36.c.
2014 / 09 / 18 ( Thu )
 くすりと漏れる笑いを飲み込んだ。
(それにしても、そういう事情だったの)
 一人の夫と二人の妻は互いを愛し敬い、三人の子宝に恵まれた。
 いずれ崩壊する運命だったとしても、きっと幸せな家庭だったのだろうと想像する――

「そういえば」
 あることに思い至ってミスリアは銀髪の青年を真っ直ぐ見つめた。
「ん? なぁに聖女さん」
「ゲズゥはまだ話していないようですけど……」

 話の流れのついでにミスリアは村の跡地での出来事を話した。ゲズゥの母が魔物に成れ果てた姿と消滅した際の優しく穏やかな気配を思い起こしながら。
 静聴しつつリーデンは唇を引き結んで表情を翳らせ、聞き終えると小さくため息をついた。

「そんなコトになってたなんて知らなかったな。とりあえずありがとうと言っておくよ」
「いいえ。他にどうすることもできませんでしたから」
 ミスリアは頭を振った。

「実際に死んだ人が魔物になるもんなんだねぇ」
「驚かれないんですか」
 思えば仇討ち少年の騒ぎの時も彼は何も反応していなかったかもしれない。
「そういう疑惑があるってことくらい小耳に挟んでるよ。でもだからって僕には関係ないし」

「関係……ないとは言えませんけど」
 罪や穢れを背負った人間も魔物に転じやすいのだから、リーデンも無縁ではないはずだ。それを伝えるべきか迷う。
「もう一つ訊いてもいいですか」
「どうぞ?」
 美青年は僅かに首を傾げて微笑んだ。

「例の……『五人目の仇』を討つのは、お二人は諦めるつもり……なんですよね」
 兄弟を順に見やって訊ねた。二人はすぐに表情を強張らせた。
 燭台の炎が一瞬、揺らいだ気がした。なんとなくミスリアは足を組み替える。
 十秒ほどの沈黙を経て弟が答えた。

「ん。自分の手で始末するのは諦めるよ」
「ではもう殺しの類からは手を引いていただけます――」
「殺しはしないけど妥協案なら動かしたから」
 ミスリアの言葉は遮られた。

 妥協案って具体的に何を、と訊ね返そうとしてもできなかった。絶世の美青年の微笑の向こう側に、不気味な迫力を感じ取ったからだ。おそるおそるゲズゥの方に目を向けても、彼は瞼を下ろして口を挟まない。リーデンの「妥協案」を了承しているという意味合いだろうか。

 結局これも知らない方が幸せなのだろう、内心そう自分に言い聞かせた。この日を最後に、ミスリアは二度とこの件を話題に上らせることはしなくなった。

_______

 齢六十はゆうに超えているであろう尼僧の陽気な声を、ゲズゥ・スディル・クレインカティは話半分に聴き流していた。
 どうやらクシェイヌ城は聖地として教団からの支援を受けている身ながら、観光客を招くことで多少の維持費を自力で稼いでも居るらしい。入場料はティーナジャーヤ帝国で最も小さい硬貨を三枚、と安価である。

「右手に見えます別棟へ続く連絡通路は、かつてこのクシェイヌ城をめぐって争った武将たちの最期の決闘が繰り広げられた場と言い伝えられております。軍隊を壊滅に追いやられ、城内に逃げ込み、ついに闘いに敗れた武将は十五ヤード以上のこの高さから転落し丘陵を転げ落ちたと――……」

 古城の歴史の中に役立つ情報があるとは考えられない。熱心に聞き入る聖女ミスリアを尻目に、ゲズゥは三十人の観光客の群れの中に警戒を巡らせた。
 城の屋上庭園は見晴らしが良く、不審な動きをする人間はすぐに識別できる。

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00:57:42 | 小説 | コメント(1) | page top↑
36.b.
2014 / 09 / 16 ( Tue )
 落ち着いた眼差しが見つめ返す。
 現在、ゲズゥ・スディルの両目は揃って黒だ。リーデンの提案と手回しによって、ガラス玉を薄く伸ばして色を付けた、「カラーコンタクト」と呼ばれる代物を取り付けているからである。それによって彼らの血筋を表す「呪いの眼」が見事に隠されている。

「前にも言ったかな。実はある手段を通して僕は子供の頃の記憶を鮮明に呼び起こせたんだ。催眠術って知ってる?」
 ふとリーデンが補足するように語り出した。
「はい。使われるのを見たことはありませんけど」
 どういうものなのかは聞き知っているので、ミスリアは首肯した。

「催眠状態は、何らかの理由で思い出せなくなってる記憶を辿るのに役立つよ。だけど最初から記憶に無い事柄はどんな術をもってしても思い出せない。僕にとって家族は『母親』『父親』の他にも『兄』と『兄の母親』が居て、気が付けばそれが当たり前だったから、それ以上の情報は得られない」
 そう言って彼はゲズゥを一瞥した。

「てなわけで兄さん、バトンタッチ」
「ああ」
 とゲズゥは答え、ブランケットを持ったまま船内に降りた。ミスリアたちも後に続く。

 乗客よりも貨物を運ぶことを目的とした船なので、客室の数は少なく、部屋そのものも狭かった。風や水飛沫が当たらない分だけ甲板に立つよりは暖かい。
 四人が寝る部屋の中ではイマリナが荷物を整理していた。ミスリアたちに気付くと彼女は燭台をもう一つ灯してリーデンに渡した。

