九 - b.
2017 / 08 / 25 ( Fri )
「第六公子の動向を見張れ」
「第六公子殿下を、ですか?」
 エランの言い渡した指示に対し、思わず、といった具合に彼女は復唱した。もしかしたら、その名が挙がったこと自体に驚いているのかもしれない。

「そうだ。特別な行動に出る必要はない。我々が到着したら、それまでに観察した一切を教えてくれればいい」
 承りました、とその者は深く一礼する。
「ではこれにて失礼いたします」
「ああご苦労だったな」
 黒づくめの女性が立ち上がると、思い出したように「ところで密使の者」とエランが呼びかけた。何でございましょう、と彼女が応じる。

「どうやって変装を見破った?」
「……見破ったというのは正確ではありません。私は一度聴いた声は忘れませんので」
 つまり人が多く通りそうな場所に目星をつけて、通行人の中にそれらしい体格の人物を見つけて、当たり障りなく声をかけたという。
 地道な作業だ。それを何でもなさそうにこなすとは、大したものである。

「なるほど、合点がいった」
「はい。ご帰還を心待ちにしております。どうか良き旅路を」
 密使は颯爽とその場から立ち去った。
 エランは無言で再び馬を走らせる。風景とも呼べない色の羅列が、うねりながら過ぎ去る。

(期待してた遠乗りじゃないなー)
 密かに苦笑いした。滅多と経験しない馬の二人乗りだが、そこに心躍るような要素は何もなかった。
 道行く人々をいちいち敵と疑いながら進める旅だ。目の前の青年にしがみつくのは甘い感情からではなく、そうしないと振り落されるから――否、不安に飲み込まれるからである。
 やがて開けた場所に出た。

 先の丘の上に廃屋が見える。そこで休憩を取ることになった。
 エランが草むらでひと眠りしている間に、セリカは食料を探して回った。
 まずは小屋の中を探す。残念ながらそこは人の気配がとうに失われた、文字通りの廃屋だった。キノコが少しばかり生えているが、セリカにはそれが食べられるものかどうか判断が付かない。

 外に出ると柱に繋いだ馬と目が合った。艶やかな毛並と長距離走に耐えうる屈強な身体を誇る、上等な馬だ。扱いやすい気質で、あっという間に新しい乗り手に馴染んだ。
(そうだわ。毛づくろいをしてあげよう)
 セリカは荷物の中からブラシを取り出し、おもむろに馬に近付いた。察したのか、嬉しそうに鼻息を漏らしている。
 時たま優しく声をかけてやりながら、丁寧にブラシをかけた。それが終わると、馬は穏やかな息遣いに戻って草を食んだ。

 タバンヌスに貰った賃金はこの馬と、兵を幾人か雇うことに費やされた。
 兵が請け負った仕事はベネフォーリ公子への伝令だ。エランの推察では、第一公子がこの時期に州へ呼び戻されたのは、偶然ではなくおそらくアストファンの手回しだと言う。
 彼を都から遠ざけて、なおかつ秘密裏に始末する為に。
 実直なベネフォーリは何も疑わないだろう。
 伝令を伝えるついでに、傭兵たちが少しでも彼の戦力の足しとなれれば幸いだ。

(間に合うかしら)
 他に、果たされていない条件がまだ幾つも残っている。
 草の上に寝そべるエランを見やった。
(あれくらい騒いでも起きないか……疲れてるのかもね)
 疲れているのは自分も同じだ。思い出したように立つのがだるくなり、セリカは小屋の影に腰を下ろした。

 瞼が下りかける。
 遠くからは、鳥の鳴き声がする。鷹か――
 ――違う!
 カッと目を見開いた。鷹の甲高く伸びやかな鳴き声に比べると、か細い印象を受ける鳴き方である。

「やばっ! 今度こそお兄さんの隼!?」
 油断した、と遅れて気付く。人気が無いのをいいことに、被り物を脱いでいたのだ。暑苦しいのだから仕方ない。
 そして隼は視力が良いが、嗅覚はそれほどでもない。身を隠していれば見つかることもなかったはずだ。
 慌てて身を起こした間に、鳥影は消えていた。もしかして「止まり木」の方に戻ったのではないか。

(急かしたくないけど)
 エランを起こして、そろそろ移動しようと提案したい。
 草むらまで歩み寄って、ふと止まる。彼の方は被り物を脱がなかったので表情こそ見えないが、呻き声が聞こえた気がした。それに何度か寝返りを打っている。
(うなされてる?)
 睡眠の妨害をする口実ができた――という邪な思考を頭の片隅に追いやり、セリカは手を伸ばした。
 そっと、肩を揺すってやる。

「エラン。起きて。どしたの、嫌な夢でも見たの」
 息を呑む気配があった。次いで、長いため息が吐かれる。
「……そうだな。これまでの人生にあった嫌なことがまとめて夢に凝縮された感じだ」
「わ、うわあ。オツカレサマです」

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