3-3. e
2019 / 04 / 08 ( Mon )
     *

 狭い空間に充満する確かな死の予感と、臭いが、ミズチの嫌悪感を煽った。
 臓腑を絞られるような嫌な気配だ。
 生命の終焉そのものに思うところはないが、この類の死には、どうも慣れそうにない。

 ――飢餓。
 縮む筋肉の代わりに膨らむ下腹部、窪む皮膚に代わって突き出る骨。生物が一生を終えるに至るさまざまな手段の中でも、最もいたたまれないもののひとつだろう。病に屈する者のほとんどは、根本的には臓器と細胞の餓えによって力尽きているのだろうとも思う。

 強靭な生命力とずば抜けた回復力を持ち合わせたミズチでさえ、飢餓による死だけは、どこか身近に感じられる。きっと生きとし生けるものがみな、五臓六腑の奥深い場所で実感できる苦難だからだ。
 寿命というものから遠ざかった上位個体でさえ、本能を思い出すことはできる。

 これが恐怖かと歯噛みする。
 恐怖と、それから――憐憫ではない。憤りだ。
 何故、平行線なのか。どうすればこの男は、わかってくれるのか。
 うまく言葉にできない怒りを視線に込めるしかない。差し出した食物のことごとくをはねのけられ、途方に暮れた瞬間でさえ、自分は未だに諦めきれないらしい。

 喪う恐怖――。
 ほんの少し、受け入れてくれるだけでいい。かつてのように、こちらが差し出す食料を咀嚼して飲み込んでくれればいい。
 どうして拒むのか。死んで無実を証明したとして、意味があるのか。たとえば村人の注意を引いて例の家族が夜逃げするだけの時間を稼げたとして、奴らは遠からず役人に捕まるのではないのか。

 ニンゲンの社会はいつだって理不尽だ。それでも彼はこの社会《ムラ》を愛しているという。
 そうまで言い切られては、ムラという輪の外に在るミズチが何を言ったところで無駄だろう。
 もどかしい。元より先立たれるだろうとはわかっていたが、このタイミングで、こんな形で、とは予想していなかったのだ。

「っ、蛟龍……」
 おぼえているか、と痩せ細った青年はため息のように囁く。乾いていくつもの亀裂ができた唇を苦しげに動かして。吐き出された息には、ほとんど体温が伴っていない。
 幽閉されたばかりの頃、まだ五体満足だった姿から幽鬼のようなこの状態になるまでの変遷を、ミズチは眺めて来た。決して気分の良いものではなかった。

 毎日、水だけは誰かが無理やり飲ませていた。「罪人」が罪を認めるまで死なせないつもりだったのだろう。
 村人の目論見は外れた。この男の意地が、勝ったのである。
 ただこの試練には果てが無い。期日まで無実を主張しきって生き延びれば釈放、という褒美はなく、ただ死すのみである。
 ニンゲンのやることは時々、実に無意味だ。

「……港で、お前に食べさせてもらった、カタツムリ」
「おぼえてる」
 確か食した直後にラムは目を丸くして固まったのだった。後になって聞かされた話、あまりの美味さに頭が真っ白になり、泣きそうになっていたのだと言う。
 それを聞いた時、大げさなやつ、とミズチは笑い飛ばしたものだが。本人はいたって真剣だった。

「我々は、それを親切と呼ぶ……お前が自分の物を僕に分けてくれたのは、決してあの時だけじゃ、なかったな」
「そーだな。むしろあの日を皮切りにイロイロくわせてみたんだっけな」
「食べ物、以外も、だ」
 冷たい闇の中で、青年が笑った気配がした。

 ミズチは思わず頭をかいた。最もかけてやったのは、時間と労力だろうか。
 本当はわざわざ指摘されなくても、自分の行為は記憶に残っている。このニンゲンが腹が減ったと嘆けば食物を確保し、寒いと訴えれば毛皮となりそうな野生動物を狩った。病に伏したなら、自らの鱗を口に含ませて生命力を分け与えたりもした。

 そして歩き疲れたとくずおれた際には――大蛇となって幾里か運んでやったこともあった。他者のためにここまでしてやったのは、ミズチにとっても初めての経験である。

「この国の民以上に、僕に優しかったのは、お前だ。お前にそんなつもりなどなくても。祖国を発つ勇気、新天地を求めて旅立つ力は、蛟龍がいたからこそ……持てた。そそのかれて、『挑戦』してみて、よかった」
 長く語り過ぎたのか、そこまで言って、ラムは激しく咳き込んだ。

「むりすんな。もうあんま声だす力もないくせに」
 諫言はあっさりと無視される。
「だ……から、最後に、頼まれてくれないか」
「だからやだっつっただろ」

「そう、言わずに。僕にはほかに頼れる相手がいない……いや」また咳を挟んで数十秒。「お前だから、頼りたい」
 ――家族だと思っている。
 音にならない声で、言った。

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