39.a.
2015 / 01 / 02 ( Fri )
 光の竜が大地を下っている。それは急がぬ速さで、暗闇を泳ぐように進む。
 風の弱い夜だった。

 竜は数多くの光の集大成であり、さながら歴史書に載っている、夜襲を仕掛ける大軍のようでもある。だがかつての兵士たちが持っていたであろう松明の激しさに対し、目下の行進は蝋燭の火によって形成されており、心もとない揺らめきのみを放っていた。今だけは他の、都内の本来点いているはずのあらゆる照明という照明が消されている。

 これはディーナジャーヤ帝国の慣習に従い、毎年最後の夜に執り行われる行事。一年の間に命の灯火を失った人間を弔う儀式だった。

 蝋燭の数は、死んだ人間の数を正確に表してはいない。亡くなった知人が居れば誰しも蝋燭を手に取れるからだ――例えば亡くなった一人の人間に十人の友人や親類が居たとすれば、少なくとも死した人数の十倍の歩行者が参加することになる。

『……死は本当はとても身近なのに、どうして生きてると忘れるんだろうね』
 ミスリア・ノイラートはかつて友人が口走った言葉を思い出していた。その彼、カイルサィート・デューセ本人はおそらく今、大通りを突き進む光の竜の尾辺りに参列している。
 行進はやがて広場に着き、列を崩して輪を形作った。

「綺麗ですね」
 なんとなく呟くと、目の前にじわっと白い円が浮かび上がった。温かい吐息がガラスを曇らせたのだ。自分がいつの間にか二インチと無い距離まで窓ガラスに接近していたことを知って、ミスリアはカーテンを握る右手から力を抜いた。

 この教会の尖塔の窓からは帝都がよく見渡せる。どうしてこんな場所を選んだのかというと――眺めが格別に良いしちょうど教会の人が出回って無人になるから絶好の機会だよ、とカイルサィートが勧めたからだ。

(寒い中人混みに揉まれるよりはずっといいし、上から見下ろす方が綺麗。ありがとうカイル)
 そう思いながらミスリアは斜め後ろに退いた。
 背後に立つ青年にも外が見えるようにしたくて動いたのだけれども、改めて考えれば彼はミスリアなどよりもずっと目線が高い。わざわざ退いてあげなくても十分に見えていたのかもしれない。

「死者への執着を引きずるのは非生産的だ。こうやって大々的に弔って、未練を昇華させるのか」
 青年、ゲズゥ・スディルは窓に一歩近付き、低く響く声でそう言った。
「……はい」
 彼がそういう風に言えるようになったのは良い傾向だろう。

(十二年前に亡くなった従兄さんとの恐ろしい約束を手放して、前向きに生き始めてる証……だといいな)
 広場の中では蝋燭の火が再び動き出していた。聖歌隊に導かれ、輪はもう一度変形していく。
 聖歌が静かな夜を神秘的な音色に染める中、光はミスリアにとって馴染み深い形になった。

 全体を見通せば十字のようでもあり、しかしよく見ると横棒の形が棒ではなく短い渦を巻いているとわかる。ミスリアやカイルが属するアルシュント大陸唯一無二の宗教集団、ヴィールヴ=ハイス教団と聖獣信仰を表す象徴である。

 象徴が完成し、聖歌も数分後には終わった。
 直後に五分ほどの黙祷の時間が設けられる。ミスリアは両手を祈るように結び合わせ、瞑目した。
 ふと、先程話した際のカイルの言葉を思い返した。

 ――この儀式は一部の人間しか気付けない、ある「食い違い」を含んでいる――
 悲しげに笑って、彼はそう言ったのだった。

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07:50:57 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.g.
2014 / 11 / 26 ( Wed )
 最寄りの教会の寄宿舎の空き部屋の内に、四人部屋があった。何と都合の良いことに、ミスリア・ノイラート一行はちょうど四人だった。
(ちょっと狭いけど、ベッドの間に小さい暖炉もあるし、こんなもんかな。居心地は悪くないね)
 狭いだけに炎の熱がよく行き渡るのが喜ばしい。それと部屋の中に香り袋が揃えられているのがわかる。微かな花の香りが心も身体も落ち着かせる。

 リーデンは下段ベッドの上に腰を掛け、組んだ脚の上に頬杖ついてくつろいでいた。暖炉のすぐ傍では、イマリナが雪に濡れた服を広げて乾かすのに忙しい。
 向かいの下段ベッドでは病人のミスリアが横になっている。額の汗を聖人カイルサィート・デューセがタオルで拭いてあげている。

「君もやる?」
 タオルを絞って水分を盥に落とした後、聖人は二段ベッドの梯子に背を預けるゲズゥ・スディルを見上げた。
「任せる。お前の方が手際が良い」
「そう? まあ聖気の効き目もあったし、もう大丈夫そうだよ。今は眠ってるだけだから」

 そのまま聖人は片付けを始める。屋内に入った後に彼は着込んでいた白装束を脱ぎ去り、普通の立て襟のシャツ姿になった。ミスリアと同じで、聖人聖女だからと言って常に礼服を着るわけではないらしい。
 片付けを終え、カイルサィートは部屋に残ろうか去ろうか逡巡しているようだった。

(お友達が心配だけど、長時間居座るには他の僕らは他人過ぎるって感じかなー)
 当然の心遣いだ。ミスリアとは積もる話もあろうだろうけれど、ゲズゥの方は雑談を楽しむ性格ではない。引き留める者がいない限りは立ち去るのが無難である。

 ここで話題を提供し、彼を引き留められるのは自分しかいない。
 そしてリーデンにはその気があった。理由はといえば、ただ単に面白そうだからである。

「ねえ聖人さん、伴性劣性遺伝(はんせいれっせいいでん)って知ってる?」
 本日初対面の人間に突如投げつけられた質問に、カイルサィートは面食らったように目を見開く。数秒の間を挟んでから、答えた。

「隔世遺伝の一種から、男性にのみ発現する特徴のことだね。特徴を持たない親同士から世代を飛ばして男児のみに現れ、女性がその遺伝子を持っているはずでも何も発現しないゆえに、伴性劣性という新カテゴリの遺伝の仮定が立てられたって話」
 すらすらと正解が綴られる。

「……うん、本当に知ってるとは思わなかった」
 今度はリーデンが面食らう番だった。 
「君こそ、どうしてそれを?」
 問われて、リーデンはカラーコンタクトを左目から外してみせた。ありのままの瞳を聖人に向ける。

「僕はコレがそうなんじゃないかなー、って前々から思ってたんだよね」
 得意げにリーデンは「呪いの眼」を指差した。聖人は驚かずにただ頷いた。
「なるほどね。ところで……役職名じゃなくて、カイルって名前で呼んでくれてもいいんだけど」

「ん~、さっきもそんなことを言ってたね。ゴメン、特に呼ぶ気は無いから」
 呆気にとられた顔のあと、カイルサィートはぶふっと噴き出した。
「あはは! 確かに、兄弟だね」
 聖人の一言に、兄の眉がぴくっと動くのが見えた。どうやら何か心当たりがあるらしい。その辺りの逸話を是非聞きたい、そう思って口を開きかけ――

