α.7.
2020 / 03 / 07 ( Sat )
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「あの、それは何をしているの?」
 ようやく街道を見つけて町もすぐそこというところで、三人は休憩をとることにした。最も体力のないアイヴォリが岩の上で息を整えている横で、アイリスとカジオンは暇だからと妙な遊びを始めたのだった。
 それぞれ片手で握り拳を振り合って、揃って掛け声を出しては、手の形を変えている。一斉に開示した手の形次第で勝ち負けが決まるらしい。
「じゃんけんだろ」
「なぁに、あんたの故郷じゃやらないの」
「私はやったことないけれど」
「えぇ、じゃあ誰かとモノを取り合う時の平和解決には、どうしてるのよ」
「しらない……」
 アイヴォリの答えが「やらない」ではなく「知らない」になってしまうのは、幼少期の過ごし方に起因する。第一王女という立場にはある程度の甘やかし、ある程度の贅沢、そしてある程度の不自由を伴った。
「んだよアイヴォリ、まるでトモダチいねーみたいな答え方だな」
「いないわ。きょうだいもいないから、何かを取り合う相手がいないの」
 朝夕みっしりと詰め込まれた魔法の修行に習い事、食事、両親や親戚との茶会、それ以外の時間は一人で読書という名の勉強をしていた。十六歳だというのに未だ社交界に顔を出すことも許されておらず、友人と呼べる相手を持ったこともなかった。
 あまりその事実を意識せずに生きて来たが、二人は、憐れむような顔で黙り込んだ。どうしたのかと問い質しても返事を濁すばかりで、結局この話題は流れた。

 転じて、しばらく後に剣呑な場面に行き会った。
 夕立で視界が悪いが、荷馬車が襲われているのが遠目に見える。ぬかるんだ地面に車輪を取られ、ずれた軸を御者と護衛が揃って直そうとしている間に盗賊に囲まれたようだった。
 そんな一部始終を目撃したことが信じられない。愕然とするも、アイヴォリは雨音にかき消されないように声を張り上げた。
「助けに入った方がいいんじゃ……!」
「ハァ? 戦闘力ねーくせにバカ言い出すなよ」
 カジオンが瞬時に却下した。冷たい目が相変わらず威圧的で、アイヴォリは思わず逃げるように隣のアイリスに縋った。
「あなたたちにはある、よね。なんとかしてあげられるよね」
 門もすぐそこのところで荷を盗まれるのはあまりに不憫ではないか。そう思って言い出したのに、アイリスまでもが乗り気でないらしく、腕を組んで唸っていた。
「あのねえ、敵の数が多いからこっちもタダじゃ済まなそうよ。見ず知らずの他人を助けたところでお礼《メリット》があるとも限らないのに、骨折り損じゃない?」
「で、でも二人は私を助けてくれた――」言いかけて、ハッとする。アイリスとカジオンが礼金を期待して自分に手を差し伸べてくれた可能性に思い至ったからだ。だが彼らは顔を見合わせて、思ってもみない答えを返した。
「んなもん、オマエがアイリスと同じ顔してるからだろ。他人って感じしねーから見捨てらんねーんだよ」
「突き詰めればそうね。良心を働かせる相手は選ぶものよ」
「つーワケで、行きたきゃひとりで行くんだな」
「そんな……」
 良心とはそういうものだっただろうか。アイヴォリは己の倫理観に自信が持てなくなった。人を助けるべき瞬間に立ち会ったことがそもそも初めてな気がするし、自分ひとりで行動できるかと問われれば――尻込みしてしまうのが正直なところだ。
「まあ、待ちなって、カジ。馬車の主がお礼してくれる可能性もあるわけだし」
 途端にアイリスが意見を変えた。
「んだよ、オマエそっちに賭けんのか」
「賭けないわよ。そうねえ、あんたとアイヴォリが『じゃんけん』して、それで行動方針決めちゃわない?」
「テキトーだな……いいぜ。その勝負ノッた」
「え、え」
 アイヴォリがまともに異を唱える間もなく、強引にルールを教え込まれた。煽られるままにあたふたと右手を繰り――勝った。というのも掛け声を聞いたら頭が真っ白になり、手のひらを開いて提示しただけである。相手のカジオンは握り拳、これで行動方針は「助けに行く」に決定した。
「気乗りしねーけど、負けは負けだな」
 言い終わる前にも彼は後ろ手に自身が背負っている奇妙な形の槍を掴んだ。
 刹那、アイリスとカジオンが視線を交わす。カジオンが槍先を逸らして、何かを合図した。対するアイリスは頷いて、両の脚に手をやった。下手すると扇情的なしぐさに見えるが、どうやら太ももに括り付けた短剣を取り出しているらしい。構える動きが素早く、風の切れる音がした。
 カチャン、と何かのからくりが作動する音もした。アイリスの短剣がそれぞれ左右に枝分かれして、三叉の形状をとった。
 見とれる間にも二人は駆け出している。
 突然の乱入者に盗賊も馬車の人員も対応が遅れる。カジオンが跳躍した次の瞬間には三人が倒れていた。青年はひとつの流れるような動きで盗賊をなぎ倒し、また別の方向からアイリスが次々と敵方の剣を弾いている。
「何奴!?」
「ただの通りすがりだ! あんたらに加勢するぜ!」
「させるか! 女からやれ!」
 短いやり取りを聞いて状況を察した盗賊団が、まずはアイリスに狙いを定める。しかし少女の動きが身軽で、なかなかとらえられない。
 敵の苛立ちや焦燥感をうまく誘導し、すんでのところで身を翻しては、怒りの矛先を逸らしている。逸らされたものの一部をカジオンが槍で受けた。ところどころ動きが速くて視認できないが、彼らが連携した流れに慣れているのはなんとなくわかる。
 ――いま、どちらが優勢なのだろうか。
 離れた場所で身を隠すアイヴォリは手を握り合わせ、唇を噛んだ。
 場慣れしていない者にとっては、どのような規模でも、戦場は総じて混乱にしか見えないものだ。泥が、水が、血が、暗いしぶきとなって飛び交うのを、アイヴォリは肝が冷える想いで見守った。
 これは自分が言い出したことなのだ。じわじわと実感が湧き上がる。自分の提案がどんな結果を招いたとして、責任逃れはできない。
 今後の安全な旅路に彼らが必要な事実は別として、二人には無事でいてほしい。損得を抜きにした純粋な願いだった。
 大丈夫なのだろうか。不敵そうに走り出していたが、彼らの実力がどれほどのものなのか、アイヴォリには測り知れない。
 焦りが募る。
 ――あとどれくらい経てばこの戦いは終わる? すでに誰かがけがをしていないか?
 わからない。よく見えない。
 無意識に目を凝らしていたのだろう。ふいに動きを止めた盗賊の一人が、こちらを振り返った。
 目が合った。
 冷たい恐怖が手足を駆け巡る。男性の表情は、一瞬のうちに警戒を強めた――ように見えた。
(こないで)
 自己防衛意識と、まだ戦っているであろうアイリスとカジオンへの心配が、胸の奥で絡まり合う。状況を打破できる手助けができたならどんなにいいか。アイヴォリが持つ手段は、魔法のみである。けれど魔法は、使いたくない。使いたくないのに。
 盗賊の男が走り出した。一直線に向かってくる。
 恐慌で頭が真っ白になった。
 そして目の前が、真っ赤になった。

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