3-2. b
2018 / 12 / 02 ( Sun ) おうむ返しにナガメが「感謝な」と囁いた。 「わからない感情だ」「わかりたいか? 初めて会った時と比べて、今のお前は、人間に大分興味を持っているように見える」 少年の表情筋が動いて、むっとした顔をつくった気がした。しかしラムには見えていなかったのか、言及されなかった。 「身ひとつでこの国に着いたばかりの頃、右も左もわからなくて、言葉もしゃべれなくて、どんなにか不安だったか。村人たちが見つけて受け入れてくれたおかげで僕は、毎日……屋根の下で眠れて、温かいご飯が食べられた。幸せだよ。十何年もの間、ずっと、幸せだ」 ナガメは何も答えず、ただ嘆息した。会話が途切れ、風の音ばかりがしつこく響く。こんな状況では満足に眠れるはずがない――。 ふと、ラムの言葉が過去ではなく現在形であることに、唯美子の意識が向いた。 「蛟龍……お前も長いこと、よく僕の平凡な人生に付き合ってくれたものだな」 「こんなん、まばたきの間ですらねーよ。もっとつきあわせりゃいいのに」 「……感謝してる。もうお前がこの国に留まる理由もなくなるな……最後に頼まれてくれないか」 「やだ」 食い気味に答えて、ナガメはそっぽを向く。 (なんてもったいない!) 友と過ごせる限られた時間だというのに。穏やかに過ごしたいと、彼は思わないのだろうか。こんな時、最期の願いを、叶えてやりたいものではないのか。しかしナガメが自分で明確に「友」と口にしたわけでもないので、こちらが勝手に親しい間柄なのだと勘違いしているのかもしれない。 (それにこの拒絶の仕方はどっちかというと、認めたくないみたい) 大切な相手がいなくなるのだと信じたくないがために、話題を全面的に否定してしまう心理だ。唯美子自身は逆にできるだけ相手に尽くしたくなるタイプだが、母辺りは、こうだった気がする。 結局、風景が中途半端なところで崩れてしまい、続きを見ることはできなかった。 次の場面は一室を見下ろすようなアングルからだった。 だが遠近感がおかしい。というより視界そのものが不明瞭で、色彩が極端に少ない。待てども、ナガメ自身が動こうとする気配がない。 なんとか慣れない映像からヒントをかき集めようとした。 体の感触にも違和感がある。まるで全身が触覚になっているような、座っている時よりも「地面」に触れている表面積が多く感じるような――温度情報に敏感になっている気がして、そこでようやく思い至る。 (これって蛇バージョンなのかな) 蛇と言っても既存の枠からはみ出た身だ、ナガメの五感はたぶんかつて同種だった蛇よりも優れているのだろう。視界はやがておぼろげながらちゃんと形を成し、聴覚も人の声を拾い始めた。 男性と男性が囲炉裏を挟んで何かを言い争っている。若い方の男性の糾弾を、年上の男性が頑なに受け付けない感じだろうか。泣き喚く赤ん坊をあやす女性が、不安そうにふたりを見比べている。 言い争いはこの場では解決されなかったのか、ついには年上の男性が立ち上がって出口を指さし、もうひとりの男性を追い出した。 「ねえあんた。あのひとはあれで、ごまかせたのかな」 女性の問いに、男性は舌打ちした。 「だめだろうな。なんでばれたかわかんねえが、おれたちが蔵のもんをとったって、知ってやがる。ほっといたら告げ口すんじゃねえか」 「どうしよう!」 女性がわっと泣きだした。それを夫らしき男性が「騒ぐな! 近所のやつらが不審がる!」と怒鳴りつける。 (この夫婦、山に来てた……!?) 自分の背筋でもないのに、スッと冷えたような感覚があった。これが古い時代なら、きっと双子が忌み嫌われていたはずだ。双子どころか三つ子となれば、村の者からひた隠しにしなければならないのも致し方ない。 聞けば、真実を唯一知っていた産婆が流行り病で死んだため、夫婦は自分たち家族に運が向いていると考えたらしい。なんとかこっそりと子供を育てようとしたが、さすがに三人分の乳を出し続けるには授乳の頻度が足りなかったし、母親の疲労も著しい。 (かわいそう――) 同情しかけた次の瞬間、耳を疑うはめになった。 「なすりつければいいんだ」低く、泥の中を這うように笑って、夫が提案した。「そうさ、告げ口される前に告げ口してやりゃあいいんだ」 「そんな! 村のみんなにうそをつくってのかい。あんないいひとに、そんなひどいことできないよ!」 「きっとみんな信じるさ。それともなにか、おめえはわっぱの命より縁もゆかりもねえ南蛮人がだいじだってえのかい」 「そうじゃないよ……でもラムさんは何年もいっしょに畑で汗流した仲間じゃないか……」 「わかってる。背に腹はかえらんねえだろ」 話はなおも続いたが、妻の説得が夫に届くことはなかった。 (ナガメはこうなるって、いつから予想してたのかな) しゅるり、小蛇の体は屋外へと進み出る。 |
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