α.6.
2018 / 09 / 09 ( Sun )
←前の話 次の話→




 昔々、創造の女神が遥か大きな岩を顕現させた。
 その表面を叩いてできたヒビや溝を塩水で満たし、大地と海をつくりたもうた。楽しくなり、踊り狂った女神の足が触れた箇所を中心に、動植物の実りをゆるす三つの大陸が出来上がった。
 それぞれの大陸の間には海と荒野と容易には超えられない山脈が残った。
 大地にはさまざまな命が芽吹き、人が誕生し、文明や魔法が生まれた。人類は見事に栄えてみせた。
 だがいつからだろうか、文明が行き詰まった。大陸のひとつは激しすぎる戦禍に、草も生えない不毛の土地に成り果てたのである。
 あとの二つの大陸も同じ末路をたどるのではないかと危惧した女神が、ある策を立てた。御身から切り離した精《エーテル》を金魚の形に替え、残る二つの大陸に送り込んだのだ。金魚の精は自らの器たりえる魂を探し出し、その肉体にとりついた。
 金魚たちは、鏡を通したように姿が似ていながら異なる性質の人間を選び、ふたりが出会えるように特殊な方法で道をつないだという。
 金魚の器たちは紆余曲折を経て相手とわかりあい、双方の大陸が手を取り合えるように計らった。それは、ふたりにしかできないことだった。
 人の世はこうして生き永らえた。
 後の世の者はこのことをおぼえていなければならない。リグレファルナの伝説は、教訓である――。