「はんせい……れっせい……?」
 ――眠そうな少女の声で、皆の注目が一斉にベッドの上に集まった。
「あれ、起こしちゃったかな。気分はどう?」
 屈み込み、聖人が柔らかい微笑みを添えて声をかける。刹那、ミスリアの元々大きい茶色の瞳が、これ以上無いくらいに更に大きくなった。

「……え。ええっ? 何で、そんな!? 夢?」
「夢じゃないよ。久しぶりだね」
「――――カイル!」

 ミスリアはがばっと起き上がって再会したばかりの友人にきつく抱き付いた。病み上がりであるとは微塵も感じさせない勢いだ。
 聖人が「ふぐぇっ」みたいな奇声を漏らしてよろめいたが、すぐに体勢を立て直してミスリアを抱きしめ返した。二人は再会を喜ぶ挨拶を幾つか交わした。

「そうだ、色々と訊きたいことはあるだろうけど、まず僕から一ついい?」
 カイルサィートはミスリアをそっと引き剥がした。
「勿論です。何でもどうぞ」
「帝都には当然、聖地巡礼の為に来たんだよね。急いでるのかな」
「え、いえ、急いでるってほどではありません、多分」

「じゃあせっかくだし、巡礼や典礼やら行事の参加はほどほどにして、正月が過ぎるまでのんびり過ごしてなよ。ルフナマーリの新年祭は一週間続くし、パレードも面白いよ」
「それは物凄く興味があるね!」
 思わずリーデンは口を挟んだ。

「いいですね! 楽しみにしています」
「うん。今の内に一杯休んで、来週は一杯遊ぼう」
「ただでさえごちゃっとした大通りが人でぎゅうぎゅう詰めになるのかぁ。超面白いだろうね」
 想像しただけで、リーデンは口元がにやにやするのを止められない。

(なんかここ最近の新年って商談とかで忙しかった気がする)
 兄の方にチラッと視線をやると、相変わらず周りの会話などどうでも良さそうに腕を組んで目を閉じている。
(やっぱり、ついてきてよかった)
 まだ見ぬこの旅の先行きを想って、リーデンは期待に胸を膨らませた。

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23:59:23 | 小説 | コメント(1) | page top↑
38.f.
2014 / 11 / 25 ( Tue )
 文官に促されて聖人は何かの書類に署名し、それから先は手続きがトントン拍子に進んでいった。扉を通り、そこでやっと監視の目から解放される。

 聖人が先導するままに歩いた。門を通ってもまだ道は坂を上るが、左右の視界はもう町の風景に埋め尽くされている。門の外の静けさが嘘みたいに騒々しい。
 けれど、前を行く青年が何者であるかが気がかりで、リーデンは周囲の景色を観察するのも忘れた。

「宿を探してるんだよね。教会の寄宿舎でもいい?」
「ああ」
「ディーナジャーヤに向かうって聞いてたけど、まさかこんなに早く、こんな所で会うとはね。縁かな。元気そうで安心したよ」
「そっちこそ」
 青年の振る話に兄は短いながらもしっかりと返事を返した。全く警戒心を抱いていない様子に、リーデンは少なからず驚いた。

「知り合い?」
 問いは兄に対してだったが、当人にも聴こえるような音量で訊ねた。
「ミスリアの友人」
「んん? 聖女さんの――……あ! もしかして、『カイル』?」
 旅をし始めた頃に二人が世話になったという聖人の話は聞いている。なるほど、まさに聞いた通りの人物だ。

 比較的人通りの少ない小道に入ってから、聖人は立ち止まった。
 くるりと前後反転し、袖を押さえるようにしてお辞儀をした。

「初めまして、カイルサィート・デューセです」
「あ、これはどーも。僕はリーデン・ユラス、こっちの物静かな女性はイマリナって名前だよ」
 つられてリーデンも一礼した。イマリナもロバの手綱を握ったまま頭を下げた。

「リーデン?」名に覚えがあったのか、カイルサィートは何かを思い出すように目線をさ迷わせた。「すると君が手紙にあった、『絶世の美青年』かな。凄いね、実物は想像以上だ」
「聖女さんってば、そんな表現を使ったの? お茶目だなぁ」
 リーデンは軽やかに笑った。

「彼女は正直だからね」
 カイルサィートも頬を緩ませる。爽やか好青年といった風貌だが、果たしてそこに全くの裏は無いのか、つい思いを馳せずにはいられない。

 あるとすればミスリアたちが懐かないはずだ。特にゲズゥは人の悪意を嗅ぎ出すのが得意だ。そう考えると何やら楽しくなってきて、リーデンは握手を求めた。聖人カイルサィートは快く応じた。強すぎず弱すぎない、程よい握力――身体能力はそれほど高くなさそうだが、常ならざる局面でも頼りにできそうな雰囲気があった。

(ふうん。世の中いろんな人が居るもんだね)
 都に入って数分も経たないのに、早速リーデンは人間観察を楽しんでいた。
「行こうか。まず一番近い教会を当たってみよう」
 カイルサィートに続いて、皆は再び歩き出した。

 建物に挟まれた小道を抜け出した先には、うねる坂道が幾つも展開されていた。高地の至る面を喰らい尽くすように並ぶ建築物。何処に何があるのか、どうやって辿り付けるのか、一度見ただけではわかりようがない。

 唯一つ。帝王が座す城だけは、最も高い中心地に最も華々しく陣取っている――決して侵せない高嶺の花のように、刺々しそうな常緑樹に囲まれて。

(何回来ても、ごちゃごちゃした印象は変わらないなぁ)
 色使いや形にまるで統一性の無い建築物。それが中心から離れれば離れるほど、即ち高度が低ければ低いほど、何故か建物の密度は薄い。城壁近くの端の方にもなると、無遠慮に生い茂る常緑樹の割合の方が勝る。

(人が高い場所ばかりに居座りたがる心理は一度じっくり分析してみたいねー)
 純粋な遊び心か、或いは権力欲か。色々と可能性を考えながら、一人ほくそ笑む。

「言い忘れてたけど」
 うねる道を一つ選び、踏み込む寸前の所で、ふと聖人が肩から振り返った。
 ちょうどその頬に、粉雪がつくのが見える。

「帝都ルフナマーリへようこそ。よく来たね」
 再び現れた青年の爽やかな笑顔に、リーデンは条件反射で笑みを返した。

_______

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23:01:05 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.e.
2014 / 11 / 24 ( Mon )
「現在教団の元を離れて旅している聖人聖女がたの名簿には確かに、ミスリア・ノイラートの名がある。だが本人であるかは、『奇跡の力』を見なければ判別できない」
 兵ではなく文官のような出で立ちの男がガサゴソと巻物を開いて確認している。

「見た目の記述くらい持ってないの? 聖女ミスリアと護衛その一はかなり見た目が独特だから間違いようが無いはずだけど」
 盗み見るように身を乗り出すリーデン。文官は慌てて巻物を背に隠した。

