3-2. a
2018 / 11 / 26 ( Mon )
 ひどい騒音が空間に反響している。継続的に聞いていては頭痛を引き起こしそうなそれは、折り重なる赤ん坊の泣き声だった。
 ――前回の記憶の断片の始まり方とは打って変わって、ここは落ち着かない。

「うるせー」
 ナガメがわずらわしそうに小指で耳の穴をほじくる。しゃがんで覗き込んだ先は、浅い洞穴のようだった。
「みつかりたくなかったら、だまってたほうがいいぜ」
 少年が洞穴の中に無造作に手を突っ込むと、泣き声はたちまち勢いを失くしていった。

 静寂を取り戻した暗闇。ひんやりとした風、木々の匂い、まるで山にいるような印象を受ける。ナガメの記憶を通して五感の情報を得ている唯美子は、奇怪な状況に驚いていた。
 穴の中にはまだ生後数か月といったところの小さな赤ん坊がふたり、一枚の布にくるめられて寝かされている。

「しょーがねーな」
 そう言って、少年が己の袖を破いた。もともとあまり強靭な生地ではなかったのか、紙を破くような容易さで着物が裂けていく。小さな布切れ二枚を、ナガメはそれぞれの赤ん坊に巻いてさるぐつわとした。

(だ、大丈夫なのかなそんなことして……おしゃぶりじゃあるまいし、苦しいんじゃ)
 異を唱えようにもこの映像はすでに過ぎ去った記憶、変えようのない出来事である。どこの誰の赤ん坊が山奥に捨てられていようと、助けてやることは叶わない。
 にわかに空気が震えた。直前、ナガメは己の呼吸を鎮めたようだった。
 猛獣の気配に反応したのだ。夜の山に赤ん坊が置き去りにされていて、近隣の肉食獣が興味を抱かないわけがなかった。

「また来たのか」
 闇の向こうから威嚇してくる野生動物にまったく引けを取らずに、ナガメの発した声は底冷えしそうな迫力を有していた。しばらくして、猛獣の足音は遠ざかっていく。
(「また」……?)
 慣れた様子で、少年は歯と歯の間から鋭い呼気を吐き出していた。こうして赤ん坊たちを脅威から守ったのが、まさか今夜が初めてではない――?

 疑問の答えは、少しずつほどかれていった。
 夜が更けると新たな来訪者が現れ、赤子のおむつを替えたり体を拭いてやったり、粥のような食事を与えてやったりと手厚く世話をした。その男性が穴に近付くよりずっと以前に、ナガメはさるぐつわを取り除いて己の身を木の上に隠していた。

 もっとも驚くべきは、男性が別の赤ん坊を背負ってきたことだった。帰り際にその子を置いて、ほかのどちらかを入れ替えに持ち帰っていく。
 これが毎晩続いた。男性の妻であろう女性が来ることもあった。

(村にいてはいけない子供を、こっそり生かしてるみたい)
 それをナガメは邪魔をするでもなく手伝うわけでもなく、時々やってくる肉食獣を追い払うだけして見守っていた。
 けれど何故だか子の両親を見下ろすナガメの心情には蔑みが――否、怒りが――含まれているように感じられた。


 そういえば順不同だった、と次の場面に移り変わった時に思い出した。物置のような狭い小屋の中は、血管が凍りつきそうな寒さだ。もしかしなくても季節は冬である。
 数分おきに木板を叩く風がいやに激しく、唯美子は竦み上がりそうになる。けれど記憶の主である少年は恐怖どころか寒さも感じていないらしく、それどころか燃え上がりそうな怒りを胸の内に宿していた。

 こんなに激情することもあるのかと唯美子が驚いていると、向かい合っている青年もまた、同じ感想を漏らした。

「お前でも怒るんだな、蛟龍《ガウロン》」
「そっちがくだらない理由でしにそうになってるからな」
 ナガメが苛立たしげな早口で応じる。ラムは苦々しく笑った。

 小屋の中は真っ暗だが、ナガメは夜目が効くため簡単な輪郭以上の映像が網膜に映っている。水田を歩いていた健康的な青年の面影は今やほとんどなく、痩せ細って皮膚と骨しか残っていないような儚い命が目の前にあった。

(どうして……それにさっきから気になってたけど、この臭い……)
 まるで何日もここに閉じこもっていたような――。ただし閉じ込められていたのだとすれば、ナガメはどうやって小屋の中に入ったのだろう。
 ラムは座っているだけでも億劫な様子だったが、物置きは散らかっていて、横になれるようなスペースがなかった。壁に背をあずけるのが精いっぱいだ。

「くだらない……か」
「そーだよ。なんでお前がこんなとこで朽ちてやんなきゃなんねーんだ? ぬれぎぬだし、ばかばっかりだし、逃げるなら手を貸すっていったじゃん」
「ありがとう」

「だー! 礼は言っても、来る気はないんだろ」
 ラムは今度は「ごめん」と小さく笑った。
「罪を認めれば領主さまのもとで裁かれる、逃げたなら罪を認めたと同じ、それか無実の主張を貫いて餓死するしかない。選択肢をぜんぶ検討したうえで、僕はこうするのが一番だと決めた」
「納得いかねー」

「……あの人は、決して名乗り出ない。せめて僕ひとりの口減らしができるなら、結果、村のためになるだろう」
「そこがいちばん納得いかねー。なんで、ラムがしんでやんなきゃなんねーんだ。逃げていきのびればいーだろ? べつの村にいけば? 最悪、ひとりで野に生きてればいいじゃん」

「別の村に辿り着いても、領主さまからお触れが出るはずだ。どこまで逃げれば安息がある? 前にも教えただろう、人間は社会がないと生きていけない。孤独に生きるくらいなら、僕は民家に囲まれて死ぬことを選ぶ」
「わっけわかんねーよ! 生きてればそれでいいじゃん。生きてる以上に、なにがそんなにだいじなんだ」
 ふしぎだ、とラムは静かに呟いた。

「永遠のような生を送る化け物が、生きることそのものを至上とする――生きていることを、誇りに思うんだな」
「…………」
「きっと人間は、どうしようもなく欲張りなんだ。息をしているだけじゃあ物足りないと感じてしまう――……蛟龍、僕は」
 消え入るような声だった。ナガメはしゃがんで続きを待った。

「この村に感謝している。未練や悔いはあるし、悲しいと思うこそすれ、恨めしいという感情は少しも無いんだ」


大筋は立ててあったものの、細部がしっくりこなくて練り直してました。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

08:35:52 | 小説 | コメント(0) | page top↑
<<3-2. b | ホーム | 今日も働きたくないという私をだれか>>
コメント
コメントの投稿













トラックバック
トラックバックURL

前ページ| ホーム |次ページ