α.2.
2018 / 07 / 01 ( Sun )
この前試験的に冒頭を書いた話、ふらふらと続けるかもしれません。
不定期。五話くらいたまったら目次作りますかねぇ。

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 不快な夢から目が覚めた。
 濃厚な、食べ物が熱されている匂いがする。アイヴォリは小さく呻いて右手の甲を額に触れた。熱い。手も、額も、燃えているようだった。
 目をぎゅっと瞑って改めて見開き、状況を掴もうとする。
(城の中……じゃない)
 天蓋どころか、いくら仰げども天井が見当たらず。手足や背中を支えるは、自室の広く柔らかいベッドとは遠くかけ離れた、ざらついているようで湿った感触だ。
 思わず涙がこぼれた。
 夢ではなかった。寝て起きればすべてが元に戻るわけが、なかった――。
「やっと起きたわね、眠り姫さん」
 若い女性が覗き込んできた。反射的にアイヴォリは急いで起き上がる。
 急ぎすぎて目が眩んだ。
「大丈夫? だいぶうなされてたっぽいけど、食事の用意してて起こしに行く余裕がなかったのよ、ごめんね」
 気分が悪い。胸元を押さえてうずくまっていた間、女性が力強い手つきで背中をさすってくれた。
「はい、呼吸はゆっくりシッカリとね」
「……う」
「とりあえずほら。水飲みなよ」
 視界が揺らぐ中、右手の中に何かを無理やり突っ込まれた。革製の水筒らしい。アイヴォリは水筒を弱々しく握り、口に運ぶ。
 不味い。不味い水というものが世に存在するのだと初めて知った瞬間だった。咳き込んだ。
 ついでに言って、革製の水筒はかなり生臭かった。革の元となった動物の臭いなのだと理解が追い付けば、ますます気分が悪い。
 吐きそうだと思った時にはもう吐いていた。
「あらら。キレイな服が汚れちゃったね。カジ、なんか拭くもの持ってきてー」
 傍の女性は、まったく怯んだ様子がない。いっそ大げさに反応してくれた方がよかった――羞恥に、アイヴォリは消えてしまいたかった。
 こちらの心境を知ってか知らずか、女性はテキパキと世話を焼いてくれる。されるがままに任せた。
「かわいそうに……いい夢は、まあ見れなかったかな。まだ横になって休んでていいよ。あ、自己紹介がまだだったわね、あたしはアイリス」
 アイリスの手も、微笑みも、信じられないくらいに温かい。初めて会う人間に、こんなに優しくできるものなのか。偽りなのだろうか。横たわったアイヴォリは、わけがわからずに泣いた。
 ぱさり。その時、頭の上に布が被せられた。
「オマエ、どんだけメソメソしてんだよ。アイリスと同じ顔なクセに」
 暗闇に響いた声に、アイヴォリは身を竦ませる。この男性はどうも苦手だ。目の前で残酷に人を殺した男を、好きになる方が無理だろう。
「なんとか言えよ、ほら。ほらー」
「…………」
 黙り込んでいると、アイリスが布を取ってくれた。
「カジ、いい加減にしなさい! 女の子の顔に雑巾被せるとかふざけんじゃないわよ。自分と同じ顔なだけに余計に胸糞悪いわ」
「はっ、急にイイ人ぶってんなよ。そこで横んなってたのがオレだったらオマエ、同じことしてただろ」
「そりゃあ、あんたみたいなのは労わらなくても勝手に回復するからね」
「お姫サマは特別扱いなー、へーい」
 びくりと肩を震わせた。アイヴォリの警戒を高める単語があったからだ。
 息を潜めていると、アイリスが男性に結構大きい石を次々と投げつけた。男性は身軽に全ての石を避けて見せる。おそるべき反射神経だ。
「ああもう! 拭くものありがと、さっさとあっち行きなさいよ」吐き捨てて、アイリスは再びこちらを見下ろす。「ごめんね、アイツはカジオンっていうの。あたしらは腐れ縁っていうか家族っていうか。後で何発かブン殴っておくから、怖がらなくていいのよ」
「…………」
 こんなにも活発そうで暴力的な女性に会うのは初めてだ。自分と同じ顔でこうも違うなんて、アイヴォリには不思議でならない。
 落ち着いて眺めると、似ているのは顔のつくりだけだとよくわかる。アイリスの肌色はより日に焼けていて暗いし、髪は顎の下に届くほどにしか伸ばしていない。袖のないチュニックから除く腕は筋肉が盛り上がっていて、陰影がくっきり浮かんでいる。
「喋れる? よかったら名前教えて? 服が立派だし、やっぱどこかの貴族のお姫サマかしら」
 質問に答えるまでに、しばらく逡巡した。名を明かして素性が悟られてしまえば身が危険ではないだろうか。ここが何処なのかわからないまま、助けてくれたこの人たちが、王国の敵か味方かもわからないのだから。
(このひとたち、教養がどれくらいあるかしら。どこの国の民かしら。もしかして本名を名乗っても、身分まではバレない……?)
 話し言葉は形になってはいるが、いたるところで発音が訛っている。単語の節目も不明瞭で、抑揚の付け方が粗い。聞き取る側の技量を試す話し方だ。
 すなわち、学を得ていない階級の出。
 アイヴォリの様相についても「服」にばかり注目していて、家柄をより的確に象徴する細かい装飾品や刺青にまったく注意が向かないのも、妙だ。そういった物に関する知識が無いのか。
 ――本来であれば口を利くべき相手ではない。
(でも助けてくれたわ)
 恩に報いないことには、シャルトラン家の誇りと品格を損ねかねない。
 心を決めて、姿勢を正す。起き上がらなくてもいいとアイリスは言ってくれるが、なんとか背筋を伸ばしたかった。
 視線も真っすぐにして、唇を舌先で湿らせる。
「初めましてアイリス、カジオン。まずは、助けてくれてありがとう。私の名前は――アイヴォリ」
 眼前の少女と、彼女の背後で大きな鍋をかき混ぜていた青年が、ギョッと目を見開いた。
「すごっ! 喋れるんじゃん! 言葉超キレイ、音楽みたい!」
「つーか声までアイリスに似てんな。気味悪ぃぜ」
「そんなことないわ」
「いいや、似てる。ピッチがアイリスよか高いけどよ、なんつーの、声質? 響き方? 似すぎててキメェ」
「キモイとか言うな! ホント失礼ね! 今すぐ蹴らせろ!」
「いいぜ来いよ、返り討ちにしてやる!」
 宣言通りに拳と蹴り技が飛び交う。このふたり、じゃれ合い方がどこまでも暴力的だ。
「あ、あの……」
 この様子では、素性を感付かれた心配は無用そうだ。胸を撫で下ろすと、今度はお腹から切なげな音がした。
 なんて恥ずかしい。笑ってごまかせる間もなく、カジオンが大笑いし出した。
「スープできてるぜ、食ってみるか? 吐いたばっかで腹減ってっだろ。具少なめで胃にも楽なはず。タブン」
 笑いの後に続いた呼びかけは――何故だかとても、優しかった。

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06:56:46 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-1. e
2018 / 06 / 30 ( Sat )
「名づけた人の趣味がすごかったって話。あれ、あなた小学校にもあがってなさそうなのに、漢字で書けるのね」
 手帳から目線を上げて、マキがふさふさのまつ毛に縁どられた目を意外そうに瞬かせる。つい注視してしまいたくなる動きだ。