「そんな物は無い。我々が顔を知る者は楽に通せるが、それ以外は力で証明してもらわねばならない」
 文官も衛兵も頑なだった。仕方なくリーデンは引き下がった。
「どうしよっか、兄さん。まさか叩き起こして聖気を出させるわけには――」

 ゲズゥの決断を仰ごうと思って振り返る。兄はこちらのことに意識を向けておらず、隣の列をじっと見ていた。実際には列と呼んでいいのかわからない。並んでいる人間は二人しかいないからだ。

 一人目の学者風情の男は衛兵と短い会話を交わしただけであっさり扉を通った。二人目は裾の長い白装束を着込んでいた。衛兵の前に立って、フードを下ろすのが見えた。

「頻繁に出入りする者は向こうの扉から通れるのだ。顔が知れているから検査も短縮される」
 巻物を持った文官の補足する声で、リーデンは再び前を向いた。
「とにかく! その少女が貴様らの言う聖女ミスリアかどうか判断がつかない以上、身元を証明できる人間を呼ぶしかない。或いは、その子の調子が戻るまでだ。それまでは拘置所に入ってもらう」

「拘置所ねぇ。女の子が熱出してるのにかわいそうだと思わないの?」
 リーデンは背負われたままのミスリアに歩み寄り、額に手の甲を当てた。汗を吸った栗色の髪をそっと指先でどける。苦しそうな表情を見ていると、無意識にリーデンの眉根が寄った。

「ちゃんと安全で暖かい場所で休ませたいんだよね」
「ならさっさと身許を証明してくれる人間が現れるよう、祈っていろ」
 兵の面頬越しに、人を馬鹿にした顔が見えた。流石にカチンとくる。
 しかしここで強硬手段に出たら後々まずい。どうしたものかと思い悩みながら兄を一瞥すると、未だに彼は隣の列に視線を注いでいた。

(何をそんなに見て……)
 とりあえず自分も視線を向けてみた。真っ白な服装の細面の青年が、驚ききった顔でゲズゥを見つめ返している。
 二十歳くらいだろう。短く切り揃えられた優しげな亜麻色の髪と、琥珀色の瞳が特徴的だ。
 ふいに、青年が微笑んだ。秋に吹く風のような爽やかさを含んだ笑顔だった。

「あの、突然すみません」
 あろうことか青年が近付いて来た。
「いつもお疲れ様です。騒がしくしてすみません」
 文官が腰を低くして丁寧に礼をする。

「構いませんよ。それより、たった今聴こえた会話が気になりまして」
「はい?」
 不思議そうな衛兵らの前を通り過ぎ、青年はミスリアのすぐ傍まで来た。少女の額に右手をかざし、何かを呟いた。淡い黄金色の光を見て、ようやくリーデンは合点がいった。そうか、この男も聖職者か――。

「彼女は間違いなく聖女ミスリア・ノイラートですし、彼は護衛のゲズゥ・スディルに相違ありません。僕が保証します。この帝都に害をなしたりしないでしょう」
 聖気を閉じ、青年は衛兵らに笑いかけた。
「は、はい! 聖人様がそう仰るなら」

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38.d.
2014 / 11 / 22 ( Sat )
 子供はどうしてか好きになれない。よって、なるべく関わり合いになりたくない。
 未だに騒ぎ続ける連中から目を逸らして、リーデンは周囲を見回した。雲の量からして雪は当分続きそうに思えた。兄たちは何事もなく戻って来れるだろうか――などとやんわり心配していた、そんな時。
 件の人物の気配が近付いてくるのを感じた。あまりに意外だったため、思わず通信を送った。

 ――早くない? 思ってたより近場だった?
 三分ほどして、返事があった。

 ――途中で引き返しただけだ。先に町に入る。
 ――うん? じゃあ、支度して待ってるよ。
 事情は会ってから説明してもらえればいいと考え、リーデンは携帯式絨毯から腰を上げた。イマリナもそれに倣う。

 「片付けようね」、『わかった』、の短いやり取りを交わし、己の髪に付着していた雪を落として上着のフードを被り直した。下ろしていた荷物を残らず集めて肩にかけ、眠そうにしていたロバの手綱を取る。その間、イマリナがロバの毛についていた雪を払った。

 それから更に五分もすると、新雪を横切る真っ黒な兄の姿が森の中から現れた。行きの時と違って今度は聖女ミスリアを背負っている。
 合流し、全員は縦一列を組んで坂道を上り出した。

「どうしちゃったの、聖女さん?」
 僅かに振り返りながらリーデンは問いかけた。対象の顔はフードに隠れていて見えないが、大体の察しはついた。

「熱を出した」
「あらら。しょうがないね、急いで宿を探そう」
「……ああ」
 とは決めたものの、宿まで急ごうにもそれまでの道のりに様々な障害物が残っていた。南門までできるだけ足早に進み、そこで人の列の最後尾に並んだ。都に入るには身許調査やら持ち物検査やらを乗り越えなければならないからである。

(天気が天気だからかな、出入りをする人が少なめで助かったよ)
 幸い、自分たちの前には十人も並んでいなかった。
 順番が回ってくると、リーデンは四人を代表して受け答えをした。

 何処から来て何をしに来た、荷の中身は何か、都内に知り合いはいるのか、などの幾つもの質問に淀みなく答えた。衛兵らがロバや荷物を確かめるのにも快諾した。だが、何故かなかなか通してもらえない。
 あらかじめ用意していた、封蝋が施された身分証明書――自分とイマリナのは正規のルートから入手した物ではないが――までをも見せたにも関わらず、衛兵たちの視線は訝しげだった。

 挙句の果てにはミスリアの首回りをまさぐってペンダントを取り出して見せたが、それでも胡乱げな視線は消えない。

「貴方がたの言い分は理解した。が、聖女様ご本人から話を伺いたい」
 背の高い衛兵が一人、鎧をガシャッと鳴らして前に出た。同じく長身のゲズゥを睨み、要求するようにミスリアを指差した。
「聖女さんは今は体調を崩しているから無理ですよー」
 微動だにしないゲズゥに代わってリーデンが答えた。

「随分と都合の良い状況だな」背が低い割には体格が無駄に良い、別の衛兵が兜の面頬(ヴァイザー)を開けた。「言わせてもらおう。貴様らは年端も行かない少女を誘拐し、聖女に仕立てて儲かりたいと企む……ただの不審者にしか見えん。そもそもそのペンダントは本物なのか?」

 衛兵の言い分こそが正論に聴こえたリーデンは、ぽんっと両手を打ち合わせた。

「なるほどー。これは論破できないや。間違いなく本物なのに、どうやって証明すればいいのかすら僕にはわからない。嵌め込まれた水晶が何の水晶なのかもわからないしね。能力で示さないと、それらしく見えるだけじゃダメってことかー」

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05:59:48 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.c.
2014 / 11 / 20 ( Thu )
「そうだっけ? じゃあマリちゃんにみっちり教えてもらおう。あ、でもそうしたらお喋りしづらいね」
 気付いて、リーデンはイマリナの表情を窺った。声が出せないだけで本当は他人と積極的に会話をしたがる性格なのを、よく知っているからだ。

