売りであった。 「曖昧だなぁ。人殺した罪とかは、生き返らせられないんだからどうやったら償い切れるか基準がわからないじゃん。誰かが上から見てて、たくさん良い事したんだからこのくらいでちょうどいい、って決めるのか?」 「――決定を下すのが『誰か』であると、そう考えられますか?」 背後からした澄んだ声に、二人は振り返った。 小柄な人間が通路の真ん中にちょこんと佇んでいた。長い黄金色の髪と、空よりも鮮やかな青い瞳が目立った。肌色は血管が透けそうなほど白い。喉仏からして男であるようだが、声が高めだ。幾重にも重なる刺繍の施された白装束が包む身体は、男にしては異様に華奢だった。 |
きんきょふ
2013 / 05 / 06 ( Mon ) 週末寒かったし外出が多かったためか風邪ひきました。
めっちゃつらいけど出勤しましたOTL うつすな来るなって言われるだろうと想定して誰にもいえません(笑 今の契約今週で最後なのでサボるわけにもいかず…。 つーかあの美術館、行く度に誰か風邪引いてる気がするけど気のせいかしら。 そういえば増やしてアンケートの回答数が極端に少ないのはもしや私の配分に任せたいと皆満足してて特定の要素を増やしてほしいとは別に思わないから…!? だとしたらそれも嬉しいですが。むふ 次回更新は今晩(私にとっての)か明日ぐらいになると思われます。 また教会編に入りますが既に雰囲気が違いましてよ~ |