 長方形の居室のそれぞれ長い方の壁に二段ベッドが釘で打ちつけられている。ベッドと言っても台は藁の上にシーツを敷いただけの質素なものだ。大人が一人なんとか寝れる広さで、寝返りを打つ幅は無いかもしれない。

 ミスリアとリーデンは各々ベッドの下段に腰をかけ、間の狭い通路に木箱(クレート)を並べて座るゲズゥを左右から眺める形に落ち着いた。
 ゲズゥは膝の上にブランケットを広げた。そこに肘を乗せて前かがみになり、開口一番にこう言った。

「俺は逆子の難産だった」
「あー、うーん? そうだったんだ」
 リーデンは考えるように緑色の両目をさ迷わせた。
(突拍子の無い一言に聴こえて、実は質問の答えになってるかも)
 納得しかけるも、ミスリアは大人しく続きを待った。

「母は或いは二度と子供が産めないかもしれないと産婆に言われ……それだと族長――父に後継者が一人だけなのは甘受できないと、自ら二人目の妻を娶るよう提案したらしい」
「へえ、あの人らしいね。さっすが」
「そんな事情があったんですね」

 彼女が目星をつけた相手が、リーデンの母だったと言う。

 リーデンの母親はやや病弱な上に引っ込み思案で、自分にあまり自信が無い人だったらしい。妻や母としてうまくやっていけるはずが無いと思い込んでいたため、誰に求愛されても受け入れないまま歳を重ねていた。

 そんな彼女は仲の良いしっかり者の友人に「一緒に一つの家庭を支えて行きましょう」と強く薦められ、二人一緒なら自分でも大丈夫かな、とやがて折れた。

(リーデンさんは、外見はともかく性格はお母さまに似なかったのね)

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02:18:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
36.a.
2014 / 09 / 11 ( Thu )
 くすんだ青緑色の水面が遠い――。
 手摺りに身を乗り出すミスリアは無意識に唾を飲み込んだ。船首によって分かたれる川水は肌に触れたらさぞや冷たいのだろう。落ちたりしたら、数分としないうちに死に至るはずだ。

「面白い物でも浮かんでたー?」
 背後から呑気な声がした。
 ミスリアは手摺りにかけた両手に力を入れてシャキッと姿勢を正し、声の主の方を振り向いた。多くの人間が忙しなく動き回っている甲板の上で、輝かしい銀髪の美青年はかなり目立っている。

「いいえ、何も。高い……と思ってただけです。私、こんな大きな船に乗るの初めてです」
「まあ君は列島出身らしいから平気だと思うけど、念の為、船酔いに気を付けてね」
「今の所は大丈夫そうです」
「それはよかったー」

 笑いかけてきた青年は、全身をオレンジ色のブランケットに包んでいて随分と暖かそうである。
 ――突如、冷風が甲板を吹き抜けた。上着を羽織っていながらもミスリアは肩をすくめて震えた。

「寒いなら要る?」
「え、でもそうすると貴方が寒いのでは――」
 言い終わるより早くリーデン・ユラスはブランケットを脱いでミスリアの肩にかけていた。ウール生地に染み込んだ温もりが大変ありがたい。それに、ほんのりと爽やかな残り香が心地良かった。

「心配しなくてもまだあるよ」
 その言葉通り、リーデンは荷物の中からブランケットの束を取り出していた。今度は深紅色のブランケットを自らの肩にかけている。
 それが済むと少し離れた位置に佇んでいる長身の青年に声をかけた。

「兄さんは体温高いから要らないよね」
「…………」
 黒髪黒瞳の青年は目を細めた。袖も裾も長い漆黒のコートに身を包んでいる。肌色まで濃いため、下手すると夜には姿が背景に溶け込んでしまうかもしれない。

「うそうそ。たくさんあるから二枚でも三枚でもどーぞー」
 弟が兄に向けて濃い青のブランケットを投げた。兄は組んでいた腕を解き、片手で受け取った。
「持って来たんですか? 準備が良いですね」
 ミスリアは感心交じりに問うた。自分とゲズゥとイマリナを含めた四人の中で荷物が一番多かったとはいえ、これだけの大きさの毛布を何枚も持ってきていたようには見えなかった。

「ううん、港に居たお姉さん方がくれたよ」
「親切な方々にお会いしたのですね」
「んー、親切か。ちょっとお喋りして、別れ際に『私だと思って大切にしてください』ってノリで渡されたけど」
「は、はあ」
 面食らって、返事につまずいた。

「いやー、つくづく便利な顔だよねぇ。両親には毎日感謝してるよ」
 暗に顔が効して女性たちから貢物を巻き上げられたのだと彼は言うのだが、あまりに自然な笑みからは嫌味っぽさを感じない。
(自覚してる上に有利に働かせてる……いっそ清々しいわ)
 ミスリアはつられて笑顔を返す。

「ご両親と言えば、ゲズゥとは腹違いなんですよね。どういう事情か、教えてくれませんか? 興味あります」
 アルシュント大陸では貴族以下の民が複数の伴侶を持つ事例は極めて珍しい。珍しくはあるけれど、法やご教示で禁止されている訳ではない。一対の男女が添い遂げることの美学は確立されていても、それ以外の形も一応容認されている。

 ほとんどの場合は当人たちが嫉妬――から発生する暴力――などを原因に家庭を崩壊させるので、結果的に一夫一妻制が主流になっているだけだ。

「詳しい話は僕よりも兄さんがよく知ってると思うよ」
「なるほど」
 そこで二人の視線は同じ一箇所に集中した。




お待たせしました。次のメインイベントに着くまでちょっとだけ呪いの眼兄弟のバックストーリー入ります。

兄:汗・土・森・革・鉄の匂い
弟:香草・香油・松・甘味・革の匂い

リーデンからはなかなか汗と鉄の匂いがしない。イケメンマジック。
ミスリアはいつも花みたいな香り?

