一 - e
2017 / 02 / 24 ( Fri )
「できないって言うの? 結局口先だけなのね」
「片目だと遠近感がずれるから、私に飛び道具は扱えない」
 ――至極ごもっともな理由があった。
 それでも納得し切れずに、食い下がる。

「だって、あんたのブラインドじゃないの」
「別に私のではない。この建物は多分、季節が移ろう前からここにあった」
「あ、そう……」
 それじゃあ自分では狩りができないくせに、得意げに知識だけひけらかしたの――と突っ込みたいところだったが、思い直した。元から片目だったとは限らないし、誰かに付き添うだけでも知識は身に着く。この人は普段、弓ではなく罠担当をしている可能性もある。

 かくいうセリカもこれまでの狩りの経験は、兄弟について行った数回だけだった。それも公都内にある狩り場だ。的を当てる練習ばかりしていたのも図星だし、あまり人のことをあれこれ言えない。

(なんだか、やる気失くしたわ)
 ――ひとつくらい獲物を手にしてから馬車に帰りたかったのに。
 だからと言って、粘る気力が無い。
 道具を仕舞って背負い直し、帰り道を確認する。御者に伝えた二時間よりもずっと早く戻れそうだし、これでいいのだろうと自分に言い聞かせた。

 それにしても、とふいに青年が口を開いた。こちらをじっと眺める青年の青灰色の瞳は、どこか冷たい印象を与える。

「さくらんぼみたいな頭だな」
 瞬間、セリカはこめかみに青筋が浮かぶのを感じた。
「……初対面の人間をまず見た目から侮辱するのが、この国の礼儀なのかしら」
 努めて平静を保とうとする。が、その試みはすぐに失敗に終わった。

「美味しそうだと褒めたつもりだが。赤黒いさくらんぼは見た目の渋さに反して果肉が甘く、好きだな」
「あんたの食べ物の好き嫌いなんて心底どうでもいいのよッ!」
 ――いけない。
 唾が飛ぶ勢いで怒鳴ってしまった。いくら淑(しと)やかさに欠けることを自覚しているセリカでも、これには反省した。

 確かにこの髪は、母譲りの、滅多にない色合いではある。黒光りする深い赤紫――そう表現するのが一番シャレているのではないかと、自分ではこっそり思っていた。
 今までに果物と比べられたことはない。というより、食べ物に似ていると感じていても誰も面と向かって言っては来ないだろう。
 収まらぬ苛立ちをどうすれば吐き出せるか。紺色の帽子の下からうかがえる茶みがかった黒を見やり、その答えを思い付いた。

「そっちは泥みたいな髪色ね」
「よく言われる。淀んだ川底の土とそっくりだと」
 仕返しのつもりだったのだが、思いのほか青年は平然としていた。それどころか、同情を誘う返しだった。
「け、結構心ないこと言う人と知り合いなのね……」

「そんなものだ。お前もたった今、泥みたいだと言っただろうに」
「あんなの腹いせよ、本気でけなしたいわけじゃないわ。ん、気品に紛れた遊び心っていうか? 野性的でいい色じゃない」
「…………無理して褒めなくても。泥でいい、私は気にしていない」
 呆れたような顔をする青年に対して、セリカはバツが悪くなって小さく舌を出した。適当に思いついたことを口にしただったのを見透かされてしまった。気まずいので、さっさと話題を変える。

「そんなことより、いきなり出てきて何なのよ? 物凄く吃驚したわ。助言を乞うた覚えは無いし。誰よあんた、何様のつもり」
 青年の鼻先に人差し指を突き指して、大袈裟に非難した。否、決して大袈裟ではない。
(乙女を尻餅つかせて驚かせたんだから、弁明くらいするべきよ!)
 改めて強気になり、相手を睨みつける。
 青年は全く怯まないどころか、意外そうに目を見開き、眉を上げた。

「わからないのか」
「はあ? わからないから訊いてるんでしょ。間抜けなこと言わないで」
 激しく言い返してくるのかと思ったら、青年はただつまらなそうな顔をした。何なのだ、一体。何故そんな顔をされねばならないのか。セリカには心当たりがまるでなかった。

「――すぐにわかる」
 それだけ言い捨てると青年はこちらに背を向けた。淀みない足取りで、速やかに木々の間に消えて行く。
 後を追おうだなどとは、勿論セリカは考えなかった。

「変なヤツ」
 嘆息混じりにひとりごちる。変な男、変な国、変な日。無人となった森は、セリカの独り言をことごとく吸収する。
 日が傾きかけている。周囲の大樹の影がいつしか長くなっていた。極め付けは、長々と響くカラスの鳴き声だ。
 胸の内に得も言われぬ物寂しさが広がっていった。
(はあ、帰ろう。受け入れたくない未来から目を背けるのは、もう止めにしよう)
 運命の呼び寄せる方へ――彼女は一歩ずつ、重い足を進めていく。

_______

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00:00:20 | 小説 | コメント(0) | page top↑
一 - d
2017 / 02 / 22 ( Wed )
 黒染めの革の長靴を、眼差しでなぞる。膝当てまで付いているとは珍しいデザインだ、ちょっとかっこいいな、なんてぼんやり思った。
 視線は更に上った。裾を長靴に仕舞い込んだ黒いズボン。それを覆うのは、白く縁取られた紺色――膝丈の薄い羽織り物のようだが、左右のどちらかを上に重ねるのではなく身体の中央に緩く引き合わせる、見慣れないタイプだ。
 羽織り物を留める細いベルトは靴と同じ黒い革。そのベルトから細長いものが提げられている。美しい彫刻の施された鞘に見えた。

(あの大きさはナイフ、よね。股の上にこんな目立つモノをぶら下げる心理……)
 なんとも言えない気分になって、セリカは顔を上げた。
 半袖の羽織り物の下から覗くのは、ボタンをきっちりかけ合わせた詰襟の黒いシャツ。シャツは普通だが、羽織り物の仕様には稀なるものを感じた。ヌンディーク公国の人間はこんな服装ではなかった気がする――

「ぅわおっ」
 眼差しが交差した途端、喉から変な声が漏れ出た。ずっと片足立ちの体勢を保っていたことを身体が突然思い出したのか、腰から力が抜けた。
(スカートじゃなくてよかった!)
 開いた脚をすかさず閉じる。旅装として履いていた麻ズボンに感謝した。同時に、見知らぬ他人を随分とジロジロ見ていたのだと今更ながら思い出す。
 とりあえず謝ろうと思って、相手を見上げた。

 青灰色の瞳とまた目が合った。と言っても左目だけだ。浅い筒みたいな変わった形の帽子から流れる布に、顔の右半分が隠れている。
 青年はこちらを見下ろすだけで助け起こそうとしない。無関心そうな表情を浮かべている。

(こいつ、いつから居たの)
 何故話しかけもせずに突っ立っていたのか。理由もなく人を驚かせるのは、あまりに礼節に欠ける。不審者かと警戒しながらセリカは立ち上がった。青年はやはり微動だにしない。

 正面から見据えて、また驚くこととなる。
 なんと目線の高さが同じくらいだった。差は一インチ未満だろうか、首を曲げることなく対応できる。
 確か、ゼテミアンの女は大陸中の他の国よりも平均身長が高いと言われていた。

(本当だったのね)
 とはいえ、セリカは知り合いの女の中では背が決して高くない方だ。きっとこの青年こそ、平均より低いのだろう。
 立ち話をしながら人を見上げることはよくあっても、ありのままで目線が合うのは新鮮だった。そのせいか、いくらか毒気が抜ける。

「惜しかったな」
 やがて、気だるげに青年が言った。低めの声で、丁寧で聴き取りやすい発音の共通語だ。
「え、何がよ」
 一方、セリカはつい突っかかるような語調で応じた。

 すぐには答えず、青年が首を巡らせる。その弾みで、彼が左耳に着けている涙滴型の装飾品が目に入った。
 銀色のチェーンから垂れる大きな涙。暗めの群青色に、白い斑模様と金の斑点が浮かんでいる。
 こういった不純物の多い石はラピスラズリと呼ばれず、別の名があったはずだ。それが何だったのか、思い出せそうで思い出せない。

(流石は宝石大国、ヌンディーク公国ね)
 その辺を何気なくほっつき歩いている若者ですらこんなにも美しいアクセサリーを身に着けているものなのか、と感心せざるをえない。或いはそれなりの家柄の者なのだろうか。見慣れない服装だけれど、身なりは綺麗だ。

「……的を射る練習はしていても、生き物を狙ったことが無いだろう」
 青年の視線の先を一緒に辿った。先ほどヤマウズラを外して空しく地面に突き刺さった矢が、そこにある。
 馬鹿にされているのだと、遅れて理解した。
「あっ――る、わよ! 勝手に決めつけないでくれる!?」
 矜持が傷付けられた反動が頭の中で跳ね回る。セリカはずかずかと矢の傍まで歩いて、ひと思いに引っこ抜いてみせた。

「鳥は、頭を上げた時に人間(おまえ)の匂いを捉えていた。あの後また餌に夢中になったように見えたが、警戒心が残って、俊敏に避けることができた。風上に立ちながら匂いを十分に消さないのは、初心者のやりそうなミス――」
「初心者で悪かったわねえ!」
 腹立たしい。背後から淡々と理屈をこねていないで、いい加減に黙ってはくれないだろうか。

「そんなに言うならあんたが射止めてみなさいよ」
 セリカは青年の真正面まで戻って、ずいと弓矢を両手で押し付けた。
 瞬きひとつせずに彼はそれを見つめ、無理、と返した。

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00:03:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
一 - c
2017 / 02 / 19 ( Sun )
「でも日が暮れる前には確実にムゥダ=ヴァハナに着かないと! 夜道は危ないです!」
「最後に、好きなことをして過ごしたいのよ」
 低い声でそう返すと、窓から身を乗り出したバルバが怯んだのが見えた。その隙に一直線に走り出す。
 あっという間に馬車を後にした。