 幼少時から口のきけない彼女は、かつて居た屋敷の奴隷たちが開発した独自の手話を駆使して「話」ができる。出会って間もない頃にリーデンは、それを時間と労力をかけてじっくり学んだのだった。心を開いた相手に対してなら、イマリナはどこにでもいる年相応の女性らしくお喋りだ。

『大丈夫。片方だけ、両手が塞がる』
「あ、そっか。普通のあやとりって一時(いっとき)に一人だけ紐を持ってるもんだったね」
 端的な返事からリーデンは意図を汲み取った。
 一応、一人でできる遊び方もあるらしいが、今は二人居るのでその知識は不要だ。

『うん』
 イマリナは自らの三つ編みを解き、紅褐色の髪に編み込まれていた飾り紐を一本抜き出した。それの端々を手早く結び合わせ、輪にする。次に紐を親指にかけたり、中指にかけたりなどして、最初の段階を完成させた。勿論、手袋は嵌めたままだ。

 一般的に「猫の揺りかご(キャッツ・クレイドル)」と呼ばれる形態に始まり、そこから応酬が延々と続く。
 次の人の番、との意思表示にイマリナはにこにこ笑って紐の絡まった両手をずいっと前に出した。

「まずは、バツ印を抓むんだっけね」
 やはり手袋に覆われたままの指先で、リーデンは紐が交わる二つの場所を引っ張り上げた。紐を抓んだまま輪を外から取り込むように回り、イマリナの手から紐をかっさらう。しかし思い描いた形にならず、左右非対称的な出来上がりになった。

「あっれー? いきなりなんか違うっぽい」
『やっぱり、へた』
「君が手先が器用なだけなんだよー」
『でもご主人様も、器用、なのに。あやとりだけ、だめ。なんで?』

 イマリナは解せないとでも言いたそうに眉間に皴を寄せる。紐をじっと見つめた後、一・二か所を直してなんとか本来の形に戻した。そうしてまた彼女の番となり、イマリナは素早く紐を操って次の段階に進めた。
 手が自由になったリーデンは、何となく掌を開いて雪の粒を捕まえた。

「思えば、このクソ寒いのに何であやとりなんかしてるんだろう。言い出したのは僕だけど」
 手袋に覆われているとはいえ、皮膚にはまだ痛いくらいの冷気が届く。ポケットに手を突っ込んでいた方が賢明なはずだ。
 そう言ってみたものの、リーデンは大人しく紐を抓んで次の段階へと進めた。輪の中が平行線四列になっている形から、中の二本の線を小指でそれぞれ引っ掻け交差させる――

 ――二人で何度かやり取りしている内に、何やら十五分以上は経っていた。
 すっかり雪は勢いを増し、枯れた草の間に白い粒がどんどん挟まっていく。

『たのしく、ない?』
 イマリナは眉を垂れ下げて問う。
「まさか。マリちゃんとなら何をしてても僕は楽しいよ」
 この言葉はちゃんと本心からである。

(それが君の役目だからね)
 不安そうな彼女の頬に口づけを落とした。
 しばらく二人は甘やかとも言える空気に浸っていたが、やがて叫び声によってそれは破られた。

「貴様ら―! いい加減にしろ!」
 城壁付近で、衛兵らしき武装した二人の男が複数の小さな影を追いかけ回している。リーデンたちの向いている位置からは右手の坂上である。

「都の周辺のパトロールか。さすがに帝国はマメだね」
 遠ざかる彼らを凝視してみた。なんと、後方から更に影が現れている。
「ん? ……壁の穴から子供?」
 城壁の隙間から捩れつつ出てきた影が、リーデンにはそう見えた。

「あ! また! 門を通れと言っとろーが! せっかく塞いだ穴がまた……!」
 衛兵の二人が振り返って気付いたらしい。
「やだねー! 門なんかめんどくさいし並ぶし時間かかるだろー! 穴なんか何回塞いだってまたあけちゃうよーだ!」

 すばしっこい何匹もの子供に翻弄され、衛兵たちは一人として捕まえることはかなわない。
 近頃の親は子供の管理も行き届いていないのか――そう考えて、リーデンは嘲笑した。親が居ると前提するのがまずおかしいのだろう。




子供の頃結構遊んだあやとりですが、今回特に描写に悩みました。
あやとりの動画とか画像を必死に漁る私の姿をどうぞ好きに想像してほくそ笑んでいてください。

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06:13:57 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.b.
2014 / 11 / 13 ( Thu )
「そうですね。あの、先に都に入って塔を調べようって予定でしたよね」
 ミスリアがリュックサックのストラップを調整しながら切り出した。早朝から歩き通しているため、ストラップの革が肩に食い込んで痛いのだろう。

「うん、今日は宿を探すだけで終わるかもだけど。ずっと移動してたから久しぶりにゆっくり休みたいでしょ?」
「はい……でも、もしも連日で氷点下になるようでしたら、沼地の方は凍ってしまって危ないのでは?」
「歩き回るのも辿り着くのも困難になるだろうな」
 ミスリアの意見に、ゲズゥが同意を示した。

「それはまあ、一理ある」
 リーデンは歩を緩め、考え込んだ。前もって決めていた、二つの聖地を訪れる順番を変えるべきか否かを。
 頭上では雪を運んできた白い雲が太陽を遮って、あっという間にまた気温が落ち始めている。

(冬は夕暮れが早くて困るね)
 視界の悪さによる行動の制限もさることながら、日が暮れると魔物が出現する。本来ならば際どい時間になる前に、結界に守られた安全地帯に入りたいものだ。

(とはいえ、沼に行くのも早いに越したことはないか)
 町中と違い、外の道は雪が積もっても誰にも手入れされずに埋もれたままになるだろう。周辺が既に凍り付いている可能性だってある。今の内に訪れないと、後日なかなか機会が巡って来ないかもしれない。

「じゃあここは二手に別れよう。荷物があると何かと面倒だろうし、僕とマリちゃんがロバと一緒にこの辺で待ってるよ。君らで行ってきて」
「それがいい」

 青年からは短い返事があった。なのに少女からの返事が無いのを不思議に思って振り返ると、ちょうど彼女はくしゃみを連発していた。五度目にもなると足元がふらついている。それを、ゲズゥが手を背中に添えてさり気なく支えた。
 ミスリアの茶色の瞳が潤んでいる。風邪に気を付けろとの忠告も、或いは手遅れだったのかもしれない。

「すみません。急に眠気が……」
 申し訳なさそうにミスリアは呟いた。それだとペースが遅くなって夜までには戻れないのではないか、無理をしない方がいい、そうリーデンは提案しそうになったが、それには及ばなかった。

 聖女の護衛第一号は無言で手を動かした――ミスリアの背中から荷物を剥がしてリーデンの方へと投げつけ、身軽になった彼女を横抱きにして抱え上げた。片手でサックを受け取り、片手で口元の笑みを隠しながら、リーデンは冷やかし半分の称賛を贈った。

