三 - j.
2017 / 04 / 01 ( Sat )
「ならお前は、逆の立場だったら助けなかったのか」
「た、助ける! 当たり前じゃない! たとえムカつく相手でも、命の重さは変わらないわ」
 目を合わせない為にこの体勢に甘んじていたのに、思わず身を引き剥がしてしまった。結局は間近で見つめ合う形となる。

「それが答えだ」
 見つめ返す瞳は静かで、目立った感情を映していなかった。
「つまり、まだ怒ってる……んですよね」
「別に。そんなことは言っていない」
 青灰色の瞳が僅かに逸らされるのを、この至近距離で見逃すはずがなかった。

「う、嘘。どんな叱責も罵詈雑言も受けるわ。気が済むようにして」
「怒りという感情は保つのが面倒だ。疲れる。私は数時間もすれば、大抵の恨みは水に流すことにしている」
「何なのその理屈。あたしに遠慮しなくていいから」
 そこで言葉を切った。必要以上に詰め寄っていると、自覚したのである。
 いけない、これでは過ちを積み重ねるだけだ。だからと言ってどうすればいいのかがわからないので、とりあえず口を噤んだ。

「責めて欲しいのか」
 溜め息混じりにそう言われて、セリカは怯んだ。身を引こうとしていた最中だったのが、凍り付いたようにその場に静止する。
「そういうんじゃなくて埋め合わせがしたい――」
 何か違うなと思い、言い終わらなかった。ただ謝ってこちらの気が済めばいいのではない。これは、相手が受けた傷を消すことはできずとも、できるだけ和らげる為の儀式なのだ。
 新たに深呼吸をする。目を伏せて、意を決した。

「……ごめんなさい」
 深く頭を下げて、言葉を連ねる。
「大変、失礼をしました。個人の事情で隠しているものを見せろと、今後二度とせがんだりしません」
「わかった。もう気にしてない」
 まだ色々と言おうと思っていたのに遮られて、セリカは拍子抜けした。

「え、ほんと? ほんとのほんとに怒ってない?」
「悪気が無かったのはわかる。お前は多分、言いたいことを何でもすぐ言うあまりに弾みで人を傷付ける発言をするが、その直後に反省して、自ら謝罪できる素直さも持ち合わせているのだと……森で髪の色の話をした時に、そんな気はしていた」
 なんとも正確な分析をされて、苦笑せざるをえない。セリカは顔を上げて尚も抗弁しようとする。

「謝る暇も与えずに怒鳴ったのはこちらの非だ。だからこの件はもう忘れろ」
「そんな、忘れろだなんて。謝ったってひどいことを言った事実は消えないし、どうやっても償えるとは思ってないけど――」
「セリカ」

 えっ、と狼狽して目を見開く。
 不意打ちだった。名を呼ばれたのは、初めてではないだろうか。
 眉を吊り上げ、青年は力強く告げた。

「しつこい。私は許すと言っている」
「あ、はい……」
 引き下がるべきだと悟り、セリカは後退った。そしてこの時点で、自分が普通に動けるまでに回復したのだと知る。同様にそのことを理解したエラン公子は、ようやく手を放して踵を返した。

 何やら地面に突き立てられているらしい、二つの細長いものを回収して戻ってくる。つい先ほど、命のやり取りに使った笛と剣だ。
 改めて近くで眺めると、剣と思っていたものはナイフかもしれない。確か、初めて会った時にも持っていた代物だ。ぐにゃりと湾曲した輪郭に合わせて、鞘も湾曲している。
 彼はそれらを脚周りの衣でざっと拭いてから、懐に収めた。

「大雑把じゃない?」
「よく言われる」
 何故だか、その返し方に失笑した。
「面白いわ。あんたって面白い人間なのね、エランディーク・ユオン」
「……お前は忙しない――賑やかだな」

「お騒がせします」
 張り詰めていた空気がいつしか和んでいるのが嬉しくなり、セリカはくすりと笑いを漏らして、羽織っている外套の端を握った。
「さすがに遅い時刻だ、送る」
「うん。ありがと」

 それから、二人で無言で歩き出した。
 作法である三歩後ろではなく並んで歩いてしまったと気付いたのは数分経ってのことだったが、右隣の青年のチラと窺っても、これといって気に留めている様子はなかった。
 建物の通用口が見えてきた頃、ふと疑問に思った。

「ねえ、あの魔物に気付いたくらいだから、あんたの部屋ってここから近いの」
「部屋……?」
 意外な反応だ。何故、この男はそんなに不可解そうに首を傾げるのか。続いた答えはもっと意外だった。
「私は屋内で眠るのが苦手だ。あの辺で寝泊まりしている」
 彼は隣の建物を指差して答える。その指の延長線上を辿って、セリカは目を凝らした。丸っこい屋根が多いこの宮殿だが、水平な箇所もあるらしい。
 返答に窮した。

「屋外だと眠りが浅くなりそう」
 通用口を通り、階段を上がっているところで、なんとか感想を述べる。
「慣れればそうでもない」
「そんなものかしら」
 廊下にも達すると、互いに話し声を潜めてしまう。不用意に誰かを起こしたくないのだ。

 やがてセリカの寝室の前に行き着いた。
 いざ挨拶をしようと体の向きを変えると、青年の目線が部屋の中に注がれているのに気付き、どうかしたのかと問いかける。

「窓から出た方が近道だなと」
「ぶっ」
 セリカは気管から噴き出す笑いの波動を、手で塞いだ。
(同じこと考えるのね)
 動機に少々の差異あれど、やはり気が合うのかもしれないと思った。
 笑われている理由がわからない当人は、訝しげな顔をしているが。

「いいわよ、通って。足元に気をつけてね」
「ああ」
 許可を得た直後、彼は躊躇なく暗い部屋に踏み入る。
 その後姿を急がずに追った。
 不思議だ。与えられたばかりの部屋とはいえ、出会ったばかりの異性に入室を許すとは。

 ほんの少しだけ――他人が他人でなくなる予感に、抵抗がなくなっているのかもしれない。この者には警戒をしなくていいのだと、腹の奥深いところがそう判じている。
 今日という一日を咀嚼している内に、青年が窓枠から飛び出ていた。
 早い。
 セリカは窓まで駆け寄って身を乗り出した。

「エラン!」
 大声になり過ぎないように気を配って呼びかけると、既に歩み去ろうとしていた彼は、布で覆われていない方から振り返る。
 夜の闇の中に、青い宝石が鈍く光って揺れた。
「助けてくれて本当にありがとう! ――――おやすみ!」
 彼は声に出さずに「おやすみ」と答え、軽く片手を振ってからその場をあとにした。

 別れの余韻が深夜の静寂に溶けてなくなるまでセリカは窓際に留まった。深い物思いに耽るわけでもなく、窓枠に人差し指を走らせたりして、埃の有無を確かめた。
 指を裏返してみる。宮殿の使用人かバルバの仕業か、埃も汚れも付いていないようだった。

(寝るか)
 灯りを点けずにせっせと顔を洗って服を着替える。ベッドの柔らかさと温かさは、疲れた身体に染み入った。
 天蓋を見上げてまどろむ。
 明日はどんな日になるのだろう――いつの間にやら不安よりも期待の割合が勝るようになっていた。
(あたしの婚約者は変だけど……いい奴かもしれない)
 そんなことを思いながら、今度こそ就寝した。




気が向いたらあとがき書きます。
ところで三話でセリカが「ありがとう」と言った回数は6。これはミスリアと共通点ですね。

エランとゲズゥの共通点↠変なトコロで寝る

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