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11:17:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
世の中大変ですね
2014 / 09 / 10 ( Wed )
うちの職場にもエボラ関係で呼びかけかかってるから、いくかもしれない。

もちろん現地配属じゃないですよwww さすがにそれはコエェよww

ちょっと説明しにくいですけど、現地の人材へのサポートを遠くから~みたいな感じになるっぽいです。何をやらされるかは正確には全然わからんです。

まあ人生何事も経験。できることがあるのに緊急事態に呆けているのは愚か…なのでしょうね。


更新は多分明日します!

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21:34:40 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
せんでん
2014 / 09 / 03 ( Wed )
http://www.alphapolis.co.jp/contPrize/
投票してネ★

今は80位台とかですが、どんどん周りに追い抜かれる運命ですな。
まあランキングよりも選考の方が気になるといえばそれまでですけど。


しばらく滝神放置してたのでそっち書かなきゃってなってますが、脳内はミスリアの次の展開でわくわくです。新しい場所やキャラって楽しみですよねー。或いは今週中に更新しちゃうかもしれません。

惜しむらくは、イマリナ=タユスの大聖堂をもっと緻密に建てなかったことでしょうか。相変わらず私は建物に関してばかり精進が足りませんw Umberto Eco作品読んでもっと勉強します……





ぐち

最近仕事忙しい! うえーん! 何でもっとこうバランスよくタスクが出ないのか…いきなり暇かと思えばいきなり忙しい!

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21:56:43 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
35あとがき
2014 / 08 / 31 ( Sun )
拍手@みかん様

面白いくらいにゲズゥの出番が無い回でしたね! 次回からは……また活躍しま……すよ……? <不安


続きは読み終わった人どうぞ

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続きを読む

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23:24:47 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
35.j.
2014 / 08 / 31 ( Sun )
「愚かでしたわ。十分な才能もカリスマ性も持たないのに、ひいお祖母様を目指した。聖女の理想像に憑りつかれて、いらぬ犠牲を出してしまいました」

 レティカが言うには、かつて聖女アンディアが活躍した時代にはまだ聖獣を蘇らせなければならないという切迫感が少なく、聖女が個人の力で成せる業も限られていたとか。それでも社会を左右する力は持たずとも人の心を照らす力があった。信仰心は民の暮らしに潤いと、不安のはけ口を与えるものだ。

 そしてその信仰心の象徴となる為に聖女アンディアは立ち上がった。
 聖女レティカは今の時代で同じことをしようとしたのである。

「聖地巡礼は口実、いわばついででした。何もかもが売名行為だったのですわ。本当はわたくし、聖気を扱う力量もそれほど優れてないんですの。もっと修行を積んでから旅立つか、地道に慰安の旅に専念すべきでした」
 涙の煌めきが白い頬を伝う。

「わたくしが欲張ったりした所為で二人は……! わたくしに、生きる権利はありません」
「違います。それは、違います」
 ミスリアは強く否定した。

(あの二人はもしかしたら、聖女レティカの本心を見抜いていたんじゃないかしら)
 知っていたからこそ彼女の人生観が好きだと言ったのではないか。
 欲張った所為で死んだのかなんて、断言できない。欲張らなければ死なずに済んだのかなど、誰にもわからない。かつてユリャン山脈付近の集落にて、ゲズゥに似た言葉をかけられた時が脳裏を過ぎった。

 高い理想を目指すことそのものが、間違っているはずが無い。誰かが高い壁を超えんと挑み続けなければ、後に続く他の者は挑むことさえ忘れてしまう。ましてや――

「レイさんとエンリオさんは貴女のひととなりを、使命を! 魂を信じて、それに殉じたんです」
 彼らは無理やり連れ回されていたのではない。熟考した果てに、従おうと選んだのだ。
「貴女が自分の価値を信じられなくても、信じて命を賭した誰かが居た事実は変わりません。それをどう受け止めて行くかは貴女の自由です」
 去った人間の想いをどう解釈するかは、残された人間が悩み抜いて決めるしか無い。

「そのお言葉がきっとわたくしにとっての真実なのだろうと、なんとなく頭ではわかっていますわ。でもどうしても受け入れられませんの」
 レティカは悲しげに目を伏せた。
「お医者様の仰った通り、時間が必要ですわ」
 ミスリアは頷く代わりに微かに微笑んだ。

「私、今日はもう帰りますね」
 そう告げるとレティカの視線が追ってきた。
「また今度、お話できませんか。聖女ミスリア」
「勿論です」
「ありがとうございます」
 いくらか生気を取り戻した顔で、レティカは笑ってみせた。

_______

 戦局が討伐隊にとって不利に傾き始めたといち早く察したのはエンリオだった。
 そうとわかれば彼は一切迷わなかった。自分の対となっている同僚と目を合わせ、その方へ愛する主を突き飛ばした。

