1-2. d
2018 / 03 / 26 ( Mon )
(ひらがなが読めないのかな)
 珍しいこともあったものだ。通常ひらがなからカタカナへ、果ては漢字へと順に教えられるものではないか。彼の家庭事情を気遣って、唯美子は訊ねることができなかった。
(それに漢字も。意味はわかってたみたいだけど、音読みですらなかったような)
 流暢な日本語を話しているのに、外国の子だろうか。謎だらけだ。

(既読ついちゃったから、返事書かないと)
 大丈夫でs――まで入力したところで、視界が急にぼやけた。
 両耳と鼻にかかっていた圧が消えた、つまり眼鏡を取られたのだ。
「こら、なにするの。返して」
 取り返そうとするも、子供は絶妙に上体を捻って、唯美子の手の届く範囲から逃れた。

「ゆみは『いく』気なんだな」
「うん? もともと約束を取り付けたのはこっちからだよ?」
 というより、たったあれだけの文面でこの子は、自分がどこへ行くと思ったのだろう。
「よくしらないやつとふたりきりで会うんだろ」
 ずばり、言い当てられた。
「それを言うならまったく記憶にないきみとふたりきりで晩御飯を食べたけど」
「おいらはいーんだよ。そいつは、ダメだ」
 ぎくりとした。

 冷たい、声だった。幼児にこんな声音が出せるものかと思わずたじろいだほどだ。黒い視線も、同様に冷たい。どんな感情で「ダメ」と言われているのか、唯美子にはわからなかった。
 その双眸を見つめ返していたら、瞳の奥が光ったようだった。視界がぼやけているのに、それだけがはっきりとわかった。

「あ、あのミズチくん、眼鏡返して。それがないとわたし、家の中でもすっころんじゃうの」
 威圧に負けて、目を逸らした。その間にどうやら少年は眼鏡を自分でかけてみたらしい。
「うぅわ……わざわざこんなもん使って……あたまいたくなんねーの? 多少みえなくたって、しにゃしねーだろ」

「死ななくても生活しづらいんだよ。特に現代はね、視覚情報に大いに偏ってるの」
 あくまで個人的見解ではあるが。
「ふーん。まあいいや」――慣れない手つきで彼は眼鏡をあるべき場所に戻してくれたので、視界がクリアになった――「おまえがそのつもりなら、こっちにも考えがあるぜ」
 唐突に話も戻った。

 思えばどうして、会って間もない子供に自分の明日の予定を語らなければならないのだろう。むっと眉をいからせ、目と鼻の先の彼を睥睨する。
 視線を交えたまま少年は赤い舌をちろちろと、歯の間から出入りさせる。何気ない動作はまるで無意識の癖のように、自然と繰り出された。

「きみには、関係ないんじゃ、ないかな」
「そう、かも、な」
 彼はわざとらしくゆっくりと答えた。そして身をひるがえし、窓に向かっていった。
「ま、まって。ききたいことがまだたくさんあるよ」
 半ば衝動で引き留めた。

「たとえば」
「どうやってわたしの住んでるアパートを見つけ出したの……とか」
 最初に会ったあの浜辺は別の県にある。連絡先を交換したわけでもないのに再び会えた、この事実はどう考えても普通ではなかった。
 ぶうん、と羽音がした。
 一対の大きなトンボが少年の肩にとまる。いつか見たのと同じ、青と茶色の二匹だ。

「そりゃー鉄紺と栗皮にさがしてもらったにきまってるだろ。こいつらな、特定の気配ってゆーか、魂の痕跡を追跡できるんだぜ」
 虫を指さしながら、また当たり前のように小難しい話をしている。
 そう思ったが、次いでミズチは窓枠に片足をかけて「こんせきをついせき……せきせき……なんかへんな響きだな。これであってるんかな」と自信なさげに呟いた。受け売りだろうか、どこまでうのみにしていいものかわからない。

「とにかく明日はきをつけとけよ。じゃ」
「えっ」
 ――危ない!
 急いで窓辺まで駆け寄り、外を見回した。暗がりの中で、怪我にうずくまる子供の姿を探し求める。

 だが、そこには何もなかった。いくら目を凝らそうとも――
 街灯の照らす地上には人どころか小さな影のひとつも浮かび上がらない。

     *

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07:55:56 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-2. c
2018 / 03 / 22 ( Thu )
 その箸の持ち方がまた独特だった。上と下を先端から開閉する動きではなく、クロスさせた二本の隙間を縮めることでものを挟んでいる。それも、左利きで。

「スプーンの方がよかったかな」
 不慣れなものを使わせてしまったかと気を遣う唯美子に対し、ミズチは「んー」とだけ返事をしてお椀を片手で持ち上げた。
 ものすごい勢いでかき込んでいる。よほど美味いかよほど不味いかのどちらかだと予想し、身震いした。

「煮物ね、ダシ入れ忘れて後で気付いてつけたしたの。ちょっと味薄めかも……大丈夫? まずくない?」
「うまいよ。たぶん」
 無頓着そうに彼は応じる。

(たぶんってどういう意味だろ。そんなに微妙だったかな)
 これには、ちょっと傷ついた。というのも、唯美子の料理は必ずどこかでなにかが抜けている、とよく評されるからだ。気を付けているつもりなのだが、たとえレシピ通りに作っていても何かを入れ忘れるなり下ごしらえの手順を飛ばすなりしてしまう。

「でも肉たりない」
「ごめんね。今週高かったから、少なめでいいかーって」
 見ず知らずの彼の要望を考慮して献立を組んでいるわけではないのに、つい謝った。
「ふーん。くえるときにくっとけよ、倒れっぞ。ただでさえほそっこいのに」
「う、うん」

 それきり少年は黙り込んだので、テレビの声だけを供に、唯美子も食事を済ませた。
 洗い物をしている間、ミズチは険しい表情でテレビを睨んでいた。殺人事件に関係がありそうな、どんな情報でもいいから連絡してほしいという視聴者への呼びかけで、報道はひと段落した。

「ねえ、きみの服……」
 居間に戻るなり唯美子は質問しかけた。
「これか。童水干っていうらしいな。たぬきやろーに、面白がってきせられた」
 ミズチは腕をばたつかせ、長い袖をうっとうしそうにみやる。

「えっと、その『狸野郎』さんは、きみの保護者なのかな」
「ちっげーよ。やどぬしだ。天気がわるいときに泊めてもらってるてーどの仲だよ」
 宿主、と唯美子は口の中で単語を反芻した。
「天気が悪い時だけ?」

「晴れてるんなら、公園でねりゃいーだろ」
「あはは……」
 やはりこの子供はおかしい。言動に、言葉選びに一貫して不自然さがにじみ出ている。補導されずに幼児が公園で夜を明かせるはずがあろうか。

 おかしいのは言動だけではない――
 唯美子がおかっぱ頭だったのは小学校低学年までだ。後にツインテールに移り、ストレートセミロングや、何を血迷ったのか姫カットを試したこともあったが、最終的にボブに落ち着いた。それから会社勤めを始めてちょっと経つ頃、パーマに興味を持つようになったのである。

 要するにミズチは小学校低学年までの唯美子を知っていると主張しているのだ。
 少ない想像力を総動員して、考え込む。

(肉体の成長が止まった病気……ううん、それならわたし、どうしてこの子をおぼえてないんだろう。おばあちゃんからわたしの話を聞いて、思い出を捏造した、とか……?)
 可能性としては後者の方が比較的苦しくない、気がする。
 問い質すつもりで少年を見つめた。

 その時、座布団に放置していたスマホが軽快な電子音を発した。チャットアプリからの通知だ。
 内容を確かめようとして手を伸ばすと、ミズチが先に素早くかっさらっていった。眼前までスクリーンを寄せて、眉間にしわを刻んでいる。

「めん、る、ぎょう……なんだこれ」
「え、そんな暗号めいた文章を誰かが送ってきたの」
「わかった! 『あした』『いく』か」
 少年がドヤ顔でスマートフォンを渡してくる。文面をみなまで確かめると、正確な内容は――

『こんばんは、明日まだ行けそう?』
 ――だった。
 不思議とミズチは、漢字部分しか読もうとしなかったのである。

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02:26:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-2. b
2018 / 03 / 19 ( Mon )
「どこって、窓あいてんじゃん」
 少年は悪びれずに親指で背後をさす。そういえば居間の窓は網戸がなく、全開だ。十歳以下の子供の小さな体躯であれば余裕で通れる幅である。
 問題はそこではなかった。

「あの、ここ、三階だよ」
「三階だな」
 言わんとしていることが伝わらなかったらしい。我が物顔でちゃぶ台の前にちょこんと座った少年に向かって、唯美子はいま一度問う。