(せめて楽しい思い出を胸に抱えていれば……当分は頑張れる、わよね……)
 優しく澄んだ森の空気に包まれながら、セリカは滲み出す涙に気付かない振りをする。

_______

 数分ほど闇雲に走ったら、人工物に行き当たった。
 森の中の空き地の隅に建てられたそれは、物見やぐらより一回り小さく、地上から七フィート(約2.13m)ほど上げられた木製の小屋だ。

 狩猟用の隠れ場所――ハンティング・ブラインドだと、一目でわかった。
 セリカは傍らの梯子に近付いた。此処でなら獲物に気付かれずに長時間張り込める。誰のものかは知らないが、ちょうどいい。

(人の気配がしないし、いいわよね。借りますよ、っと!)
 片手で戸を開いて身を滑り込ませる。
 床が短く軋んだ。一人か、多くても二人が同時に使えるような強度と広さである。食べ残しくらい落ちているのではないかと思ったのに、案外清潔だった。しばらく誰も使っていないのか、それとも最後に使った人間が丁寧に片付けたのか。中にあるのは素朴な椅子ひとつである。

 戸を含めた四方の壁のどれもに、幅広い窓が開いている。好みの角度を見つけて、セリカはそこに椅子を寄せた。
 そして肩にかけている弓矢を下ろした。

(確か、大物を狩るには長時間居座った方がいいのよね。まあ、あんまり高望みしないでおこう)
 そもそもブラインドを見つけるとは思っていなかったのだ。これだけで既に儲けものである。
 ――三十分経った頃。
 ガサガサと、小柄な生き物が草を踏む音がした。目を凝らして待つと、丸っこい鳥がひょこひょこと空き地に進み出た。

 お世辞にもきれいだとは言えない、ざらついた指で弓弦を静かに引く。
 感じるべきは掌に触れる感触、弓の重み。風向き。獣の動きに視線は釘付けになり、僅かに震える草の動きを事細かに追った。

 目標を的確に射止める筋道を茂みの隙間に見定め、呼吸を限界までに遅めて機をうかがった。
 地面を突いていたヤマウズラが、ふいにひょっこりと頭を上げた。鳥類独特の俊敏な首の動きで周囲をひとしきり警戒した後、また餌探しに戻ろうとする――

 セリカは弦を放した。
 草が乱される音、矢が地を打つ音、弓弦が弾ける音などが鼓膜に交差する。
 息を呑んで周囲を見回した。
 数枚の羽根が舞っているだけで、望んだ結果を得られなかった事実を知る。

(狙いはちゃんと付けたのになー)
 逃げられた。落胆するものの、高揚感の方が勝っていた。
 筋肉に走る微かな負担が心地良い。楽しい。こうして弓を手にしている間だけは、余計な感情がまとわりつかない。

(あたしはやっぱり、これが一番「生きてる」って実感できる)
 しかしそれも、弓を手にしている間だけである。腕を下ろせば嫌でも現実を思い出す。異国で誰かの妃になる以上、自分の時間は失われるということ。
 趣味は所詮、趣味に過ぎない。たとえ立場が許したとしても、セリカは男として生きて成功するには力量不足で、公族の女として生きていくには粗雑過ぎた。

 それでもできるだけ長く好きなことをしていたかった。弓の腕を日々磨いた分だけ姫らしさからかけ離れ、縁談が持ち上がる度に片っ端から蹴飛ばしてきた。
 終いには親には「下手に結婚させたら相手の不興を買いかねない」と慎重に扱われる結果となったが、セリカは何も後悔していない。
 思えばどうして、ヌンディークとのこの縁は成り立ったのだろうか。

(なんだかんだで気にしたことなかったわ)
 矢を回収しに行こうと戸を開く。梯子を下りながらも、考え事を続けた。
(十九にもなって結婚してない姫を受けたんだから――)
 下りきって、地に着いた。くしゃり、と旅用の長靴が草を踏む音がする。
(向こうも何か事情が?)
 くるりと踵を返した。何か視界に不自然なものが映っているようだが、意識はすぐにはそこに行かず。

 足元に注意しながら、踏み出そうとしたところで。空中で右脚を止めた。
 一拍の間、身を凍らせる。
 そのまま足を下ろしたら別の誰かの爪先を踏むからである。

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22:39:55 | 小説 | コメント(0) | page top↑
一 - b
2017 / 02 / 18 ( Sat )
(前より窮屈な生活になるでしょうけどね)
 他国の妃の席に収まる以上、宮殿の中ですら好き勝手に過ごせなくなるだろう。聞いたところ、ヌンディーク公国はゼテミアン以上に古くからの慣習を重んじるらしい。
 それがなんとも、皮肉な話である。

 アルシュント大陸で最大の人口と領土を誇る帝国、ディーナジャーヤ。
 過去数度に渡る略奪戦争を経てその属国となったヤシュレ、ヌンディーク、並びにゼテミアン公国は、当然ながら多方面で帝国の影響を受けている。使っている通貨も同じ、四国同士では国境などあってないようなものだ。

 それゆえ、昔ながらの自国の伝統や服装にこだわっているのは大公家と貴族階級くらいのもので、国民の過半数は時代の流れとやらに身を任せている。好きな食べ物を選び、好きな服を着ているはずだ。
 不自由だ。
 そして、どうやっても生まれる家は選べない。

 二十年近い人生を歩み、セリカは未だに己の境遇に甘んじられない自分を、どう思えばいいのかわからなくなっていた。
 幼馴染と将来を共にする約束をしているというバルバが、少なからず羨ましい。彼女が大好きな相手と幸せいっぱいの家庭を築く未来を想像するだけで、自然と胸の奥が温まった。

 対してセリカは、顔も知らない男の子供を産まねばならない。顔どころか――歳が近いらしいのは聞いているが、それ以外の情報を一切持っていない。
 そうなるよう仕組んだのは母だった。相手について何も知らない方が不安も少なく済みますからね、楽しみは後に取っておくものです、なんて言っていた気がする。

 知っても知らなくても逃れようが無いのなら知らない方が気楽だろう、とセリカも割り切ることにした。物凄く醜かったり性格が最低最悪なゲス野郎だと予想していれば、いずれにせよ期待を裏切られる心配も無い。
 怖くないと言えば嘘になる。それでも、逃げ出そうなどと企むには、セリカは聡すぎた。

「きゃっ!」
 バルバの小さな悲鳴で、物思いから覚める。いつの間にか道が険しくなったのか、馬車がガタンゴトンと大きな音を立てながら進んでいる。
 興味を惹かれて、窓の外に目を向けた。道路沿いに、いい感じに生い茂った森が見える。

「停めて!」
 セリカは思わずそう叫んでいた。急に呼ばれた御者の男が驚き、言われた通りに手綱を引く。
「どうしました!?」
「ちょっと降りる。二時間もすれば戻るから」
 用を足す為ではないと、念の為にセリカは補足した。荷物の中から、愛用の道具を取り出し、腰を浮かせる。

「二時間? それでは大使さまの馬車と大きく差がついてしまいます」
 御者が前方を指差した。
「構わないわ。あたしが立ち合わなくても、商談はできるでしょう」
 縁談を敢えて商談と称する。

 政略結婚とは、国同士の交流を繋いだり強める為の措置。――交流?
 実際にはそんなにあやふやな言葉で形容できるものではないと、セリカはしっかり理解していた。ゼテミアンはヌンディークから、ヌンディークはゼテミアンから、欲しい「持参金」があるのだ。

 花嫁側(ゼテミアン)からのブライドウェルスは分割で支払われる手筈となっている。先月から少しずつ鉄が運び込まれていて、花婿側(ヌンディーク)からのダウリーがちゃんと支払われたと確認された暁には、契約通りの量まで届けられる。

 双方の大公は既に契約書に署名している。それでもゼテミアン大使がセリカに同伴するのは、再三の言質を取りたいからに他ならない。
 これらの手続きは結婚式などよりもよほど重要視されていた。

 ――セリカラーサ・エイラクスという人間が消えていく。誰も本当の自分を知らないし、今後も知ろうとしないだろう。
 未だに不服そうに抗弁する御者を無視して、馬車を飛び出した。

「ひ、姫さま! 危険です。護衛を連れてください」
 バルバが声を震わせて叫んでいる。
「いらない。何かあったら叫ぶわ、そんなに遠く離れないから」
 この路は人通りも多く危険度が低いからと、セリカの馬車についている護衛は一人しかいない。彼には荷物を守らせた方が得策だ。



日本の慣習だと結納金がダウリーに該当するっぽいですね。文化によってはブライドウェルスだったり両方出したりしていましたけど、旦那側の家族が何かしら出すのが多いのですかね。王族が一般人の嫁を取ると、王族側が嫁の家族に贈り物をすることもあるようで(現代では中東の国とかで例が)。今回はどっちも同ランクに高い家柄で、国同士の関係なのでどっちも寄贈品出します。

まあ、これはファンタジーですww

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00:08:10 | 小説 | コメント(0) | page top↑
一 - a
2017 / 02 / 16 ( Thu )
 ――伝統は呪縛だ。
 そんなことを思いつつ、馬車の小窓の向こうの景色を見やる。悠然と流れる峰々をいくら眺めても、心は少しも晴れなかった。
 まだまだ先が長い。公都ムゥダ=ヴァハナに着くにはあと数時間はかかるそうだ。

 時折、向かいに座す女性と雑談を交わして気を紛らわせたりもした。しかし会話が途切れれば、思考回路はたちまち同じ憂鬱に巻き戻ってしまう。
 なんでも、世間では「時代が移り変わりつつある」などと囁かれているらしい。具体的に何が変わっているのかは諸説あるようだ。たとえば各地で身分の壁が薄くなっているとか、男尊女卑の意識が薄れつつあるとか。

 まやかしだ。少なくとも自分は、世の変化を実感できていない。
 そんな立場ではないからだ――生まれる前から墓に入るまでの期間、一貫して大きな選択は何ひとつ自分でできない身の上と言えよう。
 ゼテミアン公国第二公女、セリカラーサ・エイラクス――愛称セリカ――は、十九回目の春を迎えたばかりだった。晩春に予定されていた生誕祝いも待たずに自国を発たされたのには、本人にとって非常に不本意な理由がある。