 そんな折、青と茶の軌跡が視界の端で踊るのが見えた。
 彼らの知らせがなくとも、ミズチにも伝わっていた。まだ遠いが、相当な速度で近付いてきている。

「それより『まきちゃん』、ゆみを呼んだな」
「へえ! なんでわかったの。エスパーみたいよ」
 女が端末の画面をこちらに向ける。長い爪が邪魔だが、画面に己の姿が収まっているのがなんとか見えた。マキが会話の合間にさりげなく撮っていたらしい。ブレていて見づらいが、背格好や服装で丸わかりである。邂逅して間もなく送りつけたのだろう。

 続いた数秒の間で、ミズチは速やかに判断した。
 鉢合うまでここで待っても構わないが、この場合、様子を見たほうがいいだろう。

「保護者同伴なんて嘘なんでしょ。まずその格好、パジャマっぽい」
「きがえるの忘れてた」
 寝間着で外を出歩くのは人間の感覚では恥ずかしいことなのだと、指摘されてから思い出す。道理で何かと他人の遠慮がちな視線を感じていたわけだ。

「なに、喧嘩でもして飛び出したの? お姉さんに相談してみなさい」
 マキがニヤニヤ笑いながら両手を組んだ。だがこちらはもう去るつもりである。
「いらねー。じゃあな、あと、あやしいやつに気をつけろよ」
「ちょっと待って!」

 待たない。女の制止の声も伸ばされた手もかわし、ミズチは鉄紺と栗皮を連れて人込みの中に一旦身を隠す。数分も経つと物影に移動し、そこで自らの周りの水滴を浮遊させ、薄く膜を張った。姿を認識されなくする術だ。
 そして息を切らせた唯美子が駆け付けたのと合わせて、物影から踏み出た。何かにぶつかると術が解けてしまうため、慎重にマキの席の後ろに回る。

「ナガメ!? あ、真希ちゃん、連絡ありがとね」
 唯美子は空いた椅子の背もたれに手をのせ、ぜえはあと苦しげに呼吸を繰り返した。探し人の姿がないことに眉の端を下ろし、きょろきょろと辺りを見回している。
 ――なぜ彼女は走ってきたのだろう。
 急ぐ理由などどこにもなかったはずだ、むしろ、吉岡由梨と談笑していたのではないのか。汗に濡れた前髪をかきあげる唯美子を、ミズチは奇妙な心持ちで眺めた。

(いいにおい)
 ひそかに。当人に気づかれずに、近くで観察する。
 唯美子をかぐわしいと感じるのは、捕食衝動とは別のところから生じているように思う。数百年生きてきてニンゲンを喰らったことは確かに何度かあったが、美味いとはまったく感じなかった。今でも、ニンゲンよりも食べたいものはいくらでもある。

 生物が同族の異性をかぐわしいと感じるのとも、おそらく違う。敢えて言葉にするなら、彼女が心から発する優しい波動が、好きなのだと思う。
 傘を置いて行ってくれた日からだ。
 彼女だけの呼び名を聞く度に、よくわからない感覚をおぼえる。うれしい、のかもしれない。

「やっほー、いいってことよ。でもごめん、ついさっき逃げられちゃったわ。なんなのあの子? あんたが来るの、前もって気づいてたみたいだけど」
 マキが気さくに応じた。まあ座りなよ、と手の平で示している。唯美子は促されるままに腰を下ろした。
「逃げたの……。ううん、気にしないで。あの子はひとりでも大丈夫だから。いつものことだよ」

「そうみたいね。ねえ、ゆみこって親戚にハヤシさんがいたのね。初耳」
「木が二つ並んだ字のハヤシさんのこと? いないよ?」
 そうなの、と訊き返したマキの声が明らかに驚いていた。唯美子もまた驚いた顔をしている。
 これが何の話かは、ミズチにはいまひとつ掴めない。

「名前、なんていうのって聞いたらこう書いたんだ。この字で『ナガメ』は、読めなくもないな」
 マキが手帳を開いて見せると、唯美子は上体をテーブルの上に乗り出し、真剣な面持ちでページを見つめた。納得の行かないような顔だ。
 自信があったのに、それほどまでに変な字だっただろうか。

「ゆみこさー、電車乗ってきたんだよね。わざわざ来たんだし、今から映画観ない? 実は今日、デートの相手にドタキャンされちゃって。チケットおごるよ」
「うーん。お母さんが家にいるんだよね」
「ちょっとくらいいいじゃないー」

「そうだね、あの人は放っておいても自由に動き回るだろうし、とりあえず訊いてみるね」会話にしばしの間があった。唯美子の端末が鳴るまでの数十秒だ。「好きにしていいよだって。晩ごはんまでに戻りさえすれば」
「やったー!」

 そこまで聞いて、ミズチはその場を足早に立ち去った。映画館となれば二人は少なくとも数時間は一か所に留まることになる。
 ――その間に探してみるのもいいか。
 指を軽く振って眷属の二匹に合図を送った。
 追跡すべきは、特定人物に向けられた『悪意』だ――。



いつにもまして漢字vsひらがな表記が不安定な今作ですが、生ぬるい目で見守っていただけるとうれしいです…(;´Д`)

2話でお会いしましょー☆彡

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08:21:07 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-1. d
2018 / 06 / 25 ( Mon )
 深く考えずに、香立ての前であぐらをかいた。割と最近に誰かが来たのだろう、新鮮な花が飾ってある。
 ミズチは頬杖をついて物思いにふけった。
 自らに、死者に語りかける習慣があるわけではない。墓石をつくるという慣習はニンゲンだけのものだ。死者を悼むことからして、地球上のどこを探しても、ニンゲン以外に取り組む種がいない。

 失った家族を恋しがる動物ならありふれている。寂しさにとりつかれて後を追うように衰弱する事例は広くあるし、植物にもそれがないとどうして言い切れよう。だが、複雑なシステムを作り上げてまで「去った者を能動的に思い出す」のは、ニンゲンだけのように思える。
 そうする行為に意義を見出すのは遺された生者だけかと思っていたが、案外そうでもないのだと過去に教えてもらった。

 不思議だ。
 忘れないでくれ、時々でいいから思い出してくれ――そんなわがままな願いを、愛する者に投げつけながら逝くのも、ニンゲンだけではないだろうか。わかったよ思い出すよと口約束をしてやるだけで、死ぬ時の表情がまるで別物になるのだ。
 命を次世代に繋ぐ術を持たない獣には不可解なことばかりだった。

(二ホンに戻ったんだから、あいつのとこにも行ってやらないとな)
 胸中に浮かぶ感情をなんと呼ぶのか、ミズチはまだ知らない。別段、知りたくもない。
 ぼんやりと仏花の色合いを脳内で評価していると、ふわり、慣れ親しんだ生命の波動が頭上を旋回した。頭頂部の髪が僅かに乱れた。

「どした? 鉄紺」
 大型アオハダトンボの雄の飛び方に動揺が表れている。ただならぬ事態が起きたのかと懸念した。
 主と眷属に音声言語は不要だ、意思の矢印みたいなものを拾い合うだけで事足りる。思念を丁寧に受け取り終えると、ミズチは脱力して姿勢をだらりと崩した。

「そんなん、おいらに言われても。ニンゲン同士で解決すればいいじゃん」
 声に出して返事をするのは、他者との「会話」のしかたを反復練習するためだ。
 鉄紺は飛び回りつつ、自身が持ち帰った情報の重要性を再度主張する。
「あー、あー……そりゃほっとけねーかな。わーったよ、様子を見るだけなら」