「梯子なんて出してなかったよね。どうやって上がってきたの」
「ベランダ伝えばらくしょーだし」
 少年は鼻で笑った。果たして彼が言うほど楽にできることなのか首を傾げざるをえないが、自信満々に言うので、そういうことにしておいた。

(押し入りの常習犯……? にしてはなんか……)
 金目のものを探している風ではない。けれど子供の姿で相手を油断させて、実は大人の共犯者がいたりするのかもしれない。この物騒な世の中だ、どこに危険が潜んでいるのか誰にもわからない――

 黒い双眸が丼をじっと睨んでいた。
 まるで初めて出会う料理を前にした時のように、唇に指をあてて何かしら考え込んでいる。ついにはちゃぶ台のふちを両手でつかみ、丼に鼻を寄せてひくつかせた。微かに立ち上る湯気を嗅いでいるようだ。
 もしかして、と声をかけた。

「きみ、おなかすいてるの」
「んにゃ別に」
 即答すぎてかえって疑わしくなる。
「意地張らないで正直に言ってもいいんだよ」
「ほんとだって。はらへってねーけど、それ、どんな味すんのかなって気になってるだけ」

「じゃあ食べてみる?」
 唯美子が提案した途端、その子はわかりやすく顔を輝かせた。
 無邪気そうな表情だった。一緒になってはにかんでしまう。
 正体が物乞いでも押し入りでもいい、少なくともこの瞬間では、無害な児童にしか見えなかった。

(まあいいよねこれくらい)
 独身生活を寂しいともつまらないとも思ったことはないが、誰かと食事ができるなら、それに越したことはないのである。
 立ち上がりかけて、唯美子はぎょっとした。視界の端で少年が、丼に右手を突っ込もうとしている。

「ちょっと! お行儀悪いよ! きみの分の食器いま持ってくるから」
 慌てて叱りつけると、不服そうな顔が返ってきた。
「そういえばそんなもんがあるんだったな。ニンゲンはめんどくせえなあ。それにギョーギってなんだ。ギョーザ?」
「お・ぎょ・う・ぎ。作法や礼儀のことだよ」

「れーぎ、ね。わかった」
 わかってくれたか、とひと安心して踵を返す。まったくこの子の親はどういうしつけをしている――考えかけて、そういえば「親なんていたことない」と主張していたのを思い出す。言葉通りではなく、親と思えるような人間がいなかった、の意味だろうか。

 さすがにこの歳で保護者がいないのはありえないはずだ。
 唯美子は丼と同じように盛ったお碗と箸を手に戻り、まじまじと少年を見下ろす。太っていなければ痩せすぎてもいない、十分に健康そうな肉付き具合である。
 身なりも、汚いという印象はない。むしろ服はきれいだ。
 ――なぜか今日は、浴衣ではなく時代劇みたいな和装をしているが。

(七五三……違うか。平安時代の衣装っぽい)
 陰陽師映画にでも出られそうな感じだ。撮影会か何かから逃げ出したのだろうか。
「えっと――」とりあえず声をかけようとして、なんて呼べばいいのかわからないのだと気付く。「きみ、お名前なんていうの」
 奇妙な間があった。少年はじっとこちらの表情を窺っているような目をしている。

「おいらは、みずちだよ」
「ミズチくん?」
 いざ口にしてみると、聞き覚えのある音の羅列のように思えた。神話か民話の化け物だった気がするが、そういったものよりももっと身近に感じる。

「べつにそれ名前じゃねーけど」
「え? 違うの?」
「厳密にはちがうけど、まあいちばんわかりやすいから。よんでいーよ」
 まるで話題に興味を失くしたみたいに、ミズチと名乗った少年は箸を手にした。

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05:35:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-2. a
2018 / 03 / 16 ( Fri )
『先日、〇〇市〇〇区にて女性の刺殺体が発見された件についての続報です』
 フライパンで野菜を炒めていた唯美子は、物騒なニュースに反応し、箸を動かす手を止めた。
 しかし換気扇がうるさい。
 これでは続きが聴き取れない。一旦火を弱めて箸を置き、居間のテレビの音量を上げに行った。

『去年十一月に〇〇県でも女性が発見された事件や一昨年の〇〇県での事件との関連性が懸念されており――』
 ちゃぶ台に積み重なっていた新聞の下を探る。ほどなくリモコンを発掘することに成功し、「音量を上げる」ボタンを連打した。
 満足した唯美子は、キッチンに戻って夕飯の支度を終えた。

『手口や発見場所が違ったものの、いずれの事件でも死体から内臓がごっそりなくなっている点が共通しており、犯人はまだ捕まっておらず――』
 丼にごはんを盛り、その上におかずを仕分けてのせる。いただきます、と軽く手を合わせてから食事に至った。

 作ったばかりの炒め物に残り物の煮物、某市場で買った佃煮で、三品。独り暮らしにしては頑張った方の日であろう(ちなみにこの盛り方は使用する皿の数を、すなわち洗い物を減らすためである)。頑張らない日には主に冷蔵庫にあるもので煮込みうどんを作って済ませている。

 海での短い休息から数日経って、木曜日になっていた。後一日働けば週末だ。
 夢中遊行――と呼んでいいのかはわからない――はあれきり発生していない。
 真希に相談した時には検査してもらった方がいいと騒がれたものの、気が進まないので、様子見になっている。二度目があったら受診するつもりだ。

(あの時の真希ちゃん面白かったな)
 野菜を咀嚼しながら、くすりと思い出し笑いをする。
 皆のあこがれの的である男性に助けられた挙句、夜道を二人で歩いたのだ。こちらに感謝以上の感情がなくとも、事の顛末を聞いた真希が羨ましがったのも仕方がないだろう。

『――県警はこれまでに捜索願が出ている女性のリストを改めて検証しているそうです。その辺り、先生はどうお考えですか』
 丼から顔を上げると、いつしか画面が切り替わっていた。中年の男女が向かい合って座っている。犯罪心理学の専門家だという男性が、犯人像について語るようだ。
 唯美子は論議に注目した。怖いが、つい気になってしまう。

『こういった連続的犯行に及ぶ人間は、被害者を選ぶに用いるパターンと言いましょうか、好みがあるものでしてね』
 彼らは深刻そうに声を潜め、それでいて、アナウンサー特有のハキハキとした語調を崩さない。
 思わず箸を置いて見入ってしまう。

『でもこれまで見つかっている三件の被害者は服装や髪型もバラバラだったんですよね?』
『ええ、そこが問題ですね。現状、共通しているのは全員が若い女性だという点だけで、犯人がどうやって次の犠牲者を選んでいるかはほとんど見当がついていません』
 また画面が切り替わった。これまで発見された女性たちの顔写真と短い紹介が並べられる。
 左から順に――ぽっちゃり気味の穏やかな表情をした主婦、化粧の濃い短髪の女子高生、無表情で巻き毛のボブを茶色に染めた大学生。
 なるほど、共通点は見当たらない。

「へー、ころされたヤツら、こんなんだったんか。みぎ端っこの女、ゆみに似てるな。髪色ちがうけど」
 突然。実に、突然だった。
 ひとりだけの空間に、他者の声が響いたのは。しかも耳元で。
「!?」
 驚いて唯美子は膝をちゃぶ台の裏にぶつけた。痛みにしばらく動けずにいると、声の主は構わずに話し続けた。

「なあ、まえは黒髪おかっぱだったよな。なんでいまはワカメみたいな頭になってるん」
「……これはパーマです! デジタルパーマ! ワカメ言わないで」
 いつか浜辺で遭遇した少年に向かって、抗議した。
「デジタルってなんだよ、サイバー空間でやってもらってんの? ちょっとはなれてたあいだに日本もすすんだなー」
 つぶらな瞳が好奇心旺盛に見つめてくる。

「ちが――ううん、なんでデジタルって呼ぶのか、わたしにもわかんないけど。そんなことよりきみ、どこから入ってきたの!?」


すでにストックが底つきそうだけど気にしないよ…

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04:40:12 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-1. f
2018 / 03 / 13 ( Tue )
「うぇ、まっず。やっぱ塩水まっずいなー、こんなとこにすむ奴らの気が知れねー」
 助けてくれた人物は背を丸めて唾を吐き出している。すぐに気を取り直したように、唯美子の傍に来た。
「おい、しっかりしろ」

 頬を叩かれた。顎に響くほどの衝撃で、麻痺していた皮膚に活気が戻るようだった。
 お礼が言いたいのに、返事をしているつもりなのに、喉からは呻き声しか出ていなかった。
 震える腕をふらふらと伸ばした。受け止めてくれた手は力強く、ほんのりと温かい。

