2-1. d
2018 / 06 / 25 ( Mon )
 深く考えずに、香立ての前であぐらをかいた。割と最近に誰かが来たのだろう、新鮮な花が飾ってある。
 ミズチは頬杖をついて物思いにふけった。
 自らに、死者に語りかける習慣があるわけではない。墓石をつくるという慣習はニンゲンだけのものだ。死者を悼むことからして、地球上のどこを探しても、ニンゲン以外に取り組む種がいない。

 失った家族を恋しがる動物ならありふれている。寂しさにとりつかれて後を追うように衰弱する事例は広くあるし、植物にもそれがないとどうして言い切れよう。だが、複雑なシステムを作り上げてまで「去った者を能動的に思い出す」のは、ニンゲンだけのように思える。
 そうする行為に意義を見出すのは遺された生者だけかと思っていたが、案外そうでもないのだと過去に教えてもらった。

 不思議だ。
 忘れないでくれ、時々でいいから思い出してくれ――そんなわがままな願いを、愛する者に投げつけながら逝くのも、ニンゲンだけではないだろうか。わかったよ思い出すよと口約束をしてやるだけで、死ぬ時の表情がまるで別物になるのだ。
 命を次世代に繋ぐ術を持たない獣には不可解なことばかりだった。

(二ホンに戻ったんだから、あいつのとこにも行ってやらないとな)
 胸中に浮かぶ感情をなんと呼ぶのか、ミズチはまだ知らない。別段、知りたくもない。
 ぼんやりと仏花の色合いを脳内で評価していると、ふわり、慣れ親しんだ生命の波動が頭上を旋回した。頭頂部の髪が僅かに乱れた。

「どした? 鉄紺」
 大型アオハダトンボの雄の飛び方に動揺が表れている。ただならぬ事態が起きたのかと懸念した。
 主と眷属に音声言語は不要だ、意思の矢印みたいなものを拾い合うだけで事足りる。思念を丁寧に受け取り終えると、ミズチは脱力して姿勢をだらりと崩した。

「そんなん、おいらに言われても。ニンゲン同士で解決すればいいじゃん」
 声に出して返事をするのは、他者との「会話」のしかたを反復練習するためだ。
 鉄紺は飛び回りつつ、自身が持ち帰った情報の重要性を再度主張する。
「あー、あー……そりゃほっとけねーかな。わーったよ、様子を見るだけなら」

 どうせ今日は暇だ。
 呟きながらも足を高く蹴り上げる。次に両足を勢いよく蹴り落として腰を浮かせ、ぴょんと跳ね起きた。

     *

 県内で何番目かに大きい駅にふさわしく、にぎやかな場所だ。近辺にはニンゲンが好む娯楽施設――カラオケやら映画館やらバーやら――が幾つも並んでいた。
 土曜日の朝は人通りが多いのか、横断歩道の信号機が緑色のアイコンに変わる度に、人がうじゃうじゃと動き出すのが見えた。

 行きたいところもなしにミズチはそんな駅周辺をうろついていた。
 やがて、どこぞのカフェの屋外の席にするりと身を収める。
 先にそのテーブルに座っていた長髪の女が、驚いたように手の中の端末から顔を上げた。テーブルの上には手帳とシャーペンが、もう片方の手には、飲み尽くされて氷しか残らない何かのドリンクの抜け殻があった。甘ったるい残り香は、あいすかぷちーの、のそれかもしれない。ミズチは思わず嫌そうな顔をした。

「なに、あなた」女も嫌そうな顔をした。すぐに表情が移ろい、化粧っけの濃い顔に認識の色が広がる。「もしかして、ゆみこが預かってるっていう遠い親戚の子じゃないの。この前写真で見せてもらったわ」
 アパートでじゃれていた時に携帯端末で撮られた画像のことか、と得心する。

「そーゆーおまえは『まきちゃん』だ」
 肩の開いた派手な服装、目元を強調した化粧。それだけで特定したのではない。というよりも、ミズチは見た目で判別しない。
 もともと蛇は視覚より嗅覚に頼る生物だ。擬態に際して視覚の機能を多少向上してみたものの、興味のないニンゲンは基本的にみな同じに見えてしまい、誰が誰なのか断言できなくなる。
 識別する材料は匂い、そして気配(これもトンボたちの方が精度が上だが)に限る。

「こら。年上のお姉さんに『お前』はないでしょ。生意気ね」
「…………」
 断じてこの個体はミズチよりも年数を経ていない。が、それを口にするわけにもいかず、首を傾げるだけだにした。
「あなたの家庭の事情はよくわからないけど、しばらくゆみこのところで厄介になるんでしょ? 大変ね、あの子も」

「ふーん。どうたいへんなんだ」
「どうって……」
 マキの顔にはいかにも「がきんちょに教えても無駄」と書いてあったが、一応答えることにしたらしい。
「世話する手間はもちろんのこと、遊びに行く時間も減るし。彼氏だって――あれ? そういえばあなた、ひとりで出歩いてるの」

「ひとりじゃない」
「ホントに? 保護者は?」
 疑惑いっぱいで、ピンク色のケースをはめた端末を口元に当てながら、マキがこちらを窺う。瞬く睫毛が不自然なまでに長い。たぶん、偽の毛を取り付けているのだろう。
「こう見えてどーはんしてるよ。おまえのしんぱいには及ばねー」

「難しい言葉を知ってるのね……」
「それよりカレシがなんなんだ。別にゆみに男ができよーが、おいらには関係ねーんじゃん」
「関係ないわけないでしょ。あなたに居座られてると、デートに出かけられないのよ。家にも呼べないし」
「なるほど、相手ができても交尾できないって話か」

「こうっ……!? あなたんちの親はどういう教育――……そういえば、あなた名前なんていうの? ゆみこに聞いてなかったわ」
 呼びづらさに今更気付いたのか、マキが端末を下ろして改めて聞いた。
 ミズチはまずその爪先に目をやった。ピンク色の爪がやたらと長いが、形が均一だ。これも作り物か。

 テーブルの上を舐めるように眺めてから、手帳とシャーペンを手に取る。後ろの方の空いているメモページに三文字書いて、持ち主に返す。
 開かれたページを顔に近付けて、マキは口元をひくつかせた。

「……キラキラネーム?」
「なんだそれ」
 聞き覚えのない単語に、またも首を傾げる。

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