2-3. a
2018 / 08 / 05 ( Sun )
 帰りの電車の中は思いのほか静かで、端の席にてゆっくりと休息ができた。車両にいる他の人と言えば気持ちよさそうに居眠りしている女性と、動画でも観ているのだろうか、イヤホンをして真剣に横向きのスマホに見入っている男子高生だけである。

 電車の進みは荒っぽくてうるさい。
 隣の青年が物珍しそうに窓の外を眺めていたのは数秒のことで、今では別の場所に意識が集中している。腕の傷はほぼ癒えていたが、気持ちだけ、唯美子はハンカチを巻いてあげたのだった。
 ナガメはそれが気になるようで、結び目を逆の手で弄ったりしながら、話を切り出した。

 厄寄せとは――唯美子が周りの厄を一身に寄せる代わりに場が清まることを言うらしい。厄は形を持ってしまった人の悪意だったり、怪奇現象だったり、単なる不運だったりもする。
 先天的にして、似た傾向を持った親戚は他に確認されていないものだ。
 そこで早々に唯美子は口を挟んだ。

「でもわたしじゃなくて、わたしの周りの人の方がよく危ない目に遭ってた気がするよ?」
「んー、それは解釈の幅っつーか。ゆみに集まろうとした厄が途中で誰かに飛び移ってたみたいな。局所で気絶したり忘れてるだけで、周りじゃなくてお前が一番やばいもんを負わされてたと思うぜ。ひとりの時は他の誰かに移りようがないし。一部はひよりや俺が弾いてたけど」

「そうだったの」
 信じられない、と口の中で呟く。友達が次々と逃げていったのは自分以外の皆が被害を受けたからだと思い込んでいた。ひとりだけ無事だったら、自然と不運はその者のせいにされるのだから。
「ほら、ストーカー男はゆみを変に恨んだだろ」
「理由はあったよ?」

「きっかけはあっても、厄寄せの効果も確かにあった。『寂しそうなマキの相手をした』ってだけなら、省エネ版の俺もその場にいたし」
 そういえばそうだ、と唯美子は納得した。
 がたんごとん。電車がひときわ大きく揺れてから、車掌が次の駅のアナウンスをする。あと数分すれば降りる駅に着く。
「たとえばゆみがおぼえてる子供時代と、吉岡由梨がおぼえてるゆみの子供時代は、だいぶ毛色が違うんじゃねーのか」
 母の名が挙がったので、唯美子は今朝の高級煎茶を飲んでいた時の会話に思考を馳せる。


「お母さんはどうして、わたしがナガメと遊ぶのにそんなに猛反対したの」
「さっきも言ったでしょう。あんな化け物、危険だからよ」
 言葉の内容とは裏腹に、母はどこか歯切れが悪そうに視線を逸らす。
「わたしは、あの子に何度か助けられた記憶もあるけど……」

 それには反応せず、母はお茶を黙々とすすり煎餅をかじる。
 ふと不思議に思う。この人はどこまで知って、どこまで気付いていたのだろうか。祖母と一緒になって、唯美子に隠し事をしていたのだろうか。守るための嘘だったとしても、大人になった今、問い質さねばなるまい。

「お母さんにもおばあちゃんみたいな特別な力、ある?」
「いいえ。漆原――あなたのお父さんも、ひよりさんの才能は受け継がなかったみたい」
「そっか……」
「いいこと? あなたもよ。あなたも、ひよりさんの『才能』を継いでいないわ。つまり多少の変なものが見えても、最悪関わってしまっても、それをどうにかする力も、自分の身を守る力も無いの。それだけはわかってちょうだい」
 こぽぽ。母が急須から湯飲みに茶を注ぐと、微かな湯気が立ち上る。
 そのはかなげな白さを見つめながら、唯美子は近しい家族の真摯な警告を吟味していた。


 ――まもなく〇△、お出口は右側です――
 駅名にハッとなる。降りるよとナガメに目配せすると、彼は既に立ち上がっていた。
 エスカレーターに乗っている間、ポケットから電子音がした。スマホを確認すると、母からのチャットが来ていた。駅から徒歩圏内のデニ〇ズで夕飯にしないかとのことだ。

「い、い、よ、と……お母さんと落ち合うまでまだ時間あるし、公園でもう少し話してかない?」
「おー」
 ナガメが顎が外れそうなほどに大きくあくびをしている。
 なんとなく蛇は夜行性と決めつけていた。この数か月間を振り返ってみると、昼行性かもしれないし、彼はあまり規則的に活動していないようだった。夜行性だとすれば瞳孔が縦長になっているところは見たことがないけれど――

「栗皮ちゃんの人型、眼だけ虫っぽさがあったね。ナガメは擬態でそういう失敗やらかしたりしないの」
「なくもない、っつーか、メインのコレと子供モード以外に変化する時は俺も大体あんな精度になるぜ」
 公園が見えて来た。サッカーボールを追いかける小学生くらいの集団を通り過ぎて、座れるところを探す。
「他の姿もあるの? すごいな。きみが非常識な存在なんだって忘れてたよ」
「まーな。ゆみが聞きたい――思い出したいのって、その先だろ」
 ベンチに腰を下ろすなり、「昔、こんなことがあってな」と彼は語り出した。

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06:33:43 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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