「あーあ。全っ然、克服できてねーじゃん」
 吐息のように微かな呆れ笑い。小馬鹿にしたような言動の向こうに、確かな心遣いがあった。その話し方に、既視感をおぼえる。

(だれ?)
 月からの逆光で相手の姿はよく見えない。
 疑問の答えに辿り着ける前に、男性がいきなり黙り込んだ。かと思えば鋭く舌打ちをした。
「いまみつかるのは得策じゃねー……またあとでな、ゆみ」
 あっという間に気配が消えた。
(まって、いっちゃ、やだ)
 取り残された唯美子は、わけもわからずに猛烈な寂しさをおぼえていた。


 短い間、気を失っていたらしい。
 頭痛にめまい、更にぐわんぐわんと頭の中でおかしな音が鳴っていたところで再び目が覚めた。

「大丈夫かい」
 瞬く度に、視界の角度がわずかに変わった。誰かにそっと抱き起こされたようだ。
 至近距離から覗き込む端正な顔には見覚えがあった。ウェットスーツに身を包んだ彼は会社の経理課の先輩、その名も。

「うすい……さん?」
 よかった、と彼は安堵のため息をこぼした。
「曇ってたけど諦めきれなくて、波の様子だけでも見てみようと思って出て来たんだ。よかったよ。たまたま僕が通りかからなかったら、どうなってたことか。きみはひとりで何をしてたんだい」
「わかりません……目が覚めたら海の中で……あの、あなたがわたしを助けてくれたんですか」

「間に合ってよかった」
 どうも会話がかみ合わない。かみ合わないと言えば、陸に上がった前後のあやふやな記憶と現状に齟齬を感じていた。
 目の前の彼とは別の声が耳の奥に残っている。もっと言葉遣いや声音が荒い感じだった気がするが、頭が痛くて考えがまとまらなかった。

 ――助かった。あの黒い海から生還した。今は、それしか考えられない。
「本当によかったです」
 泣いているのをさとられないため、顔をそむける。すると視線の先、つまり脇腹に逞しい手があった。狼狽した。一旦意識してしまえば、そこの感覚のみが何倍にも拡張されてしまう。
 察した笛吹がパッと手を放した。

「失礼。必死だったもので」
「い、いいえ」
「戻ろうか。立てそうかい」
「平気です、ありがとうございます」
 これ以上世話になるのも悪いと、よろめきながらも自力で立ち上がった。
 先導する背中をぼんやりと見つめる。ウェットスーツが濡れていないように見えるけれど、そんなはずはない。見間違いだろう。

(あんなに手が冷たかったんだもの)
 無意識に脇腹をさすった。まだ感触が残っている気がして、頬が熱くなった。
 訊いてしまえば早い。が、とにかく宿に戻って風呂に入りたい唯美子は、他のことは後回しでいいと判断した。笛吹だって一刻も早く温まりたいに違いない。
 はやる気持ちに応じて、砂を蹴る素足に力を入れた。





ここまでで一話でした。いかがでしょうか。わかりやすい謎と、わかりにくい謎を混ぜたつもりです。次話から大きな動きがあります…たぶんw

ゆみこ:割とのんびり屋&マイペース
???:割とフリーダム&神出鬼没

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00:17:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-1. e
2018 / 03 / 10 ( Sat )
「うそっ、うみ!?」
 激しい焦りが急速に全身を巡る。
 夢遊を経験するのは人生で初めてだ。この点だけでも十分に動揺しているのに、行き着いた場所が場所である。

 唯美子はたちまちパニックに取りつかれた。
 慌てて背後を振り返った。
 視覚が頼りない。コンタクトを入れていなければ眼鏡もかけていないからだ。
 光明を見出そうと、とにかく必死に目を凝らした。

 遠いが、疎らに光が灯っているように見える。あちら側に岸があるのは間違いない。
 そうとわかれば――
 安全圏へ進もうとして、足が滑った。波にさらわれたのである。

 喉から飛び出た悲鳴は、黒い海に呑みこまれた。
 皮膚を揉む感触は冷酷で。まだ足が付くような浅い地点であったにも関わらず、唯美子は必要以上に手足を暴れさせてしまった。

(いや! いや、誰か助けて!)
 鼻や口や耳や目が浸食されている。冷たい。怖い。
 なんとか頭を水の上に出すが、視界はますます悪くなっていた。光を反射する水泡がとけてなくなる度に、果てしない黒に取り巻かれるみたいだ。

「だっ、だれか……!」
 必死に出した声はか細く、あっさりと風にかき消されてしまった。
 次いで、むせた。しょっぱい味が不快だ。
 ――ここはどこ。
 岸は近付いたのか、それとも遠ざかったのだろうか。近くに船はないのか。

 ――誰か。見つけてくれる誰かは、いないの!
 寒い。激しい波に翻弄される。泳ごうともがいたが、濡れた衣服が絡みついて、手足の疲労は早かった。
(落ち着いて、落ち着かなきゃ。平泳ぎってどうやるんだっけ)
 波に揺らされるほどに平衡感覚が失われていった。こうなっては浮力も何の役に立ちやしない。

(やだ。おぼれるのだけは――)
 いやいやをするように頭を振る。水中では嗚咽すら満足にできなくて、ただただ苦しい。
 行き場のない恐怖が胃の奥に固まった。
「が、は……だ……」
 空気を飲み込めるタイミングが、間隔が次第に長くなっていった。
 酸素が足りない。意識が途切れそうになる。

『めんどーな目に遭うぞ』
 こういう時に、どうしてか頭に浮かぶのはあの子供の警告だった。
(面倒どころじゃないよっ……!」
 肺が痛い。耳も目も。
 二十代で死にゆく自分を、かわいそうに思う余裕はなかった。走馬灯を見る時間も――

 ――突如、腹部と膝周りが圧迫された。
 ごぼぼ、と吐かされた息が泡になる。
 瞑っていた目を開けても、暗くて何も見えない。
 巻き付いた何かが、唯美子の体を運ぼうとしているらしかった。手探りでそれに触れてみる。
 滑らかな触り心地ながら、微かにでこぼことした表面。

(うろこ……へび? 蛇はちょっと、もうしわけないけどおことわりしたいな……)
 南米のアナコンダならいざ知らず、日本の海にこうまで太い蛇がいるはずがなかった。きっと錯乱している。錯乱ついでに、抗う力が沸かずにぐったりとされるがままになった。

 じきに、水の呪縛から解き放たれた。
 気が付けば仰向けに倒れていた。背に当たる大地の確固たる手ごたえが、いまだかつてないほどに愛しい。
 砂を手で握りしめながら泣き笑いした。この瞬間に我が身に広がった安心感を、今後も忘れることはないだろう。

 やがて、はっきりしない視界の中に何者かの輪郭が浮かび上がる。肩幅の広さからして成人男性――浜へいともたやすく唯美子を引き上げてくれたのだ、男性の腕力でこそ可能といえよう。
 腕力――お腹と膝を抱いていたあれは、人の腕だったのだ。そう、無理やり自分に言い聞かせた。

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1-1. d
2018 / 03 / 07 ( Wed )
(さすがまきちゃん)
 真希は男性陣と自然な会話を続け、間が開けば誰かに話を振っていた。残る二人の女性にも自己アピールする機会を差し挟んだり、空いたグラスにビールをテキパキと注いでいくなど、気配りにも余念がない。

 媚びた印象がしないのが、すごい。
 これを「出しゃばってる」と評する女子もいるだろうけれど、唯美子には感心しかなかった。
 ちなみに会話の内容はというと、男性側が自身の趣味を語り終えたところだった。

「きゃー! 笛吹《うすい》さんってサーフィンやってるんですか? 今日見せてくれればよかったのにぃ」
 眼鏡をかけた同期の山本女史がやや大げさにリアクションをした。普段よりも、頑張って明るく話しているのがわかる。

「夏は日中混んでて思うように楽しめないかな。だから僕は最近、ナイトサーフィンにはまってるんだ」
 男性陣の中で抜きんでて顔立ちが整っている二十代後半の彼は、名を笛吹秀明という。鋭そうなタイプのイケメンだが、笑うと目元が柔らかくなって、こちらの好感を誘う。

 雑誌のモデルが務まりそうなスラッとした長身、均整のとれた体格。スポーツで汗を流している姿がよく似合う彼は、一方で社内でも周囲の信頼が厚く、仕事ができる男として知られている。
 どうやら真希は彼を狙っているらしかった。

(美男美女で、お似合いだよね)
 のんびりと缶ビールを啜りながら、唯美子は蚊帳の外から見守る。もともと奇数の集まりで自分の居場所はないし、真希のついでに来ただけだ。引き立て役として連れてこられたのだと指摘されようと、これといった反論はない。

