7. c.
2026 / 02 / 24 ( Tue )
「そういうおまえは何でこんなところに居んだよ」
 聞いたことのないような毒を含んだ声が返ってきた。元々彼は顔立ちは整っていた方だと思うが、怒りに歪んでいると、威圧感がすごかった。
「私は、えっと……」言い淀んで、うまい答えが思いつかなくて、目を泳がせた。「あの、なんか怒ってる?」

「怒ってるように見えるか」
「見えるけど。心当たりが無いというか、なんというか」
 思いがけず、呆れたようなため息が聞こえた。シェリーは泳がせた視線を再び、相手の面(おもて)に定める。
「…………飛び込んでたらどうしようかと」
 これもまた、見たことのないような苦い表情をしている。

「え、え?」
 あんなに寒そうな湖に、飛び込む――?
 正面を向き直り、灯台の下(もと)で揺らめく湖面を見渡した。水面は相変わらず、凪いでいる。



 アレクス・リクターの人生において幸いだったのは、模範とすべき人間と反面教師とすべき人間のどちらとも出会えたことと、双方を的確に処理する賢さを自身が持ち備えていたことである。
 そして巡り合わせが、タイミングが良かったことだ。

 万引きで捕まって某スクールカウンセラーに気をかけてもらえたのと同時期に、酒やタバコを教わった悪友がそれぞれ面倒ごとを起こしたため、結果的に縁が切れることとなった。ひとりは女関係でヘマをやって妊娠・中絶の後始末に追われ、もうひとりは未成年の麻薬保持により少年院行き。その後は生存確認くらいはするものの、つるむ機会は完全になくなった。
 自分はそうはなるまいと、アレクスは努めて軌道修正した。

 趣味に打ち込んだり、余った時間は市営図書館でやり過ごしたり。できるだけ遅くまでシフトを入れていれば、家族とはちあわずに済むので気楽だった。親の署名が必要な書類は当然ながら、でっち上げた。父の字を真似るくらいはわけがなかった。それから、家に帰りたくない日に訪ねる友人は、以前よりも慎重に選ぶようになった。
 その頃には既に父の酒癖は悪化して、パートすら続かなくなっていた。それまでなんとか家を支えていた母もついに嫌気がさしたと吐き捨てて、姉を連れて出て行った。

 見捨てられた。
 アレクスがそう感じたのも、当然の流れだった。肉親ですらこれだから、他人にはなおさら期待しない。
 だというのにあのカウンセラーだけは、どんなに忙しそうにしていても必ず声をかけてくれたし、対話する時間を取ってくれた。背が低くて肥え気味な冴えない印象の眼鏡男で、禿げた頭を撫でながらのんびり喋る癖があった。

『人には心を休める術が必要だよ。それがあれば案外、この世は捨てたもんじゃないって思える。君に足りないのは、好きなものを探す努力と時間――それを自分で自分に課すことだ』

 勧められた通りにしてみたら、本当に色々とマシになった。
 高校(ハイスクール)を無事に卒業できたのは、そのカウンセラーのおかげだったといっても過言ではない。後に働く場所を求めてさまよっても、行く先々で程よい人間関係を築くことができたものだ。他人に期待しすぎず、失望しすぎず、それなりのいなし方もおぼえた。

『趣味でもいいし、安らげる相手でもいい。子供は甘えられる大人が必要で、大人にだって拠り所が必要なんだ。君の家にそれがなかったのは残念だけど、どうか腐らずに今後も頑張ってほしい』
『あんたにもらったもんを無駄にしない程度には頑張るよ』
『あはは、気楽にな。頑張って生きてるだけでえらいんだよ。君は本当は、美しいものを探すのが好きなんだろう?』
『うるせえ』

 美しいものを探して、画像に納めるのが密かに好きだった。
 飾りたいわけでも見せびらかしたいわけでもなくて、手元に仕舞ってあるという事実が、いつも支えになっていた。人との関係は流動するものだが、美しい瞬間は永遠だ。

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