 今夜、夫となる男と初めて顔を合わせる。明後日、結婚式を挙げる。
 平たく言えば政略結婚だ。
 ――退屈だ。退屈な人生に、これからなりそうだ。

「バルバ」
 肘掛に頬杖をついた姿勢のまま、向かいの席の侍女を呼んだ。セリカより三つほど年下で、耳の下で切り揃えられた髪とそばかすが印象的な女性は、名をバルバティアという。ここ数年ほど仕えてくれていて、今となっては気心の知れた友人だ。

「なんでしょうか、姫さま」
 彼女はどこか緊張した面持ちで応えた。主と話すことに緊張しているのではなく、おそらくは環境が変わることへの不安の表れだろう。
「知ってた? このアルシュント大陸で女が伸びやかに暮らすには、平民くらいがちょうどいいそうよ」

「そうでしたっけ」
 バルバティアは小さく首を傾げた。彼女は中流貴族の家から大公家へ奉仕に来ているのだからセリカよりは平民と関わる機会があるだろうに、どうもピンと来ないらしい。
「ええ。極端に身分が低くても、高くても、好きなように生きられないんだわ」
 そういうセリカは、この話を誰に聞いたかは忘れていた。観劇の際にフィクションから吸収したのかもしれないし、兵士の噂話を盗み聞いたのかもしれなかった。

「姫さま……」
 バルバは所在なさげに両手を握り合わせて俯いた。眉の端が悲しそうに垂れ下がっている。萎れた花のように背を丸める姿に、ちくりとセリカの胸が痛んだ。
「ごめんなさい、独り言よ」
 いたずらに心配させないように微笑みで誤魔化し、話題を打ち切る。
 視線を再び外の景色に向けてみた。四方八方が山に囲まれているというのは、新鮮と言えば新鮮である。このヌンディーク公国と違って、祖国ゼテミアンの公都は平地にあった。

 これより以前、最後にゼテミアンを出たのがいつだったのか、思い出せない。
 公族に於いての女の政治的価値及び発言権は一貫して夫の地位に依存しており、十六歳でディーナジャーヤ帝王の後宮に入った姉や十四歳でヤシュレ公国の貴族の家に嫁いだ妹に比べれば、嫁ぎ先が長らく定まらなかったセリカにほとんど自由は許されなかった。

 妙齢の未婚の姫である内は公の場に顔を出すこともできず、旅行目的でも外交でも国を滅多に出なかった。
 ようやく長旅に出られるかと思えば、隣国への片道行路。

(なんて、憂えてみるけど)
 これまでの生活の中に涙して惜しむほどの何かがあったのかと言うと、そうでもない。故郷は恋しいが、家族に関してはそれほどでもない。姉妹とは既に一緒に暮らさなくなって久しいので、別れて寂しかったのは兄くらいだ。親に至っては、むしろやっと解放された気分である。

 一番仲の良い侍女を連れてきているので、心細さも薄まっている。勿論、新しい生活や侍女に慣れた後には彼女はいずれ実家へ帰すつもりだ。バルバには他に居場所が、帰るべき家があるのだから。
 いっそ心機一転しよう。
 新しい人生に挑戦する機会だと思えば、いくらか前向きな気持ちになれそうだった。

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零 - b
2017 / 02 / 15 ( Wed )
(でも待って。入り口だけでもこんなに足が竦むのに、実際に中にいる人はもっとキツイわよね)
 想像を絶するような想いをしているのではないか。
 そう考えると、萎みかけていた闘志がまた燃え上がった。兵士を睨み付けて、返事を吐き捨てる。

「口の利き方がなってないわね。あたしは大公陛下の公賓よ」
 しゃがんだ体勢から素早く立ち上がり、セリカは己の胸元を飾る豪華なガーネットとカーネリアンの首飾りを見せびらかした。いかに宝石大国と言えど、これほど多くの宝石をあしらった装飾品は一般人にとってはなかなか目にすることができないだろう。
 案の定、兵士は青褪めながら何度か謝った。
「し、しかし失礼ながら……なにゆえ、やんごとなきご身分のご婦人がこのような場所に、ひとりで……」

「中の人間に用があるから来たに決まってるでしょ。通しなさい」
「なりません! ここは牢です。それに、第二公子から何者も通さぬようにと言い付けられておりますゆえ」
 ――第二公子?
 あの腹黒ロン毛野郎がどう絡んでいるのよ、などと訊き返すことはできない。セリカは呆れたような、わざとらしいため息を吐いた。

「そんなのあたしの知ったことじゃないわ。通して」
 すごみつつ、戸の方に一歩踏み込む。
「な、なりませぬ」
 衛兵が慌てて扉を引こうとしているが、セリカの方が一瞬早かった。

 ――ガン!
 右の踵で強引にこじ開ける。次いで左足で跳び上がり、兵士の顔面を着地点とした。男はぐうと呻きながら崩れた。
 遅れて、扉がけたたましく閉まった。視界が一気に暗くなる。

「何奴!」
 近くに待機していた別の衛兵が、騒ぎを聞きつけて駆け寄ってくる。
 迷わずセリカは壁の松明をもぎ取り、相手に向かって投げた。
「うわあ!?」
 兵士は突然の熱さに慌てふためき、更には地面に落ちた松明に足をひっかけて、盛大に転んで地に伏せた。あまりに鮮やか過ぎる。まるで誰かが脚本に書いたみたいな展開だ。

(ごめんなさい!)
 謝るのは心の中だけにして、セリカは全力で走り去る。邪魔なドレスの裾は、両手で握り締めて捲り上げた。
 しばらくの間、殺風景な廊下が続いた。
 どこまで走ればいいのだろう。

 焦りが段々と強まる。頭がおかしくなりそうだ。一定の間隔で左右交互に現れる壁の灯りを、ついつい数えそうになっている。
 異臭が濃くなり、一息つく為にセリカは足を止めた。向かう先の方に、鉄格子の輪郭が浮かんでいる。

(……もう手遅れだったりしないわよね)
 どうして彼は牢に入れられたのだろう。第二公子の差し金らしいが、この国では今、何が起こっている――?
(朝から何かがおかしいのはわかってたけど)
 こうして考える時間さえもが勿体ない。セリカは再び走り出した。

「ねえちゃーん、きれいなおみ脚だねえ。ちょっと股開いてみなー?」
 闇から、しゃがれた声が響く。
「ありがとう! この脚はあんたの空っぽな脳みそを蹴飛ばすために、長くできてるのよ!」
 最初に通り過ぎた独房のいくつかは、中を確認するまでもなかった。下卑た文句を投げつけてくる者、猫なで声で呼びかけてくる者、不気味な奇声を発する者。それらの中に探し人は居ない。

「エラン! どこなの!?」
 闇が深くなっていく。気分が悪い。
 気のせいだろうか、通路の灯りの間隔が長くなっているようだ。と言っても真相はきっと単純で、奥に入るほどに松明の火が補充されていないだけなのだろう。

 ――ああ、なんてひどい場所だ。
 走りながら時々、サンダルの裏から大きな虫を踏み潰したような気色悪さが伝わる。四方から響く鼠の鳴き声が頭の中で反響している。あと数分この場に留まるだけで、気が狂うのは目に見えていた。
 囚人たちには同情せざるを得ない。

「ねえ! 聞こえてるなら返事しなさいっ!」
 ――はやく、早く助け出そう。こんなところに長く居てはダメだ。むしろあいつが此処に閉じ込められていると想像するのが、辛い。
 つい先日、屋内で眠るのが嫌いだと言っていたのを思い出す。
 最早息も切れ切れだが、急く気持ちに背中を押されて、セリカは必死に叫んだ。

「――エランディーク・ユオン!」



念のため補足しますと地下牢の床はめっちゃ水たまりだらけなので松明落としたくらいでは火事になりません。

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零 - a
2017 / 02 / 14 ( Tue )
 これより先は淑女が踏み入れるべき場所では、断じて、ない。
 長い間、セリカは己の足下をただ睨み付けた。そうしている内に、果樹園を駆け抜けたことによって上がりきっていた息が、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 ――この扉を開けばきっともう戻れない。

 迷いという名の錘が彼女の足を持ち上がらなくさせている。
 否、同じような分岐に立たされれば誰だって躊躇するはずだ――

(ごめん、お母さん。あたしには荷が重かった)
 くれぐれも淑女にあるまじき振る舞いは控えてくださいね、と何度も念を押してきた母の顔を思い出す。
 心の中で謝ったはいいが、直後に自己嫌悪がこみ上がる。
 ――違う。別の誰かに責任転嫁して、踏み出せない臆病さを正当化しようとしているだけだ。

 上質な生地に装飾品をふんだんにあしらったドレスの裾から覗く足は、いかにも高価そうなサンダルを履いている。が、綺麗な黄金だったはずの金具は草から擦れ移った緑に汚れ、足の爪は色濃い泥に塗れていた。
 頭の中で、自嘲気味に笑う。

(元々あたしは「淑女」の枠組みからはみ出ていたわ)
 それでも家族のため、国のため、今度という今度はちゃんと頑張ろうという気になっていたのに。
 ――あいつとなら、頑張れそうな気がしていたのに。

 足の指をくすぐる草と大地の温かな感触が、セリカの心中に巣食う不安を残らず引き出した。
 選択次第で、世間体以上の強敵をつくってしまう。慣れ親しんだ安寧を遠ざける覚悟が、本当に自分にあるのか? この道を進んだ先にはどんな未来が待ち受けて――或いは、未来と繋がってすらいないのか?

