7. b.
2026 / 02 / 20 ( Fri ) 逃げ道を残さないように連絡先は置いていかなかった。少しでも縁を繋いだままでは、甘えてしまいそうだったからだ。 せめて使っている香水のブランドを確認しておけばよかった。けれど、孤独を紛らわせようとあの香りを再現する自分を想像したら、あまりにも滑稽で、余計に虚しくなる。 重荷になりたくないから出て行った。いずれ疎んじられたり、拒絶されるようなことがあれば、それこそ絶対に立ち直れない予感があった。 だから朝、除雪車が役目を終えたばかりの時刻に静かに私物をまとめて、短い置手紙を書いてから、レンタカーを手配して此処への道を調べてきた。 ひとつだけ、家を出る際に無断で拝借してしまったものがある。返せる日が来るかはわからない。 ハンドバッグの中に、目の前の灯台を写した一枚の写真が大切に仕舞われている。これは、ひとりの生活に戻った時のお守りのつもりで持ってきてしまっていた。シェリーがカメラを所有していたなら今撮ることも可能だったかもしれないが、無いものは仕方がない。 ここ数日の間に受け取ったものがあれば、前に進める気がした。何となしにかけられた励ましの言葉や、色々な形で受けた親切を思い出して、きっと今後も生きていけるはずだ。 (なんて、ね……本当はそんなものだけで満足できる気がしないよ) 未練がましくて嫌になる。訪問したことも、こうして去ることも、自由意志をもって選択したはずなのに。どうしてこんなにドロドロとした気持ちにならねばならないのか。 声に出して泣いていた。ウールの手袋で涙を拭い、ティッシュで鼻水を拭いて、それでもこみ上がるものを止められない。濡れた頬がますます冷えて、堪らない。 ひとりでダラダラ生きていると言った。今日から彼はまた、適当な食生活を続けていくのだろうか。心配でしょうがない。昔も今も、十分な食事をしているように思えなかった。シェリーは冷蔵庫に残したままの生肉を思い、肌を重ねた時に触れたアバラの感触を思った。 ぐしゃぐしゃの顔になってから十五分経ったのか、はたまた一時間近くだったのか。わからない。空を仰いで湯気のような息を吐く。 音が、新雪に吸い込まれていく。 目を閉じて、静けさに聞き入った。街の雑音に囲まれて感じる孤独よりも、静寂の中の孤独の方が、安らぎを伴うようだった。 皮膚から体温が逃げていくのが、不思議と苦ではなかった。このまま意識を手放すのも悪くない――。 またしばらくすると、瞑想に近い状態の精神模様に、不協和音が割り込んできた。明らかに人工的な騒音。おそらくはエンジン音が近付いている。 (平日に訪れる人がいるんだ。そういえば管理者って居るのかな、文化財保護団体の) 目を瞑ったまま、シェリーは大きく息を吸い込んだ。冷えすぎて思考力が低下している。他の人が来たなら逆に自身は車内に戻った方がいいか、とぼんやり考える―― カードアが閉まる音がやたらうるさかった。というよりかは乱暴だった。 足音が近付いてくる。 さすがに危機感を抱いて、シェリーは目を開いた。駐車場は背後にある。不審者っぽかったら、レンタカーへと一直線に駆け出そう。大仰な動きをしないように注意して振り返り、視線を送る。 そして仰天した。 「な、なんで? どうしてこんなところに居るの?」 恋しさのあまり、ついに幻覚を作り出してしまったのか。あの深い緑色のトレンチコートを着て、ポケットに両手を突っ込んだ長身の男が、ずかずかと歩み寄る。フードが風を拾って、脱げてしまう。 |
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