二 - h.
2017 / 03 / 11 ( Sat )
「随分と他人行儀だな」
 ――だって他人でしょ?
 これから他人じゃなくなるのだと頭ではわかっていても、心はそう易く追いつかない。
 やっと喋ったかと思えば、何の文句だ。セリカは唇の間から漏れそうになった嘲笑を呑み込んだ。

「仰る意味がわかりません。エランディーク公子」
「エランでいい、公子も殿下も要らない」あの気力に乏しい話し方で、彼は呼び名を改めるように求めて来た。「今更取り繕わなくていい。森で会った時の方が、生き生きとしていた」

 作法も忘れてセリカはガバッと顔を上げた。
 身長が等しいがゆえの目線の近さに、不意を突かれる。青灰色の瞳が涼しげにこちらを見返した。

「……憶えてたのね。ううん、あの時点であたしの素性に気付いてた?」
 遅れて目を逸らす。取り繕わなくていいと彼が言ったのだから、言葉遣いだけは崩した。
「外見的特徴は一通り聞き知っていたからな」
 黒い長靴は踵を返して歩き出した。その三歩後ろを、セリカは付かず離れず追っていく。

「あと、気性が荒いとも聞いた」
「ちょっと。人を暴れ馬みたいに言わないでくれる」
 それには返事が無かった。
(誰よ、誰がそんな情報を回してるの!)
 セリカは自分が穏和さから程遠いことは知っている。それでも十九年の人生の間、うまく誤魔化してきたつもりだったのに。

「あたしの方は何も聞かされてなかったのよ。あんたからすれば、さぞや間抜けに思えたでしょうね。まさかとは思うけど、都から迎えに来てくれてた――とか」
 急にその可能性に思い至り、セリカは恐る恐る訊ねてみた。もしそうならば、こちらの人となりが意に沿わなくて森から立ち去ったのだろうか。
 廊下の先を歩く青年が、立ち止まって振り返る。

「いや……? 暇があったから馬を走らせてみただけだ。たまたまそこにお前が居た」
「……そう」
 どんな答えを期待していたのか自分でもよくわからなかった。その正体に気付けるよりも早く、期待は呆気なく萎んだ。
(だめだ。やっぱり、仲良くなれそうな気がしない)
 もう諦めようと思って、セリカは静かに歩みを再開した。エラン公子もそれきり口を噤んでいる。

 数分後には二人してひとつの扉の前に立っていた。宮殿の奥深いところ、寝室が並ぶ区域にあった。
 大公の御身は玉座の上にない。
 セリカはハッとなった。

(それか! 大公が病床に臥せっているから、息子たちがこぞって帰って来たんだわ。そりゃああたしたちの婚儀なんて二の次よね)
 国の主の命の危機だ。おそらくは、誰も想定していなかったような突然の変化だったのだろう。世継ぎであるアダレム公子に圧し掛かる重圧のほどは、想像に難くない。

「父上、エランです。公女殿下をお連れしました」
 近くの衛兵に目配せしてから、第五公子は声を張った。
 くぐもっていてよく聴こえなかったが、中から返事があった。それに伴い、入り口の左右の二人の兵士は無言で扉を引いてくれた。

 暗い部屋だった。香か薬草か、変な臭いがツンと鼻孔を刺激する。
 空気の流れからしてそれなりに広いのだろうが、光源が少ないからか、狭苦しいように見える。
 天蓋付きの大きなベッドに、男性がひとり横たわっていた。傍らには医師らしい老人と女性の姿がある。女性はこちらの入室を認めるなり深く礼をした。先ほども会ったこの人は、大公妃のどれかである。

「おお、ようこそおいでくださいました。もっと近くに――」
 ベッドの上の男性が、ゆっくりと身を起こした。その背中を支えるように、傍の女性がすかさず枕を二、三個挟んでいく。
 初めて目にしたヌンディーク大公は、こちらの目が疲れるほどのたくさんの装飾品を身に着けていた。それでいて顔面蒼白で頬は痩せこけ、眼差しも不安定だ。こう形容してはとんでもなく失礼だが、幽鬼のようだとセリカは思った。

 宝石の名産地であるヌンディーク公国では、男性は存外さっぱりとした格好をしている。彼らにとっては運気を呼び込み健康をもたらすとされる宝石類は、成人男性であればひとつふたつ持ち歩くだけで事足りるらしい。現に、公子たちは目に付くほどの装飾品を身に着けていなかった。女性は自身の健康のみでなく病弱な子供や老人と多くの時間を共にすることから、複数の守護石を常に身に着けるのが普通だとか。

 この場合は快復祈願に、大公はこれほどまでに宝石に埋もれているのだろう。
 セリカは彼に向けて礼をしたり正式な挨拶を述べたりと、まずは謁見の堅苦しい部分をやり過ごした。
 その内、大公は話題を婚姻の方へと向けた。

「エランは気難しいところもありますが、性根が真面目な子です。きっと殿下と仲睦まじくやっていけるでしょう」
 ――やっていけますかねえ。
 喉まで嫌味が出かかった。口では適当な相槌を打つが、頭を下げたまま、こっそりと右隣の青年を瞥見する。

(……え)
 ほんの僅かな変化。確かにセリカは暗がりの中でそれを見た。
 エラン公子が、嫌悪に口元を歪めたのである。果たして彼は、大公からのお言葉のどの部分に不快感を覚えたのか。刹那の間に無表情に戻ったので、真相はわからない。

「まだ夜はこれからというもの。親睦を深めるいい機会です、二人で話に花を咲かせてみてはいかが」
 大公は病床の上から、嬉々として命令を下した。
 未婚の男女がひとつところに二人きりで過ごすのは、この国の貴族であればあってはならないことのはずだ。
 ならばこれは異国人であるセリカに対する、大公なりの気遣いだろうか。

「どうだ、エラン。東の塔なんて見晴らしが良いだろう。公女殿下にムゥダ=ヴァハナの夜景をお見せしなさい」
「そうですね。そうします」
 第五公子が淡々と了承の返事をした。
(この無気力男と二人きりで何を話せって!? 無茶言わないでよ!)
 心の声とは裏腹に、セリカも大人しく会釈した。
 かくして、今日初めて会う異性と夜景を眺める運びとなった。

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