66.c.
2016 / 12 / 31 ( Sat )
以前はどんな立場であったにしろ、囚人は囚人だ。看守は、囚人の生死を握る者としての薄暗い優越感に浸るのが好きだった。
 だがこの二人はどうもおかしい。

 男の方は朝から晩まで、腕立て伏せやら逆立ちやらしている。かと思えば、反復横跳びや側転などをして汗を流していることもある。一日一回の貧相な食事でどうやってあの体力を保っているのか、謎でしかなかった。逆に運動をしていない時は、死んだようにじっと静かにしている。

 それにしても、独り言のひとつも漏らさないのは人としておかしい。相手が居ない時、人は会話への意欲を独り言を呟くことによって満たすものだ。この男は他者と会話する欲求が無いのか。それとも看守の知らぬ内に満たしているのか。

 そして女の方。女と言ってもまだ十代半ばのほんの少女で、牢獄に閉じ込めるのは惜しい可憐さである。看守も、劣情を催したことは何度かあった。だが囚人相手に欲を抱くのは浅ましいと考え、いつも一線を越えずにいる。万が一行為に及んでそれが露見しようものなら、ジュリノク=ゾーラを主神とする集団に苛烈な処罰を下されることだろう。

 このような可憐な少女があのような不気味な男の為に自ら囚われの身となるのか。世の中とはよくわからない。
 若い男の方と違い、少女は一日のほとんどを喋って過ごしていた。喋っていなければ、歌っている。
 ある時看守は少女に訊いてみた。その歌は何だ、と。
 聖歌です、と答えた少女は、聖歌集の何ページに載っている歌なのかまでを教えてくれた。

「どういう歌だ」
「春に咲く花々への感謝の歌です。今年も咲いてくれてありがとう、って」
「いい歌だな」
「いつか機会があれば、ご覧になってみてください」
「おら、字が読めねえんだ」
「そうですか、残念ですね。もう少し明るかったなら……ここで文字を教えてあげられたんですけど」
 看守はそれには答えなかった。
 本当は、前々から字を学びたいと思っていた。だが関わりすぎたって、情を抱いたって、どうせ遮断独房の囚人は長くもたない――そう自分に言い聞かせて、その場を去った。


 それから一年経っても二年経っても、三年目になって既に他の独房では何度か囚人が入れ替わっていても、二人は相変わらずだった。相変わらず、身も心も健康そうである。
 他の囚人が二言目には何々が欲しいと訴えかけてくるのに、二人は何も要求して来なかった。本が欲しいとも、絵具が欲しいとも言わない。何かを欲しがられたところで与えることはできないが、来る日も来る日も飽きずに似たようなことをして暇を潰せる二人は、相当な精神力を持っているのかもしれない。

 ある時、看守は気になって男に問いかけた。
「おめえ、ずっと喋ってねえんじゃ、言葉忘れるぞ」
 男はかなり長い間沈黙したままだったが、ついに看守が立ち去ろうとした時に、静かに答えた。
「……問題ない。こう見えて、弟と話している」
「はあ」
 死んだ弟の霊とでも話している妄想かね――と、少し哀れに思った。男はきっとやんわりと気が触れ始めているだけだろう、と看守は自分の中で勝手に結論付けた。


 またある時、少女に問いかけた。
「男の方がどうしてるか、気にならねえんか」
「なりますよ、勿論。でも貴方に訊ねたところで、答えてはくれないでしょう」
「当たりめえだ。独房は、孤独も罰なんだ」
「では、あまり私に話しかけない方が良いですね」

「女は寂しいと死んじまうからなあ」
 看守は、ついつい少女に話しかけてしまう自分に言い訳をした。
「寂しくなったら、大切な人たちに次にまた会える時を想い描きます。それに、同じ建物の中で息をしていると想像するだけで、とても幸せな気分になれるんです」
 囚人の少女は穏やかに笑って、また何かを喋り出した。よく聞けば喋っているというよりは唱えているのか、それは祈りの言葉のようだった。

 死者と語らう――と本人は主張している――以外には、覚めている時間はほとんど祈祷に費やしている。
 まだ若いのに。一体どういう人生を送ってたら、こんな風になるのか。聖女とは皆こういうものなのか。
 看守は、これ以上彼らを気にしても仕方がないと悟り、考えるのを諦めた。
 そうして二人の若い囚人が独房で暮らし始めてから、三年が経った――。

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