(本当に会えるの? 会ったら、連れ出せるの? あたしに)
 想像してみようにも、頭の中は真っ白だ。
 明らかに気が動転している。

 茶会の席を抜けて夢中で此処まで走って来たが、これからどうすればいいのかがわからなかった。型破りな娘だなんだと周りに言われてはいるが、肝心なところでは身動きが取れない。常識の打ち破り方がわからないのだ。
 引き返してしまおうか。今なら、まだ間に合う。

 ――お前の知らない「自由」を見せてやろうか――

 耳の奥に響いた声に、ハッとなった。
 あの男が悪いのだ。夢を見させるようなことを言うから、真に受けた自分はこんな無茶を――

「ああもう! 違うったら!」
 追いつめられると何でもかんでも人の所為にするのは、悪いくせだ。
 今まで誰もくれなかったような嬉しい言葉をかけてくれたからとか、命を救ってくれた恩があるからとか。それは確かに理由の一部であるが、それだけではない。
「知ってるヤツに死なれたら寝覚めが悪い、だけよ!」
 ましてや相手はこちらの手が届く範囲内にいる。見捨てられるわけがない。助けてやれそうな可能性がある内に、何もしないなんてありえない。

 そうはっきりと口にしたところで、セリカは腹をくくった。祖国への郷愁や、身分を惜しむ気持ちは、もちろんある。けれどそれを上回って余りある強い想いがあった。
 しゃがんだ。ドレスの裾が汚れるのも厭わずに。

 地面に溶け込むような色に塗装された両開きの扉は、初見では素通りしてしまいそうだが、セリカは先日この庭をうろついていた際に見かけたので探し出すのは容易だった。
 表面にこびりついている土を軽く払ってから、両の拳で扉を思いきり叩いた。十回以上は叩いたところで内側から上へと扉が開いた。

 ぎぎぎぃ。扉を開けた者の億劫さを代弁するかのように、蝶番がうるさく軋む。同時に、異臭が地上へと這い出た。数種の汚臭が混ざったようで、何の臭いかまでは割りだせないほどに複雑だ。
 セリカは僅かに仰け反って、鼻先を手の甲で覆った。

「なんだ女、何か用か」
 地下からつまらなそうにこちらを見上げる男は、武装した兵士である。それを見て、大体察することができた。
 情報源であった少女を脳裏に思い浮かべる。
 ――エラン兄さまでしたらきっと、地下にいらっしゃいますわ。
 確かに彼女はそう語った。

(地下って言うから予想はできてたけど。やっぱり、牢……!)
 冷や汗が額に滲み出す。喉の奥が詰まったように息が苦しくなり、頭がじわじわと痛み出した。恐怖が手足を絡め取らんとしているのだ。


ハッピーバレンタイン! おや、何かが始まってしまいましたね…?
最初は三日連続更新でその後は以前のような2~3日に一度ペースになると思います。

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66.d.
2017 / 01 / 01 ( Sun )
久しぶりに拝む太陽は、ひどく眩しかった。季節感など一切無い地下牢で過ごしてきただけに、夏の気温には凄まじいものを感じる。
 ぐらりと眩暈がして、ミスリア・ノイラートは道端にあった木箱の上に座り込んだ。

「大丈夫?」
「暑いですね」
 迎えに来てくれた友人に向かって弱々しく笑う。傍に居るのは彼だけだ。
 出所の日程と手続きは秘密裏に処理したものだから、外部から聞きつけた人間は誰もいない。三年も経てば世間も「世界を救った聖女」の行方に興味を失うのだろう。その代わりに、大聖女も地に還っただとか天に昇華しただとか聖獣が恋しくなって極北の地まで後を追いに行っただとか、おかしな噂だけが飛び交っているのだとカイルは教えてくれた。

「これでも三年前よりはずっと涼しいんだよ」
 カイルはそう言ってハンカチで顔の汗を拭った。おいで、と彼はミスリアの手を取り、建物の影の方へと誘導してくれた。
「目、慣れそう?」
「まだしばらくは眩しいかと。光だけじゃなくて、音も……世界ってこんなに色んな音がしてたものなのかと、再発見してます」

 通り過ぎる馬車の音、露店で値切り合う人々の声。頭上を通り過ぎる鳥の鳴き声、子供たちが走り回る足音、洗濯物を干しながら歌う女性の声も、全てが頭の中で大きく響いている。
 地下牢では自分と看守のが作る音以外には、鼠の鳴き声くらいしか聴いていなかった。
 それに匂いだ。漂う重厚な匂いが何なのかは特定できないけれど、空腹感を刺激するものには間違いない。ぐうっとお腹が悲痛な音を出す。

「引き留めてごめん、すぐに終わるから。その後に一杯美味しいもの食べてね」
 友人は爽やかに笑った。三年ぶりともなると、懐かしいとさえ感じる笑顔だ。そして、また見れて嬉しい。
「い、いいえ。お忙しいのに、私の為にわざわざ来て下さってありがとうございます」
「これをどうしても手渡したくて」
 懐の中から、カイルがネックレスのようなものを取り出した。

「それは……」
 続く言葉を紡げなかった。
 しゃりん、とカイルの掌から大きな影が流れる。チェーンから転がり落ちるようにして垂れた形は、聖獣信仰を象徴するもの。銀細工に、二つの水晶を取り付けたもの。
 元々二つ持っていた銀細工のペンダントは、小さい方は旅の道中でいつの間にか紛失してしまい、そして水晶の施された大きい方は聖獣に取り込まれた時に、失われた。その後教団に帰還して、新たに賜った――水晶も、新しくいただいた『鱗』を使って。

「君はもう教団に属する聖女ではなくなったけど、本質は今でも聖女だよ。役職を返上しても聖気が全く扱えなくなるわけでもない。君にはこれが必要だって、教団と掛け合ってきた」
 ありがとう、とカイルを見上げて唇でなぞった。受け取ったアミュレットの重みと僅かな温かさが、心の中で忘れていた感情を引き出した。胸元に、大切に握り締める。

「……やっぱり、私には必要ですね。牢の中には魔物の前兆が数多く視えました。視えても浄化できなくて……」
 体内の聖気を一度根こそぎ失ったミスリアは、以前と違ってアミュレット無しでは聖気を扱うことができなくなっていた。刑務所の残留思念とは語り合うことしかできず、彼らを送ることはできなかったのがずっと悔しかったのだ。
「自由の身になれて、おめでとう、ミスリア」
「はい」
 アミュレットを首にかけて、ゆっくり立ち上がる。ふらつきそうになると、カイルがそっと肘を支えてくれた。

「僕からの用事はこれだけだよ」――彼はポケットウォッチを取り出して時刻を確認する――「ちょっとこの後も予定が入っててね。晩御飯なら、一緒できそう」
「はい! 楽しみにしてます」
 カイルは目を細めて笑った。
 そして何故かわざとらしく、何かを気にするようにちらちらと肩から振り返る。

「待ち人は角の方に居るよ。早く行ってあげて」
「――!」
 パッと心の中に広がった悦びに、頬は緩み、声は出なかった。対するカイルは微笑ましそうなものを見る顔になった。
「じゃあ、また後で」
 手を振り合って、別れる。既にミスリアは小走りになっていた。

 とはいえ独房生活が長すぎた。走る為の筋肉は衰え、何度も情けなく転びそうになる。逸る気持ちをなんとか抑え、建物脇の樽などを支えにして、少しずつ確実に歩を進める。
(どうしてこの角に?)
 すぐに疑問は解決された。
 井戸から汲んだ水を、頭から豪快に被っている青年の姿がそこにはあった。

 本物だ、と直感するまでに大して時間は要らなかった。
 速まる心臓の音が耳の中で響いている。その場に縫い付けられて、動けない。
 地面に流れ落ちた水が一筋、するするとミスリアの足元まで伸びる。
 青年が顔を上げた。次いで、目が合った。

 深い黒をたたえた右目と、白地に金色の斑点が散らばる左眼。
 何も無い闇の中でも、忘れられずに焦がれた――幾度となくミスリアの胸の内を掻き乱した眼差しがすぐそこにあった。
 青年が目にも止まらぬ速さで動いた。

「ストーップ、兄さん! 濡れたままじゃ可哀想でしょ! 拭いて! ほら!」
 間に大きな布がバッサリと入る。
 派手に光沢を放つ服を纏った人物の後ろ姿を認めて、ミスリアは嬉々としてその名を呼んだ。
「リーデンさん!」
「や、久しぶり」
 くるりと振り返った青年は、記憶の中の像を楽々と飛び超えるほどの美貌だった。三年の間に色気に磨きがかかって、同時に男性としての凛々しさも濃くなっている。何より、サラサラの銀髪の襟足が大分減っていたり、短くなっているのが印象的だ。

「髪切ったんですね。すごく似合ってます」
「そうでしょー? 君は髪、伸びたねぇ」
「早く切ってしまいたいです」
「その長さも似合ってるよ」
 リーデンは何気なく、栗色の髪を幾筋か手に取って撫でた。気恥ずかしいけれど、そういえば彼はこういう人だった、と思うと嬉しくなった。

「そうそう、外に出たら、最初に何がしたいとかある」
「お風呂……お風呂に、ハイリタイ……です」
 うじゃうじゃと伸びてしまった髪なんて、汗や泥が固まっていて変な臭いまで発している。唐突にそれを思い出し、リーデンからサッと距離を取った。つい井戸の方へと目が行った。そのまま飛び込みたいくらいに、お風呂が恋しかった。

「あははは、他には?」
「温かくて柔らかいご飯をお腹一杯食べて、広い野原で散歩して、それから――」
 指折り数えている最中に、地面から足が離れた。
「きゃっ!?」
 強烈な抱擁に捕えられている。うなじ辺りに、吐息を感じた。

「汚いってさっきから言ってるのに――! 放してください! ゲズゥ!」
「お前は抱き着くつもりじゃなかったのか」
「そ、そうでしたけども! 改めて考えてみると汚いんです!」
 彼はこちらの抗議など聴こえていないように、抱き締める力をまるで緩めない。苦しい。けど、気持ちいい。

 心臓が口から飛び出しそうだ。
 極め付けには、いつか法廷でしてくれたように耳に口を寄せて「あいしてる」と低い声が伝えた。
 あの時は、三年も会えないという悲しい気持ちに後押しされて「わたしもです」と言えたのだが。こうしていると、気恥ずかしさが爆発する。ついでに、すぐ近くでニヤニヤ笑っている絶世の美青年の視線も気になる。