「さすが兄さん、なんか色々不安だったけどもう解決したも同然だよ」
 魔物とやり合う時の肩に担いで走るのに比べ、横抱きはミスリアにとってはいくらか快適そうな運び方である。それにしても、兄がうら若い乙女を抱える姿は何度見ても笑える光景だった。

 ちなみに運ばれる当人は恥ずかしさに頬をほんのり赤らめている。

「場所わかる? 地図持った?」
「はい、持ってます。此処から北西に行けば着けるはずです」
「サッと行って帰ってくる」
 ミスリアとゲズゥはそれぞれ返答した。

「そ。なら、気を付けていってらっしゃーい」
 リーデンは適当に手を振って見送った。二人の姿が再び森の深い緑に吸い込まれて消えるのを見届けた後、道から離れてちょうどいい大樹にロバを繋げた。雪結晶はまだ質量が少なく、木の葉の下に居るだけで凌げる程度だ。

「さて、暇だね。あやとりでもしようか、マリちゃん」
 地面に携帯式絨毯を敷き、リーデンは胡坐をかいた。
『ご主人様、あやとり、へた』
 寄り添うように隣に腰をかけたイマリナが手話で訴えてきた。

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38.a.
2014 / 11 / 09 ( Sun )
 次の目的地に至るまでに抜けなければならない森は、これで最後だ。
 冷えた木陰が途絶え、日差しの温もりが旅人たちを迎える。何枚もの衣に包まれた肉体は一筋でも多くの陽光を吸収せんと、意味の無い背伸びをする。

 青年は急な明るさに応じて顔の前に右手をかざした。
 ふと、後ろからくぐもったくしゃみの音がした。振り返ると少女が袖の肘辺りに鼻を埋めていた。

「寒い? 大丈夫?」
 自分でも吃驚するほどに優しい声音で、リーデン・ユラス・クレインカティは少女に訊ねた。

(普段こういった気遣う台詞を吐く時は心がこもらないのに)
 恩人である聖女ミスリアを相手にする時は、無意識に例外となるらしい。そう自覚してしまうと、何やら愉快な気分になった。

「大丈夫ですよ」
 ハンカチで素早く鼻をかみ、ミスリアは何度か小さく咳をした。白い顔は、狐の毛に縁取られた大きめのフードの下に隠れ、ここからでは見えない。
「冬は乾燥がひどいからね。風邪に気を付けないとね」

「はい」
「さ、南門が見えてきたよ」
 リーデンは道のずっと先にそびえる建物を指差した。目測、歩いて三十分から一時間程度で着ける距離である。

 高地の頂上を占める巨大な城を中心に、都が広がっている。下町を含め、帝都は丸ごと城壁に囲まれていて、四方にそれぞれ厳重に警備された門がある。
 聖女ミスリアは小さく感嘆の声を上げた。

「リーデンさんは帝都に来たことが?」
「ん~。五、六回くらいかなぁ。ごちゃごちゃしてるけど、基本面白いトコだよ」
 と、そうリーデンが評するのは、人間観察が趣味だからである。ミスリアのような純粋そうな人間では何かと気疲れしそうな気はするが、今は指摘しないでおいた。

 一行は荷物持ちのロバを引き連れ、上り坂をゆっくりと進んだ。

「雪」
 ロバの更に後ろ、最後尾を歩くゲズゥ・スディル・クレインカティが一言だけ発した。ハッとなって、リーデンは空を仰いだ。
 目を凝らさねばわからないような、本当に雪結晶なのか疑わしくなるような、微かな白い点がふわふわと舞い降りてきている。

(冬に入ってから結構経つし、めっちゃ積もる日が来るのも時間の問題か)

 暦の上では、年を跨ぐまでに間もない。ミスリアと行動を共にするようになってから、既に何度も雪が降っている。しかも行路は北へと伸びるばかりだ。アルシュント大陸では基本的に北へ行けば行くほどに気候は過酷になる。

 ともすれば、聖獣が眠る場所は極寒の地だと思われる。

「このくらいの勢いの雪じゃあ積もったりしないとは思うけど、ちょっと急ごうか」

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23:53:02 | 小説 | コメント(0) | page top↑
37.i.
2014 / 10 / 30 ( Thu )
「――ともかく」
 女が大声で遮った。ゲズゥを睨んで、宣言する。
「ジュリノイの組織力を甘く見るなよ。我々の同志は大陸中に散らばっている。その気になれば村や町の協力を仰ぎ、隙の無い包囲網だって組める。貴様に逃げ場など無い」

「本部は許可しませんけどね~?」
「フォルトへ、お前は余計なことを言うな! まあ、何度でもしつこく申請すればなんとか許可を下りさせることだってできるはずだ。それくらい、私はやってみせる」――女は部下を疲れた顔で見やり――「だがこのバカがうるさくてかなわん。特別……特別にだ。一つ条件を飲みさえすれば、貴様らの旅が終わるまでは、追わないでいてやる」

 ――何を言い出すかと思えば。
 一体どんな条件を出すつもりなのか。ゲズゥは目を眇めた。

「我々は血を証とした誓約を求める。指でもなんでも切って、聖女の私物だったこのハンカチに染み込ませろ」
「肝心な誓約の内容は何ですか?」
 ミスリアが用心深い目で問う。女は腕を組んで眉を吊り上げた。

「二度と人を殺さないことだ。それ一つが守れるなら、私はひとまず貴様らを裁くのを諦める。ただし旅が終わった後は別の話だ」
「血の証、ねえ……」
 リーデンがつまらなそうに呟いた。

「血を流したくらいで貴様が誓約を守る保障にはならないかもしれない。我々を相手に誓いを立てる行為が貴様にとって無意味かもしれない。それでも誓いを守れたなら、少なくとも貴様が最底辺のクズでも多少の更生の余地がありそうだと認めてやる」
 女の偉そうな口調を、ゲズゥは何の感慨も受けずに聞き流した。この女に認められたくらいで何も変わらない。
 守る理由の無いくだらない誓約を、立ててどうなるわけでもない。

 しかし葛藤を映し出すミスリアの茶色の双眸と目が合って、気が変わった。
 これ以上罪を重ねたら貴方は魔物になってしまう、と嘆いてくれたこの少女。
 今自分が罪を犯せば、ミスリアとの連帯責任にされかねない。しかも組織に照準を定められたら旅どころではない。奴らの本領発揮がどういうものなのか、ゲズゥは過去の経験からよく理解していた。

「いいだろう」
 その上で、条件を飲む真の理由は――
「そんな顔するな」
「…………あ……でも、無理に、痛い思いをしなくても……」
 歯切れの悪い返事が返る。

「これこそが、お前が望んでいた『約束』だ」
「……っ」
 両手を握り合わせ、ミスリアは目に見えて怯んだ。

「リーデン」
 少女の向こうに佇む男を呼ぶ。手を出し、「首のソレを渡せ」と視線で訴えた。リーデンはすぐには応じなかった。
 意図が伝わらないはずがない。ゲズゥは指を動かして、催促した。
 弟は不快そうに表情を歪める。が、最終的には折れ、ネックレスの先端の黒曜石を外して投げてきた。