 どうせ今日は暇だ。
 呟きながらも足を高く蹴り上げる。次に両足を勢いよく蹴り落として腰を浮かせ、ぴょんと跳ね起きた。

     *

 県内で何番目かに大きい駅にふさわしく、にぎやかな場所だ。近辺にはニンゲンが好む娯楽施設――カラオケやら映画館やらバーやら――が幾つも並んでいた。
 土曜日の朝は人通りが多いのか、横断歩道の信号機が緑色のアイコンに変わる度に、人がうじゃうじゃと動き出すのが見えた。

 行きたいところもなしにミズチはそんな駅周辺をうろついていた。
 やがて、どこぞのカフェの屋外の席にするりと身を収める。
 先にそのテーブルに座っていた長髪の女が、驚いたように手の中の端末から顔を上げた。テーブルの上には手帳とシャーペンが、もう片方の手には、飲み尽くされて氷しか残らない何かのドリンクの抜け殻があった。甘ったるい残り香は、あいすかぷちーの、のそれかもしれない。ミズチは思わず嫌そうな顔をした。

「なに、あなた」女も嫌そうな顔をした。すぐに表情が移ろい、化粧っけの濃い顔に認識の色が広がる。「もしかして、ゆみこが預かってるっていう遠い親戚の子じゃないの。この前写真で見せてもらったわ」
 アパートでじゃれていた時に携帯端末で撮られた画像のことか、と得心する。

「そーゆーおまえは『まきちゃん』だ」
 肩の開いた派手な服装、目元を強調した化粧。それだけで特定したのではない。というよりも、ミズチは見た目で判別しない。
 もともと蛇は視覚より嗅覚に頼る生物だ。擬態に際して視覚の機能を多少向上してみたものの、興味のないニンゲンは基本的にみな同じに見えてしまい、誰が誰なのか断言できなくなる。
 識別する材料は匂い、そして気配(これもトンボたちの方が精度が上だが)に限る。

「こら。年上のお姉さんに『お前』はないでしょ。生意気ね」
「…………」
 断じてこの個体はミズチよりも年数を経ていない。が、それを口にするわけにもいかず、首を傾げるだけだにした。
「あなたの家庭の事情はよくわからないけど、しばらくゆみこのところで厄介になるんでしょ? 大変ね、あの子も」

「ふーん。どうたいへんなんだ」
「どうって……」
 マキの顔にはいかにも「がきんちょに教えても無駄」と書いてあったが、一応答えることにしたらしい。
「世話する手間はもちろんのこと、遊びに行く時間も減るし。彼氏だって――あれ? そういえばあなた、ひとりで出歩いてるの」

「ひとりじゃない」
「ホントに? 保護者は?」
 疑惑いっぱいで、ピンク色のケースをはめた端末を口元に当てながら、マキがこちらを窺う。瞬く睫毛が不自然なまでに長い。たぶん、偽の毛を取り付けているのだろう。
「こう見えてどーはんしてるよ。おまえのしんぱいには及ばねー」

「難しい言葉を知ってるのね……」
「それよりカレシがなんなんだ。別にゆみに男ができよーが、おいらには関係ねーんじゃん」
「関係ないわけないでしょ。あなたに居座られてると、デートに出かけられないのよ。家にも呼べないし」
「なるほど、相手ができても交尾できないって話か」

「こうっ……!? あなたんちの親はどういう教育――……そういえば、あなた名前なんていうの? ゆみこに聞いてなかったわ」
 呼びづらさに今更気付いたのか、マキが端末を下ろして改めて聞いた。
 ミズチはまずその爪先に目をやった。ピンク色の爪がやたらと長いが、形が均一だ。これも作り物か。

 テーブルの上を舐めるように眺めてから、手帳とシャーペンを手に取る。後ろの方の空いているメモページに三文字書いて、持ち主に返す。
 開かれたページを顔に近付けて、マキは口元をひくつかせた。

「……キラキラネーム?」
「なんだそれ」
 聞き覚えのない単語に、またも首を傾げる。

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08:26:54 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-1. c
2018 / 06 / 23 ( Sat )
「ああ言えばこう言う! いけ好かない奴だよおまえさんは」
「ひよりに好かれたいと思ったこたぁないなー」
 そう返してやると、女は額を押さえて深くため息をついた。動きにつられて、かんざしの先についている金色の扇子を模した部分がしゃりんと揺れる。一瞬そこに視線が釘付けになった。こういった細やかに動きは、つい目で追ってしまう。

「おまえたち人外は厄介だよ。『蛟』ほどの個体ともなれば、悪意や真意を悟らせないようにうまく隠せるだろ? まあ……ゆみが気に入ってる時点で、たぶん悪意はないのだろうね。あの子には、そういったモノが視えてしまうから」
「わかってんじゃん」
 ミズチは数歩の距離を保ったままに、中庭でごろんと横になった。逆さの視界の中で、ひよりを見上げる。

 目の前のこの和服女は、おそらく既に己の寿命の半分以上は生きているという。その面貌には皺もあればシミもあり、笑っていない間は、全体的に皮膚が緩やかに垂れているように見える。
 大抵の生物には当たり前に訪れる、老い、というものの一環だ。老化現象に取り残されたミズチには掴みづらい概念だが、どうやら漆原ひよりはそれなりに老いているらしい。

 それが能力の衰えと同義かは知れないが、少なくともこの家を囲って張り巡らされた微かな結界の糸はなおも頑丈だ。術者と命をかけてやり合う気がなければ、簡単に破れるものではない。
 ゆえに、術者の許しを得るか唯美子が自ら出てくるまで待つしかない。いつものことだ。よほど目を凝らさなければ見えないこの銀色の糸は、許可なく入ろうとする侵入者を拒むが、内から出ようとする住人をあっさりと通す。

「どうして、そんなにしつこいんだい」
「ゆみが好きだからじゃねーの」
 と、感慨のない声で答える。
「信じられないね。獣《ケモノ》が何の見返りも求めずに、自分よりずっと弱い生き物に愛着が沸くものかね」
「さー」

「おまえさんのそれは、庇護欲じゃないか」
「なんだそれ」
 ぐるんと反転し、肘を支えにして上体を起こす。ひよりは縁側に座したまま前のめりに身を乗り出し、胡散臭いものを見るような目で言った。
「ゆみを愛玩動物《ペット》みたいにかわいがってるつもりなんだろ」

「ペット? ってなんだ。眷属みたいなもんか?」
「いや。上下関係はあるけど忠誠とか家族じゃなくてもっと生活の上で依存した……ああもう、どうせわかりゃしないのに、説明がめんどうだね」
 女は諦めたように膝の上に片手で頬杖をつく。

「よくわかんねーけど。なんびゃくねんの生の中でニンゲンに善意をもらったのは二度目だ。もっと観察してみたいと思ったのも、な」
 さわっ、と木の葉が風に揺らされてこすれ合う音がする。
 放たれた言葉の意味を咀嚼する間、女は値踏みするような目でこちらを見下ろした。

「いいじゃん、あそぶだけ。おいらがついてんだ」
「おまえさんはそれでよくても、ゆみには異形にかかわってるだけでも危険なんだ。理由はわかっているくせに」
「けどあいつ他にともだちいないだろ。ほっといたら夏中家からでないんじゃねーの」

 ひよりは何か言い返そうとして口を開き、一拍して、唇を閉じた。事実であるから、反論を持っていないのだろう。
 そのうち、家の中から「おばあちゃーん」と呼ばわる少女の声が響いてくる。
「……仕方ないね」
 迷いの残る目で、ひよりはこちらから視線を外した。