「エンリオ!? 何を」
「行ってくださいレティカ様」
 それ以上言葉を紡ぐ余裕が無い。
 女騎士も察しがよく、聖女レティカを担ぎ上げて颯爽と走り出した。

「待って! は、離しなさい、レイ! 貴方たちはどうして普段喧嘩ばかりなのにこういう時は結束が固いんですの!?」
 一番の笑顔を向けたつもりだったのに、対するレティカはこの世の終わりを見たような顔になった。
 その時、大地が割れた。
 死の臭いが瘴気と共に溢れだした。

 危惧していたことだ。河から上がる個体ばかり警戒して、誰も土の下から出る魔物に反応し切れていない。魔物狩り師たちは逃げ惑っている。
 巨大な舌の形をした異形どもをかわしながらエンリオは攻撃を繰り出した。レティカの去った方向を確認しつつ、ナイフを放つ。一体でも逃がしはしない――
 敵を牽制しつつ距離を取ろうとしたエンリオは、俄かに片足を絡めとられた。

 ――化け物の分際で、すばしっこい奴。
 実際には問題は速さではなく数だった。いかにエンリオの素早さでも、かわしきれない。
 次いで腕も捕まった。鋭い歯が肌に食い込む感触があった。激痛に耐えんと奥歯を噛み合わせる。

 ふと目をやると、ずっと先の方でレイが担いだ荷物を思いっきり投げ飛ばしたのが見えた。その乱暴な方法により、主は安全圏に届いた。司教様たちに引かれて聖女レティカは結界の中に入ったのである。
 身軽になったレイは踵を返し、エンリオが逃がした追っ手を斬りに戻っている。

 その時点でもう、視界がぼやけていた。レティカの身の安全が確認できた途端に気が遠くなったのもある。
 ――レティカ様は柔らかいな……。
 触れる機会など滅多と無かったから、突き飛ばした一瞬の感触に浸った。

「どう、か……あな、たの――願いを、りそう、を……かなえて――」
 つまらない人生に意味を与えてくれた女性に想いを馳せる。何があっても諦めずに頑張ってほしいと、誰よりも応援したいと思えた、本当はとても弱いヒト。

 腹を喰い破られ、四肢を引き裂かれ、ついに意識が途絶える最期まで。
 エンリオはずっと人知れず笑っていた。

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23:01:35 | 小説 | コメント(0) | page top↑
35.i.
2014 / 08 / 31 ( Sun )
「……私は甘いですね」
 唇を噛んだ。護衛になると決めてからまだ日が浅いリーデンの方が、既に先の先まで考えていたのだと意識すると、自分が情けなくなる。

「あははは! そんな泣きそうな顔しないでよ。僕も兄さんも油虫並のしぶとさを備えてるから、『その時』なんて簡単には来ないって。十四歳からそんなんだと将来がヤバイね、もっと気楽にしたら?」
「善処します」
 ミスリアは苦笑を返し、話はそこで終わった。

 しばらくして二人は診療所に着いた。
 あの医者は何処かへ出払っているらしく、従業員の一人である看護婦が迎え入れてくれた。

「奥の聖女様の件ですが、実家から迎えを出すと連絡が入りましたよ」
 暗い廊下を進みながら看護婦が事務的に告げた。
「それなら一安心です」
「…………そうですわね」
 眼鏡の向こうの看護婦の瞳には何か含みのある光が過ぎったが、すぐに彼女は顔を逸らして戸に二回ノックした。

 どうぞ、と静かな声が返事をした。
 部屋の中は薄明るかった。カーテンが全開にされていても、外の日光が少ないだからだ。
 この前と違ってレティカは背中に枕を重ねて起き上がっていた。加えて、頭に巻かれていた包帯などが無くなっている。

 拘束具もめっきり減って、現在は前腕を押さえるベルト一本だけだ。動きは制限されているが、本のページを捲るだけの自由はあるらしい。
 手元の本から顔を上げ、聖女レティカは長い睫毛を何度か上下させた。

「先日は失礼しました」
 開口一番に彼女は謝罪した。「貴女に非はありませんのに」
「いいえ、お気になさらず。具合はいかがですか?」
 ミスリアは自力で車輪を回してベッドに近付いた。背後では気を遣った看護婦とリーデンが廊下に留まり、戸をそっと閉めている。

「少し落ち着きました。落ち着きはしても、気分が良くなりませんけれど……お医者様は、わたくしが最も必要としているのは時間と休養と仰いましたわ」
 そう答えたレティカの表情は疲労に彩られていた。医者にかけられた言葉を、まるで遠い場所での出来事みたいに語っている。

「私で良ければ話を聞きます。あ、でも、私よりも迎えに来る方の方が話しやすいと言うのなら――」
 他に相談相手が居ないと勝手に決めつけたみたいな申し出だったと気付いて、ミスリアは弁明しかけた。
「いいえ。あの家に、わたくしの話し相手などいませんわ」
 レティカは弱々しく頭を振った。

「思えばわたくしが一番肩の力を抜いて接していられたのが、エンリオとレイでした」
 ふっ、と痩せこけた面貌に自嘲的な笑みが浮かぶ。
「二人はわたくしの為に死ぬ覚悟を決めていたのに、わたくしには彼らの命を背負う覚悟が無かった。なのに誤った判断の道連れに…………」

 彼女は両手の拳を睨んだ。手首には切り傷の痕が幾つか残っているのが窺える。
 握り締められた拳の上に自分の手を重ねようか逡巡して、ミスリアは思い止まった。懐の中に腕を滑らせ、小包を取り出す。

