十 - j.
2017 / 11 / 06 ( Mon ) _______
――信念の重さだ。 刃の重さは、意思の強さゆえだった。剣術や動きの切れも筋力もこちらが勝っているのに、なかなか決定打を打ち込めないのは、相手の覚悟がそれだけ強固であるからだ。 (ハティルは心の底から、他勢力を排除しての統率が真の平和に繋がると信じているんだな) 十二歳の弟によって振り回された長いナイフを、自身のそれで受け止める。 型に多少の不安定さはあっても、少年が日頃からよく鍛えられているのがわかる。動揺を最小限に抑え込んで、勝つ為にどう動けばいいのかを模索しているのだ。 (敵対してるんじゃない。目的地が同じで、そこに至るまでに辿ろうとする道のりが違うんだ) つばぜり合いをしたのは数秒に満たない間のこと。体重を乗せて押し切り、次のひと突きを送り込む。僅かに遅れてはいたが、ハティルは体勢を崩しかけたままで何とか受け流した。 鉄が擦れ合うひどい音が、しばし響いた。このままではまずいと直感する。エランは己のペシュカブズの変化に気付いていた。 刃こぼれしている。皮肉だが、戦闘経験が浅いぶんハティルの持つ凶器はほとんど使用された形跡がなく、新品に近い状態で戦いに臨めているのだ。 何度となく激しく衝突していれば、どちらの得物が先に音を上げるかは明白だ。 そうこうしている内に、屋上薔薇園に人影が上って来るのを、視界の端で捉える。 (横槍が入る前に決着を) 稲妻が走った。雷の爆音が、一瞬の隙を示す。 瞬く間に決断した。武器を手放す。姿勢を低くして踏み込み、左手でハティルの右手を制し、右手で左肘を掴む。 勢いに任せて倒れ込んだ。 それからは揉み合いになった。偏った視界の中で、トパーズの青が光るのが見えた。 「ぐっ……!」 己の喉から漏れた呻き声で、顎を切られたのだと遅れて知る。痛みの度合いからして、傷口はきっとそれほど深くはない。 今一度、ハティルを見やった。被り物はほどけて息が荒いが、その瞳には静かな決意の炎が灯っていた。狂乱の兆しはどこにもない。この者は、理性を保っている。 ならばと名を呼び、再度訴えかける。 「聞いてくれ。敵対しているように錯覚しているだけだ。距離があるように見えるだけだ。私たちは、わかりあえる」 ハティルは目を細めただけで、返事をしなかった。 「この距離なら錯覚しようがないな」 そう言ってやると、怯んだように見えた。 「……上に立つ者の妥協は破滅への第一歩です」 「妥協なくして複数の人間が、複数の群がりが、ひとつところで暮らせるわけがない」 「そうとも限りませんが」 「武力による支配を指してるなら、長年制御のかなわなかった我がルシャンフ領の先住部族の例を、反論とする」 「ぐうの音も出ないですね」 ――イィイン。 異論が出なくても、手は出るらしい。突然の一撃を凌げたのは、培った経験で磨かれた反応速度のおかげだった。 「笛……?」 ハティルは眉根をひそめて、渾身の攻撃を止めた短い鉄の棒を睨んだ。 「いい音色だぞ」 何故か自慢げに答えてしまった。エランは笛の両端に両手を添えて、本来の倍の力を乗せる。元々腕力はこちらが上だ、この体勢でハティルが持ち堪えるのは至難だった。 「そんなもので……!」 「固定観念だ。鉄笛も、立派な武器になる」 エランは手の中の笛を巧妙に捻って、ハティルの宝刀を遠くへ弾き飛ばした。 その時点で既に、二人は大勢の宮廷人に取り囲まれていた。身を起こして周囲を一瞥した後、エランは無言で弟に手を差し出した。 「……発想の柔軟さでは、僕の完敗でしょうね」 第六公子は呆れたような疲れたような顔でため息を吐き、差し出された手を取る。 「こんな大雨、何年ぶりですか」 立ち上がっても、ハティルはすぐには目を合わさなかった。 「私の記憶だと六年だ」 「そうでしたね。アダレムが生まれた時、三日三晩は雨が降り続けましたね」 「よく憶えてるな」 ふふ、とハティルは暗い笑いをする。 「怖かったんですよ。雷がじゃない。僕は、天の恵みに恐れをなしたんです。こんなに祝福されて生まれる公子が羨ましくあり、そして恐ろしくもあった。どんな人生を背負わされるんだろうって。もう自分の入る余地はないのかなって」 「へえ。存外、私も大して違わないことを思っていたぞ。いよいよこの国にとっては用済みか、とな」 「……――エラン兄上、今もそう思ってますか?」 ようやく目が合った。年相応の好奇心がそこにあり、エランは思わず笑い出した。 |
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