 回想はそこで終わりだ。
 あの頃と同じ姿のミズチは、黒い墓碑の前で頭をかいた。

「踏んでも平気そーなやつだったのに……『がん』かあ」
 病気というものは、頭では理解できても真に実感を抱くことはできない。
 ひよりが息を引き取って間もなく、あらかじめ設定してあったらしい式神が発動して、ミズチの元まで飛んで彼女の死去を報せてくれた。術式とはいえ遠く離れたギリモタン島までは時間がかかり、更にミズチ自身が日本まで来るのにもそれなりの時間を要した。

「遅れてわるかったな。おまえとのやくそくも、ちゃんとまもるよ」

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22:08:28 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-1. b
2018 / 06 / 18 ( Mon )
 その問いに対して、母が重くため息をつき、少年は舌をべっと突き出した。
「ながめ? ――ああ、おまえが化け物につけた名ね。もちろん知ってるわ。昔、こっそり唯美子を遊ぼうと誘い出しては、傷や泥だらけで連れ帰ってきた嫌なやつよ」
「そうだっけ?」

 正直、唯美子が思い出せたのは雨の中で出会った最初とその次の邂逅だけである。
 チラリと当事者の方を見やるも、彼は目線をあさっての方向に飛ばして、何も語るまいと唇を引き結んでいる。

「そうよ。百歩譲って遊ぶのはいいとしても、ミズチみたいな化け物には人の労わり方も思いやり方もわからないの。何度も無自覚に危ない目に遭わせたでしょ。唯美子が風邪をひいて帰ってきたのは一度や二度じゃないわ。湖で溺れた時だって――」
 ひと息にまくしたてながら、母は押し込むように入ってきた。慣れた手つきで古びたスニーカーを脱いで揃える。

「吉岡由梨にはかんけーねーだろ」
「関係ないはずがありますか。母親ですよ! 一生心配するし、小言も言わせてもらうわ」
「んなこと言ったって、おいらにはよくわかんねーよ。オヤってーのは」
「わかるはずがないでしょう。化け物だもの」
「わるかったなー、ニンゲンじゃなくてー」
 応酬は一向に止まりそうにない。これではいけない、と唯美子は駆け寄った。

「ね、立ち話もなんだし、二人とも中で落ち着いて」
 ところがナガメの方がくるりと踵を返した。一度閉まったばかりの扉をまた開けている。
「どこ行くの?」
「てきとーにその辺。そいつが帰るまで、もどらない」

「残念だったわね、今日は泊まっていくわ」
 母が、自身が引いて来たキャリーケースをぽんぽんと叩く。
 少年はそのまま無言で出て行った。晩ごはんどうするのと訊く暇もなく。
(いいのかな……)
 実際、心配する必要はないのだった。彼は以前言った通りに、週に数度何かを口にしただけで十分らしく、睡眠ですら毎日とらなくてもいいらしい。放っておいても自力で生命活動を維持できるだろう。

 何も心配はいらないというのに、胸の奥に沸き起こるこのモヤッとした感触はなんなのだろう――。
 ふと、母の視線と視界の中でひらひらと振られているものに気付いた。薄緑色のふっくらとしたパックだ。

「ちょっと前の旅行のお土産。お高い煎茶らしいわ。これで、お茶にしましょ」
「いいよ」
 破顔し、唯美子は湯飲みや急須を用意した。次にトラの印がついた給湯ポットに向かった。
 二人でちゃぶ台を囲んで、高級煎茶を堪能する。猫舌気味の唯美子には80℃でもまだ少し冷ましたいくらいなので、のんびり飲んでいる。

「大丈夫だよお母さん。ナガメはあんなだけど、わたしを危険に巻き込んだりしないよ。むしろ何度も助けられてる」
 ふう、と急須に軽く息を吹きかける。九月とはいえまだ暑く、水で淹れられなかっただろうかと今更ながらに思案した。これを飲んだら余計に汗をかきそうだが、こうなっては致し方ない。
 母はなかなか言葉を継がなかった。

「……それなら、いいけど」
 今の間は何だったのだろう。色々と訊きたいことができたものの、「仕事どう?」と先に質問されたのでひとまずミズチの話は打ち切られてしまった。

     *

 在りし日の漆原家が住んでいた家は、山麓の住宅街にあった。地価の安い県だ、一般家庭が買えるレベルの一戸建てでも快適に広い。
 当時は三世代で暮らしており、仕事で出払う他の大人たちに代わって、漆原ひよりが孫・唯美子の世話をすることが多かった。唯美子と知り合って間もないミズチも、既にそのことを知っていた。

 ひよりは、こちら側に踏み込んでいるニンゲンだ。漆原に嫁いだ彼女は元からそういった素質を秘めていたらしく、そのことを自覚して、己の潜在能力を引き出す修行をした。
 彼女とは顔見知り程度に面識があったが、それが雨の日に出会った少女の祖母だと知ったのは、より最近の話である。

 ある夏休みの日のことだ。
 蛙狩りに行こうと唯美子を誘いにやってきたら、うかつにも気配を消すのを忘れていた。
 和室の縁側でくつろいでいた和服姿の女が、素早く目を見開いた。

「おまえ……ミズチ、また来たね」
 おう、とめんどくさそうに返事をする。
「帰りなさいな。あたしの目が黒いうちはゆみに手出しさせないわ」
「じゃあ、ひよりが死ぬのを待てばいい?」

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07:01:04 | 小説 | コメント(0) | page top↑
考えた…
2018 / 06 / 12 ( Tue )
個人的な話になりますが、我が家族・親族は全体においてマルチリンガルです。いろんな文化をミキサーにぶっ込んでみたみたいなバックグラウンドです。

そんな家庭で育った私は中途半端にあの言語やあの言語が話せたり聞いて理解できたりするわけですが、ひとつの問題に気付きましたよ。祖父はぼけ始めた頃から母語しか喋らなくなり、今では日本語は簡単な単語以外ほとんど消えてしまっています。

私「お父さんがぼけ始めたら何語をしゃべるんだろう。私は〇南語を勉強した方がいいのか?」
父「結局はじいちゃんみたいに入れ歯がなくて、何を言ってるのか誰にもわからないから」


……それもそうだな…w

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06:12:31 | 余談 | コメント(0) | page top↑
2-1. a
2018 / 06 / 09 ( Sat )
 九月に入ってから二度目の土曜日、ようやく唯美子は壁のカレンダーを放置していたのだと気付く。ぺらりと片手でページをめくりあげ、カレンダーは夏の風景から秋の風景写真に入れ替わった。紅葉が舞う部分になんとなく指先を滑らせたりもする。

 時の流れはあっという間だ。会社の同僚と海に行ったのがまるで遠い昔のように感じる。
 いつの間にか、いたはずの人物がひとり消えて、どこの記録や誰の記憶にもその男が存在した痕跡が残らなかった。末恐ろしい話だけれど、それはそういうものだという。後始末や裏工作が得意だからこそ、彼らはヒトの警戒網から逃れ続けてきたわけだ。

「わっ!?」
 考え事をしながら薄闇に包まれた居間を片付けていたのがいけない。いきなり柔らかいものにつまずいてしまった。
 ちゃぶ台が眼前に迫る。咄嗟に腕を突き出して、倒れ込むのを阻止した。

(あぶなかった)
 自身をつまずかせたものを探り、ちゃぶ台の下を覗き込む。そこに、十歳未満の少年が座布団の上にうつ伏せになって寝ていたようだ。突然の衝撃に起こされて、眠そうに唸っては頭をもたげている。