「実は預かっている物があります」
 包み紙を開いてみせた。直ちに聖女レティカは息を鋭く吸った。
「エンリオのナイフですか」
 いつしか碧眼が濡れていた。

 彼女はレイの剣を物置に仕舞ったことをぽつぽつと話した。落ちぶれても騎士の家――その家に伝わる剣を、目に入れるのが辛くても捨てることはできなかった、と。

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06:28:33 | 小説 | コメント(0) | page top↑
35.h.
2014 / 08 / 30 ( Sat )
「そうなんですか」
 少し落胆して言う。
「聖女さんは雪が見たい? 好きなの?」
 リーデンはのんびりとした口調で問い返した。

 ミスリアは目を閉じ、瞼の裏に見慣れていた冬の景色を思い浮かべる。
 春夏秋冬、どの季節が好きかと問われても答えられないだろう。どの季節にも楽しみがあれば苦労もある。冬は他よりも苦労が重い分、より一層頑張って楽しみを追い求めたい季節だ。

「そうですね。心が洗われる気持ちになります。私の故郷は降らなかったんですが、教団に住み込んで修行をしていた頃は、朝一番に眺める純白の一面がとても好きでした」
「へえ、いいねぇ。教団の拠点って山の上かなんかにあったりする?」

「人里離れた高原にあります。生活は不便も多かったんですが……それはそれで、充実していました」
 他の見習いたちと共に雪かきに費やした長い時間を想って、くすりと笑う。
「僕も雪は結構好きだよ。どんな色にも染まる感じとか――」
 言いかけたままリーデンの声が途絶えた。
 どうしたのかと思ってミスリアは振り返り、彼の視線が斜め左を向いていることに気付く。

「アレって魔物狩り師連合の連中だよね」
 広い街道の反対側、ミスリアらとは逆方向に歩いて来る六人ほどの武装集団を指差している。着込んでいる装備に統一性が無いため、街の自警団とは違うだろう。何人かは怪我しているのか、所々包帯を巻いている。
 見知った顔は居ないかな、と考えてミスリアは集団をじっと見渡した。視線に気付いた彼らの方が手を振る。

「聖女ミスリア! それから、護衛の方」六人は通行人を避けつつ街道を横切る。「……えーと、ユラス氏でしたか」
「別に『護衛の人』でいいよー」
 にこやかにリーデンが応じた。ミスリアは座ったまま一礼する。知らない顔ばかりだけれど、向こうが覚えていても不思議はない。

 軽い挨拶と世間話を交わしてから数分、魔物狩り師の一人が前に出た。髪を短く剃った、首筋の大きな傷跡が特徴的な女性だ。

「聖女様、ちょうど良かった。貴女に預かって欲しい物があるのです」
「何でしょうか」
「これを」
 女性は懐から小包を取り出し、掌の上で包み紙を解いて見せた。

 現れたのは三本のナイフ。空気抵抗を最小限に抑える為の薄くてスリムなデザイン、ハンドルに覆われていない剥き出しの柄部分。見覚えのある投げナイフだった。

「レイ殿のロングソードは回収してすぐに聖女レティカに渡せたのですが、こちらのナイフは後になって見つけましたので。もしもお会いする予定なら、返してあげて下さい。家紋が刻まれていたあのロングソードと比べると価値の無いな物かもしれませんが、きっと持っていたいのではないかと」
 女性の表情は真剣そのものだった。元の持ち主がもう居ない以上「返す」という表現は少し違うが、意図は伝わった。

「……わかりました」
 ミスリアは壊れ物を扱うような慎重な手つきで小包を受け取る。
「では、我々はこれで」
 魔物狩り師たちは大聖堂の方に向かって雑踏の中に再び紛れた。
 直後、リーデンが車椅子を再び押し出した。

(遺品の受け渡し……本当にレイさんとエンリオさんは戻らないのね)
 寂しさと喪失感を胸に、ミスリアは手の中の小包を見下ろした。
「レイさんたちは、聖女レティカが新しい護衛を雇って前に進むことを望むでしょうか」
 呟きは街の音に消えそうなほど小さかった。が、リーデンはしっかりと拾って答えた。

「それは彼らの間の問題だから部外者の意見なんて無意味だけど。僕だったら、自分の犠牲を無駄にして欲しくないと思う」
 珍しく真剣な声が背後から降りかかる。かと思えば、くくっと笑う声がした。
「だってさ、この僕が死んでまで護り抜くんだ。やり遂げてくれなきゃ許さないよ」

「なる、ほど……?」
「兄さんも多分同じ考えだよ。いっぺん派手に泣いてくれればそれで充分。心おきなく、僕らの屍を踏み越えなよ」
「そ、そんなこと軽く言わないでください」
 困惑気味に振り返る。

「君の盾になる上での覚悟は決めてるよ」
 美青年の慈しむような微笑みは、頼もしいと同時にどこか恐ろしかった。
 彼の命を背負うからにはこの場はあしらってはいけないと感じた。

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01:11:02 | 小説 | コメント(0) | page top↑
閑話 色々とイラスト
2014 / 08 / 28 ( Thu )
本編若干暗いのに記事挟みます!



なろうでお世話になってますナルハシ様からイトゥ=エンキ やべぇ池麺だ
絵も物語もイケるなんてさすがすぎますナルハシ様…!




そして米俵抱えたミニげっさんw 
1俵=60kg ヒロイン=~40kg?