「夜のサーフィン!? うそー、超ステキ! 見にきちゃだめですか?」
「どうかな。今夜は曇りそうだから、難しいね。ここの浜辺は夜は灯りが少なくて、月光に頼らないといけないんだ」
 笛吹は嫌味のないジェスチャーを添えてしゃべった。そこに、黒髪をロングボブにした田嶋女史がうっとりと言う。

「月明かりのサーファー、いいですねえ」
「ありがとう。やってみるかい」
「初めてが夜って危なくないですか? 私、そんなに運動神経よくないですよぉ……でも先輩が教えてくださるなら安心かな」
 田嶋女史が上目づかいに言葉を紡ぐ。この流れで二人は約束を取り付けるかのように思えた、が。

「笛吹さんって現在フリーなんですよね。めちゃくちゃモテそうなのに、信じられないわ。あ、ビールもっとどうぞ」
 横から真希がさりげなく割り込んだ。笛吹の腕にそっと触れるなど、ボディタッチも抜かりない。
 ありがとう、と彼は満杯になったビールを嬉しそうに受け取る。

「買いかぶりだよ。僕はこれでも女性にはうるさいんだ。深入りすれば、いつも相手の方から逃げちゃうんだよね」
「お前そういや誰とも長続きしないよな」
 笛吹の隣の男性が肘でつついた。正直、名前はおぼえていない。

「そうなんですか? じゃあ試しに、理想のタイプがどんなか、教えてくださいよ」
「大して面白い答えは持ってないんだけどね」
「そんなこと言わずに、お願い! 条件がものすごく多いんですか? それともニッチな……ハーモニカが吹けるとか、スパイスの香りがするとか?」
「あははは! 八乙女さんこそ、発想が面白いね」
 こんな風に、男性の羨望の眼差しを集めるイケメンと女性の嫉妬の視線を集める美女の言葉のキャッチボールはしばらく続いた。

 いつしか会話に飽きていた唯美子は、先ほどの子供のことを思い返したりと思考を別の場所へ浮遊させた。時折、ふと笛吹と目が合った気もしたが、適当に微笑を返して、気に留めなかった。
(月か……街が近いし、見えないかな?)
 後でおぼえていたら民宿の窓から探してみよう、とこっそり思うのだった。


 満月を見上げていた。
 予報通りに、夜空は曇っている。昼間よりも風が出ているのか、雲は速やかに形を変え続けていた。
 月が幾度となく見え隠れした。その都度、表情を変えたようである。とてもではないが、街の灯りとは比べるべくもなく、心を惹き付けるものがある。

 冷たい感触が太ももを撫でる。
 首を下に動かし、深い闇を見つめた。その濃さは重い質感を伴っているようで、水面に踊る月光とはあまりに対照的だ。

(あ、パジャマ濡れちゃう……)
 潮水が勢いを増して戻ってきた。膝丈のボトムスの柔らかい布が水を吸って、肌にくっつく。
 それから意識が明晰になり、ここが海の中だと気付くまでに、数秒かかった。
 ――海。

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1-1. c
2018 / 03 / 04 ( Sun )
「知ってるっつーか、まあ、うん。仲良くはなかったけど。いちおう、報せを受けたから」
 少年は頬をかいてぶっきらぼうに答えた。
(そっか、ひよりおばあちゃんのお友達だったのかな)

 祖母は県内に、それも車で三十分という、頻繁に会いに行ける距離に住んでいた。週に何回か会っていたが、この子が話題に挙がったことはなかった。祖母はあまり写真を飾るような人ではなかったし、日記の類も目にしたことがない。二人に縁があったかどうかなど、どちらとも判断がつかない。しかしそうであれば彼が唯美子を知っているのもうなずける。

(おばあちゃん……教えてくれればいいのに)
 どんなに仲が良かったつもりでも、誰かが持つすべての顔を知ることはできないのかもしれない。もっと話せばよかった、もっと会いに行けばよかった。こみ上げる後悔に、ぐらりと視界が歪んだ。

「だいじょうぶか、ゆみ」
 ぺたり。今度は頬に小さな手の感触がした。柔らかくて、ほんのりと温かい。
「うん、気遣いありがとう」
「ちげーよ。そういう話じゃない」

 否定する声は険しい。びっくりして少年を見下ろす。
 赤い舌が一瞬、歯の間からちろりと出入りした。
 ――まただ。また刹那の間に、少年の両目に黄色い環《わ》が浮かんだように見えた。

「いいか、ゆみ。ひよりはおまえをまもるための『不可視の術』をかけてたんだ。いわゆる、まじないってやつ。けど術者が死んだ時から、効力が徐々に弱まってる」
 突拍子のない話に、呆気に取られた。「術」や「呪い」と言われても思い当たる節がない。
 子供のごっこ遊びかと思って笑い飛ばそうにも、そんな雰囲気ではなかった。少年は難しい単語をさも当然のように扱ったし、表情や声音には大人びた深刻さがある。
 問い質すしかなかった。

「なに、言ってるの」
「要するにだな。これからおまえ、何かとめんどーな目に遭うぞって話」
「面倒な目……?」
 どういう意味、と訊き返そうとしたその時。浜から「おーい」と呼ばわる者がいた。見れば、社の同僚たちが浅瀬から引き揚げている。
 ふいに頬に触れていたぬくもりが消えた。

「なあ、ゆみ。みず恐怖症はもう克服できたか」
 浜辺の喧噪が一瞬だけ耳朶から遠ざかり、少年の声だけがやけに大きくきこえた。そしてやはり「ゆみ」の発音が独特だ。
 ――きみはそんなことまで知ってるの。

 口を開きかけて横を振り向いたら、そこには誰も居なかった。浴衣姿の男の子も、異様に大きいトンボも。
 人込みの中に視線を走らせる。ビーチチェアの下も思わず探った。
 まさか暑さにやられて幻覚を――否、妄想の産物にしてはディテールが凝りすぎていた。自分にはそこまでの想像力も独創性もない。

「今の子、知り合い?」
 水着姿で歩み寄ってきた真希の問いかけで、幻ではなかったと確信する。友人にも少年の姿が見えていたのだ。砂に目を凝らしてみれば、確かに子供サイズの下駄の跡があった。
「ううん」
「えー。迷子に絡まれてたのぉ」

「迷子じゃなかったけど……なんていうか、よくわかんない子だったよ」
 祖母の友達だったという可能性を話そうかどうか迷ったが、結局どう説明しても謎が増えるばかりな気がして、断念した。
「そう? みんなが、そろそろバーベキューの準備しようってさ。行こうよ」
「わかった」
 謎の子供の件をひとまず意識の隅に追いやって、唯美子はチェアから立ち上がった。

     *

 女性四人、男性三人という組み合わせで食卓を囲んでいた。女性陣は全員が事務員、年齢も二十代前半、とほとんどとスペックが似通っている。
 こう表現してしまえば野暮だが、顔のレベルは(唯美子含め)およそ平凡。唯一、都会暮らしが長かった八乙女《やおとめ》真希が例外的に垢ぬけている印象だ。
 ポニーテールを下ろして化粧を直した真希は、昼間の彼女以上に、華やかな空気をまとっている。

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1-1. b
2018 / 03 / 02 ( Fri )
 ぺたり。

「え、なに!?」
 突然触れたぬくみに飛び起きる。おそるおそる、デニムショーツから覗く膝に触れているものに焦点を定めた。
 小さな手、だった。

「みぃつけた」
 蛙柄の青い浴衣を着た溌溂《はつらつ》そうな子供が、死角からひょっこりと顔を出してきた。
 七か八歳くらいの、大きな目と小麦色の肌が特徴的な、東洋系の顔立ちをした男の子だ。子供にしては彫りが深く、どこか東南アジアっぽさを感じる。

 首元までの長さのボサボサの黒髪は毛先が不揃いで、左右のもみあげの部分だけがやたら長い。前髪も長いが、斜めに分け目があってなんとか目が隠れていなかった。
 トンボが子供の頭にとまった。少年は眼球をぐっと上に巡らせつつ虫たちに話しかける。

「鉄紺《てつこん》、栗皮《くりかわ》。ごくろーさん」
「きみのトンボなの? 大きいね」
 渋いネーミングだとこっそり思いながら、指さした。
「ん、こいつらはおいらの僕《しもべ》だよ」
 少年は得意げに笑った。上列の歯に中心から少しずれた箇所に隙間があって、愛嬌を感じる。

 そうなんだ、とつられて笑みを返した。
 この年頃の男の子だ、虫を僕と見立てて遊ぶのもうなずける。それにしてはトンボらが本当に従順そうに翅を畳んでいるのは気になるが。
「ねえぼく、お父さんとお母さんは?」
 辺りに保護者らしい人物が見当たらないので、訊ねてみた。