「ごめん、今日ここだったんだね」
 ところかまわずに横になる彼にも非はあるが、蹴ってしまったことにはすかさず謝っておいた。
 小鳥が陳列した赤いパジャマを着たこの少年は、不定期に唯美子のアパートに遊びに来ては、いつの間にかいなくなっている日もあれば、朝までよくわからないところで寝ている日もある。昨夜は後者だったようだ。

「うー……もう朝かぁ」
「午前八時だよ。ナガメ、起きたのなら顔洗ってうがいしてきて。それで、ちょっとここ片付けるの手伝ってくれる?」
「ぬー」
 嫌そうな声を出しながらも、彼は半分だけ目を開ける。ボサボサの黒髪を指で梳いて、のっそりと起き上がった。

 半目のままではあるが、ナガメは望まれた通りの行動をとった。彼は寝起きの時が一番素直なのかもしれない。
 そして少々、無防備だ。
 カーテンの隙間から漏れる朝日が、ちょうど少年の右腕を照らした。そこに、ぬらりと、鈍く光を反射する部分があった。

 鱗である。
 人間の七歳ほどの男児とほとんど見分けがつかない姿をしていながらも、ナガメは人間とは異なる存在だった。では何なのかと問われても、唯美子は完全に答えることができない。
 以前、質問にはゆっくり答えてやると彼は言った。その割にはお盆の季節に何も言わずにふらりといなくなるなど、未だに見えない一線を画されている感じはする。

 結局ナガメは自分のことはあまり教えてくれなかったが、自分たちの性質については教えてくれた。
 数百年の生を経て龍の位階に登った蛇、わかりやすく呼んで、蛟《ミズチ》。彼のような異形は人間が認識している以上に数多く、ひそやかに人に紛れて暮らしているという。

 妖怪の類と混同されることもあるが、彼らは実体を持っていて生物寄りだ。その辺りの説明は、学生時代の生物の授業をあまりおぼえていない唯美子には難しかった。
 ――生物でありながら、既存の生物の枠からはみ出たもの。

 いつだったか、誰かが獣《ケモノ》と呼び始めた。
 通常、遺伝子がタンパクに翻訳され肉体を構築していくはずだが、獣においてはその過程に謎のあやふやさが、柔軟性がある。なんと言っても変化ができるのだ。しかしいくら変容した彼らを調べたところで、元々属していた種の遺伝子と大した違いが見られないらしい。

 一方、生殖能力は確かに失われている。代わりに「精神力」と「生命力」を軸として、長い長い時間を生きられるそうだ。
 そんな彼らの本質が瞳に浮かびあがる瞬間を、何故か唯美子には視えるらしい――

 ――ぴーんぽーん。
 呼び鈴の間延びした電子音が、思考を中断させる。
 思っていたより到着が早い。両手いっぱいに雑誌を抱えていた唯美子は、玄関とナガメを見比べた。出てくれる? と目で訴えかけると、少年は意を汲んで出入口へ向かっていった。

 その間に雑誌を縛って隅にやった。背後では、ガチャリと扉が開く音がする。ナガメは無言で来客に応じたのか、しばらく沈黙があった。
 次いで鋭く息を呑む音が重なる。

「げっ、吉岡由梨」
「あんた!? まさか、『みずち』……! カンボジアとかに行ってたんじゃないの!」
「インドネシアな」
「どっちでもいいわ! なんでいるのよ! お義母さん――じゃなかった、ひよりさんが追い払ってくれたと思ったのに! また唯美子につきまとう気!?」

「はあ? 別においらは、ひよりに追い払われたんじゃねーし」
 いきなり険悪だ。唯美子は玄関付近を振り返った。二人の間に入って言い合いを止める決定的なひと言が放てたならよかったが、驚きの方が勝ってしまった。
 唖然となって二人を順に指さす。
「……お母さんとナガメって、知り合いだったの?」

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13:36:42 | 小説 | コメント(0) | page top↑
あふふ
2018 / 06 / 06 ( Wed )
戻ってきました。書きたい欲が駆け巡るぜうずうず。

黒赤の公募の話ですが、案の定(?)二次落ちだったので、まずはブログとサイトから再公開します。久しぶりに彼らに会いに行ってやってください。

ただいま! (´ぅω・`)ネムイ

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10:42:37 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
明日から旅行っす
2018 / 05 / 23 ( Wed )
なので、二章投稿は戻ってから開始します。

ちょうどいい機会なので、日本の生活らしさというものを今一度勉強してまいりますw なんだろう、こっちで生活してると座布団とか座椅子とかちゃぶ台とか布団とか畳とか、全然意識にないんですよ。畳の匂いとか意識して思い出さないとならないし、1LDKとか1DKの違いをぐぐらないといけないのですよ。

年中ソファとベッドですから…。

朝から晩まで日本語喋るのって、毎度ながらびびります。すごい、私一日中日本語喋ってる! ってなります(当たり前だ

しばらく留守にしますが、また後ほどかまってくださいね(⌒∇⌒)ノ

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00:52:03 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
ひと息ついてまた
2018 / 05 / 18 ( Fri )
どうも、ツイッターのせいか(ぁ)最近あまりブログで騒がなくなっているけど元気な、甲です。

ゆみみずを小説家になろうに投稿して数日経ちますが、読了などを見る感じでは、おおむね好評みたいです。よかった(´▽`)

ガチガチのファンタジーも楽しいけど、ローファンは現代語を遠慮なく使えるのがいいですね。そのうち「甲さんそれはもう死語ですよ」とか言われそうなのは、ともかくして。

5月16日締め切りのピュアフル大賞に滑り込みで応募してきましたw

10万字推奨なので多分力及ばずになってしまうでしょうけど、誰かの琴線に触れないかなとちょっぴり期待しつつ。

二章を書いていきますよっと。引き続きよろしくお願いいたします!


あと、来週水曜から日本行きます。(旦那つれて)(日本はじめてよ)
だからどうと言うことはないですが、皆様と同じタイムゾーンになるのがちょっとドキドキです。

ていうか94歳ほどのおばあちゃんが我が夫と対面するというのはよく考えたらとんでもないことでありますよ。やばい。やばすぎる。子供の頃、一時帰国から戻るたびに「次はじいちゃんばあちゃんに会えなかったらどうしよう」と胸に不安を抱いていた私が、まさかここまで来れるとは。うん。ばあちゃんは一体いつまで生きるのかわからないけど、この機会を大事に、思い出の写真をいっぱいとりたいと思います。

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23:43:12 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
1-3. e
2018 / 05 / 15 ( Tue )
「え? そんな怖いこと考えてないよ。ただ、あの人たちは悔い改めも償いもしないのかな、って」
 ナガメは不可解なものを見るような顔をした。子供の姿の時の表情をそっくりそのまま大人にしたようで、不思議だ。普通は、誰かが年を重ねる前後の姿を見比べる機会は写真や映像の中でしかない。

「たとえばコモドオオトカゲが人里に降りて人を喰い殺した時、その個体に悔い改めて欲しいと思うか」
「なんでそんなマニアックなたとえなの」苦笑する。「えっと、思わないかな」
「な、人を喰った動物は退治するか、遠くに追い払うかするだろ。害獣だっつって。種をまもりたいなら、不安要素は放っておけない」
 ――言われてみれば、そうだ。

「でもコモドオオトカゲとは意思疎通ができないよ」
「さっきのやつらとだって、言葉が通じても意思疎通ができるかはわからないぜ」
 それで遠くへ追い払ったのかと思えば、どこか納得できそうだった。でもこの場合は唯美子にとっての遠くであって、人里に届かないようなところではない。また犠牲者が出ることは十分に可能だ。そう漏らすと、ナガメは二匹のトンボたちを指先にのせて遊びながら、実にどうでも良さそうに答えた。