 けれども、やはり心地良いのである。地に下ろされた頃には怒気はすっかり消え失せていた。
 また目が合った。今度は、迷わずに笑いかける。

「生きてくれてありがとうございます。逢いたかった、です」
 すると、「知ってる」との笑顔が返った。
 頬をなぞる大きな手は、記憶の中よりも冷たい。黒い髪も伸びていて、肌の色素もこころなしか薄くなっている。
 互いに痩せ細ってしまったものだ。でも、また巡り逢えた。それだけで、涙が溢れるほどに嬉しかった。

「貴方は変わりませんね」
「お前は少し大人びたな」
 しばし、体温を確かめ合うような口付けを交わした。
 拍手の音で、我に返る。それをしていた当人、絶世の美青年は、妖しげな微笑みを浮かべていた。

「とりあえずそうだねー、思い付く限りのやりたいことをやり尽くしたら、結婚でもしたら」
「けっ……!?」
 何てことを言い出すのか、とミスリアは仰天した。
「だってさー、もう聖女さんって呼べないんだし。だから今度は姉さんって呼ばせてよ」
「なるほど」
 と、あろうことかゲズゥは納得したような顔をしている。

「からかわないでください!」
「僕はいつだって大真面目だよー?」
 いけない、肩で息をしていたら、またふらりと眩暈がしてきた。倒れようにもガッシリと腰を抱える腕があるので、その点は平気だった。
 はあ、とミスリアは呆れてため息を吐く。次に、深呼吸した。

(――結婚、か。それって、ずっと一緒にいようって家族と神々の前で誓うってこと……)
 落ち着いてちゃんと想像してみると、そこに抵抗感は全くなかった。
 同年代の友達が己の結婚式や花嫁姿について夢を語っていた頃、ミスリアはただ聖女としての使命のみを想って生きていた。
 けれど、今は。隔てるものが何も無い。

 身分や立場も、運命も、迫り来る命の危険も。独房の壁だって、取り除かれている。真実、自分たちは好きなように生きられるようになった。
 カイルに言った通り、自分の望みは――
 それを語るべき相手を見上げる。
 じっと見返してくる左右非対称の瞳は静かだった。密かに、勇気をもらった。

「私は前に、離れるのが怖いからと、貴方を突き放そうとしました。でももうそんなことは考えません。死に別れる時は明日かもしれないし、もっと遠い未来かもしれない。それでも最後の瞬間まで一緒に居てくれませんか」
 ゲズゥは二度、瞬いてから答えた。
「引き受けた」
 ふわりとまたその腕に包まれる。先ほどよりも優しくて、温かい抱擁に。

「当然だ。お前の帰る場所は、俺の傍にしかない」
「はい。これからもよろしくお願いします、ゲズゥ・スディル氏」
 ミスリアは抱き締め返す腕に力を込めた。いつまでもそうしていたかった。
 ふと目を閉じると。
 幸せになってね、と言ってくれた姉の声が脳裏を過ぎった。

 ――お姉さま。どこかで見ていますか。貴女の代わりに私たちが、やりましたよ。そして今は貴女が望んだ通り、私は、幸せです――

_______

 かつて、青年と少女は旅に出た。
 世界を救った旅だった。
 やがてその旅も終息すると――罪人と聖女であった青年と少女は只人となって、人知れず彼らの物語の続きを紡ぐのであった。

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66.c.
2016 / 12 / 31 ( Sat )
以前はどんな立場であったにしろ、囚人は囚人だ。看守は、囚人の生死を握る者としての薄暗い優越感に浸るのが好きだった。
 だがこの二人はどうもおかしい。

 男の方は朝から晩まで、腕立て伏せやら逆立ちやらしている。かと思えば、反復横跳びや側転などをして汗を流していることもある。一日一回の貧相な食事でどうやってあの体力を保っているのか、謎でしかなかった。逆に運動をしていない時は、死んだようにじっと静かにしている。

 それにしても、独り言のひとつも漏らさないのは人としておかしい。相手が居ない時、人は会話への意欲を独り言を呟くことによって満たすものだ。この男は他者と会話する欲求が無いのか。それとも看守の知らぬ内に満たしているのか。

 そして女の方。女と言ってもまだ十代半ばのほんの少女で、牢獄に閉じ込めるのは惜しい可憐さである。看守も、劣情を催したことは何度かあった。だが囚人相手に欲を抱くのは浅ましいと考え、いつも一線を越えずにいる。万が一行為に及んでそれが露見しようものなら、ジュリノク=ゾーラを主神とする集団に苛烈な処罰を下されることだろう。

 このような可憐な少女があのような不気味な男の為に自ら囚われの身となるのか。世の中とはよくわからない。
 若い男の方と違い、少女は一日のほとんどを喋って過ごしていた。喋っていなければ、歌っている。
 ある時看守は少女に訊いてみた。その歌は何だ、と。
 聖歌です、と答えた少女は、聖歌集の何ページに載っている歌なのかまでを教えてくれた。

「どういう歌だ」
「春に咲く花々への感謝の歌です。今年も咲いてくれてありがとう、って」
「いい歌だな」
「いつか機会があれば、ご覧になってみてください」
「おら、字が読めねえんだ」
「そうですか、残念ですね。もう少し明るかったなら……ここで文字を教えてあげられたんですけど」
 看守はそれには答えなかった。
 本当は、前々から字を学びたいと思っていた。だが関わりすぎたって、情を抱いたって、どうせ遮断独房の囚人は長くもたない――そう自分に言い聞かせて、その場を去った。


 それから一年経っても二年経っても、三年目になって既に他の独房では何度か囚人が入れ替わっていても、二人は相変わらずだった。相変わらず、身も心も健康そうである。
 他の囚人が二言目には何々が欲しいと訴えかけてくるのに、二人は何も要求して来なかった。本が欲しいとも、絵具が欲しいとも言わない。何かを欲しがられたところで与えることはできないが、来る日も来る日も飽きずに似たようなことをして暇を潰せる二人は、相当な精神力を持っているのかもしれない。

 ある時、看守は気になって男に問いかけた。
「おめえ、ずっと喋ってねえんじゃ、言葉忘れるぞ」
 男はかなり長い間沈黙したままだったが、ついに看守が立ち去ろうとした時に、静かに答えた。
「……問題ない。こう見えて、弟と話している」
「はあ」
 死んだ弟の霊とでも話している妄想かね――と、少し哀れに思った。男はきっとやんわりと気が触れ始めているだけだろう、と看守は自分の中で勝手に結論付けた。


 またある時、少女に問いかけた。
「男の方がどうしてるか、気にならねえんか」
「なりますよ、勿論。でも貴方に訊ねたところで、答えてはくれないでしょう」
「当たりめえだ。独房は、孤独も罰なんだ」
「では、あまり私に話しかけない方が良いですね」

「女は寂しいと死んじまうからなあ」
 看守は、ついつい少女に話しかけてしまう自分に言い訳をした。
「寂しくなったら、大切な人たちに次にまた会える時を想い描きます。それに、同じ建物の中で息をしていると想像するだけで、とても幸せな気分になれるんです」
 囚人の少女は穏やかに笑って、また何かを喋り出した。よく聞けば喋っているというよりは唱えているのか、それは祈りの言葉のようだった。

 死者と語らう――と本人は主張している――以外には、覚めている時間はほとんど祈祷に費やしている。
 まだ若いのに。一体どういう人生を送ってたら、こんな風になるのか。聖女とは皆こういうものなのか。
 看守は、これ以上彼らを気にしても仕方がないと悟り、考えるのを諦めた。
 そうして二人の若い囚人が独房で暮らし始めてから、三年が経った――。

_______

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22:18:32 | 小説 | コメント(0) | page top↑
66.b.
2016 / 12 / 31 ( Sat )
「ではそのように計らいましょう。記録係、お願いします」
 猊下の一言から、要人たちは書類を更新する為に大仰な扉の向こうにまた消えて行った。大使は未だに不服そうにしていたが、きっと他の二人が説得して下さることだろう。
 カイルサィートは折を見て席をより前の列の方へと移動した。眼前で、ミスリアたちが会話している。

「もしかして今、ものすっごくうんざりした顔しませんでした?」
「……気のせいだ」
「そうですよね。あ、お礼なら要りませんよ。だって私たちは迷惑かけたりかけられたり、半永久的に助けたり助けられたりする仲ですよね」
 にこやかに宣言する少女。ハッ、と青年は微かに笑ったようだった。

「ああ、礼は言わない。十五年が三年になったのは、『よくやった』」
 褒められたミスリアは満面に微笑みを浮かべる。それからしばらくして、俯いた。
「三年なんてあっという間ですよね」
 自分に言い聞かせるような声色だった。

「出逢うまでの二十年に比べると、随分と長そうに感じるが」
「い、いくらなんでもそれは大袈裟ですよ……」
「事実だ」
 ――ジャラリ。
 瞬きの間に、ミスリアが移動していた。手足を鎖で繋がれている青年に、人目も憚らずに抱きついたのである。
 観衆はひそひそ話を繰り出したが、大っぴらに口を出す者は居なかった。そこには、第三者がおいそれと侵せないような空気が流れていたからだ。
 二人は互いに何かを耳打ちしてから、離れた。

「生きていて、くださいね」
「そっちこそ。石みたいな味の飯が出ても、残らず食うことだ」
「任せてください。石でも砂でも、最後の一粒まで食べます!」
 それには、傍観していたカイルサィートが思わず噴き出した。二組の双眸が驚いてこちらを向く。

「ああごめん、邪魔するつもりじゃなかったんだ。でもミスリア、砂は食べなくてもいいんじゃないかな」
「砂は栄養に……なりませんか?」
 これから長い年月を独房で過ごさねばならないというのに、彼女は実に楽しそうに手を合わせてくすくすと笑っている。つられて、カイルサィートも自然と笑んだ。
「君たちは変わったね。なんていうか、明るくなった感じがする。楽しそうで何よりだよ」
「ありがとうございます。カイルも、また会える日まで絶対に元気でいてくださいね」
 少女が両手を前にして歩み寄ってくる。なのでとりあえず伸びてきた両手を取って引き寄せ、意味もなく笑い合う。
 その間、脳裏では少し前の会話を思い返していた。

