3-3. d
2019 / 04 / 03 ( Wed )
「ナマの方がおいしいのに」
「おなかこわすのヤダよ」
 ちょっと火をおこしてくるから、と少年が立ち上がる。ミズチは仕方なくついていった。少し離れた浜辺で小枝や薪などの必要なものをそろえ、ようやくカタツムリを調理し完食し終えた頃には、なにやら日が傾きそうな時刻になっていた。

 これだからニンゲンは面倒だ、とは言わずに。陸貝の旨味にいまだに目を丸くしている彼に話しかける。

「かえるとこないならいっそあたらしい土地にいけば」
 港は、あれから何隻かの船が出航していた。
 残るいくつかの大きな船影を、ふたりは足を抱き込んだ姿勢で眺める。常に誰かが何かを運び込んだり、何かを点検しているようだ。いずれも長い船旅を予定しているらしいのはなんとなく感じ取れた。
 密航するなら夜のうちに人知れず乗り込んでしまえばいい。そのようにミズチは提案した。

「そんなうまくいくかなあ」
 ただでさえ初めての航海に、人目を盗んで乗り込む危険。食事も排泄も寝起きもきっと満足にできないだろうし、見つかったらどのような罰が待ち受けているか――力説する七男に、ミズチは肩をすくめる。
「えらぶのはおまえだ」

 個人的には、どちらでも構わなかった。
 既に明らかになっている不幸と、あるかどうかまだ知れない不幸。結果がどうなろうとも、選択の責任を負えるのは当人のみだ。

「わかってるよ。でも、妖怪は、ぼくに……ついてくるつもりなの?」
「ん?」
 一瞬、何を訊かれたのかがわからなかった。否、改めて訊くようなことだったのかと驚いてしまった。「つもりだぜ」

「海をこえるんだ。きっとたいへんだよ」
「塩水はまずいけど、べつに海なんてこわくねーよ」
「ことばがつうじないよ」
「おぼえなおせばいーんじゃん」
「し、しってるひとがほかにだれもいないんだよ!」

「ふつうじゃね?」
 何をそんなに興奮しているんだ、とミズチは首を傾げる。
 腕を振り回して抗弁していた七男は、急にがっくりと肩を落とした。疲れたような、呆れたような笑い声を漏らして。

「きみにこわいものはないんだね」
「恐怖かあ。そういわれりゃ、どーゆーかんじかわっかんねーなー」

 ミズチが変異を遂げて蛇の「枠」から逸脱して以来、生命の危険を感じなくなったのは、何百年前からだったか。日々を必死に生きなくなったのは、いつからだっただろうか。
 生命維持にさほどの努力を必要としないのだ。ニンゲンの不安など、わかろうはずもない。そしてニンゲン側からも、己が理解されることはきっとないだろう。

「もともときみは、ちがうところから……すごくとおくからきたんだっけ」
 そう呟いた少年の横顔は、ミズチが模している状態に比べて幾分か成長を経ていた。その成長を細かく追って擬態してもよかったのだが、なんとなく最初に真似た小さい形状が維持しやすいのでそのままにしている。

 ミズチは小さく首肯した。
 生まれた土地について多くをおぼえてはいない。ひたすらに当てもなくさまよっていると、時間の流れにも地理にも執着を持たなくなるものだ。

「ぼくにもできるかな。こわいけど、きみがいっしょだったら、できそうなきがする」
「んん。なにが?」
「あたらしい……『  』だよ」

 七男が口にしたのは、ミズチにとってまだ知らない言葉だった。厳密には、今会話している言語の中では初めて聞く単語である。
 どういう意味かと訊ねる。

「ちょっとまって。そのまえに――」少年はゆっくりと腰を上げた。「しのびこむふね、どれにするかきめようよ」
 にかっと少年は口を大きく開いて笑った。

 出会った頃は欠けていた乳歯が、既に永久歯に生え変わっている。対するミズチは数年遅れの、同じ者のかつての笑顔を返す。
 果たして、共に東の島国に渡った。

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