「人類のことは人類がどうにかすればいーだろ。俺がまもるのは、ゆみだけだ」
「そ、そう」
 感覚の不一致に、越えられない溝を感じる。先述の通り、言葉が通じても理解し合えるわけではないのだと思い知らされているようだ。
 けれど彼は助けてくれた。今はそれだけに、感謝すべきだろう。

「ナガメ、ありがとう。ごめんね忘れてて。十七か十八年前のことだから」
 難しいことを考えるのはやめだ。昔そうしてもらったように、今度はこちらから彼の手を握る。
 握り返してきた指は記憶の中のそれと違って骨が太く、慣れない感触だった。心臓が二、三度大きく跳ねる。
 作り物の温もり――ぬるま湯のようで、触れているとなんだか気が楽になる。
 ニヤリ、青年は片方の口角だけを吊り上げた。

「やーっと思い出したか。まあ、思い出せなかったのもたぶん、ひよりの術のせいだろーな」
「また、おばあちゃんの術――」
 タイミングを見計らかったかのように、地鳴りのような低い轟きが響いた。と言うのは大げさで、実際はただの腹の虫だったが、恥ずかしい。いいかけていた言葉を飲み込み、唯美子は耳元の髪を指先でいじった。
 歩いて帰らないかと提案する。ナガメは手を振って却下した。

「何時間かかんだよ、それ。川でも使った方が早くね」
「川を使うという発想がまずよくわからないのだけど。あ、そうか! きみ、蛇の姿にもなれるんだよね」
 そう言ってぽんと手を叩き合わせた時、何かもうひとつ大事なことを思い出しそうになったが、空腹のせいかうまく頭が回らない。

「ん。『蛇』は手の平サイズ、『蛟』だと全長十メートル。ミズチっつってもその単語が一番わかりやすいから使ってるだけで、記録の中の蛟と比べて、独自の生態があるから」
「自分のこと、生態とかいうんだね」
「生態は生態だろ。だから、蛟の姿なら川」
「待って。きみが何を言おうとしているのかわかってきた。やっぱり、タクシー呼ぼう」

 両手を突き出して制止を呼びかける。いくらナガメが一緒とはいえ、水辺や鱗はできれば触れずにいたいものだ。
 ふいに静寂があった。もしや、断ることで傷付けてしまったかと焦る。
 唯美子が少し上に目線を上げると、そこには、難しい顔をして額を押さえる青年がいた。どうしたのと問いかけると、ナガメは歯切れ悪く言った。

「いや……たくしぃってなんだっけなって。車の種類なのはおぼえてるけど。うーうー鳴るやつか?」
「タクシーは鳴らないよ。お金を払って車で快適に送り迎えしてもらうシステム……?」
 乗ればわかるから、と唯美子は思わず笑って返した。

     *

 外食は節約の敵だ。多少の空腹を我慢することになろうとも、自炊がベストの選択と言えよう。
 残り物のご飯に冷凍野菜を加えてサッと炒飯に仕立て上げ、卵でとじる。後は豆腐とワカメたっぷりのみそ汁でたんぱくを補えば事足りる。
 ごはんできたよと呼ばわりながら振り返ると、なんとちゃぶ台の前に、七歳くらいの少年がちょこんと座っていた。危うく皿を取り落しそうになる。

「いつの間に縮んだの!」
「体積を減らすへんげは四十秒でできるぜ。外皮は特殊仕様でみずにとけるから、トイレにながしとけばすむし」
「うわあ……」ドン引きだ。この話題はあまり引きずりたくなかった。唯美子は散らばってた雑誌や新聞紙をちゃぶ台の上から落として、皿を下ろす。「きみも食べるよね」
 訊くと、黒い目線がぐるんとこちらを向いた。

「きょう何曜日だ」
「金曜日だけど、それがどうしたの」
「じゃーくわなくてもいいや。小さいときは、省エネだし」
「なに言ってるの。少しでいいから食べないと」
 半ば強引に小皿とスプーンを持たせ、ついでに「いただきます」などの挨拶について教え込んでおいた。こうなってしまえば、意外に彼は素直だ。咀嚼音とテレビの音が、しばらく続いた。

「ごちそさま。しってたか、ゆみー? ヘビの舌って、ほぼ味覚がねーんだよ」
「えっ」
 この時にして、もしかしたら本日一番の驚きに出会ったかもしれない。驚く点の多い一日だったのだから、相当だ。
「なんとかソン器官のほうに、舌でひきこむんだよ」
 思わずスマホで検索した。厳密にはヤコブソン器官というらしい。

「それで『多分おいしい』なんて感想になるんだね」
 スマホから顔を上げた唯美子は、あれ、と目を瞬かせた。少年の朗らかな笑顔に、違和感をおぼえたのである。その源を特定しようとして、さんざん見つめることとなった。
 歯だ。前歯の欠けている部分が、大人の時と子供の時とで違うのだ。欠けた歯の種類も、位置も合わない。そう指摘した。

「こっちは子供の歯が抜けた穴で、あっちは大人の歯が殴られて折れたんだよ」
「うん? 脱皮して変化してるのにそういうの関係あるの」
「まあ、いいじゃねーか。細かいことは」
 あからさまにはぐらかされた。
 そして追究する間もなく、にゅっとナガメが唯美子の腕の下をくぐり、懐に入ってきた。きゃ、と反射的な悲鳴を上げる。
 腹部に小さな背中が当たっている。嫌ではないが、変な感じだ。

「ナガメは、大人の時と子供の時とでちょっと雰囲気違うね?」
「おう。ニンゲンのたいどって相手の見た目によってかわるから、こういう姿なら、あまえほーだいなんだろ」
「……なんか作為的だね」
「うけうりだけど。そーゆーもんじゃねえの」
「たぶん根っこのところではみんなそうなのかも……そんなこと考えながら生活してるのって、計算高い感じがするけど」

「ケーサン?」
 少年がぐりっと頭を後ろに傾けた。双眸に光る黄色い環は、時折現れては消える。それは「ミズチ」の非人間的な本質を象徴しているようだった。
 この子は、人間を冷静に分析していながら、さらなる一歩を踏み込む気がないのではないか。計算高いのではなく、本当に素直に、誰かに言われたことを実現しているだけに思える。

「ううん、気にしないで。それよりきみはいつまで居座る気なの」
 流れで夕食に誘ってしまったが、彼にも帰るところがあるのではないか。
「ゆみが死ぬまでかなー。だってほっとけねーし」
「……それってすごく長くない?」
 困った顔で問い返すと、ぶかぶかの服に着られている少年はニッと笑んでみせた。

「おまえもききたいこといっぱいあんだろ? ゆっくりこたえてやっから。これからめんどーな目に遭うんだしな」
「でも」
「おいらは長寿だ。不死じゃないけど、不老なの。ゆみひとりの人生に付き合ったって、何も減らないどころか暇が有り余るんだな、これが」

「わたしの生活費が……というよりきみの食費……」
「一週間に一度食えりゃたりる。そんなにかさばんねーとおもうぜ」
 安心しろ、と彼は舌を歯の間にちろちろと出し入れしてみせた。ちゃんと人間の舌の形をしていたそれは、蛇である時の動作をそのままクセにしたようなものだという。
 唯美子が思い悩んだ時間はそう長くなかった。

(可愛いから、いっか)





長くなっちゃってサーセンッ
ミズチの擬態はいい加減なとこもあって、蛇の構造を人型のまま使ってたり、人間の構造を真似ているところもあります。自分ではうまいと思っているけど微妙に化かし切れていなくて、血が出ないのは雑さの表れみたいなものです。