 ――カイル、私は聖女であることが誇りです。でも大義を果たせた今、新しい目標に向かって歩みたい。これからの私が望む人生、は――
 
 気が付けば小さな手をぎゅっと握り返していた。

「うん。君たちは、君たちの好きなように生きればいいんだよ。これまで一杯、頑張ってくれたんだから。後のことは僕たちに任せて……魔物信仰の残党対策も、ね」
「はい、頼りにしてます」
 でも無理だけはしないでくださいね、とミスリアは小声で付け加えた。「秘術って寿命を消費して使うものだとか」
「え、そうなの? それは初耳だよ」

「全知全能空間から持ち帰ってきた、ほんのちょっとだけの知識です。実は術式も幾つか憶えてるんです……」――そこまで言って、ミスリアはキッと眉根を寄せた――「でも教えません。カイルも、たとえ今後出世しても、長生きしてくれないと嫌ですからね。秘術は使っちゃダメです」
「ありがとう。善処するよ」
 ぎぃいいい、と扉が大きく軋んだのを合図に、ミスリアがトコトコとゲズゥの傍に駆け戻った。

「君も、またね。三年間頑張って」
 無言で佇む青年にも、カイルサィートは挨拶を投げかけた。
「……そうだな。こう何度も再会できたなら、おそらくまた会えるだろう」
 と、彼はつれないながらもちゃんと返事をくれた。

 やがて組織の成員が近付き、二人の身柄をそれぞれ確保した。
 彼らが自身の決断により引き離されてゆくさまには、言いようのない哀愁があった。

_______

 首都の外れの刑務所にある「遮断独房」は、去年から三人の囚人によって使用されている。中年の男が一人、若い男が一人、そしてなんと若い女が一人居る。
 三人の内、中年の男はもうそろそろ駄目だろうと看守は踏んでいる。近頃は食事を持って行く度に必死に会話をしてくるのだ。看守は気の向く程度にしか受け答えをしないし、あの男とは何を話しても面白くないので、無視している。このまま行けば囚人は発狂するしかないだろう。

 残る二人は妙に平静を保っていて、気味が悪いくらいである。
 二人がこの牢獄に居ることは極秘事項だ。なんでも男の方は一時期世間を騒がせた「天下の大罪人」で、女はその懲役を共に負担しているとのことだ。女は以前は世界を救った聖女だと言うらしいが、看守には世界が救われたという実感がそもそも無かった。町中の人間が聖獣の姿を見上げて感動していた間、彼はただ黙々と仕事をしていただけである。

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14:07:20 | 小説 | コメント(0) | page top↑
66.a.
2016 / 12 / 31 ( Sat )
 かつて、天下の大罪人と呼ばれた青年が居た。
 かつて、最年少で聖獣を蘇らせる旅に出た少女が居た。
 出会いはいつだって変化を呼び寄せる。
 大陸の民が辿りうる軌道が、変わった。これからの数百年の未来に渡り、人々がこの変化を活かせるかは、まだ誰にも視えない――

_______

 そんな二人が伝説の聖獣に連れられてヒューラカナンテ高原に生還してから、半年余り巡って、季節は夏になっていた。大陸の南半分が通常よりも涼しい気候を楽しめている一方、北半分は例年に無い熱波に襲われている。

(暑い……)
 聖人の正装、幾重にも重なる白装束が恨めしい。カイルサィート・デューセは、誰も見ていない隙に掌でパタパタと首元を煽いだ。
 此処はウフレ=ザンダの首都の一角にある裁判所だ。要人たち――シャスヴォル国、対犯罪組織ジュリノイ、そしてヴィールヴ=ハイス教団それぞれからの代表者――が会議室に篭ってから一週間が経った。

 結論が出るまでに、相当な時間がかかっている。これは判断材料が揃うまでの期間を含めての計算だ。冤罪の疑いがあるところを徹底的に調べ直し、晴らせる罪は片っ端から晴らすべきだと、ジュリノイと教団が取り決めたからである。
 そう思うと、半年はかなり急いだ方だと言えよう。

(目まぐるしい半年だったな)
 あれから尊き聖獣がどうなったのかと言うと――余力を残して、一月ほど教団を拠点として活動したのだった。ランダムに飛び回るより、『汝らの示す優先度の高い場所を祓う』と、教団に意見を求めてきたのである。

 何故そのような判断をされたのかと教皇猊下が訊ねると、単に現在の大陸を導く宗教団体にはそれをこなせるほどの組織力があるから、活用するだけだと、聖獣は答えた。その期待に応えるべく、教団は動かせる人材を残らず駆使して情報を集めた。おかげで忌み地はほとんど浄化され、多くの病院に奇跡を振りまくことができた。

 既に聖獣は聖泉の域に戻られている。おそらくはもう、ミスリアが探し当てた泉とは別の場所に眠りについているのだろう。次はいつ、人の世に舞い降りてくださるのだろうか――。
 不思議と、聖獣に最も近かったはずの二人の反応は薄かった。むしろゲズゥの方は、聖獣の話題を出してやると、あからさまに渋い顔をする。何があったのかは詳細まで聞き出せていないけれど、よほど面倒な目に遭ったようだ。

 その時、奥の仰々しい扉が軋んだ。
 一堂に会していた数十人が、緊張した面持ちで顔を見合わせる。が、断罪を待つ当の罪人はこれといって何も感じていないようで、さっきから何度も繰り出している欠伸を更にもうひとつ吐き出すだけである。
 かくいうカイルサィートとて心の準備はできていたつもりだが、胃の奥から拭い去れない不安感が昇ってくる。

「判決を言い渡す。これまで犯した罪から、聖獣復活に向けての働きを差し引いて――」
 シャスヴォル国の使いが声を張り上げた。彼の後ろでは、覆面の人物と正装をした教皇猊下も控えている。
「罪人ゲズゥ・スディル、『遮断独房』にて十五年の懲役を処する」
 法廷にどよめきが走った。
 確か「遮断独房」とは、この国ウフレ=ザンダとディーナジャーヤ帝国でしか使用されていない稀な刑法である。

 その独房は、それなりに歩き回れる程度に広く、厠も備えている。
 問題は名にある通りの「遮断」。音も光も届かない地下の独房にて、食事を与えられる頻度は一日に一度だけ。看守以外の人間と関わることは許されない。

「十五年だなどと、ご冗談を……」
 誰かが皮肉を込めて囁いた。
 外部からの刺激を得られないと、人間は容易く発狂するという。長年の独房生活で衰弱死するよりも早く、孤独に耐え切れなくて自害する囚人の方が圧倒的に多い。
(元々は焼身刑を科せられていたのを思えば、マシかもしれないけど)
 十五年間暗闇の中で我慢すれば、出所した暁には晴れて普通の生活を送れる。しかしそうなると我慢を強いられるのは本人だけではない。

「待ってください」
 また新たなどよめきが上がる。こんな時に誰が異を唱えたのかなど、確認するまでもなかった。
「何でしょうか、聖女ミスリア。発言を許します」
 穏やかに答えたのは教皇猊下だ。
 客席から、白ずくめの少女が立ち上がる。部屋中の注目を一身に集めたまま、通路の階段を下りて行った。法廷の中心、つまりは罪人のすぐ隣まで歩くと、丁寧に一礼した。
 
「ありがとうございます。猊下、頂点(ケデク)さま、並びにシャスヴォル国の大使さま。この者の刑について、私から提案がございます」
「申せ」
 と、覆面の人物が取り合った。
 まだスカートの両端を持ち上げて顔を下げていた体勢から、ミスリアはスッと両手を握り合わせて背筋を伸ばした。隣のゲズゥが、無表情で彼女を見下ろしている。

「ゲズゥ・スディルの刑罰を、私にも負担させてください」
 その日一番のどよめきが沸き起こった。皆が一斉に意見を唱え、私語があちこちで発生している。
 カイルサィートは特に驚いていなかった。友人の決断は、前もって相談を受けたので聞いている。それよりも当事者であるはずなのに何も聞かされていない青年の様子が気になった。そのゲズゥはと言えば、一度目を瞠ってから、物言いたげに目を細めている。

「そんなこと……貴女の一存で決められない! ましてや世界を救った大聖女さまを牢に入れるなど前代未聞だ! 
「私が世界を救ったと言うのなら、彼も同じです」
「聖女と罪人で比べるな! 自分が何を言っているのかわかって――」
「お待ちなさい」
 怒鳴る大使を、猊下がそっと肩に手を置いて制した。反対側の肩にも、覆面の人物の手が置かれた。

「罪人の刑罰を親類などが共に受けるのは、例の無い事態ではない。保釈金の代わりに家族の者を勾留させる場合もある」
「そ、それは短期懲役の話だろう! 遮断独房で十五年だぞ!?」
 覆面の人物は、ふむ、と何かを吟味するように何度か頷いてみせた。

「そうだな、二人で分担するなら半分ずつでひとり七年半になるが、小さき聖女の持つ徳を考えると、ひとり五年――いや三年か。当然、独房は別々だ」
「ご考慮下さってありがとうございます、頂点さま」

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65.j.
2016 / 12 / 30 ( Fri )
 幻にしては受け答えがはっきりとし過ぎている。
 顔が見たい。
 首を後ろに折り曲げんとするも、その試みを制する手があった。
 頬骨に触れる指の感触は間違いなく生身――生きた人間の皮膚だ。雷に打たれたかのような衝撃が、全身を駆け巡った。息のし方が思い出せない。

「…………ミスリア」
 他にどうすればいいかわからず、名を呼んだ。
「はい」
 返ってきたのは、絞り出されたような、苦しげな返事。逆光の所為か顔が翳っていて見えない。
「おかえり……と言うべきだろうな」
「――っ、はい。ただいま、かえりました」
 熱い涙が数滴、顔に降りかかった。左手で拭ってみる。次には手を伸ばした。掌にすっぽりと収まる、少女の柔らかく弾力のある頬の質感は、幻でなければ夢でもない。
 そういえば別れ際では逆の状況だったのを唐突に思い出し、可笑しくなる。