 受け取った瞬間、ゲズゥは顔に出さずに驚愕した。
 見覚えのある黒曜石のナイフだったからだ。大昔にリーデンにあげた物と良く似ているような気がする。それがどれくらい昔だったのかまでは思い出せないが、まさか同じ物だったりするだろうか。

 掌の上でナイフを何度も翻しながら、そんな雑念を捨てる。
 次に、どこを切ればいいのか検討する。やはりこの場合は命を懸けるつもりだと意思表示したい。
 それを踏まえて、ゲズゥは黒曜石の鋭い刃を顎下に当てた。首の右側、顎のラインに添うように斜めに押し当てる。

「なっ――」
 誰の声だったかはわからない。誰かが文句を垂らす前に手を引いていた。
 荒削りの刃が、閃光みたいな痛みをもたらす。

 ミスリアは口を覆って悲鳴を抑え込み、リーデンは生まれつき整った顔を思いっきりしかめている。その後ろのリーデンの従者の女も声を出さずに、泣きそうな顔をしている。
 いつの間に表情を硬くした組織成員二人を交互に見やって、ゲズゥは適当な誓いの言葉を連ねた。

「我、ゲズゥ・スディルはこの身に流れる先祖の血に誓う」
 首筋を押さえる右手の指の上を、生暖かい血液が通り過ぎている。痛みを頭の奥に押しやって更に続けた。
「聖女ミスリア・ノイラートがこの世に生きる限り――断じてヒトの命を奪ったりしない、と」
 言い終わる直前にフォルトへがハンカチを差し出してきた。

 ゲズゥは黒曜石のナイフを傾け、先端から滴る赤い液を何滴か桃色の柔らかい布に落とした。隅の刺繍にも赤い染みが触れる。かくして、決して美しいとは言えない血模様が出来上がった。

「ご苦労さまです。以上で休戦協定代わりとさせていただきます~。ご迷惑おかけしました!」
 礼までして、丁寧にフォルトへが挨拶した。
「お前が罪人に頭を下げるな!」女は部下を一度殴り、そしてこちらを見据える。「条件を飲んだのは正直意外だったが……私は約束は守る。これで当分顔を合わせる機会は無いだろう。せいぜい、役目を全うするんだな」

 嘲笑交じりに言い捨てて、女は武器の山からクロスボゥとモーニングスターを回収した。フォルトへもそれに倣う。二人は元々少ない荷物を手早くまとめて、旅立ち支度を終えた。

「聖女ミスリア、絶対聖獣を蘇らせて下さいね~。自分は応援しますんで! 今後のご活躍を耳にするのを楽しみにしてます!」
 去り際にフォルトへが大きく手を振った。
「ありがとう……ございます」
 ミスリアは小さく頭を下げた。

 奴らの草を踏む音が遠ざかった後、ミスリアが必死の形相で振り返った。
 傷を治したいのだろう。そう予想して、ゲズゥはとりあえずその場に座り込んだ。聖気の温もりが首筋を撫でるのを感じ、目を閉じる。時折肌をくすぐる感触は、或いは少女の指先なのかもしれないが、なんであれ心地良かった。

「こんなことして、バッカじゃないの」
 弟の呆れた声が頭上から降ってきた。
「大袈裟だ。浅い」
 ゲズゥは右目だけ開いて答えた。

「浅い深いの問題じゃないよ」
 言葉とは裏腹に、心配の混じった表情だった。
「返す」
 ゲズゥは黒曜石のナイフを差し出した。弟は驚いた顔の後、どこか照れ臭そうにはにかみ、ナイフを受け取らんと手を伸ばした。掌を掠めた象牙色の指は、やはり温かい。

 そして今度は、治癒を終えても俯いたまま顔を上げない少女に意識を向けた。
 頭を撫でたら機嫌が直るだろうかと、そう思って実行したのは気まぐれだった。

「泣くな」
「…………はい。ありがとうございます」
 ミスリアは涙を手でゴシゴシと拭いて顔を上げた。
 嬉しさと安堵で一杯の、不思議と眩しい微笑みだった。

 ――また、礼を言われた。
 自傷して言葉を連ねたところで何かが変わるわけでもない、そう思っていたが、それでも今確かに、ゲズゥ・スディル・クレインカティは自分の中の何かが変わりつつあるのを悟った。

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20:40:13 | 小説 | コメント(0) | page top↑
37.h.
2014 / 10 / 30 ( Thu )
「罪人であっても罪を償うことはできます!」
 少女は声を荒げて反論した。
「いいや、無駄だ。一度道を踏み外した人間は二度と元には戻れない。他人が何をしても、本人がどれだけ努力してもだ。私の父だって――……その話は今は関係ないが」
 女の瞳がゲズゥへと焦点を移した。

「それにしても! 本当に憶えてないのか。貴様が殺した、私の以前のパートナーは私の師でもあった。任務には常に師匠と二人で当たった。私を憶えていて、師匠を忘れたのはどういう了見だ……!?」
 ゲズゥは二度瞬いた。それは自分でも気になり、考えあぐねていた問題だ。憎悪をほとばしらせる女の顔から目を逸らし、武器の山を瞥見した。昨日は女の武器を見た時に思い出したはずだ。

 刹那、左の上腕が痺れるような感覚を訴えた。
 唐突にわかってしまう。

「……憶えていたのはお前自身じゃなく、鉄球だ。不意打ちで砕かれた骨の痛みを、俺は記憶していた」
 ゲズゥは、拷問されたエピソードとやらを本当に全く思い出せない。それが女の妄言だったとすれば謎は解ける。

 が、あのスパイクの生えた鉄球は違う。攻撃を喰らったのは一度きりだったが、それだけで醜い傷跡が残った。肉は裂かれ、骨は砕かれた。利き手でなかったのが良かったが、完治までに幾月もかかったのをよく憶えている。
 あの怪我を引きずった状態で脱獄にも臨んだのだった。自由の身になり、腕を動かせるようになっても、激痛はなかなか引かなかった――。

「ならばその痛み、もう一度味わえ!」
 女がモーニングスターの棒部分めがけて前に出た。伸ばされた腕がフォルトへに掴まれるのを認め、ゲズゥは特に動こうともしなかったが――
 視界の下の方に、ぼやけが生じた。ちょうど胸の前に栗色が散る。
「やめて下さい! 彼に手出しはさせません!」
 少女の澄んだ怒鳴り声で、ぼやけの実体が明らかになる。

 息が詰まるほどの激情が、一瞬でゲズゥの内側を焼いた。
 正体はわからなかった。苛立ちか、焦りか、それとも別の感情か。
 頭の中が真っ白になり――
 手足が勝手に動き出していた。
 少女の華奢な肩を後ろからしかと抱き寄せた。ぎょっとした顔が振り返る。

