二 - e.
2017 / 03 / 07 ( Tue ) 「おいアストファン! おまえはまた適当なことを! ナジュ州に残してきた三人の妻が泣くぞ」
――三人!? 二度目の不覚、セリカは表情筋を驚愕に歪めた。すぐに我に返って微笑を戻したが、既に誰かに見られたかもしれない。 「でもベネ兄上、私まだ子供産まれてないですし、保険の為にあと三人は娶ってもいいと思うわけですよ」 彼がそう抗議すると、叱った側の男性は目に見えて怯んだ。 「それはまあ……子が産まれないのは気がかりだが……」 怒る勢いが萎えたのか、ベネと呼ばれる男性が居心地悪そうに座り直した。 (なんなのこいつら、調子狂うわ) 頑張ってお行儀良くしようとしていた自分が滑稽に思えてくる。 しかし、今のやり取りで察せたことが幾つかあった。 第三の前に第五公子まで飛ばされたのだから、先ほどの「揃ってないのは料理だけじゃない」発言の意味するところがハッキリわかる。 待ってやらなくていいのかとも思うが、それはこの際忘れよう。 成人している左から三人の公子たちは、普段は己の管轄する区域で暮らしていると考えられる。妻と子供を州に残して、自分たちだけで都に帰省したのだ。 「いけませんよ、アスト兄上。此度の縁談はエラン兄上でないと成り立ちません。我が国の属領であるルシャンフ領を通る行路を、姫君の国が欲しがっているんですから」 おかしくなった空気を修正するのは、またしても第六公子のハティルだ。 「そうか、そういえばそうだったね。ああ、政略の絡む結婚は面倒だ」 第二公子は大袈裟に嘆いてみせた。 よもやあんたは政略の絡まない結婚ばかりしてきたのか――と訊き返してやりたいが、我慢する。 (ふーん。第五公子はエランっていうのね) 耳に入った僅かな情報を拾って、吟味する。名前の響きは嫌いじゃない。だからどうということはないが。 そうしてようやく、最初に応対してくれた男性の番となった。 「私が第一公子、長兄のベネフォーリ・ザハイルです。ベネと呼んでくださって構いません。これからは実の兄弟と思って接してください、公女殿下」 「ありがとうございます」 ベネフォーリが会釈してきたので、セリカも会釈を返した。 この人は故郷の兄を彷彿させる。どことなく暑苦しいが、頼りになりそうな雰囲気。それがよく知っている人間に似ているためか、話していると安心できた。 男性全員の名前がわかって、料理も出揃ったように思えた。残るは女性の紹介か、と右に視線をやる。 すぐに彼女たちも奥から順に自己紹介していった。これが驚くほどに流れ作業だった。 「わたくしが第六と第七公子並びに第二公女の母です」 「わたくしは第一、第四公女とウドゥアル公子の母です」 「わたくしはベネフォーリとアストファンと、第三公女の母です」 静かに一言ずつ述べて、妃たちは再び押し黙る。 (名前までは名乗らないのね) 息子と比較して、まるで自己主張をしない女たちだった。これがしきたりなのか、それとも彼女たちがそういう性格であるからなのかは、判断しかねる。 よろしくお願いしますと定型の挨拶を返す間、セリカはひとつのことが気になっていた。 第五公子の母親と名乗り出た妃が居なかった。 どんな事情があるのだろうかと考え出したところで―― いきなり「ぎゃあ」と叫んで、パヴィリオンの床に寝そべっていたウドゥアルが跳ね起きた。全員の注意がそちらに向く。 「お、おまえ、いるならいるってなんとか言え!」 ウドゥアルはわなわなと震える指を差して庭の中の何者かを非難している。人差し指の数フィート先に、いつの間にか現れていたのか、いかにも屈強そうな戦士風の男が佇んでいた。 「タバンヌス。お前の主も来ているのだな?」 第一公子ベネフォーリがその男に問いかけた。 戦士は無言で一歩横に移動した。彼の背後から、体付きの細い青年が進み出る。 ターバンから外套に至るまで、青年は深みのある紫色を身に纏っていた。 そこでセリカは、図らずも自身が与えられた衣装も紫を基調としたものだと思い出す。もし作為的に合わせられたのだとしたら――自ずと知れよう。この青年こそが、明後日には結婚せねばならない相手―― (ええええ!?) 驚きすぎて転げそうになるも、絨毯を両手で掴んで必死に堪えた。 青年は、初めて会う人間ではない。服装は全く違うが見間違えようがなかった。 相変わらず顔の右半分を被り物から余った布で覆い隠していて、左耳からは涙滴型の青い耳飾を垂らしているからだ。 (こいつ、昼間の――!) 唖然としてセリカは青年の一挙一動に釘付けになった。 森で会ったのはごく短い時間のことで、相手にそれほど関心があったわけでもないので、顔立ちなどの細かい特徴はほとんど記憶していない。だが一致した特徴の特異性により、同一人物であると確信が持てた。背格好も記憶の通りだ。 |
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