2-2. f
2018 / 07 / 30 ( Mon ) 「あの姿だと出ないって言った。この姿は、別」
「とにかく手当てしようよ」 嘆息して、唯美子は傷口を検《あらた》める。 三、四センチほど一直線に切れていて結構深そうだ。皮膚が開けた奥から赤い液体が沸き上がっては草の上にぽたぽたとこぼれる。血が苦手ということはないが、じっと見ていると吐き気を催しそうになる。 「ほっといてもふさがるって。敬意を払いたくて、付けたオプションだから」 腕を奪い返されたはずみで唯美子の爪先が切り傷をかする。瞬間、ナガメは目を眇めて小さく舌打ちした。 「痛いの?」 質問しても応答は返らない。 (爬虫類って痛覚あったっけ。凝固、するのかな) なんとなく彼に血が流れているのだとしたら青か紫色ではないかと思い込んでいた。知らない間に「化け物」という単語にイメージが引っ張られていたのかもしれない。 蛇に痛覚があっても、果たして蛟ならどうか。まったくの未知だ。だが実際に、傷口は塞がりつつある。 「ありがとうそしてごめんなさい、私のせいで。ゆみこにも迷惑かけるわね」 傍に立った真希が気まずそうに覗き込んだ。それぞれ「お構いなくー」「気にしないで」と答えた。何かで縛っときましょう、と言って彼女は自らのハンドバッグを漁る。 「ハンカチハンカチ――あ、ねえ。姿がどうとか言ってたのって何の話?」 唯美子は生唾を呑んだ。うかつだった。動転していて、会話を聞かれる可能性にまで気が回らなかったのだ。 冷や汗が滲み出る。いきなりの追究、かわせるうまい言葉が思い浮かばない。 そもそもナガメは己の本性を隠すのにどれほど重きを置いているのか。常に人型に擬態しているものの、要所での態度からはあまり誤魔化す意が無いようにも思う。怪我が超回復しているところもきっと見られている。 青年を見上げ、表情を窺ってみた。 彼はにっこり笑って、傷を負っていない方の手をズボンのポケットに入れた。 しゅり――紙が擦れる微かな音がする。 次の瞬間、感電したような衝撃を受けた。ナガメがポケットから取り出した長方形の白い紙に、得体のしれない既視感をおぼえたからだ。 紙は鋭い動きで視界を横切り、真希の額に当てられた。 (わたし、あれ、あのお札を、知ってる) 札の紙部分が粒子となって霧散する。宙に残った部分、札に描かれた紋様が、額の中へと吸い込まれていった。直後、友人は眠そうに瞬いてその場にへたり込んだ。 目の錯覚でなければ、今のは何かの術式だ。かつて見た光景と一致するため、理解が及ぶのが早かった。 都合の悪い情報を対象から抜き取ったり封印する類の呪術だ。 ナガメがニヤリと笑って口を開いた。 『――その記憶は無い方がいい』 異なる声音が二つぴったりと重なる。 無意識に舌から転がり落ちた台詞だった。見えない余韻を辿るように、唯美子は己の唇に指を触れる。 「思い出したんだな」 背を向けたままで彼は低く呟いた。 「前にもこんなこと、あったんだね」 知りたい、でも知りたくない。相反した気持ちを処理できずに言葉がわなないた。 「さー」 「どうして濁すの。ほんとは、どっち? きみがわたしを巻き込んでしまうの、それともわたしがきみを巻き込んでいるの」 大げさな嘆息。振り向いた横顔、その瞳に黄色い環が浮かんでは消えた。 「聞かない方がいいんだけどなー」 「おしえて。おねがい。ナガメはわたしのききたいことに、答えてくれるんじゃなかったの」 唯美子は頑なに引き下がらなかった。 「わたしの昔の記憶も、きみがそうやって消したの」 瞬時に失言だと気付いたが、取り消せない。 赤い舌がちろちろと口腔を出入りする。 険しい表情と形容するのは違う気がした。表情を、つくっていない。世にあふれる変温動物のそれと似た、冷たい印象を受ける。 再会してから今日まで、これほどに無表情な彼を見たことがない。 「何か勘違いしてるな。お前の記憶を封じたのも、その判断をしたのも、間違いなく、ひよりだ。俺は、忘れてほしいなんて一瞬も思ったことはない」 「…………うん。そうだよね。ごめんなさい」 ナガメは地面の男性を肩に担ぎ上げ、真希の腕を掴んで無理やり立たせていた。慌てて唯美子も手伝いに行く。呆然としている真希に軽く肩を貸した。 交番に向かって歩き出す。 「さっきのな、聞かない方がいいんだけど、どうせ手遅れだよな。端的に言えば『両方』だ」 しばらくして、ナガメが切り出した。 「巻き込んで巻き込まれて、ってこと?」 「そ。まず、ひよりは『厄寄せ』って呼んでた。ゆみが持って生まれた体質だってさ」 彼はいつもの調子で笑い、側切歯がひとつ欠けた笑顔を見せた。 普通の生き物のスペックに敬意を払いたい超越者。でもそれは弱きを助けるつもりはなく。 ノブレスオブリージェとかではないw 側切歯! 3話もお付き合いいただけると幸いです。 |
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