「お前は、いちいち、俺の前に、飛び出すな」
 一句一言が伝わるように区切って発音し、更には間違いなく鼓膜に響くよう、屈んで耳打ちした。
「ひっ!? ご、ごめんなさいっ」
 脳を揺さぶられる程度には伝わっただろうか。ミスリアが腕の中で大きく震えて身じろぎしたので、ゲズゥは満足した。

「危なっかしい」
 そう言ってゲズゥはミスリアを己の後ろに強引に押しやった。そうだ、何度目かはわからない。この聖女は何かと危険の方へ飛び出す節がある。
 よく思い出してみればいずれも自分を護る為だったのではないか。そう気付くと、益々腹立たしさが胃の奥底から湧き上がる。

「うん、護衛対象が護衛役を庇ってたらいけないよね。僕らには君の怪我を治す力も無いんだし」
 随分と楽しそうにリーデンが賛同した。もう一度、ごめんなさい、と謝るとミスリアは暑さにやられた花のように萎れた。それを観察する内に腹立たしさも治まった。
 前方では、組織の成員二人が揉めている。

「せーんーぱーいー! ダメですって! 一晩中二人で語り明かして決めた結論を無視しないで下さいよぉ」
「語り明かしてなどいない。お前の我儘に私が合わせているだけだ」
「そういうことでいいですよ、はいはい。も~、だから、事態をややこしくしないでくださいってば」
 はああああ、とフォルトへがやたら長いため息をついた。そして女から手を放し、懐を探ってハンカチを取り出した。「作戦通りに行きましょうよ、ね」

「もしかして」
 ゲズゥの背からひょっこり顔を出したミスリアが、ハンカチを指差す。
「お嬢さんにいただいた素敵な一枚ですよ~。速攻で洗って焚火の傍で乾かしましたからね!」
「は、はあ……」
 誇らしげなフォルトへに、苦笑するミスリア。

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14:22:23 | 小説 | コメント(0) | page top↑
37.g.
2014 / 10 / 30 ( Thu )
 日の出と同時に出たのもあって、すれ違う相手は少ない。
 ゲズゥは今朝の朝飯についてぼんやりと思いを馳せていた。粗びきオオムギだけではすぐに消化し終わって午後までにもたないだろう。来るべき空腹感を先延ばしにするには茶で誤魔化すか、それとも各自持たされている炒ったカボチャの種を少しずつ食べるか。

 後者にしようと決めたのと同時に、土手の一本道が急に下り坂に変わった。道の左右には針葉樹が生い茂る。坂下は死角であり、誰かを待ち伏せて奇襲をかけるには絶好の場所――そう評するのは自分だけでは無いはずだ。
 早速、異変があった。すっかり先頭を歩くことに慣れてしまっている弟が、止まってロバの手綱を従者に引き渡すのが見える。

「一応ここは、おはようとでも言っておこうか?」
 警戒心をうまい具合に表に出さずに、リーデンは右手の針葉樹に向けて言い放った。女たちは静かにロバに身を寄せている。ロバは何が何だかわからずに鳴き声をあげる。

「おはようございます~。今日は青空にほんのちょっとの曇り、いいお天気ですね~」
 草を踏み分ける音がして、針葉樹の間から人影が滑り出た。ニット帽の男が、昨日と全く同じ人となりで姿を現した。
「一日ぶりですね。覚えてますか~? フォルトへ・ブリュガンドです」
「今日はお姉さんは一緒じゃないの?」

「一緒ですよ~。夜更けまで論争して、やっと話し合いで解決しようって結論に納得してくれました。貴方がたさえ良ければ、先輩の所まで連れて行きますケド」
 フォルトへが緩く笑いながら誘う。

「私たちに危害を加えるつもりは無いと言うんですね、フォルトへさん」
「はい! そんなことは決してしません! 組織の応援を呼んだって絶対来ませんから、ご安心下さい~」
「ではそのお言葉、信じさせていただきますね」

 ミスリアがそう判断した以上、全員は異を唱えずについて行った。
 危険を感じなくもないが、心底では嫌な予感はしなかった。理由は多分このフォルトへにあるのだろう。ゲズゥが昨日の短い時間で分析できた限りでは、純粋な戦闘力は何故か上司よりも部下の方が上だったように感じられた。天性の才能か、五感の一つを制限されているゆえの結果かはわからない。

 経験値と戦闘能力のアンバランスに加え、コンビとしても考え方がちぐはぐで、やる気に温度差がある――とすれば、連携が不完全になってしまうのも当然だ。
 いざとなれば打ち負かせる自信があった。

 やがて、木々が開ける場所に出た。消されてしばらく経つであろう焚火の残骸の前で、昨日の女が胡坐をかいていた。背後の樹に双頭のモーニングスターが立てられている。

「来たな」
「はーい、連れて来ましたよ~」
 上司に軽く手を振ってから、フォルトへは振り返った。

「穏便に話し合いが済むように、武器を出して、皆が見える所に置きましょうね~。ほら、この通り」
 焚火の残骸のすぐ隣に、奴は己の三日月刀を捨てた。勿論、鞘に収めたままで。「貴方がたもどうぞ~」と奴はゲズゥたちに笑顔で勧める。
 舌打ちの後、女がモーニングスターを手に取って立ち上がった。

 ――理に適っている。
 同意してゲズゥは背中の大剣と腰の短剣を潔く放った。すると女の鋭い視線が、微かに和らいだ気がした。
 モーニングスターを含めた武器の山が積み上げられていく。全身凶器のリーデンは袖の中のナイフを取り外し、ブーツまでもを脱いだ。

「腰周りもキラキラしてますよ~?」
「目がほとんど見えないらしいのに目ざといんだね」
 指摘されて諦めたのか、リーデンはチャクラムが多数ぶら下がっている帯を外した。腕輪や耳輪も続く。
 ようやく全員が身軽になり、輪になっての立ち話が始まった。

「罪人を連れ歩く、その行為も罪と同等だ。聖女、何故そんな真似をする?」
 女が正面のミスリアを見下ろして本題に入った。
 こうして間近で見ると全体的に幅が広めの、肉付きの良い女なのがよくわかる。顔のつくりも濃い方だ。目や髪の色が暗く、野性的に女らしい、と形容するのが最適かもしれない。身長も女にしては高い。隣のフォルトへより指一本の太さ分には上だ。

 それゆえ、ミスリアとの対比が際立っている。

「彼が私に必要だからです」
 服装からして村娘にしか見えない小柄な少女が、物怖じしない様子で応じた。
「生きる価値の無い、どん底のクズでもか」
 女の冷徹な返しにミスリアは唇を噛む。

「価値ね。君に何がわかるっての」
 怒りを隠しきれていない声でリーデンが口を挟んだ。銀髪が逆立ちそうな勢いだ。
「そういう貴様こそ、何だ? 報告には二人で逃亡したとしか書かれていなかったが……何故彼奴らと行動を共にしている?」
「…………」
 答える必要は無いと思ったのか、リーデンはそのまま無口無表情になった。
 話題の中心であるはずのゲズゥはただ一連の会話を無感動に傍観する。