     *

 アイヴォリが知っている限りを語り尽くしても、アイリスとカジオンは「意味不明」「お子様向け」と言って真に受けなかった。運命の乙女だとか世界の流れを変える金魚だとか、そんな眉唾物が自分と関係あるはずがないと、アイリスは頑なに聞き耳を持たない。
(私も半信半疑ではあるかな)
 内容もうろ覚えだ。伝説の中の金魚に憑かれた御使いたちは、強い意思と輝かんばかりのカリスマ性や求心力を持っていたように思う。どれほど甘く見積もっても、自分に到底務まるような使命ではないだろう。
「お父様、お母様。私は生きるだけで精一杯なのに、世界の為に何ができるかしら」
 胸元を見下ろしてひとりごちる。
「セカイとかあんたまだそんなこと言ってんの」
「ひゃあ!」
 背後から声をかけられ、アイヴォリは地面から足の裏が飛び上がるほどに驚いた。声の主は普通にアイリスだったが、今この場にいることの方が意外だった。
「あの、どうしてここに」
 急を要する用事があるのだろうかと身構える。
「あんたが体拭くだけにすっごく時間かかってるなって思ってきてみたんでしょ。まだモタモタと服脱いでたとはね」
「もたもた……」
「さっすがはお貴族サマね、自分で着替えたことないんじゃないのってくらい手際悪いわ」
「うう、そんなこと……肌着とか、自分で着れるとこもある、よ」
 一方で口と同時にアイリスの手がせわしなく動いていた。見ているこちらが混乱しそうなほどだ。彼女はチュニックを脱ぎ捨てるのではなく結び紐のみを解き、襟元を広げて腕や肩をあらわにした。
 ――なるほど、そうやればいいのか!
 アイヴォリが目をみはっている間にアイリスは桶の縁にかかっていた手ぬぐいを取って水に濡らし、顔や首、肩や胸元をさっさと拭ってみせた。右手から左手に手ぬぐいを持ち替えてからも流れるような手際の良さだ。
「なにぼーっとしてんのよ。手伝ってあげようか?」
 願ってもない申し出に、アイヴォリは消え入るような声で「おねがいします」と応じる。請け負うアイリスの笑顔は朗らかそのもので、まるで嫌味がない。それどころか城の召使いの女性らよりもはるかに快く感じる。
 アイリスがすぐ後ろに立った。
「手のかかる妹みたいで面白いわー。ね、アイヴォリってきょうだいいる?」
 背骨に沿って上下に並んだボタンが、ひとつずつ外れていくのを感じる。
「いないわ」
「そか。うちは一応カジが年上だけど、兄っつーより弟みたいな時もあるし、なんだかね」
「ふたりに血のつながりはないんだよね」
 ここぞとばかりに、気になっていた事項を確認した。
 触れてはいけないことを訊いているかもしれないという可能性は視野になかった。そしてどのみちその心配は無用だった。アイリスはよどみなく、平然と答える。
「ないわよー。あたしらは同じ孤児院にいてね、そこがある時ヘンないちゃもんつけに来た奴に取り壊されちゃって。行き場を失くした者同士、一緒に逃げたの」
 衝撃的な事実がこともなげに羅列される。
 肩から衣服がすでにはだけている現状、羞恥心も忘れ、アイヴォリは自分と顔立ちだけ似た少女を振り返って口をパクパクさせた。
「むごい……どうして」
「政治的? な理由があったんじゃないかって誰かが言ってたわ。そーゆーのあたしらにはどーでもいいし。考えても無駄ムダ。下手人はとっくに掴まって処刑されたわ」
「つらく、なかったの……?」
「つらくないわけないでしょーが」後ろ肩をはたかれた。思わぬ衝撃に、背を逸らせる。「でもただ絶望して終わるのは悔しいじゃない。そこまでしてあたしらを消そうとしたヤツらがいたんなら、何が何でも生き延びてやらないと。それが、あたしたちなりの復讐よ」
 復讐という言葉の響きに背筋がゾッとした。アイリスは表情こそ笑っていたが、橙色寄りの赤い双眸が昏く冷たかった。
「そんな大昔の話より、ついこの前、村をつぶした奴らにこそ報復したい気がしないでもないけど。目下、あんたの身柄をどうにかする方が先かな」
「……ありがとう」
「いいってことよ。じゃあ今度はこっちから質問――」アイリスの指先が、アイヴォリの首元をなぞり、鎖骨を伝って、胸元に流れた。くすぐったさに身じろぎする。「あんたさあ、こんなとこに、宝石? 埋め込んでんの」
 ヒュッと息を呑み込んだ。
 確かにアイヴォリの胸元には、表面が滑らかな大きな水晶が埋め込まれている。長年そうしてあったため、肌とひとつ繋ぎに見えるくらいになじんでいた。透き通った柘榴色の奥には、模様のような一文字が浮かんでいる。
 別段、隠さねばならない代物ではないのだが、理由を説明するのが恥ずかしい。けれども興味津々なアイリスをうまくあしらう方法が思い付かず、結局白状した。
「これは魔法を制御する道具。普通は装飾品にして身に着けるものなんだけど、私は体に触れているくらいじゃないと魔力が……すぐ暴走しちゃうから」
 語尾に向かって声が消え入ってしまった。
 元素魔法は、使い手の意思に連動する。制御がきかないのは、つまりアイヴォリ自身の心の未熟さに由来するのだ。自覚あるものの、出会って間もない相手に語るのは気が引ける。
 ところがアイリスの反応は、違う意味でアイヴォリをうずくまらせることになった。
「あそっか、あんた魔法が使えるのね!? 忘れてたわ! 見たいみたい、超みたい!」
 自分とよく似た顔が目を輝かせて迫ってくる。
 アイヴォリは悲鳴を上げて後退した。
 それから騒ぎを聞きつけたカジオンが「おいどーしたよ」と様子を見に来そうになり、アイヴォリはますます狼狽した。こんな姿を異性に晒せるはずがない。
 だと言うのに、アイリスは半裸のままで「なんでもない! 来んな」と怒鳴ってみせた。
 そういうところは兄妹ゆえの距離感だろうか。
 兄弟がいたことのないアイヴォリには、まったく理解ができなかった。



本当はアイリスが全裸で夜盗とやりあう場面も考えてたのですが、没w

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

05:06:39 | 小説 | コメント(0) | page top↑
<<3-1. a | ホーム | 8月はあんまり読みおわったものがないのだけど一応まとめ>>
コメント
コメントの投稿













トラックバック
トラックバックURL

前ページ| ホーム |次ページ