「お父さん、お母さんんん? んなもん、いたことねーよ。なに言ってんだ、ゆみ」
 男児は不可解なものを見るように眉を捻った。ごく自然な質問だったはずなのに、彼はなぜ声を裏返すのか。
 いや、そんなことよりも。独特なイントネーションだったが、もしや名を呼ばれたのではないかと耳を疑う。

「なんでわたしの名前を知ってるの」
「なんでっておまえなぁ」
 我が物顔で少年はチェアの上によじ登ってきた。探るようなまなざしで、じっと唯美子の瞳を覗き込んでくる。思わず見つめ返した。
 少年の双眸は濃い茶色だ。底知れぬ深みに、瞳孔が溶け込んでいるみたいな――

(茶色……だよね)
 瞬きの間にちらりと薄い色が見えた気がした。瞳孔を縁取る黄色だった。見間違いだろうか、次の瞬間には元に戻っていた。
「ははーん、何十年も前の話だから忘れてんのか」
 その言葉で我に返る。
 少年は得心したとばかりにニタリと笑っている。

「な、なんじゅうねん? わたし、まだ二十五歳だよ。それじゃあきみは何年生きてることになるの」
「五百年とちょっとかな」
 彼は一文字ずつ、大げさに唇を動かす。
 少年は砂の上に跳び降りると、なぜかくるくると側転をし出した。鮮やかな青い袖がはためいている。二匹の大トンボが、所在なさげに空を舞う。

 不思議な子供だ。おかしな嘘のことはともかく――話し方や間の取り方に子供離れした様子がある。気ままそうに見えて、自らの言動や挙動を意識している風だ。
 最近の子は皆こうだったかな、と甥や姪を思い浮かべて比べてみたが、どこか違和感があった。
 別の問いを投げかけてみる。

「ねえ、『みつけた』って言ってたよね。きみはわたしを探してたの?」
「そーだよ」
 即答だ。唯美子は続く言葉につまずいた。
「……どうして」
 すると少年は側転をやめた。
 振り返った顔は、可愛らしい蛙柄の浴衣とちぐはぐに、ひどく真剣である。

「ひよりが死んだんだろ」
 その声に悲しさはなく。静かな、労わりだけを含んでいた。
 唯美子は無意識にパーカーの裾を握る。
「おばあちゃんを知ってるの……?」
 正確には「知ってたの」だが、心の整理がついていないところもある。咄嗟に口から出てくるのは過去形ではなく現在進行形だった。


最初だったので二日連続更新しましたが、次からは3~4日に一度ペースになります。
よろしくお願いします(o*。_。)oペコッ

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00:02:32 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-1. a
2018 / 03 / 01 ( Thu )
 まどろみがじわじわと冷気に侵される感覚に――またこの夢だ、とぼんやり思った。
 大好きな祖母が亡くなってしばらく経ってから、繰り返し見るようになったものだ。

 風景は涙で滲んだようにおぼろげで、向かい合っているのが自分と歳の近い男児だというのがわかるだけである。
 なぜか夢の中の自分は悲しい。理由はわからないが、息苦しいほどに悲しくて、消えてしまいたい。

「なくなよ。おいらがゆみをまもるから」
 水音のような雑音が混じる中、そのセリフだけはちゃんと聴き取れる。涙に暮れる自分を、男の子は根気強く慰めてくれているのだ。
 やがて安心して、彼にうなずきを返す。

「うん。ありがと」
 少年の顔はぼやけて不明瞭だ。なんとなく懐かしく感じる声も、ひとたび目を覚ませばどんなものだったか思い出せなくなってしまう。
 けれど、温かい。
 握った彼の手がぬるま湯みたいにやさしかったのは、いつも起きてからも鮮明におぼえている。

     *

 耳元に響く虫の羽音にびくりと震えた。
 漆原《うるしばら》唯美子《ゆみこ》は眠気の抜けない頭をゆっくりと仰向ける。
 白いビーチパラソルの向こうでは、薄い雲に縁どられた太陽が輝いていた。

 七月半ばの今日は、風が弱く、ひたすらに暑い。傘の下から出たら、たちまち茹で上がってしまうことだろう。
 ビーチチェアの上で足を組み直し、唯美子はスマホの表示を確認した。まだ午後の三時を回ったばかりである。
 漏れ出すあくびを手で覆った。

(うたた寝でも、あの夢みるんだ)
 ここまで何度も見るとは意味深だ。夢という形の記憶の再現かもしれない。
 そうであれば、あの男の子は一体誰なのだろう。心当たりはまるでなかった。

(昔のアルバムを探せば出てくるかな? こんど、お母さんに頼んでみよう)
 あるいはこの夢は唯美子の秘めたる望み――守ってくれる幼なじみが欲しいとか――を映し出しているとも考えられるが、それこそ心当たりがない。

 まあいいか、と両肘を抱いて大きく伸びをした。
 浅瀬で会社の同僚たちが男女混合でビーチボールを飛ばし合っている。
 こちらの視線に気付くと、友人の真希がポニーテールを揺らしながら大きく手を振ってきた。

「ゆみこもおいでよー!」
「ごめん、むりー」
 声を張り上げて応じた。

 こんなにも暑い中、太陽の下を動き回る体力がないとか、もうしばらくくつろいでいたいというのも一因だが、唯美子は基本的に海に入らない。海に限らずとも、水深が身長を超えるのであれば河もプールも入りたくない。

 なにしろ泳げないのだ。基本動作は学校でちゃんと身に付けたのだが、過去に溺れて死にかけた体験があって、そのトラウマが脳裏に刻み付けられたのがいけない。
 浅瀬ならかろうじて入れなくもないが、気乗りしないのであった。

 真希もその辺りの事情を了解しているため、残念そうに眉を垂れ下げたものの、食い下がらなかった。
 ボンッ! と爽快な音を立ててビーチボールが天高く飛び上がる。

 楽しそうだな、と思う。交ざりたいとまでは思わない。元より唯美子は今日のイベント自体に乗り気ではなかった。
 こういった騒がしい場は得意ではない。休日は屋内で静かに過ごす方が好きなのだが、友人が「内陸県はつまらないわね! 経理課の先輩方を誘ってさ、海行きましょ、海!」と意気込んだので、気圧されてついてきた。

 男性陣とお近づきになりたいという明確な目的を持った真希と違って、唯美子は恋愛や婚活にそれほどやる気がない。入社二年目、彼氏いない歴、三年。周りの心配はともかく、現状ではおおむね独身生活に満足している。

(もっかい寝ようかな)
 ぐるんと横を向いてみた。
 ところが、妙な邪魔が入った。
 先ほどの虫がしつこく付きまとう。どれほど振り払おうとしても、戻ってくる。
 改めてよく見てみたら、それぞれ深い青と茶色の立派なトンボが二匹、寄り添うように飛んでいた。
 立派過ぎる。

 これでも田舎育ち田舎住まいだ、虫にはそれなりに耐性がある。が、手の平の大きさともなると、さすがに背筋がぞわっとした。
 ビーチチェアの上で精一杯、後退った。


久しぶりすぎて操作の仕方をやや忘れていた管理人は私です。

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03:13:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - f.
2017 / 12 / 01 ( Fri )
「おい! この状況で眠れるか、普通。とんでもないな」
 起き抜けに呆れた声が耳に入った。セリカは、寝ぼけ眼を瞬かせる。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃない。馬の上で寝るな、危ない。何度言えばわかる」

 初めて会った時と同様の風変わりな格好をしたエランが、責めるような目で振り返る。筒型の帽子やボタンの多い詰襟の黒いチュニック、半袖の羽織り物。ヌンディーク公国に多少は慣れてきた今だからこそわかる、この服装は特異なものだ。
 聞けば、ルシャンフ領の先住民族から贈られたものだという。動きやすくて楽だからと彼は宮殿の外ではこちらを好んで着るらしい。

「だって眠くなるのよ……。いいじゃない、一応つかまってたでしょ」
 手首を布で結び合わせるという、保険はかけてあった。セリカは馬の手綱を持ったエランの後ろに乗って、振り落されないようにその腰につかまっていた。
 荷物はあまり多くない。後ろを走る荷馬車に必需品を積んである。二人で先行したいと言い出したのはエランで、その為に身を軽くした。
 現在、馬は速歩(はやあし)で野を横切っていた。やや遅れて、タバンヌスも続いている。
 エランは大げさにため息を吐いた。

「それより、もうすぐ着く。上を見てみろ」
「うえ?」
 言われた通りに上空を振り仰ぐ。
 時を同じくして、清々しい風が吹き抜けた。春が夏と出会うまでもう少しと言ったところの、暖かい風が袖口を撫でる。

