63.g.
2016 / 10 / 25 ( Tue )
 全身が「拒絶」したのを感じた。聴こえなかったのではない、受け入れ難いのだ。
 ――自分は果たして、どんな顔をしているだろうか。
 頭の中の冷めた部分が、客観的な視点を求めた。求めたところで、主観と感情が作るがんじがらめの網から抜け出せず、そこに至ることはできない。
 今ならば都合良く共通語を忘れられそうだった。そうだ、伝わらなければ意味が無い。認識さえしなければ、現実にならないはずだ。

「すみません」
 言い方だけを変えて繰り返される詫び言。囁きは耳の穴の中を空しく跳ね返り、脳に届かんとした。
 無視した。彼女が語ろうとしているのが不確定な未来である限り、拒絶し続けていられる。だからこそ、頑なに受け入れようとしなかった。
 数秒経っても口を噤んだままのゲズゥを、ミスリアが不安げに見上げる。

「隠していて、すみません。気付いたのはしばらく前だったんですけど」
 ぼそぼそと紡がれる独白。
「もっと早く言えたらと、思っていました。いいえ、これは貴方からすれば言い訳にしか聴こえないでしょう」
 一語ずつ吐かれる度に、傍らの炎が揺らぐ。四肢に緊張が走った。

「私は」
 やめろ、それ以上は言うな――喉まで出かかった一言を、しかしゲズゥは腹の底に押し戻すこととなる。
 腹部が衝撃に襲われた。
 勢いよく抱き着かれたのである。不意を突かれたために身体は呆気なく傾ぎ、後ろに倒れ込んだ。
 圧し掛かってきた重みは、激しく震えていた。

「私は、山を下りることが、できません。聖獣を蘇らせる為には――」
 ゲズゥの胸板に顔を埋めたまま、ミスリアは秘め続けてきた事実の一切を吐いた。
「…………」
 聞き終わった後――横になっていてよかった、と真っ先に思った。嘔気すら伴いそうなほどの眩暈がしたからだ。呼吸が不自然に速くなり、胃の中に暗い感情が生じた。

 ――ああ、そうか。だからあの時――
 回想した。苛立って終わっただけのあの場面に新たな解釈が加わる。
 長いこと傍に居たのに、心中を察してやれず、その場の激情に任せて髪を引っ張ったりもしたな――と、静かに省みる。
 ゲズゥがそんな不毛な物思いに耽る間、腹の上に乗った小さな身体は尚も震えていた。両手で抱き抱えてやるといくらか落ち着いたが、逆に泣き声が大きくなった。

「強要されたからではなく、他に選択肢が無いからではなく……貴方が自らの意思で、護りたいと思えるような……それだけの価値がある人間でありたいと、ずっと願っていました」
「……前にも言っていたな」
 いつだったか、確かミスリアが好色家の男に攫われて、アリゲーターなどの煩わしい罠を乗り越えてまで助けてやった時に、交わした言葉だ。

「守る価値があると、思いますか?」
 胸につけている革の鎧に、ぐっと爪が立ったのが見えた。
「ある」
「――っ、ありがとうございます。光栄、です……」
「本心だ。お前に話した、『時間』への要求も」

 いつからそう思うようになったのかは、思い出そうとするだけ無駄である。これまでの人生に多くの恩を、多くの潤いを与えてくれたこの聖女は、命ある限りこれからも守るべき存在だと、疑いようが無かった。これからも、彼女が心安らかに過ごせる安全な場所を作ってやりたいと思っている。

 だと言うのに、ゲズゥの中には新たな葛藤があった。
 人を大切にしようとする上で、時として双方の願いが衝突することもあると、唯一の肉親である弟との長年の付き合い方から学んでいる。相手の意思を尊重するか押し切るかの問答。
 ――約束、した。使命を遂行する手伝いをすると。
 しかしもはや、矛盾する願いを抱いてしまっていた。

「あの時、本当はすごく、すごくうれしかったんです! 目的を成し遂げて、旅も終わって当初の取引が無効になっても、それでも一緒に居たい、と。そんな風に望んでもらえて私は幸せでした」
「…………」
 数週間遅れで言い渡される返事を、黙って聞き届けた。

「私もこの世界にそれ以上の何かを望みません。二人、役目を終えた後は次にどんな苦難が待っていようと、変わらず共に歩みたい。それだけです」
 目を閉じても眩暈は治まらなかった。諦めて、再び瞼を開く。

「ミスリア――」
 望んでいた言葉だったはずなのに、素直に喜べない。
 切なげな喘ぎが、服を濡らしていくとめどない涙が、結論を物語っている。
 聞きたくなかった。かと言って、黙らせるだけの気力が沸かない。

「だからこそっ! 報いられないことが! 哀しくて、悔しくて! 申し訳なかったんです!」
「わかった。わかったから、ゆっくり、息をしろ」

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