これにて第一章は終わりです。いざ書き終わってみるとあまり言うことがないですね… 次でお会いしましょうとしか…w

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12:33:02 | 小説 | コメント(0) | page top↑
マスカダイン島に短編追加
2018 / 05 / 13 ( Sun )
ブログで宣伝するの忘れてた。読んでね!

https://ncode.syosetu.com/n7092dn/





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22:19:37 | 余談 | コメント(0) | page top↑
1-3. d
2018 / 05 / 07 ( Mon )
 さかのぼったのが数日分か、数週間分かは定かではない。
 ――けがしてる……。
 ひとつの思考をきっかけに、場面が断片的に再現される。
 その日も雨が降っていたが、唯美子は傘を手にしてしゃがんでいた。視線を注ぐ先は、地面でうごめく小さな生き物。

 ――あめ、しみちゃう。でもながくてうねうねしてるの、きもちわるいなあ。さわりたくないなあ。
 小さな生き物をどこかへ避難させてやりたかったが、運ぶ手段が問題だ。下敷きか何かで拾えただろうに、その時は思いつかなかった。

 触りたくないけれど、雨に降られているのがかわいそうだ。結果、傘をあげることにした。後に母に「ずぶぬれじゃない! ちょっと目を離した隙にどうやって傘をなくしたのよ!?」とひどく叱られたものだ。
 ――へびってなにたべるのかな。

 呟いても、答えはなかった。大人の手の平に収まりそうなほど小さい蛇は、弱々しく頭をもたげようとするだけだ。
 ――はやくげんきになってね。
 せめてものエールを送るつもりで、唯美子は蛇に笑顔を向けた。

     *

 建物がひしゃげてつぶれるような凄まじい破壊音の連鎖で覚醒した。
 浮遊感に、息が詰まる。寝ぼけた頭が発するそれではなく肉体全体で感じ取れる重力の欠如――つまりは落下が始まる予兆である。
 恐怖は抱かなかった。唯美子を包み込む気配が、安心をもたらすものだからだ。

(…………ナガメ)
 これが偽りの温もりだと言われても、俄かには信じがたい。自身の肩を握りしめる大きな手も、膝を支え上げる力強い腕も、作り物だとは思えなかった。あるいは真偽のほどは大して重要でないのかもしれない。信頼できると直感できるなら、それで十分だろう。
 着地の衝撃はほとんどなかった。

「先達に敬意を払えって、習わなかったのかあ? こいつの糸を引いてたのって、あんただな」
 成人男性の姿をしたナガメが、毒を含んだ声で言い放つ。
 数秒ほどの沈黙。さきほどまで喫茶店であったはずの瓦礫の下から、先にマスターが這い出て、恐縮したように深く頭を垂れた。

「まさか近くに上位個体がいたとは気付かず……礼を欠いてしまい、申し開きもありません」
「おう。わかりゃーいいんだよ」
「これからどうするおつもりですか。我々はニンゲンの法では裁けない。顔を変えることも、DNA鑑定をごまかすことだってできます」
「おとなしくどっか遠くに消えるんならどうもしないぜ。俺は別に、餌場荒らしがしたかったわけじゃねーし」

「慈悲を与えてくださり、感謝」
「はは、お前も大変だな。ニンゲンの味をおぼえた獣《ケモノ》は、大抵は餓え続ける。俺たちは確かに新鮮な内臓を喰えば生命力が跳ね上がるけど、喰った相手の思念も己の血肉に吸収されるからな。その業を消化できるほどの精神力がなければ、狂った化物と化すだけだ」
 次のひと言は、マスターの後方からゆらりと立ち上がった影に向けられていた。

「ニンゲンの思念は、重くて粘っこいだろ。案外ギリギリのとこで理性保ってんじゃねーの」
「せっかくの、すごく、うまそうな、エモノ! じゃまを――するなぁっ!」
 影は威嚇するように呼気を吐いた。察するにこれが笛吹の本性なのだろう。「これ」と会話して食事をしていたとは、なんと不気味な……。
「頭冷やせって。もっかい吹き飛ばしてほしいみたいだな」
 唯美子はただ息を呑み、悠々としているナガメにしがみついた。
 そこに、マスターが間に入って手を突き出す。

「ご心配には及びません。力ある眷属を育てたかったのですが、いつの間に勝手に食の範囲を広げて、収拾がつかなくなってしまいました。この個体はいずれ、私の方で『処理』します」
「おー、ぜったい半径百キロ以内に戻ってくんなよ」
「はい」
 二つの影は瞬時に折り重なり、突風を伴って消えていった。悔しそうな雄叫びも一緒になって遠ざかる。

 今になって振り返ると、笛吹秀明が真に経理課の先輩だったかどうかに自信が持てない。初めて会ったのがあの合コンで正しいのか、またはいつから勤めていたのかを思い出そうとしても、頭の中に靄がかかったように判然としない。

 これまでに得た情報を疲れた頭でかき集めると――彼は、彼らは、人間ではないもので。この周辺で(死体を隣の県に捨てたりして?)、人に害をなしていたのだという。
 非日常感が強すぎてなかなか理解しきれない。自分は死にそうになっていたのか。食べられるところだったのか。
 騒ぎを聞きつけた者が駆け付けるよりも早く、ナガメもあっという間にその場を後にした。サイレンの反響から離れられたところで、やっと地に下ろしてもらった。

「泣いてんのか、ゆみ。よしよし怖かったな」
「……違うの。わたしは助かったけど、助からなかった他の女の人たちがどんなに怖かったのかと思うと、ほんとにこれでよかったのかなって」
 ふと頭を撫でる手が止まった。
「報復したいって意味か?」



グロ派手人外バトルを描こうか迷いましたけど、今回は導入部でソフトスタート(唯美子にとっても)なのでおいおい行きます。書く前に抱いていた悪役像が結構あやふやだったので、書きながら勝手に進化していったのが面白かったです。

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23:46:14 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-3. c
2018 / 05 / 03 ( Thu )
「ひどい。なんでわらうの」
「ごーめんって。ほら、やってみろよ」
 彼はもう一度両腕を広げた。加えて、目を閉じ、雨に感じ入るようにして顔を天に向ける。
 そうすることに何の意味があるのか。

(やってみればわかるかな)
 とりあえず真似をしてみた。本音では自分も、怖いという気持ちを捨てられたら楽になれるだろうなと思う――
 瞼が下りた瞬間。ぐらりと、上体を支える体幹が傾いだ。パッと目を開け、姿勢を調整する。
 一方のミズチは相変わらず瞑目して雨天を仰いでいた。しかも水を飲むように口を開けている。

 水。喉が渇いていたことを唐突に思い出して、唯美子も彼に倣う。
 舌に弾ける雨粒がくすぐったい。冷たい感触が喉の内を伝い落ちる。寒さと潤いを同時に感じて、身震いした。
 雨は飲めるのだと思い出し、心の中で、あんなに恐ろしかった自然現象がただの水になった。ただの、日常的で身近なものだ。

 ――捨てる。
 余計な思考も感情も、被った布をするりと脱ぎ捨てるように手放せた。恐怖の対象だった雨とひとつになっているのが、妙な気分だ。
 なるほど、とても開放的で、楽しい。
 うっとりした。数十秒経つと、くしゃみの衝動で我に返る。

「はっくしゅん!」
「そろそろ川を見にいくか」
「やだ、かえりたい。かぜ……かぜひいちゃうよ」
「しょうがねーな。じゃあ、つれてってやるよ」
 涙目で訴えてやると、ミズチは渋々承諾した。まるで寒さを感じていないのか、平然とあくびをしている。