 呼吸を奪われた。そう感じるほどの絶景であった。
 抜けるような青空を見上げたのは、いつぶりだっただろうか。遠くでは、絹を思わせる柔らかそうな白雲が並んでいる。
「空に落ちたら飲み込まれそう」
 自分でも変な感想だと思う。深く息を吸い込んでみると、肺は優しい夏の香りに満たされていった。

「まだ驚くのは早い。下も見てみろ」
 セリカは首を戻した。
 若葉色の地平線が、群青を受け止める。大草原が視界を占領していった。
 際限なく美しい眺めだ。奥に向かってなだらかな丘陵が展開しており、そこまですっきりと見渡せるほどに、平地が広々としている。

 後ろを振り返っても同じだった。いつの間にか森が途切れていたのだ。まばらな常緑樹だけが残っている。
 進行方向には木という木の姿はほとんどなく、あるのは草花と――白くて丸い人工物。てっぺんだけが尖っている。

「あの円柱、何?」
 指を指すと、形は指の爪ほどの大きさもないように見えた。いかに遠くにあるかを実感する。
「移動式住居だ。ルシャンフ領の民は冬は山や谷の近くに定住するが、暖かい間は放牧しながら天幕に寝泊りする」
 なるほど目を凝らしてみれば、住居の影に羊が見えた気がした。

「あたしたちも?」
「当然」
「遊牧民って排外的だって聞いたけど」
 泊めてもらえるだろうか。近くで天幕を張ることすら嫌がられるのでは、との疑念を込めて指摘する。

「一概にそうとも言えない。まあ私は、受け入れてもらえるまでに色々とやらされたな」
 そう言った青年の横顔には、領主の余裕みたいなものが感じられた。果たして領民はどんな人たちなのだろう。
「色々って何よ」
「それは後で話そう。酒でも入れないと、語る気になれない」
「えー。どんだけ恥ずかしい思い出なのよ」
 エランは誤魔化すように笑って、取り合わない。馬の走行を調整しているようだ。

「駆けるぞ。ちゃんと掴まってろ」
「うん」
 限界までに密着した。首筋と髪に顔を近付けると、もはや慣れつつある香油の匂いがした。夫の、とても安心する匂いだ。
 のびやかな風が草花を揺らす。目の前で黄色い蝶が二匹、ひらひらと舞っていた。
 掛け声と共に、エランが馬の腹を蹴った。

 ――穏やかな昼下がりだった。
 そんな世界を、息苦しいほどの速さで駆け抜ける。
 景色が勢いよく通り過ぎていった。胸が高鳴る。この手応え、爽快、としか評せない。

 ――ああ、ほんとうだ。あたしの知らなかった「自由」がある。

 約束がひとつ果たされた。それゆえに、溢れんばかりの幸せに浸る。
 これからいくつ約束を繋ぎ、そして果たしていくのか――楽しみだ。
 咳き込んだ。空気の流れが速すぎて、肌から熱がさらわれている。余計なことを一切考えられなくなる。余計なことを取り除くと、後には鮮烈な想いが残った。

「エラン! ありがとう! すっごくたのしい!」
 叫んだ。唾が少量、風に乗って消えていく。
「よかった! けど、まだこれからだ! セリカを楽しませるのは私の役目で歓びだ!」
 わかっている。が、これ以上喋ったら舌を噛みそうだったので、相槌を打つのは断念した。

 ――わかってる。あたしたちは二人でひとつの魂だから。

 きっと二人でなら、悲しいこと辛いことは分かち合うことができて、そのぶん楽しい遊びは倍楽しくなること、間違いなしである。
 面白そうだ。面白い人生に、これからなりそうだ――。





<了>



ちょっとこれからホットヨガ行くのであとがきはまた後ほどにw

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21:19:10 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - e.
2017 / 11 / 30 ( Thu )
ここまで来ていまさら回れ右したい人がいるかは謎ですがw 
それなりにいちゃつきます。苦手な方はご注意ください。



「任せなさい」
 嫌なことがある分だけ、優しくしてあげよう。半年ばかり年下の夫を見下ろして、そう決意する。
 当人は気持ちよさそうに目を閉じている。
(幸せそうな顔しちゃって、もう)
 ――満たされる。
 この感覚は何だろうとセリカは不思議に思った。胸が膨らんだようだ。誰かが嬉しそうにしているのを、こうも感化されて喜んだのは初めてだ。

「なら私は、お前に何をしてやればいい」
「え。元気にしてくれれば、十分だけど」
「それ以外で頼む。もっと欲を出せ」
「だってねえ……遊び相手になって、はもう言ったし、構って、も言ったわよ。対等に接してくださいとか? あ」
 エランはぐりっと首を巡らせてこちらを見上げた。変な感じがした。できればあまり動かないでほしい。
 窮屈だったのかなと思って、手を放す。

「笛、また聞かせてほしいな」
「わかった。約束する。今は取り込んでいて無理だが」
 むくりと彼は上体を起こした。
 別に今じゃなくても、と言いかけたところでふいに唇を塞がれた。

(この男! 取り込んでるって、そういう意味)
 脳内で悪態をつけたのはそこまでだ。瞼を下ろすと気分が良かった。たとえるなら、まろやかなぬるま湯に浸かっている風だ。
 もっとこうしていたい。ところが、ほどなくして温もりが口元から離れた。名残惜しそうに目で追うと、今度は頬に、耳に、首筋に、肩に、胸元に、口付けが落とされる。

「……や」
 触れられた箇所が火照る。何かにしがみついていたかった。エランの左上腕を掴むと、ただでさえ緩かったローブがずれて、肩が露になる。色素の濃い点があった。
 セリカは謎の衝動に駆られて、はむっと唇を付けた。ぱくついて、世にいう甘噛みに転じる。なんとも満足のいく歯ごたえであった。
 青灰色の瞳が自身の肩口に向かった。エランは特に何も言わないし、止めない。

「あんたこんなとこにほくろあったんだね」
 気が済んだら、放してやった。
「お前は顔に小さいのが結構あるな」
「鼻の横とか頬骨の周りにいくつかね。みっともないから白粉で隠してなさいってお母さんは言うんだけど」
「そうか? 味があって、私は好きだな」
 好きと言われるとそわそわする。セリカは目線を逸らして自身の髪をひと房、指に巻いた。

「ありがと。隠すと言えばこの髪、この国では一生隠して過ごすのかぁ。自慢の赤なのにな」
 エランは答える代わりに髪に顔を近付けた。ジャリ、と微かな音がする。
「こら。食べ物じゃないわよ。そりゃああんたは、さくらんぼみたいな色だって最初に言ったけど」
「……独り占めできるから、私はこれでいい」
 見上げる瞳は湿っぽく煌く。客観的にではなく主観的に見て、色っぽい。奥深くまで揺さぶられるような錯覚がした。

「そ、そう言われると、うわあ。ドキドキする。独り占めかあ」
「事実だろう」
「何よ、勝ち誇ってんじゃないわ。あんたがあたしを独り占めできるんなら、あたしだってエランを独り占めするんだからね」
 言ってから、張り合うところだっただろうかと首を傾げる。恥ずかしいことを口走っている自覚はあったが、もう言ってしまったものは仕方がない。
 それに――楽しそうに口角を吊り上げる彼を見てしまっては、前言を撤回する気になれないのであった。

「そうか。そういうことなら、もっとナカヨクしませんか」
「うん、する。……してください」
 でもどうすればいいかわからないんですけど、とセリカが囁く。
 彼は面食らったように一拍を置いた。

「力を抜いて、好きにしてればいい」
 ――適当すぎる。
 むくれようとして、ふと手の中の布に注目する。視線を落として、青年の、結び目がほどけかかっている帯を目に入れた。
 するりと手を下へ滑らせる。

「じゃあこれ、脱がせますね」
 問いながらも手は帯を解いていた。
「お願いします」
 答え、エランは距離を縮める。
 次なる接吻はより熱く、激しく、そして深かった。息をつく暇がない。つかせたくも、ない。

 お互いの柔らかい部分が交われば交わるほど、脳が蕩けるようだ。
 痛苦も、快楽も、困惑も、幸福も。共に過ごす全てが特別な渦を成して――夜は更けていった。

_______

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23:32:21 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - d.
2017 / 11 / 30 ( Thu )
「セリカ。ふてくされてないでこっち向け。私が黙って別の部屋で寝るとでも思ったか?」
「ふてくされてない! ほっといてよ」
 枕を下から両手で握り、顔を深く埋めた。

「構えと言ったり放っておけと言ったり、忙しいな」
「みゃっ」
 腕を掴まれたのだが、指の触れた位置が脇の下に近くて、くすぐったい。足をバタバタさせると、布のようなものに当たって、動きを制限された。
 力づくで裏返される。