「何で笑ってるんですか?」
 少女が心底不思議そうに訊ねてくる。
「……いや」
 今の心境を表す言葉を、ゲズゥは持っていない。何から訊けばいいのか、何から話せばいいのかも、わからなかった。

「大変だったな」
 だから、労わる言葉を選んだ。
「ありがとうございます。でもゲズゥほどじゃないと思いますよ」
 苦笑が返る。
 ミスリアはそれからゆっくりと話をした。肉体と魂を聖獣に取り込まれた先にあった陶酔感や、自分が元々霊的なものに同調しやすかったこと、聖地を巡ったことにより聖獣との繋がりが不動的な濃さになっていたことなど。

 最初は肉体を残したまま、聖気だけを抜き取られるらしい。そうして魂が融合して、終いには肉体も分解されていく。あまりに時間が経てば戻れなくなる。今のミスリアは、肉体と魂を取り戻せたものの蓄積した聖気を根こそぎ失った、ただの一般人だという。

「聖獣とひとつになると、全知全能になれるんです。物凄い高揚感で……でも私は人間に戻りましたから、真理を手放してしまいました」
「ならどうやってお前は戻って来れた」
 ミスリアはすぐには答えなかった。緩く握った拳を差し出している。そしてくるりとその手を翻し、大事そうに持っていたものを提示した。

「お返しします」
 ギョロリと睨み返す白い眼球。目が合うとそれはバッと跳んで、あるべき場所に収まった。
「……危うく存在を忘れるところだった」
 左の眼窩の前にそっと手をかざす。異物感は、あまりない。
「ご、ご自分の眼なのに。視界を共有してたのでは」
「さあ。言われてみれば、前触れもなく古い記憶の再現を強いられてはいたな」
 あの不可解な行程は、全知全能の存在の中に在ったからなのか。
「というより、いつの間に私にくっつけたんですか?」
「服を返却された時」
 そう答えた途端、そういえば前よりも肌寒い気がして、重ねていた衣類が一段減っていることに気付く。

「すみません。また拝借してます」
 ミスリアはバツが悪そうに舌を小さく出す。上着を借りる為には防寒コートと併せて脱がせる必要があっただろうに。過程を思い出して気恥ずかしくなったのか、早口で話題を変えた。
「えっと、それも、『正解』だったみたいです。元々は魔に通じるものでも、今では根本でゲズゥと深く結び付いているから、聖獣に取り込まれても浄化されずに済んで……ふわふわと漂ってる中、どれくらいかかったのかはわかりませんけど……見つけたんです」
 左の眉骨辺りに、少女の指先の温もりが掠った。

「きれいな眼だなって思ったら――私は、私という『個』を思い出せました」
 涙がまたぱたぱたと落ちてきた。頬を度々打つ優しい圧力が、愛おしいと思った。
「あの化け物は……結果を左右する術が無いと言っていたのも、嘘か……」
「尊き聖獣は、意地が悪いですよね。あのお方にはそういう概念は無いみたいですけど。あそこで貴方が踏ん張らなければ、何も教えず、私を内包したまま飛び立ってましたよ」
 そしてミスリア・ノイラートはこの世から自然と消滅していたことだろう――

「なら俺のしたことは無駄じゃなかった、か」
 ミスリアがふるふると頭を振っているのが、微かな空気の流れから伝わる。
「無駄じゃないです。全然、無駄じゃ、なかったですよ」
 腹の底で渦巻いていた毒の残りが、融けていくのを感じる。

「――逢いたかった」
 はい、と小さな返事があった。鼻を啜る音が続く。
「はい。私も、逢いたかった、です」
 少女の頬に触れたままの掌が、涙の洪水に巻き込まれた。そこにもやはり、愛おしさを覚える。
「聖獣とこの広い大陸を回った。けど結局何処よりも俺は、お前の傍でないと、まともに息ができないらしい」
「私も、貴方の傍でないと、私ではないみたいです」

「この先も離れることがあっても。何処に消えようと、俺はまた、お前を捜し出す」
 ミスリアが強く頷くのを感じた。
「お待ちしてます」
 花のような香りと共に温かな髪が顔にかかり――

 ――額に、そして左の瞼に、柔らかな口付けが落ちた。



呪いの眼、裏で大活躍の巻でした。
甲はガチムチなので太ももかったいんですけど、ミスリアの膝枕はきっと真綿のように柔らかいのだと信じてます。

次で最終話ですよ!! ですよ!? (書こう

聖獣の性格がおかしいのはかなり初期から定まってた事項です。こうして振り返ると、滝神さまは随分と良心的だったなぁ…w

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23:58:49 | 小説 | コメント(0) | page top↑
65.i.
2016 / 12 / 30 ( Fri )
 これは死ぬ。万が一死なずに済んでも、相当痛いはずだ。
 聖獣は一体何がしたいのか、皆目見当が付かない。
 そんなことを思いつつ、落下の最中、肌寒さに震えた。さっきまでは緑の残る暖かそうな地域に居たのに、また移動していたのか。聖獣と共に在ると時間の感覚が歪んでしまうようだ。

 さてどうやって着地すれば少しでも痛くなくなるか、そろそろ対策を立てねばなるまい――と、身を捻って反転した。耳朶を打つ轟音が、近付く地面が、恐怖心を煽る。
 ふいに、視界に大きな動きがあった。
 真下に現れた水晶の並びに驚き、瞬く間に巨大な背の上に座り込んでいた。

『どうだ、我の守護者を務める気になったか』
 などとほざく化け物に対して――
「ふざけるな」
 ――とゲズゥは吐き捨てた。
 わざと恐ろしい目に遭わせてから助け、好感を得る作戦であるならばとんだ茶番である。
 聖獣は悪びれもせずに答えた。

『どの道、これから贖罪に忙しそうだな。致し方ない、何時(いつ)か汝らの子孫を貸せ。それで手を打とう』
「寝言は寝てからにしろ」
『おお、冷たい。我はこんなにも汝らによくしてやったのに。敬わぬか』
「…………」
 もう何も言うまい、とゲズゥは胡坐をかいて瞑想し始めた。一体此処で何をしているのか――再度振り返りそうになる己を律する。

 ――また、逢える。
 希望の形を想うだけで、心は逸り、そして凪いでいった。
 やがて聖泉の域に戻った。先ほどの扱いとは打って変わって聖獣は今度は丁寧に地に降ろしてくれた。聖獣の背の温もりに慣れてしまった後だと、雪の積もった地面はやたらと冷たく感じられる。
 それなりの時間が経っているのだろう、そこにリーデンの姿は無かった。

『個と個の軸が収束した。望んだ結果は、もたらされる』
 ざわりと冷たいものが背筋を這いあがった。これまでに気安く話しかけてきた時とはてんで違う、底知れない畏怖を植え付ける「声」だ。身構え、声の主に向き直る。
 巨大な異形の輪郭が膨張した。間近で見上げると、背景の紫色の空と相まって、奇怪な有り様だった。

 聖獣の顔部分を覆う水晶の群に割れ目が現れた。亀裂はたちまち大きくなり、ついには空洞と化した。空洞の中は六色に煌めいていて奥を覗くことができない。眩しさに、ゲズゥは目を眇める。
 空洞が広がっていく――
 後退った。この穴に捕まってはいけない、本能がそう警告している。
 ――あんなものの中に、望む答えがあるのか?
 霊的な現象に関して決して詳しいとは言えない自分にも、あの「口」の異質さには瞬時に気付けた。

『汝の勝ちだ。何故、賭けであったかは自ずと知れよう』
 空洞から光の帯が無数に躍り出す。避けようにもそれらの追跡はあまりに速く、あっという間に抱き込まれた。
 形容のしようがない感覚だった。神経という神経が焼かれたかと思えば、微睡みに抱かれ、感情も思考も響かない海に連れ去られた。
 意識を失ってはいない、と思う。しかし目が覚めているとも決して言えないような状態だった。
 ゆらり、ゆらり。限りない海に漂う。

_______

 五感と再び自我が繋がった時、相も変わらず時間の経過がよくわからなかった。
 夜空を見上げているが、記憶の中で最後に見た夜空とは大分違う。月の満ち欠けによれば数週間は経っていそうだ。
 ひどい目に遭ったものだ。よもや、神などの有無に何ら執着せずに生きてきたゲズゥが、神々の遺物とこんな風に過ごすことになろうとは。

 寒々しい空に向かって短いため息を漏らした。白い息が空気に溶け込んでなくなるのを見届けると、その向こうに、摩訶不思議な現象を見つける。
 光がうねっている。幾重もの薄緑の線が伸び、波打って、広がる。時折、色も変化した。
 今更何を見たところで驚くものかと、目を瞬かせる。

「きれいですよね」
 鈴が転がるような澄んだ音が、冬の静寂に波紋を投じた。
 ここしばらくの間にしてきた経験を思えば幻聴だと一蹴したくなるのも仕方がない。思わず片手で、耳を叩いた。
 そして、新たな発見をする。自分が雪の床に寝転がっているのは察していたが、どうにも、頭と首の後ろだけ寒くないのである。むしろ温かくて心地良い。その感触は、押し固められた雪とは比べるべくもなく柔らかい。

「極光(ノーザンライツ)って呼ばれてるらしいです。極北の地でしか見られないそうですよ」
 幻聴はこちらの戸惑いなどよそに、静かに語り続ける。
「そうか。俺は、てっきりあれも魔物の末路かと」
「……自然現象って聞いてます」
 上から柔らかい笑い声が降ってきた。

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14:31:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
65.h.
2016 / 12 / 29 ( Thu )
「迷惑ばかりかけてますね。でももう少しだけ、お付き合いいただけると嬉しいです」
「ああ」
 迷惑はお互い様だと思ったが、言わなかった。
 数分間、静かに茶を啜った。忙しそうに走り回る給仕の姿が視界の端に入る。店にとって最も客の多い時間帯だからか食べ終わった皿がなかなか片付けられないし、支払いもできない――が、急いでいないので、それらは別に気にならない。のんびりと茶を飲み、カップが空になるとまたポットから補充し、食事からの後味をゆっくりと流していった。