「かえりみち……」
「わかるわかる。あと、おいらは夜でも見えるから」
 少年の瞳が黄色い環を描いて光っていた。妖しくて、きれいだ。黒目の部分はやはり縦に細長い。
 唯美子は、思いついたままに喋った。

「ね、おなまえないなら、メナガってどうかな。めがながいってかんじで」
「やだよかっこわりぃ。それ、なんかの虫の名前じゃねーの」
 即刻、提案が跳ね返された。めげずにまた考える。
「じゃあじゃあ、ナガメ」
「それも虫……ふーん。ナガメ、な。悪くないひびきだな。くっさい虫とおなじなのはきになるけど……わかった、ゆみだけ、呼んでいいよ」

 いしし、と少年は口角をいびつにつり上げて笑った。喜んでもらえたのが嬉しくて、唯美子は水を弾けさせながら飛び跳ねた。
 話がついたところでようやく帰路についた。

 奇妙な少年に手を引かれ、勢いの引きつつある雨の下を、二人でトコトコ歩く。道は濡れていて危ない。どうしても、暗闇を急いでかきわけることはできない。
 山は異様に静かだった。動物の音も気配も一切しないのは、みな雨宿りしているからだろうか。

 ――知らないひとについてっちゃだめよ。
 母の警告がどこかから聴こえてきた。それに対し、もう知らないひとじゃないからいいよね、とひそかに自答する。

「きみ、ほんとはなんなの」
 先導する背中に問いかけた。
「そうだな……」彼は振り返らずに答えた。ぽたぽた、との継続的な雨音に覆われて、へたすると聞き逃しそうになる。「二ホンの昔話にあるだろ、ツルのおんがえし的な? そーゆーあれだよ」

「ぜんぜんわかんない」
「まあいいじゃん。今日は、うねうねしてないからさわれるだろ」
「え?」
「おいらの『ギタイ』すげーだろ。ちゃんと、体温までまねしたんだ――」
 暗くて、振り返った横顔はよく見えない。
 薄っすらと浮かび上がる白い歯の隙間に視線が吸い付けられる。右手に絡んだナガメの手の温みを、唯美子は急に強く意識した。

     *

(……違う。初めて会ったのは、あの時じゃない)
 不安定な子供の記憶を、大人の脳の処理能力でさかのぼる。なぜか今は不自然なほどに明瞭に呼び覚ませる。
 彼は確かに擬態と言った。人の姿を、うまく真似ているのだと。ならば、ヒト型ではなかった時のミズチは果たしてどんな姿であったのか。

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23:48:01 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-3. b
2018 / 04 / 29 ( Sun )
「ぜに……? めい、よ? なんのはなし……きみ、だれ?」
 安心というよりは困惑が勝る。けれどひとりではなくなったことに、ひそかに喜んでおいた。手を握る感触には確かに勇気づけられるものがある。
 見ると、少年は袖なしのシャツと半ズボンを着ていた。偉そうな口ぶりの割には、何の変哲もない格好をしている。金持ちの家の子、というわけではなさそうだ。

「おいらは、みずちだ」
「ミズチくんっていうの」
「んにゃ、個体名でなければ種族名でもない。数百年の生を経て龍の位階に登ったから、蛟《ミズチ》だ」
 聞いたことのない言葉が一気に並んで、唯美子は目を回した。「いかい」は異世界のことだろうか。異世界に登った龍の一族がなんとかかんとか……。

「りゅうっておそらをとぶ、あのひげのながいやつだよね。じゃなくてドラゴン?」
「空はまだとべねーなー。最低でもあと八百年かかりそう」
「とべるの!?」
 びっくりして大声になる。洞穴の中でこだまして、変な感じがした。興奮のあまり、唯美子は少年が先ほど述べた数字を聞き逃していた。

「まだだっつーの」 
「でも、とべるんだ!」
「はいはい。いつかとべるようになったら、雲の向こうに連れてってやるよ。もうともだちだし」
 少年は目を細めて笑った。
 胸の奥を突き刺す単語に、唯美子は手を引いた。知らず、目元に涙がたまる。

「……わたしといたらこわいことがいっぱいおきるんだよ。いたいことも。だからだめ。ともだちはだめ」
「はあ? 知ってるし、んなこと」
 デコピンされた。
 痛むおでこを押さえながら、近所にこんな子いたっけ、と唯美子は不思議に思った。こちらの事情を把握しているのだから、きっとそうなのだろう。

「知ってて、いってんだよ。だめとかはナシだぜ。おまえに拒否権ねーから。よし。川を見にいこーぜ」
「よるのやまはうろついちゃだめだっておとなたちがいってたよ」
「だいじょうぶだって」
「まいごになったら、たすけにきてくれないんだよ」

「ふーん、薄情なんだな。いくら夜が危険っつってもいなくなったのがガキじゃあ、捜索隊ってやつ、だすんじゃねーの」
「そうなの?」
 思いもよらなかった可能性に、しばし唯美子は言葉を失くした。ハクジョウの意味はわからないが、ソウサクタイはなんとなくわかる。

「知らんし。どうなんだよ、まわりのおとなは」
「くる……かなあ。わかんない」
「ま、どっちでもいいや。心配すんな、おいらが家に帰してやる」
「でも――」未だに及び腰の唯美子を、彼は力づくで洞穴から連れ出そうとする。膝に力を込めて抵抗を試みたが、少年の腕力には勝てなかった。「あ、雨にぬれちゃう」

 雨滴が皮膚に跳ね、服に吸い取られていく。濡れた土と草木の匂いが、むんと鼻孔に飛び込んだ。気持ち悪さと寒さに全身が強張った。
 外の世界は暗かった。完全なる暗黒が刻一刻と迫り来る予感に、竦み上がりそうになる。悪天候の山中にて確認できる僅かな熱源は、ミズチの手のみだった。
 その事実を実感した時、出会ったばかりの少年の腕にすがりついていた。

「なあ、ゆみ」
「な、なに……」
 くっつきすぎだと文句を言われるのかと思って、身構える。
 こちらを見下ろす双眸は愉快そうに光っていた。光っているように見えるのではなく、実際に黄色っぽい燐光を発している。しかも黒目の部分が細長い形で、動物みたいだった。

「ちょっとさ、うで、ひろげてみろよ。たのしいぜ」
「た、たのしくない……よ。さむ、さむいよ」
「いいから。いちど『こわい』っておもったらさ、からだぜんぶで怖がるんだ。だからその『こわい』ってきもちを手放してから帰らないと」
「てばなし……?」

「そ。こうやって、ばーん! って手をひろげて、余計なもんをすてるんだよ」
 ミズチは唯美子の拘束をするりと逃れて数歩下がり、口にした通りに、両手を思い切り広げてみせた。
 刹那、周囲が眩い光に照らされ――続いて、激しい轟音がした。

 唯美子は悲鳴を上げて顔を覆った。雷鳴がさらに数回響く。骨の髄にまで届きそうな振動だった。
 その場に成すすべなくうずくまる。次に目を開けたら雷に打たれて焼け焦げた新しい友達の姿が見えるはずだ。きっと、そうだ。

 泣いて怯える唯美子の耳は、やがて妙な音を拾った。
 ――笑い声。
 おそるおそる顔を上げる。なんと、ミズチは無傷どころか笑いの発作に身もだえているようだった。馬鹿にされているらしいことがひしひしと伝わってくる。


一次選考を通過したのがうれしかったので、拍手御礼を特別に入れ替えてます。

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