更に、つまようじ様が私の意味不明なリクエストに応じて描いてくださったGIF絵… 米俵ネタワロス

ミスリアは多分失神してますよね!

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22:16:38 | | コメント(0) | page top↑
35.g.
2014 / 08 / 26 ( Tue )
 完全な沈黙の中で澄んだ碧い瞳だけが動いている。その様子を医者は鋭い眼差しで観察した。そして何かに納得したのか、手を伸ばして猿ぐつわを解いた。
「最後に飲ませた薬がいくらか効いたようですな。錯乱していないようだ」

 彼の言う通り、認識の色が濃いように見えた。拘束されている状況を理解しているのだろう。
「聖女レティカ、ご気分はいかがですか? 私がわかりますか?」
 試しに呼びかける。静かに、ゆっくりと。碧眼はすぐに声のした方を探し求め、唐突に瞳孔が焦点を合わせた。次いで掠れた声が発せられる。

「……め…………て」
「はい? 何でしょう」
 何と言われたのかもっとよく聴きたくて身を乗り出す。対するレティカの瞳は大きく見開かれた。
 映し出された感情に驚く。――拒絶?

「や、めて。貴女の清浄な気は見たくありません……わたくしの前から、消えて下さいませ」
「消え――……」
 冷や水を浴びせられた錯覚を覚える。思わず固まった。

(どうして)
 拒絶された理由がわからない。清浄な気とは前に言っていた、人の周りの空気に色がついて見えるという話だろうか。でもそれならば尚更わからない。引っ込めようと思ってどうにかできる代物ではないのに。

「あの、私」
「聴こえませんでしたの!? 出て行って!」
 ――バンッ!
「きゃっ!」
 ミスリアは素早く身を引いた。ベルトを千切りそうな勢いでレティカが身体を浮かせかけたのだ。目玉が飛び出さんばかりの険しい表情にゾッとした。

 一瞬後には車椅子がひとりでに下がっていた。困惑して振り返ると、ゲズゥが威圧的な視線で見下ろしてきた。
 今日はもう諦めるしかないのだとミスリアは察した。
 医者に向けて会釈し、目配せを交わす。それが終わるのを見計らって車椅子がくるりと半回転した。

「また来ます」
 部屋から出る際に、振り返らずに言い残した。
 聖女レティカは一言も返さなかった。
 完全なる静寂の中で彼女がさめざめと泣いている気がした。

_______

 己が歩けるようになるまでならと、ミスリアは何度でもレティカの元に通いつめるつもりでいた。護衛たちは異を唱えなかった。どうせ歩けない間は船に乗らない方がいいだろうと二人とも付き合ってくれている。
 最初に訪問してから三日、今度はリーデンを伴い、車椅子を押してもらっている。

(今日はちゃんと聖女レティカと話せるかしら)
 前回の結果がまだ記憶に新しいため不安が大きい。流石に「消えて」には深く傷付いた。
(だからと言ってあっさり引き下がってはいけないと思うけど……)

 ため息交じりに白い息を吐く。街道は相変わらず寒さも忘れられそうなくらい賑わっている。
 ふと思い立って見上げると、空は薄い灰色の膜に覆われていた。

「イマリナ=タユスでは冬は雪が降ったりするのでしょうか」
「ん~? この辺りはあんまり降らないよ。せいぜい年始に通算二~五回程度かな。それも積もるような雪じゃなくて午後にはすぐ溶けて水っぽくなる感じの」

拍手[3回]

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22:52:44 | 小説 | コメント(0) | page top↑
35.f.
2014 / 08 / 23 ( Sat )
 室内にはひとつだけぼんやりと明るい輪郭があった。四角い窓だ。
 医者は窓まで歩み寄り、音を立てないように静かにカーテンを横に引いてどけた。暖かい日差しが眠り姫を淡く照らす。外の天気は曇っているようで、部屋の中の明るさが雲の運びに応じて明るくなったり暗くなったりしている。

 ミスリアは自ら車椅子の輪に手をかけた。
 少し薄暗いが、ベッドまでの道のりに障害物は無いと見たので問題なく進められる。

 病室に入った瞬間にとある香りが鼻についた。それもそのはず、診療所中の至る所に備えられている底の浅い皿の中には、乾かされた花びらや樹皮が重なっているのだ。とりわけこの部屋の中は他の臭いを紛らわして隠そうとしているのか、ポプリのツンと醒める香りがやけに強かった。

 ベッドのすぐ傍まで車椅子を寄せると、ほどなくして、雲が太陽を妨げるのをやめた。

「――――」
 思わず唇から漏れそうになる声を両手で封じた。
 見知った人間のあまりの変貌に目を瞠る。

 医者や従業員の努力か、話に聞いたような汚れは目につかなかった。
 一方で顔や身体はすっかりやつれてしまっている。蒼白な肌は乾き、目の周りには真っ黒な隈ができていた。あるべき艶を失い、白髪の混じってしまった長い髪。元より細腕だったのにますます肉が落ちて骨ばってしまっている二の腕。指や手首、頭や首に巻かれている包帯に至るまで、全てが痛々しい。

 それでいて最も異様だったのは――

「先生、これは一体…………?」
 震える人差し指を指して問う。
 横たわる聖女レティカは猿ぐつわを噛まされていた。拘束具は他にもあった。ベッドに縫い付けるように何本もの分厚いベルトが、ほっそりとした体躯を横切っている。