 仕返しがてら、砂色の衣を脇腹辺りを狙って鷲掴みにした。堪えたような笑い声が返る。目線を上げて、ハッとなった。
 近い。覆い被さる体勢で見下ろされている。石鹸とタバコの匂いに酔いそうだ。

(わ、わ。視界いっぱいにエランだ)
 男に強引に組み敷かれているのに拒否感が全くなくて、むしろ嬉しいくらいで、そう感じる自分に戸惑う。
 こういうのを「目のやり場がない」と言うのか。内着がはだけて、左肩が布の下からのぞいている。首都を逃れた時や川で水浴びをした時にも目にした肌だ。着やせする方なのだろう、じっくり観察すると、筋肉の盛り上がりや筋がきれいだと思った。
 目のやり場がないというよりもこれは、眺めたい、気がする。

(さわってみたいな)
 触る口実が欲しい。首筋や鎖骨を、指の腹でなぞってみたい。だが首を触らせてもらえるような口実とは一体何なのか。
 ふと、青い涙型の耳飾が目にちらついたため、気が逸れた。
 付けたままお風呂入ったの? と訊ねると、外すのを忘れてた、と彼が答えた。セリカは手を伸ばして留め具を外した。ラピスマトリクスの耳飾を、そっと寝台横の家具にのせる。

「案外軽いのね。宝石」
「重かったら左右で耳の長さが変わってくるからな」
 そう返されて、噴き出した。
「ごめんごめん……想像したら可笑しくて」
 ほーう、とエランは目を細める。右手を動かしたのかと思えば、セリカの耳たぶを引っ張った。

「いたっ! ちょ、伸びる伸びる」
 足をばたつかせるも、抑え込まれていて思うように動かせない。かたい。うっかり蹴った太ももの触感も、拘束も。
「伸ばそうとしているからな。片方だけ」
 じゃれる程度の力で、実際伸びる心配は無いと思うが。面白がって覗き込む顔に向けて、セリカは歯の間から威嚇音を出す。

 お前は蛇か。彼がくつくつと喉を鳴らして笑った時、また少し距離が縮んだ。
 セリカは抵抗を止めて、目の前の青年を改めて見上げた。
 目の前にそれがあったから、手を伸ばした。訊き出す勇気をついに持てたというよりも、弾みだった。

「これ、お母さんがやったって」
 盛り上がった皮膚に指先が掠る。青年は身を引いて、表情を曇らせる。
「聞いたのか」
「聞いたっていうか聞かされたっていうか…………ごめんなさい」

「いや……いつかは話すつもりだった。気分のいい話じゃないが、聞くか?」
 セリカは力強く頷いた。
 それから彼は簡潔にあらましを語った。異国人であった母親が、世継ぎを産むのに執着していたこと。だというのに、第一子の後に何度も子が流れたこと。
「……女は子孫を精製する機械じゃないわ」
「さあ。人は男女等しくみな己の役割を探し求め、得て、全うしようと生きている。母は、それでしか居場所が得られないと思ったのだろう」
 深いため息をついて、エランは話を続ける。

「せめて私が大公に気に入られていれば違ったかもしれないが、この通り、外見も内面もほとんど似なかった。三度目の流産を経て情緒不安定になっていた母は、周りに突然当たり散らすことも多くなった。煙たがられて、親子揃って軟禁されたのが六年前。その折にハティルが生まれたとの報せが宮中に流れて、何かが壊れたというわけだ。六歳だった私にそこまで母の心境に気が回るはずがなく、ある時普通に構って欲しくて近付いたら……癇癪を起こされた。たまたまその場に果物ナイフがあった」

 ――ナイフは誰かの不注意か、思惑か。
 結局答えが出ることはなかったし、本気で調査してもらえたわけでもない、と彼は言う。
 狂人のレッテルを貼られた妃はそれからも隔離され続けたが、その後は緩やかに衰弱していった。意識は薄れ、我が子の顔も忘れ、侍女のヤチマ以外の誰かとまともに言葉を交わすこともなくなった。

 そうしてある夜。彼女は誰にも見咎められることなく部屋を抜け出て、静かに逝った。おそらく事故だった。ヤチマは己を責めて自害を試みたが、お前のせいではないと、エランは繰り返し言い聞かせて宥めたという。

「…………」
 セリカはしばらく二の句が継げずにいた。確かに、気分の良い話ではない。
 胸の奥がむかむかする。怒りをぶつけたい相手が多々いたが、何より腹が立つのは――
 首の後ろに両手を巻き付ける。力いっぱいエランの頭を抱き寄せて、胸に沈めてやった。

「わかってると思うけど。あんたは何も悪くない。お母さんが追い詰められたのは環境のせいで、元々そういう傾向があったとは限らないし。だからあんたが周りに疎まれてるのって、理不尽以外のなにものでもないわ」
 母親に顔を忘れられたのも、彼のせいではないのだ。セリカはこれでもかと手に力を込める。
 胸元を温める息遣いは、僅かに乱れていた。

「めいっぱい愛情を注ぐからね。寂れた子供時代なんかあたしが忘れさせてあげる。だから、そんな泣きそうな顔しないで」
「そうしてもらえると、助かる」

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終 - c.
2017 / 11 / 28 ( Tue )
 慣れと言われても、今すぐにはどうしようもない。セリカは毛布に突っ伏した。タバコの匂いも、意図せずお揃いになってしまった石鹸の残り香も、意識しないように必死だ。
 とにかく間を埋めよう。何でもいいから話を振るのだ。

「それで退位後の、後継者の件は解決のめどがつきそう――]
 言った直後に後悔する。
(ああもう。日頃の激務に追われてるエランに、私的な空間でまで政治の話を振ってどうするのよ)
 毎日結婚式の行事が済んだ後に執務室にこもっていたのも知っている。
 己の至らなさに嫌気がさした。これでは気の利かない女だと呆れられそうだ。やっぱり今のはナシ、って続けようとして顔を上げた。

「二人で決めろと、あいつらに課してからなかなか結論が出ないな。セリカは、どうした方がいいと思う?」
 予想外に質問が返ってきた。話題に気を悪くした様子は感じられない。
 ならばと唇を湿らせて、考えを述べる。
「そうね、適正についてはあんたの方がよくわかってるし。あたしが気になるのは……第六公子なら大公即位までが三年、第七なら九年。空位が長く続いても、周りから付け込まれる隙ができてしまうとこね」

「他の三国で、遠くない未来に動きそうなのがいると思うか」
「少なくともうちは無理よ。知ってるでしょ。あんたんとこに街道を設けたいのは、ヌンディークの主要都市と、果てはヤシュレとの通商を強めたいからよ。大陸の南西海岸四か国の戦争に首突っ込んで以来、食糧難の兆しが見えてきたからね」

 ゼテミアン大公は懇意にしている国への義理立てに、南西海岸に遠征軍を出している。食糧難と言ってもまだ先のことだろうが、父は呑気そうな顔に反して抜かりない君主だ。数年先の情勢を見据えて交易の道を開こうとしているのだ。
 ゆえに、祖国にはヌンディーク公国との友好関係が必要だ。セリカはその為の人質でもある。攻め入るなどありえない。

「協定があるとはいえ、ディーナジャーヤ帝国とヤシュレ公国がどういうスタンスかはよくわからないわ」
「まあ他国の思惑はともかく、いつか帝国の傘下から抜け出たいのが有権者たち過半数の意見だ。協定は恩恵も多いが、最も望ましい形ではないと。長い目で見るなら、独立も視野に入れたい」

「エランがそういう考えだったの、なんか意外だわ」
「私は戦という手段に反対であって独立という目標には反対していない。で、戦を介さずして果たすなら――長期に渡る繊細な交渉が必要だ」
 ふう、と彼は白い霧を吐いた。燭台の光を受けながら、幻想的な形がうねる。

「ベネ兄上は臣下や州民からの信望が厚いが、腹の探り合いに向かない。人格破綻者のアスト兄上、ウドゥアル兄上は論外」
「わかりやすい消去法ね」
「扱いが面倒な親類や貴族をまとめた上で、外交官を管理し、宰相が力をつけすぎないように牽制できるとすれば……ハティルしかいない。父の件で誰より動揺しているのもあいつだが、平静に戻ればもっと広い視野で物事を見渡せる奴だ」

「その線でいくなら、役割分担してアダレム公子を大公にした方が良くない? 九年待つのは痛いけど」
「それもひとつのやり方か。どの道、ここがハティルの檻だ。混沌を根こそぎ失くそうと極論を目指したあいつは、結局は、混沌を宥める中心人物となる。目指していたものはそう違わなかったはずだがな。私に負けたから、私が敷く道を歩むしかない」
 霧越しにエランが笑うのが見えた。この男、実は鬼畜な一面があるのではないか。

