3-3. b
2019 / 02 / 21 ( Thu ) 次に会いに行った時も、またその次に会いに行った時も、同様にニンゲンは泣き喚いて逃げた。ようやく話を聞いてもらえたのが何度目の接触でのことだったか、ミズチ自身おぼえていない。
逃げるものを追いたくなる衝動を我慢したのが最初の数回で、ついには逃げる背中に飛びついた。暴れて逃げようとするニンゲンに、ミズチは感心の声をかけた。 「おまえ、足はやいな」 「うわあああしゃべったあああ」 捕らえた獲物は後頭部を手で守るようにして草の上にうずくまった。 「れんしゅうしたからな」 「うわあああああれんしゅうするなあー! ……?」叫ぶ間の息継ぎで、ニンゲンが我に返ったように頭をもたげる。「れんしゅうしないとしゃべれないの」 何か奇異なものを見つけたような目だった。ミズチは肯定した。 「きみは『 』なの」 「そのことば、しらない。なんて言ったんだ?」 「ぃゆぅぐゎぁい」 「ゆっくり言われたからってわかんねーもんはわかんねーし」 「うーん……きみはぼくをたべるの」 「ニンゲンは、すっげーまずいってきいた。べつにたべたくないな」 「たべないならどうするの?」 「そだな、きこーとおもってて」 ニンゲンの姿を真似たついでに、ミズチは衣類の擬態もしていた。帯の中から、赤い果物を取り出してみせた。 手の平に二個のせて差し出す。それを見やり、ニンゲンは黒い目をぱちくりさせた。 「ライチー?」 「って、いうんだな。これのたべかたを、おまえにきこーとおもって」 「ライチ―おいしいよ」 一度的外れな返答があったが、しばらくして、ニンゲンは果物をひとつ指の間に取った。爪を立てて、器用に皮をむきとってみせる。 「ほら」 「おー、はやいな」 「えっへん。とくいなんだ」 褒められて、ニンゲンは嬉しそうに腰に手を当てた。以前までに感じられた警戒心も徐々にとけつつあるようだ。会話ができる相手というのは、それだけで親近感が沸くらしい。 これも後になってわかったことだが、他者を簡単に信じてしまうのは彼の個性の一部でもあったのだ。 「ほかになにがとくいなんだ」 つたない手つきでもう一個のライチをむきながら、ミズチは訊ねた。 「ほかー……ろくじゅうかぞえるまで、いきをとめられるよ。あと、かくれんぼもとくいだよ」 「くわしく」 「ききたいの?」 「おまえにきょーみが、あるからな」 そう答えると何故かニンゲンは頬を少し赤らめて俯いた。 こうして、かくれんぼとは何か、と話題はニンゲンの幼体が取り組むさまざまな遊びに及んだ。 やがて成体のニンゲンの「阿七! 遊んでないで戻れ!」と呼ぶ声によって、この小さなニンゲンとの邂逅は終わった。 次回は、出会い頭に叫ばれずに済んだ。 普段あまり話し相手になってくれる者に恵まれていないのか、それからニンゲンは毎度にこやかに迎えてくれた。自分に興味を持っている相手がいるということ自体がうれしかったらしい。 兄や姉が多くいる家の十二人目の子供あるいは七男で、存在自体が家族に煙たがられているそうだった。卵の殻を自力で破いた瞬間から終始、一匹で生きてきたミズチには家族というものがよくわからなかったが。 「『妖怪』は、どうしてぼくとおなじかおをしてるの」 「んー、あたらしくつくるより、まねするほうがうまくニンゲンになれるから」 「ほんとうはどんなかおなの?」 むき出しの土を枝でえぐるようにして、ミズチは小さく蛇を描いた。と言っても、目や口すら描き入れないような単純な輪郭だ。 「蛇ちゃん、かおがないよ」 「これだけで蛇ってわかったんだから、べつにいらなくね」 「どんなかおしてるのってきいたのに……」 ニンゲンはふくれっ面をしてしゃがみこんだ。指先で蛇の絵に目玉を加えていると、突然何かに気付いたように息をのんだ。 「あのときのちっちゃい蛇だ」 「やっとおもいだしたな」 「だって蛇が、ばけてでるなんて、そんな童話みたいなことがあるなんて」 恐怖の色が眼差しに侵入し、じわじわとニンゲンの表情に広がっていった。今更何を、とミズチは思う。 「おどろきおわったか」 「おわってない」 「それよりききたかったんだ。なんであのとき、ないてた? んだよ」 否定の返事を無視して、ミズチは質問をした。目と鼻から水を流す状態を泣いているというらしいことは調べがついている。そこには、強い感情が伴うものだと。 「さわるの、こわかったから。あと、かわいそうだったから」 何がかわいそうだったのかと訊き返すと、答えはこうだった――おうちからいきなりおいだされちゃうの、かなしいよ。 だがミズチはあの餌場に強い愛着を持っていたわけでもなく、深い目的があって水域をうろついていたわけでもなかった。 むしろ、後に棲家から追い出されて苦労するのは、どこぞの家のこの七男の方であった。 |
|