十 - k.
2017 / 11 / 11 ( Sat )
「必要とされているかどうかなんて知ったことか。私が国と民にどうしてやりたいか、のみ追求する。今はそれでいい」
「そう考えられる時点で、あなたは強いのですよ」
 ハティルはやはり呆れたように嘆息した。

「逆に訊くが、天候が神々の祝福の表れなら……今日は何が生まれるんだ」
「兄上は何だと思います?」
「さあ」エランは空を見上げ、意味深な間を置いてから、視線を戻す。「それより、忘れてないだろうな」
 声を低めて念を押すと、ハティルは苦い顔で、もちろん、と応じた。

「負けた方が勝った方に無条件に従う。期限は本日からひと月、ですよね」
 決闘開始の際に交わされた約定――それこそが、思想を擦れ合わせるほかに、戦わなければならなかった理由だ。
「笑っていられるのも今の内だ。馬車馬に生まれ変わった方がまだマシだと思うくらい、働かせるぞ」
「嫌な言い方をしますね」
「それが罰だ」

「僕は己の選択を後悔してません……が、負けは認めます。しでかしたことの代償を払うつもりです」
「聞き分けが良くて何よりだが、お前は何かと苦労しそうだな」
 真面目すぎるのも考え物だ。心中で苦笑する。
「お構いなく」
 しれっと答えてハティルは被り物を整え直した。少年の所作や表情からは、先ほど「何も考えたくない」と口走った時の危うさも緊迫感も抜け落ちている。

(それでこそ、正面からやり合った甲斐があったというもの)
 顎から首に垂れる血を、エランは手の甲で拭った。
「さて……」
 大公の側近だった者や大臣たちの表情が醜く歪むのを、エランは確かに見た。奴らの不安を煽る為に、会話は敢えて周りにも聴こえるような音量で行っていたのだ。

(これを機に炙り出せたら好都合だな)
 ――じきに蹴散らさねばなるまい。
(結託できる相手が宰相だけなのは今後問題となるだろうが、対応はおいおい考えるか……)
 視線を向けたのがきっかけだった。宮廷人の人だかりは、押し寄せるようにして一斉に騒ぎ出した。

 幸いと、イルッシオ公子に借りた兵も薔薇園に上がってきていた。彼らが間に飛び込んで壁となってくれたが、喧噪はしばらく収まらない。
 エランは絶えず、敵意や思惑の気配を探った。察しの良い輩なら、さっそく傀儡化せんとする対象を切り替えようと、検討しているところだろう。
 ついでに投げかけられている言葉を断片的に拾う。どれも失笑せざるをえない内容だった。

「聞いたかハティル。『陛下の近くで血を流すなど、悪ふざけが過ぎる』『混乱に乗じて悪巧みか』と言われているぞ。心外だ」
 悪巧みをされた側として、少々嫌味を込めて言う。聡い弟はバツの悪そうな顔をする。
「この騒ぎ、どう収めればいいんですか」
「それは――」
 だしぬけに、どよめきが上がった。
 最も騒がしい方へと目を凝らす。ほどなくして、図体の大きい男が、人垣をかきわけて前へ出た。

「タバンヌス、どうしてお前が」
 旧知の男の登場に留まらず。驚愕を誘う顔ぶれが次々と集まった。人だかりの方も、気圧されて場所を開ける。
 タバンヌスによって地面に投げ出されたアストファン公子。次に歩み出たのは、宰相。
 宰相が痩せ細った長身を折り曲げて地面に膝をつくと、彼の背後から色白の若い女が現れた。女の背中から、五・六歳ほどの男児が飛び降りる。

「アダレム!」
 意図せずハティルと声を揃えて、末弟を呼んだ。男児は無邪気に笑って駆け寄ってくる。
 目線を逸らしたハティルを尻目に、エランはしゃがんでアダレムを迎えた。幼児は抱き着く一歩手前で転び、わっと声を上げながらエランの右膝にもたれかかった。

「無事だったか。少し痩せたな、ちゃんと食べていたか」
 細い両腕を掴み、立たせる。
「たべてたです。ごはん、おいしくなかったです」
 アダレムはこくこくと首肯した。先ほどの走りっぷりといい、五体満足で間違いないようだ。

「そうか、よく我慢した。後で好きなだけ美味しいものを食べような」
 頬をむにっと軽くつまんでやる。アダレムはくすぐったそうにした。
「あい。えらんあにうえ、またりすさんといっしょに、あそんでください」
「ああ、約束だ。……リスの分まで約束はできないが」
 動物は気まぐれだ、餌付けしても戻ってきてくれるとは限らない。深刻そうに断っておくと、アダレムは楽しそうに笑った。

 そしてふいにむくれた顔をする。どうしたのかと問う間もなく、アダレムは隣へ逸れた。
 隣のハティルはいつの間にか背を向けている。その背を、末弟が遠慮なしにぽかぽかと殴った。

「ははうえが、かわいそうです。はやく、だしてあげてください」
「わ、わかった。わかったから、落ち着け」
 六歳児なりの本気の拳を、ハティルは困惑気味に受ける。
「ほんとですか」
「ああ。この後すぐ、なんとかする」
「ほんとのほんとですか。じゃあ……ゆるします」
 殴る手を止め、第六公子は「いーっ」と歯を見せて笑った。それを受けたハティルは、苦しげに唇を震わせる。

「アダレム、僕は……、ごめん。許してくれなくてもいいよ……でも、ごめん」
 幼児が唖然となって兄を見上げた。
「わ、わ。だいじょぶですか。やまい、ですか? あにうえも、ごはんおいしくないですか」
「別に僕は病じゃないし、宮殿のご飯はいつも美味しいよ! ああクソ! はなれろ!」
「だいじょぶなんですか。じゃ、あそびましょう。あにうえ、あにうえ、はてぃるあにうえ、あそんでください」

「連呼するな! くっつくな、服がベタベタして気持ち悪い!」
「えへへ」
 まるで木肌にひっつく虫の容貌だ。再三怒られて、ついにアダレムが離れた。
 そんなやり取りを眺めながら、エランは口元を覆って笑みを隠した。決して仲良くないはずの兄弟はこれからも、複雑な想いが拭えない関係であり続けるだろう。

(溝が完全に埋まらなくても、境界線が残ったままでもいい。探り探り、きっとやっていける)
 おせっかいだと思われようが、今度はできるだけ手助けをしたい。
 エランは首を巡らせて、依然として跪いている宰相に楽にするよう声をかけた。宰相は頭を垂れたまま立ち上がる。

「ありがとうございます。ではご報告いたします。先刻、大公陛下がご崩御なさりました。エランディーク公子殿下。法定にのっとりまして、お願い申し上げます――ご決断を」
 風雨の響きを除いて、場はすっかり静まり返った。誰しもが、まるでエランの息遣いすら逃さぬように耳を傾けている。



アダレムは自分が閉じ込められたことに関して恨みを感じてない風です。その延長で、逃げ出したことを後ろめたくも思ってないです。ああだめだうまくいえないw まあ子供の思考も刹那的だよねって話。

ハティルは相変わらずアダレムが好きで嫌いでもうほっといてくれよって感じだけど、誤らない限りは、そのうち大人になって「嫌い」の方の感情との付き合い方を覚えていくんだと思います。

ところでタバさんって片腕しか使えないのによくアストファンを担げたよね...? 逆側の膝とかで蹴り上げた疑惑。(すいません、改稿する時にでも直しますw

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