26.g.
2013 / 10 / 08 ( Tue )
 窓から部屋の中に飛び込むと、埃臭い室内には先客が居た。三十代前後の、身なりの整った男だ。片目しかない眼鏡をかけ、棚の書物の整理でもしていたのか、両腕一杯に巻物を抱えている。
 男は僅かに身じろぎしただけで恐怖の感情は見せなかった。代わりにその瞳には他のさまざまな感情が複雑に絡み合って映し出されている。

 ――カラン、カラン、カラン。
 責め立てるように警鐘がうるさく鳴り続ける中、二人はなんとなく目を合わせたまま動かなかった。

「あなたが、侵入者か」
 しばらくして、落ち着き払った低い声が問うた。いつもなら黙って無視するところだが、男の濃い灰色の瞳に走ったさまざまな感情に興味が沸いてのことか、ゲズゥはつい返事を返した。
「見ての通りだが」
 窓から城を訪問する客などどう考えても普通は居ない。

「そうか。尋常ならぬ姿だな……返り血か、怪我か」
 男は頷いただけで動じない。むしろ同情しているようだった。
「両方だろうな」
 返り血はアリゲーターや魔物のものである。

 後者については――思えば、魔物の背に短剣を突き刺して、壁を上らせたのだ。進む方向を操る為には何度か魔物を刺し直す必要があった訳で、その過程で「乗り物」が暴れてゲズゥが怪我を負ったのは必然だった。
 城壁に叩きつけられて、左鎖骨まで折った。数々の怪我の中では、これが一番、際立って痛い。立っているのも辛い程に。

「何故? そこまでして……傷を負った時点で諦めて帰ればいいだろう」
 静かな声だが、語尾に向けて責めるように語気が強まった。男は腕の中の巻物を長い長方形テーブルの上に下ろしている。
「奪われたから、取り返すだけだ。取り返すまでは、帰らない」
「大切な人が攫われたのか。それは……すまない」
 ゲズゥは床に片膝を付いた姿勢で、男をじっと見上げた。この男が謝る理由がよくわからない。

「人間が反応できる速度の限界値に設定してあったはずだがな……」
 ブツブツとひとりごちる男もまた、ゲズゥをじっと見下ろしている。その目がなぞる先をなんとなく追ってみた。
「……お前は、あの罠と関係があるのか」
「何故そう思う?」
「罪悪感に満ちた目で、俺の怪我を眺め回している」
 そう指摘してやると、男はグッと歯を噛み締めた。

「そうだ。その通りだ。そなたの火傷や骨折や痣も、あの堀の中で骨となった人々も、みな私の設計した罠のせいだ」
 男はせき止めていた感情がついに溢れたかのように、言葉を次々と吐き出した。

「私の家は代々、この城に仕えて来た。私は幼少の頃からウペティギ様のお父上の提案の元、たくさんの機械を設計した。その多くは、ゼテミアン公国の民の生活を支える為だったり、帝国に輸出する品物だったりと、誇れる仕事ばかりだった!」
 握り拳が力強く壁を殴る。

「それが今はどうだ! 数年前にウペティギ様に代替わりしてからは、くだらない罠を作る毎日……!」
「不満があるなら、本人にぶつけて来ればいいだろう」
 男の言っている意味が、激怒する理由が、ゲズゥには見えなかった。

「そんな――できるはずが無い。先祖に顔向けできなくなる」
「…………父親がどうだったとして、その性質を引き継いでいないのなら、血が繋がっていようがただの別人だ。従う理由には足らない」
 ゲズゥがそう断言すると、男の口元は少しだけ吊り上がった。

「それは、考えようによっては潔い意見だが。私にはしきたりに抗う意志の強さが足りないのだ」
 そう言って、男は力なく頭を振った。肩までの長さの灰茶色の髪が揺れる。

 ゆっくり床から腰を上げつつ、ゲズゥは正面の男の言い分を疑問に思った。
 強い意志の力なら備わっているように見える。足りないのはおそらく、率先して行動する為の自発力か何かだ。こういう人間は後押しさえあれば走り出せるはずである。

「ところで、そなたが探し求めるのはどの女性だ? そういえば今夜は、初めて見る娘が何人か居たな。修道院で学を修めたと言う珍しい少女もいた。歌が上手で、大きな茶色の瞳が印象的な」
 男は最初は少し楽しげに語っていたものの、ふと黙り込んでため息をついた。「このような城に閉じ込められて一生を終えるには、あまりにも惜しい……」

「アイツは、教養があるだけじゃなく、聖女だ」
 話の内容を聞く限り、対象がおそらくミスリアであることは想像が付いた。
「聖女!? しかしそれならそうと、ウペティギ様に伝えていれば――」男は自分の言わんとしていたことに自信を失くしたように、途中で言葉を切った。「いや、聖女だと知れば、ますます手放したがらないだろうな。そういう人だ」

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