「それなら」特に動じない様子で医者は顎鬚を撫でる。「保護して何日か経ってからですかな。目を覚ます度に自害しようとするんで、仕方なく。従業員と私の総勢三人で押さえつけましたさ」
「じ、がい……自害」
 何度もその単語を口の中で反復した。曰く、隙あらば舌を噛み切ろうとしたり手首を掻き切ろうとしたり、あまつさえ頭を壁に叩きつけたりしたのだとか。正気の沙汰とは思えない。

 レティカが負ってしまった闇の深さを、自分は果たして理解できるつもりでいたのだろうか。どんな言葉をかけるつもりでいたのだろうか。同じ絶望を知らない人間との会話は、かえって不快にさせてしまうかもしれないというのに。
 愚かだった。胸の奥に針が刺すかのような後悔が芽生える。

「考え直せと説得はしたんですがね。うわ言ばっかりで会話になりやせんで。精神を落ち着かせる薬も処方してみたんですが、なぁんにも届きそうにない。こりゃあ、早いとこ身内に引き取らせるか……」
「引き取らせるか……?」
 ミスリアは先を促すように囁いた。

「望むままにさせてやるしか無いと思いますな」
 医者はこうも続けた。此処には生きる気力を欠いた人間をいつまでも置くだけの余裕が無い、と。そもそも生きたいと願う理由が無いのなら、無理に生かす方が残酷だ、とも。

「残酷だと言うのには賛同します。けれどそれでも自殺はダメです」
 この世に生を受けた奇跡を自らの手によって絶つ行為――それがいかに道徳を踏み外しているか、を論じるつもりは無い。
 ミスリアは項垂れ、膝の上で拳を握った。

「彼女は混乱しているだけで、生きる理由を一時的に見落としている、とそう考えられませんか? 己をしっかり見つめ直せるまでに回復しない内に、自害を選ぶのは早計です。そうならないように周りが手を尽くすべきです」
 強く言い切って顔を上げると、医者は何故かニヤニヤと笑っていた。嫌な印象は不思議と受けなかった。

「ならば本人にも言ってみなされ」
 ベッドを見下ろすと、ちょうど聖女レティカの睫毛が震えた。
 やがて碧い双眸が億劫そうに瞬く。

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13:38:12 | 小説 | コメント(0) | page top↑
35.e.
2014 / 08 / 22 ( Fri )
(ひどく意気消沈しているようだったとは聞いたけれど……)
 このような話を聞かされた後では、廊下を突き当たった先にあるはずの戸が、やたらと遠く感じる。気を紛らわせる為にもミスリアはこれまでの経緯を思い返した。

 まず聖女レティカに会うと決めた後、真っ先に訪れたのがイマリナ=タユスが誇る蒼穹の大聖堂だった。
 するとそこは常ならぬ状態にあった。本来の穏やかで神々しい雰囲気は失われ、修道女たちは一般の参拝者を門前払いにしていた。

 何事かと思って中に入れてもらうと、中庭では司教が一心不乱に魔物狩り師たちの穢れと無念を清めていた。その場に集まっていた僅かな生存者たちと、もう肉体から永遠に乖離してしまっていた魂たちの安寧の為に。
 彼らは疲弊しきっていた。後はもう教団へ応援要請を出し、周辺には避難勧告を出して、それ以上どうこうしないつもりだと誰かが告げた。

 ミスリアは首振り人形の如く何度も頷くだけだった。自分が惨劇に巻き込まれずに済んだ幸運に心底感謝しながらも、そんな風に安堵してしまう己を恥じた。
 そして思う。人を導く「聖女」の在り様を目指すならば、正解は果たして何であろうか。

 共に逝きたかった、失われた命の盾となり代わりとなるべきだった、と嘆きながら生存者を慰めるのか。それとも、街中の演壇に立って大々的に復讐を誓えば良いのか? 
 「聖女」たる清らかな魂の輝きを、未来への希望として町民の心に焼き付けられるならばそれも良いだろう。ミスリア自身はそんな大衆を魅せられる崇高な人間になるつもりは無いし、なれるとも思わない。

(私の優先すべき目的は、聖獣を蘇らせる旅を進めること。その一点に集中している限り、道を見失ったりしない)
 いつの間にか問題点から逸れてしまったけれど、そういえば聖女レティカこそが人を導く生き方を目指していたはずだ。

(結局、彼女は大聖堂には居なかった……)
 修道女たちに問い合わせてみたら、町医者が身元を預かっていると教えられた。どうやら聖女レティカは魔物狩り師たちと一緒に居たはずが、何故かふと居なくなったのだとか。何人かが捜しに行ったものの見つからず、諦めそうになった時点で医者からの連絡があったと言う。

 消息が知れても迎えに行くと名乗り出る者は居なかった。皆、大聖堂での祓いごとで手一杯だったし、同時に、レティカが断りなく飛び出て行くくらいに一人になって落ち着きたかったのならそれも仕方ない、と気遣う声があった――

「先生、お伺いしてもよろしいでしょうか」
 ミスリアは先をゆっくり歩く医者を呼び止めた。
「なんなりと」
「大聖堂に連絡してから、お見舞いに来られた方はいましたか?」

「うむ、一度だけ修道女の方が。追い返しましたがねぇ」
 医者は歩みを再開し、一同は数秒としない内についに戸の前まで来た。戸の向こう側は、寝息すら漏れないほどに静かだった。
「それは何故ですか?」