「できることなら当人たちに決めさせてやりたいが、いっそサイでも投げるか。結論を先延ばしにして、得られるものなど何もない」
「サイコロって、あんた。投げやりすぎでしょ」
「優柔不断よりはマシだ」
「…………」
 亡き大公を指したのだろう。非常に返答しづらく、セリカはまた毛布の上で横になる。目線だけ、夫の後ろ姿を捉えたままにして。
 ガリヤーンを置いて、エランは後処理をし出す。

「安心しろ。どんなに面倒だろうと、逃げるつもりも見捨てるつもりもない」
「うん。あんたは、優しいからね」
 自分ではわかっていないのかもしれないが、根が真面目で責任感も強い。温かい人だ。心底そう思う。
 エランが唇を噛んだ。つられて、照れくさく感じる。

 会話が止まってしまった。心地良いはずの沈黙が、今夜ばかりは気をそぞろにさせる。
 ――カタン
 喫煙具を片付ける際に、小さく物音がした。それだけのことに驚いて、セリカはびくりと身じろぎした。振動がベッドを通して伝わる程度に。

 物入れに向かって歩き出したエランの背を、よくわからない気持ちで見つめた。怯え、ではない。暴行されかけた時に味わった底冷えのする恐怖と屈辱とは、似ても似つかない心情だ。
 怖いもの見たさとも違う。怖いけれど、先にあるものを望んでいるのか、いないのか。いずれにせよ青年の動向が気になる。

「セリカ、一応言っておくが」棚の前で、彼は肩から振り返った。「何もしてほしくないなら、私は何もしない」
 ――立ち去ろうとしている?
 心臓が見えない手に握りしめられた気がした。
 ――待って。行かないで。
 落胆と、傷付けてしまったのかという懸念で、顔からサッと血の気が引いた。起き上がり、ベッドから飛び上がろうと床を踏む。

「何も、だなんて思ってない……!」
 けれども足の指が絨毯に降り立った瞬間、迷いが生じた。「で、でも、何をするにも、何があるのかわからない……し。何かをしてほしいとは思うけど、たぶん」
 言葉がうまく出てこないどころか途中から共通語ではなく母国語になってしまった。まるでダメだ。泣きたい。

「まずどうして欲しいかを具体的に言ってくれ。私に読心術の心得は無い」
 対するエランの言葉ははっきりとしていて、丁寧だ。
 優しさが眩しい。なんとなく俯いて視線から逃れた。
 ローブの締め付けが緩んで前が開きすぎているな、直さなきゃ、とぼんやり自分の胸を見下ろす。やがて口を開く決心がつく。

「…………もっと近くに来て……構って、ください」
「いいですよ」
 ちらりと目に入った微笑までもが眩しくて、セリカは身を翻してまた突っ伏すしかなかった。
 毛布がずれ、ベッドが軋むのを感じる。



なっげえ。でも多分完結までこんな調子です。
誰だ、イチャイチャさせるとか言ったやつ。甲はHPがすり減っています。

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03:51:29 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - b.
2017 / 11 / 26 ( Sun )
 離宮の一角を二人だけで占拠できたのは、新婚だからではなく大公特権からだろう。
 静かでなおかつ警備は万全で、都に幾つと見られない風呂設備が内包されている。破格の待遇らしい。浴場が珍しいという感覚に慣れないセリカにも、内装の華やかさからして、ここが特別であることが伝わった。

(生き返ったー)
 うつ伏せに寝そべり、組んだ腕の上に顎をのせる。寝室のベッドの広さも、以前あてがわれた部屋のそれとは比べものにならない。
「一週間もお風呂に入れなかったなんて信じらんない」
 気が緩みすぎて、うとうとする。召使たちは既に下がらせており、気楽だ。

「お前の国の浴場は大抵、温泉を引いたものだろう。ここにそんなものはない」
 独り言に返事があった。
 入り口にかけられた仕切り布がめくられ、同じく湯上りのエランが入ってきた。被り物以外は、羽織って前を重ね合わせるだけの、砂色のローブを身に纏っている。セリカが着ているものと色違いの内着だ。
 入ってすぐに、彼は物入れの棚を漁り始めた。

「うん。お湯を沸かすのって大変だったのね。水も貴重だし……」
 先ほど使用人たちに、この建物の風呂場にお湯を張らせる過程を見せてもらった。実に大掛かりな作業だった。セリカは何やら申し訳ない気持ちになり、これから冬までは水浴びで済ませようかと検討中だ。
 更には地形や風向きの関係上、ヌンディークの領土は雨が不定期で、一度に得られる水量もそう多くない。降る度に貯蓄するのが常識らしい。水道橋は建てられておらず、主に井戸や貯水槽が生活を支えている。幸いと、この間の大雨のおかげで都の河川と蓄えは当分潤う。

「昔は首都が河沿いにあったくらいだ。戦略的に山の方が護りやすいからと今の位置になったが、国の名が『河の恵み』だからな」
「へえ」
 セリカは感心した。ヌンディークの名にそんな意味があったとは知らなかった。名といえば、と思って首をもたげる。

「エランディーク」
「? はい」
 虚を突かれた表情で、青年が面を上げた。
「呼んでみただけ。いい響きよね」
 どうも、と言ってエランは微妙な顔をした。

「父がつけた。意味は河の星――正確には『河面に浮かぶ星明かり』か。母親譲りの瞳の色から思いついたそうだ。ついでに、国の名と揃えたかったらしい」
「ロマンチストね」
「どうだか」
 壁際の物入れから、エランは喫煙具ガリヤーンを一式取り出していた。部品を腕に抱えて、こちらに近付いて来る。それから彼は絨毯に胡坐をかいて、ベッドの側面に背を預けた。

(母親譲りの瞳の色、か。訊きたいな。お母さんと……傷痕のこと)
 あれからまだ、問い質す機会を得られていない。どうやって切り出せばいいかわからなかったのだ。
 思わず起き上がった。
 今なら自然に話題を繋げられるだろうか。しかもちょうどエランは、ターバンを片手で解いて無造作に脱ぎ捨てたばかりだ。

(どうしよう。せっかく? 新婚……とかいうアレなわけで。暗い話は良くないわよね)
 だが訊き出すタイミングを逸しては、今後もこっそり気にしながら接さなければならない。
(いつまでも黙ってられる自信がないわ)
 かといって相手を傷付けない言葉選びにも、自信がない――。
 悶々と小難しく考え続ける。次第に脳が疲れたのか、大きく欠伸をしてしまった。

「眠いなら、もう寝るか?」
 ガリヤーンを組み立て終えて、エランは石炭に火を点けていた。振り返らずに話している。セリカは、涅色の後頭部に向かって返事をした。
「…………まだ」
 おそらく数日ぶりに二人きりになれたのにあっさり就寝してはもったいない、という思いがある。その他に「寝る」の単語が彼の口から出た途端、変に目が冴えたというのもある。

 この部屋のベッドは相当に広い。広いが、一台しかない。
 世の中の夫婦――政略結婚ともなればなおのこと――は同じ部屋同じ寝具で夜を過ごさなければならない決まりではない。しかし夫が我が物顔で寝室に入ってきた以上、追い払う道理も無いのである。
 エランは答えずに、水蒸気を立ち上らせている。

(声かけもノックもせずに入ってきたってことは、自分の部屋と思っているも同然で。つまり……どういうこと? そもそも「初夜」とかにどういうことも何もないような。あ、うん、頭ぐるぐるする)
 こういった場面での心構えを教わった気はするのに、いざとなると何もまともな考えが浮かび上がって来ない。
 さっきまで気分が良かったのが転じて、吐き気がしてきた。

「吸ってみてもいい?」
 苦肉の策だ。何とかして神経を落ち着かせたい。物入れから酒瓶を探し出すよりも、用意が済んでいる喫煙具を試してみた方が早いと判断した。
「どうぞ」
 エランはガリヤーンを持ち上げて、枝のような長い管部分を向けてくる。
 セリカは管の先を指で摘み、口に付ける。見よう見まねで吸ってみた。すぐに手を放し、咳き込んだ。

「不味かったか?」
「だっ……! 甘いし、美味しいと思うけどね、熱い! うう、水蒸気吸った」
 途切れ途切れに抗議した。苦しい。今更ながら――水蒸気を肺に吸い込むのは、水に噎せるのと同義ではないか。
「お前は何を当たり前のことを。要は、慣れだな」



もしかして旧都はイマリナ=タユスだったかもしれませんね(・∀・)?

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