44.g.
2015 / 06 / 24 ( Wed )
「カイルに断言していただけると本当にそうなりそうで、心強いです」
「なるよ」
 亜麻色の髪の青年は爽やかに笑って立ち上がった。風通しの良さそうな白い上着をふわりと肩にかけて袖に腕を通す。
 再会した頃に比べてすっかり春の服装になっているのが印象的だ。

「さて。帝都を出るのは数日後だけど、お互い慌ただしくなりそうだし、今の内にお別れの挨拶をしよう」
「そうですね」
 自らも席を立ち上がり、ミスリアは元は同期であった友人と抱擁を交わした。

 以前、ユリャン山脈付近で別れた時のような悲観は無い。そう遠くない未来でまた会えるような気がするからだ。会えない日々がまた始まっても、彼は彼なりに遠くで元気で頑張っていくのだろうと、そう思えば心は軽かった。

 やがてミスリアから離れると、カイルは居間の窓の隣まで歩み寄った。そこには始終無言で何かの作業に没頭するゲズゥが床に座り込んでいる。近付いて来た青年の影を追って、黒い瞳が動いた。

「あれ、鞘変わった?」
 膝に手を当て、ゲズゥの手元を覗き込むようにカイルが問う。なんとなく興味を惹かれてミスリアもその隣に並ぶ。
 護衛の青年は自身の最大の持ち物である湾曲した大剣の手入れをしているようだった。そしてバネで開閉する仕組みであった鞘は壁に立てかけてあり、青年の手によって拭き磨かれている品は全くの別物だった。

 ミスリアにも見覚えの無い、暗くて深みのある赤茶色の木材でできた一品だ。剣の研ぎ澄まされた刃の部分だけにぴったり重なる、同じく湾曲した形。

「ナキロスで手に入れたアレは軽量化した鉄ではあるが、長く使うならそれ以上に軽い方が良いと……新調した」
「なるほど。さすがは帝国の技術ってところかな」
 カイルが感心したように言った。
 木製の鞘は二つのキャップのような役割を果たすパーツでできている。刃と柄近くの鋸歯部分を覆う片方、そして逆側の鋸歯部分を覆う方。左右のパーツは剣に合わせて非対称的、形も長さもかなり違う。

 両半分は剣の大きさに合わせた絶妙な幅を保っている。二つを繋ぎ合わせる鉄のフレームみたいなものは、大した重量を加算しないであろう、ハーフインチ(約1.27cm)と無い細い棒で組まれている。
 ゲズゥは鞘を剣には嵌めずに、装置の仕様を見せた。
 フレームは圧力に応じて開閉するらしい。上から押すと、がちゃりと左右のパーツの幅が一気に広がった。もう一度押せば引き寄せられて元に戻る。

「自分で考えたの?」
「まさか。抜剣のアクションを短縮したいと店に頼んだだけだ」
「君のそういう静かな向上心、いいね」
「…………」
 ゲズゥは半眼になって何も答えない。

「まあ要するに、ミスリアを頼んだよ。弟くんにもよろしく」
 そう言って、カイルは右手を差し出した。ゲズゥは握手を求める手をじっと見つめた後、自分の両手に視線を落とした。錆やら油やらで目に見えて汚れている。
「あはは。ごめん、間が悪かったね」

 行き場の無い右手は、胡坐をかいたままの青年の肩へと流れた。ぽんぽんと二度親しげに叩き、そして最後には指先だけで軽く握った。その間、ゲズゥは拒絶の素振りを見せなかった。
 一瞬後には裾を翻したカイルに対し、低い声が浴びせられる。

「……死ぬな、と言っておく」
 ミスリアは目を見開いた。まさか彼が他人への心配を露にするなど――。
「ありがとう。その言葉はそっくりそのまま君にも返すよ」
 カイルは左肩から振り返り、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。足を止めることはしない。

 次には部屋の隅で静かにハンカチを畳んでいたイマリナの前に歩み寄った。彼女はきょとんとした様子で細面の聖人を見上げた。
 彼女の使う手話をいつの間にか学んでいたのか、カイルが何か手を動かす。イマリナは満面に笑みを浮かべて応じた。

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