「彼女らの瞳を見れば一目瞭然でしたさ。きっと、今の聖女様の姿を前にして怯えるだけで終わるだろうと。それは見舞う方見舞われる方にとっても何の足しになりゃせん。時間の無駄だ」
 医者は顎鬚を一撫でして答えた。

「…………そうですか」
「そうさね。そんじゃまあ、小さい聖女様よ、開けますぞ」
 ミスリアがしっかりと「はい」と答えるのを聞き届けてから、医者は取っ手に手をかけた。

 ――ギッ。
 戸は短い音一つだけ立てると、呆気なく開いた。
 廊下の闇と部屋の中の闇が、混ざり合って繋がる。

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13:10:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
35.d.
2014 / 08 / 20 ( Wed )
_______

 猛禽類を思わせる濃い顔立ちの医者と、意外な形で再会していた。
 成り行きのままにまた世話になっているが――今度は診察されているのはミスリアである。医者は車椅子を一目見て、ミスリアの体調不良を知ると、すかさず診療所の一室に案内したのだった。

「つまるところは、過労から昏睡状態に陥ったと」
 医者は黒い顎鬚を一撫でし、自分が書き綴っているメモから顔を上げた。
「はい。おそらくそういうことになると思います」
 ミスリアは姿勢を正して頷いた。

「よくあるんですかな? 聖人聖女の患者を診るのは珍しいもので」
「どうでしょう……他の方はわかりませんけど、私は以前にも似たようなことがありました」
「ふむ。まあ異常は無さそうだ。徐々にまた歩行に身体を慣らせばいいでしょうな。最初は数歩ずつ、必ず何かを支えにしながら試してみなされ」
「わかりました。ありがとうございます」

 彼のアドバイスに、ミスリアは素直に返事をした。その反応を満足そうに見届けた医者は、書類や器具の片付けをし始める。車椅子の後ろではゲズゥが無言で佇んでいる。

 決して居心地の悪くない沈黙が診察室に満ちる。もうしばらく静かに休んでも良かったけれども、ミスリアにはそれを破る必要があった。

「それで、先生」
「む?」
「あの、元々の用件ですけど……」
 躊躇いがちに切り出す。

 この診療所を訪れた当初の目的は、自らの治療を求めていたからではない。大聖堂で聞き知った情報を辿った結果だ。医者は振り返りざまに点頭した。

「うむ、もう一人の聖女様のことですな。奥の部屋におりますが……」
 医者は眉根をぐっと寄せた。益々獲物に迫る猛禽類を彷彿とさせて、ミスリアは生唾を飲み込んだ。
「会いますか? 私ゃ勧めはしませんがね」

「え……どうしてですか……?」
 彼女に会う為にわざわざ足を――正確には足を使ったのはゲズゥでミスリアは車椅子を押されていただけだが――運んだというのに。
 医者は口元を掌で覆い、その手の中に深いため息をついた。或いは覆っていたのは欠伸だったかもしれない。

「まあよいでしょう。それはまず会ってみた方が話が早い」
 そう言って医者は白衣を脱ぎ捨て、襟を立てた深紫色のワイシャツ姿を露にした。ついて来るようにと手で合図する。それに呼応して車椅子が動き出した。背後の青年に「すみません」と声をかけるも、特に応答は無い。
 暗い廊下を、三人で進んだ。医者の足取りは緩慢としていた。

「近辺をうろついているのを私めが保護しましてね。こう言っちゃなんですが、路地裏の住人と間違えましたぞ」
「路地裏!? そんな――」
 あの気高く清廉な聖女レティカがまさか、と耳を疑う。

「悲惨なもんでしたさ。髪まで汚物に塗れて服は破け。這うようにふらふら歩き。ブツブツと低い声でしきりに何かを呟いていた姿は、そりゃあ気が触れた人間にしか思えなんだ」




 医師が白衣を着るようになったのは19世紀以降らしいですね。が、この物語は100%フィクションなので関係ありません。

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23:44:17 | 小説 | コメント(0) | page top↑
イラスト紹介+帰って来ました
2014 / 08 / 18 ( Mon )



 時々、建物の間に隠されたゴミの山を通ると、その中をガサゴソと潜る人間の姿を見つけた。
 ゴミ山を住処としているのか、別の住処はあってもゴミを漁らなければ生活できないのか、一目見ただけではどちらとも言えない。
 他には、路頭で寝そべる人間を見る。誰もが痩せこけていて、生気が無い。彼らには冬を越せる場所がちゃんとあるのだろうか。
 やるせない気持ちがこみ上げてきて、ミスリアは足を止めかけた。それに気付いて、物を乞う手が伸びる。それまで寝そべっていただけの男性が、身を乗り出している。
 ミスリアは親指を欠いた手を凝視した。自分がこの手に何を与えられるのか、懸命に思索した。





相互様の草野瀬津璃様(絵をクリックするとサイトに飛びます)からミスリア絵をいただきましたのでここで紹介します。路地裏で話してるイメージだというので、27の路地裏を歩いてるシーンから抜粋してくっつけてみました。あれ、話してはいないww


どーもどーも、ただいまです(プチ帰省&旅行から

はー 疲れたw これで明日からまた仕事とかw とにかく砂丘すごかったですよ。
下の写真、クリックで原寸で見てみて下さい!

先週先々週は全然更新できなかったので今週で一気に巻き戻す予定!です!

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10:43:43 | | コメント(0) | page top↑
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