「平和ですね」
 んんん、とミスリアは椅子に座ったまま伸びをした。「そういつも劇的な出来事ばかりじゃたまりません。きっとこんな瞬間の為に、頑張ってるんです」
 ――夕焼けの赤みを帯びた少女の横顔はいつもと違って見えた。
 初見では見逃していたが、こうして記憶を再現していると、やや伏せられた眼差しの奥に秘められた情熱に気付いてしまう。

「こんな日がずっと続けばいいのに」
「そうだな」
 はっきりと肯定すると、ミスリアはきょとんとしてから、はにかんだ笑顔を見せた。
 ありふれた日常の中の大して特別でも何でもない日。平穏を望む心を同じくしていると、なんとなく感じられた瞬間だった。


 泣いている、と自覚した時には本来の時間に戻っていた。
 天と地の境界に夜明けの気配が迫っている。おそらく一生の間にそう何度と目にかかれないような眺めだが、感動していられるような心境ではない。
 遥か下の地上に、わらわらと人が集まっているのが見えた。何人かが異変に気付いて、近所の者を起こしに回ったらしい。
 地上の人々は聖獣の後を追うように走り、追いつけないとわかるとその場に跪き、降り注ぐ金色の光に向かって両手を伸ばした。

「なんて神々しいお姿だ!」
「信じられない、尊き聖獣をこの目で見られるなんて……!」
「神々の恵みだ!」
「救済だ! この光景を永遠に記憶に刻んで……いや、絵に起こさないと!」
 悦び、涙する人間が続出する。抱き合う者も居た。

 地上の反応をよそに、聖獣は全く翼を休めない。村の上を通り過ぎると今度は丘の上を飛んだ。山や谷を越え、河を飛び越える。ひたすらに民家の上に聖気を振りまき、瘴気の濃い地を祓って行く。此処がアルシュント大陸のどの辺りに該当するのかは知れない。あれから何時間、或いは何日経ったのかも知れない。

 涙は拭わなかった。
 ミスリアが勝ち取った未来が、伸び伸びとこの下に広がっている。
 価値が無いなんて、本気で思っているわけがない。
 彼女もまた欲を持っていた。それを手放してでも大義に身を投じようと選んだのは、心の広さゆえだ。自身と愛する者たちの平穏な一瞬の為に、ミスリアは頑張った。そこに留まらず、顔も名前も知らないその他大勢の人々の平穏の為にも、頑張りたかったのだろう。

 ――感化されていた。
 ミスリアの目標を応援しようと思っている内に、目標そのものにも感情移入していたらしい。
 かつて姉を真似て聖女になったミスリアは、自分だけの信念を定めようともがいていた。そしてあの日、ポットパイの残りカスを前にして明かした胸の内は、濁りない彼女自身の本心――聖女ミスリア・ノイラート自身の言葉だった。
 ならばゲズゥ・スディル・クレインカティは、何を選ぶのか。半端な覚悟で人智を越えた存在に挑んだのは、何故か。

『可愛いな。ヒトの優柔不断は、何時の時代も可愛い』
 聖獣が笑っているのがわかる。もはや不快感を覚える気力すら沸かなかった。
『そろそろ、形を成せるようだ。吐き出してやろう』
「吐き出す」
 すかさず復唱した。

 項垂れていた頭を素早く上げた。
 この巨大な異形は今何と言ったか。
 ――吐き出す、だと?
 口が無いのにどうやって――との余計な思考は隅に追いやって。

「…………飛行に付き合わせたのは」
 唸るように低い声で問い詰める。
『長時間、我に触れていれば、強制的に穢れが払拭される。汝とその血筋の業はこれのみで浄化できるものではないが、少なくとも、いくらか運命は緩和されたであろう』
 絶句した。
 呆れた、のかもしれない。

「何の為にわざわざこんな真似をする」
 まさか。まさか、最初から。「吐き出そう」と思えば、出せるものだったのか。
『はて。問えば何でも教えて貰えるとでも思うたか。己で考えてみよ、愚か者』
 反論する間も与えられず。

 ――振り落された。



ラストまでがジェットコースターですよとは言いましたが、やっぱ落ちましたね(物理

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06:29:53 | 小説 | コメント(0) | page top↑
65.g.
2016 / 12 / 28 ( Wed )
 存在が危ういから消してやるのが慈悲なのか、とゲズゥは無意識に眉をしかめた。

『消滅するとわかっていて、それを甘受するのが正しいとも限らない』
 聖獣の答えが妙に遠く感じる。意識の境界がぶれているのだと悟った時には、ゲズゥはまた思い出の層に向かって転落していた。


 古い記憶だった。こんなこともあったのかと、すっかり忘れていたほどに昔の話だ。
 ゴミを漁って生きていた頃は栄養失調が普通で、当然ながら身体の免疫力は著しく低かった。おそらくは慢性的に体調が悪かったのだろうが、自身では気付けずにいたのである。そして雨が厳しかった冬の日、ついに弟が高熱を出したのだった。

 丸一日経っても回復の兆しは表れず。このまま死ぬかもしれない、唯一残った家族を失うかもしれない――恐怖にじわじわと蝕まれながら、延々と貧乏ゆすりをしていた。
 ――治れと念じて睨むだけで、治ったならいいのに。
 悶々とする。自分自身が熱を出したことは数えるほどしかなく、適切な対応など当時のゲズゥにわかるわけがなかった。とりあえず、喉が渇いたと言われれば飲み物を見繕い、汗が気持ち悪いと言われれば拭ってやった。

 後は「身体が弱っていると心も弱るからせめて相手の手を握って勇気付けてやりなさい」と母が言っていた気がしたからと、そうしていた。辛いのはわかっている、心配する人がすぐ傍にいるよ、と伝えるのが大事だと母は主張した。
 けれどもそれでは足りなかった。自分よりも小さくてか弱い幼児の手を握る間、己にできることなど何も無いと思い知ったのだった。ならば自然と次の手は決まっていた。

 心臓が引っ掻かれているような痛みを抑え込んで、その場を去った。夜通し咳の所為でうまく眠れずにいた弟の傍を、自ら離れたのである。
 深夜の住宅街を駆け巡り、順に戸を叩いた。話を聞いてくれる相手が見つかるまで、何度も何度も「たすけて」の一言を口にした。そうしてやがては老夫婦を伴ってリーデンの元に戻ることが叶った。
 その夜からしばらく屋根の下で暖かい食事と柔らかい寝床にありつけたが。最終的には自分の幸せを投げ出して、弟の幸せを願った。
 願いは成就しなかった。

 ――お前はこれから何度も間違いながら大人になる――
 父が予言した通りになった。愛する者を守るのは果てしなく難しい、今ならそれが痛いほどよくわかる。
 先祖が、世界が、自分にどんな運命を用意していたのかはわからない。抗って、疲れて、抗って、疲れた。生きることに疲れ果てた頃に、純真な少女と道が交わった――


『神々は材料を与えただけ、料理するのは汝ら人間どもの役目だ。条件が満たされれば我は世界の清浄化の為に飛行する』
 意識の外側から聖獣が語りかけてくる。
『満たされなければ眠り続けるだけだ。どのような世であるかは、その瞬間その瞬間、多くの者の選択肢の果てにある』
「……何が言いたい」

『神々の最大の贈り物は、成長する余地ではないか。不確定な未来こそが、民への祝福であろう』
「ふざけるな」
 沸々と怒りがこみ上げる。成長する余地が魔物と隣り合う日常だと言うのなら、それを覆そうとして奔走したミスリアが滑稽ではないか。

『教団の先人……我に聖気を供給した者ら、そして汝の愛しき聖女が勝ち取った未来を真摯に愛せぬか、愚か者』
 ――そんなもの、ミスリアが居なくならない未来に比べたら然程の価値も――
『偽らずとも良い。己の欲を投げ出してでも、聖女の意思を尊重したのだろう。そこに、汝の想いは無かったのか?』
「…………」
 想いだなどと。改めて考えてみたが頭の中は真っ白だった。

 ふと、漂う空気に新たな風が吹いた。
 記憶の層がドロリと融けては、再構築される。


「今日は楽しかったですね」
 ――ああ、別れてまだそう時間が経たないはずなのに、思い出の色がひどく懐かしい。これは、何時の記憶だろうか。はっきりとは思い出せない。
 ゲズゥは声を弾ませる少女の方を振り向いた。
 自分にとっては楽しくもなんともない日だった気がするだけに、彼女がどうして日差しと同じくらいに明るい表情をしているのかがわからなかった。

「決まった予定が無いからと朝はいつもよりちょっと遅くまで寝て、朝ごはんのパンと一緒に紅茶をいただいて……午前中は溜まっていた繕い物をやっと全部直せました。お昼の後は街中を散歩して、午後のお茶もして、図書館で少し読書していって。夕ご飯はこの通り、美味しいポットパイを食べることができました」
 ミスリアは終えたばかりの食事の跡を満足そうに指差した。こうして並べ立てられると充実した日に聞こえなくもないが。
 食後の茶を口に運びながら、とりあえず相槌を打っておいた。

「いくらこれが大事な目的を果たす為の旅だとしても、私はこんな日がもっとあっていいと思うんです」
 そうだな、とまた些か気の入らない返事をする。
「偉い人とバッタリ会うことも無ければ、浄化や魔物退治の依頼もありません。これで明日までトラブルに遭わなければ完璧ですね」
「言った傍から攫われるなよ」
「別にこれまでだって好きで攫われたわけじゃないです!」
 と、少女は両の拳を食卓に叩きつける。

「……当然」
 適当に言っただけのことに意外に面白い反応を貰えて、ゲズゥはどこか楽しくなった。
「私は被害者です! ちゃんとゲズゥが守って下さらないと……って、責めたいわけじゃなくて」
「事実だ。責めればいい」
「いいえ……何があっても、毎回、助けに来てくれましたから」
 ふふ、と何故かミスリアはそこで朗らかに笑った。



ヘンなトコで切ってすみません。
ちょっと今回の話は もんやり し過ぎかもしれませんが、雰囲気で大体理解していただければ十分です!

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