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06:38:15 | 小説 | コメント(0) | page top↑
37.f.
2014 / 10 / 30 ( Thu )
 下で待っていた尼僧に案内され、一同は書斎に入った。
 多くても定員は十人と言ったところの、こじんまりとした書斎だ。部屋の中心には四角いコーヒーテーブル、それに一脚のソファが添えられている。四方の壁にはびっしりと本が詰められた、天井に届く高さの本棚が並んだ。

 入り口は暖炉から見て右端に位置している。その暖炉の前には椅子がまばらに置かれ、読書や談笑に向く空間となっていた。
 暖炉の前に人影があった。リーデンの従者の女がしゃがんで火加減を確かめていた。普段三つ編みにまとめている紅褐色の髪を珍しく下ろしている。
 部屋に人が増えた気配に感付き、女はパッと振り返って嬉しそうに駆け寄る。

「ただいまー。君は相変わらずよく働くね、感心感心」
 よしよしと従者の頭を撫でるリーデン。
「ええ、とても助かりましたわ。お客様なのに、料理の手伝いから掃除まで。あまりにも手際が良いので甘えてしまいました」
 尼僧も嬉々として褒める。

「あ、マリちゃんてば唇が乾燥してるよ。クリーム持ってる? 僕が塗ってあげよう」
 頷き、女はスカートのポケットから掌に載る大きさの陶製の容器を取り出した。リーデンは容器を受け取って蓋を開いた。人差し指で中をまさぐり、掬い取ったクリームを、従者の女の僅かに開かれた唇にゆっくりと塗ってあげている。

 そのやり取りを眺めるミスリアが気恥ずかしそうに「仲良いんですね」と呟くのが聴こえたが、リーデンの本質を知るゲズゥとしては、そんな甘ったるい関係には見えなかった。アレはきっと「依存」と結び付く、薄暗い利己的な感情に基づいている。
 尼僧の方は笑みという仮面を被っていて心の内を明かさない。

「シスター、よろしいでしょうか。訊ねたいことがあります」
 ミスリアが尼僧に声をかける。
「どうぞ」
 自身も暖炉に近い席を選びつつ、尼僧は皆に椅子に腰を掛けるように促した。黒装束の裾がラグを擦る。

 ゲズゥは座らずにミスリアの席のすぐ背後に立った。リーデンの従者の女も座らずに、また何かの家事に取り組む為に立ち去る。
 間もなくしてミスリアは話し始めた――帝都に向かうこと、近くの聖地について知りたいことを。

「ええそうですわ、聖女ミスリア。東の城壁の塔、そして都のすぐ外にある沼地が、帝都周辺の二つの聖地で間違いありません」
「へえ? 沼地は聖獣が水を飲んだとかそういうのだとして、塔にはどんな逸話があるの?」
 ミスリアの隣で頬杖ついたリーデンが、興味津々に訊く。

「かつて、大勢の魔物が塔を襲いました……結界は破れる、都が占領されると誰もが危惧し、絶体絶命を悟ったその時! 深夜の地平線から眩い光が踊り出て、魔物たちは次々と浄化されたというのです。裸眼では捉えられないほどに光溢れる聖獣の姿をしかと見たと、当時の衛兵が記述を残しています」

 熱く語る尼僧を尻目に、光溢れる空飛ぶサンショウウオの姿だったのだろうか、などとゲズゥは考えた。

「思い出しました、そんなお話でしたね。行ってみるのが楽しみです」
「ええ、ええ。頑張って下さいまし」

 聖女と尼僧の談笑は更に続いた。その間、暖炉の薪が弾く様を眺めることにした。
 このまま何事もなく次の巡礼地に辿り着けたならいいが、果たしてそうすんなりは行くまい。ゲズゥは対犯罪組織の件を脳裏に浮かべた。

_______

 翌朝、尼僧の手回しでロバを一頭もらい、一行は出発した。
 クシェイヌの古城は聖地で観光地である以外には、周りに注意を引く物は何もない。ずっと以前は近くに村や農地があったらしいが、城が機能しなくなってからは放置され、荒廃したという。

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00:23:47 | 小説 | コメント(0) | page top↑
37.e.
2014 / 10 / 28 ( Tue )
 ゲズゥらのすぐ前まで歩み寄ると、ミスリアは睫毛を伏せた。落ち着かなそうに、手袋を嵌めた両手を擦りあわせている。
 言葉にし難い感情を持て余しているようだったが、それが何なのかまではわからない。

「次に向かうべき場所が……はっきりとはわからなかったんです。映像が多くて、前回のような、これだ! って確信が持てるものがなくて」
「大体の方向は」
 と、ゲズゥが問いかけた。

「多分、帝都に近い気がします……」
「帝都かあ、これまた広い場所を選ぶね」
 リーデンが指で頭をかきつつ感想を述べる。 

「わ、私が選んでいるわけではありません。その、城内の方にも問い合わせてみます。聖地に詳しいはずですから」
「気にするな。とりあえず行けばいい」
「ありがとうございます」

 そこで「そろそろ中入ろうか」とリーデンが提案し、一同は螺旋階段を下り始めた。
 二十段も下りた辺りでミスリアが口を開いた。

「私が覚えている限りでは、ディーナジャーヤの帝都周辺に聖地は二箇所あったはずです」
「じゃあ順に調べて行けばいいのかな?」
 蝋燭台を持って先頭を歩くリーデンが、止まってミスリアを振り返った。
「はい。でも、私自身が訪れないといけないので、手分けして調べたりはできません」

「んん、そういえば聞いてなかったけど、君は聖地で実際は何を調べてるの」
 リーデンがまた歩き出した。石の壁に囲まれた狭い階段の間であるため、たとえ顔を背けて喋っていても反響でよく聴こえる。

「それが……」
 自信無さげな声が返る。続くであろう言葉に興味があるので、最後尾のゲズゥは階段を下りる足を速め、ミスリアとの距離をなるべく縮めて耳を澄ませた。

「……実は私にもよくわからなくて」
 ミスリアが歩を止めて呟いた。
 つられて前後の二人も立ち止まる。

「え? そんなんで良いの? 無駄足踏んじゃうんじゃない」
「心当たりぐらいはあるんだろう」
 リーデンとゲズゥがそれぞれ言う。
 壁についていた小さな右手が、ぴくっと震えた。

「呼ばれる、んです」
 静かでありながらも激しさを含んだ囁きだった。
「いいえ。呼ばれるよりも、ひかれる、と言えばいいのでしょうか。声でもなく、言葉での呼びかけでもなく――うまく説明できないんですけど」
 ミスリアは俯いて両手を握り合わせた。

「映像が、視る者を誘導する為に視えるものだとするのなら、聖地に残る過去の情報に触れているだけかもしれない……でもそうじゃなくて、『何か』が私個人に直接的に手がかりを『見せて』いるのだと思います」
 それらの事実が何を意味するのかをゲズゥはしばし考え、思い至ったままに口を挟んだ。

「聖獣か」
 己の放った声が壁に反響するのを聴いた。
 返事が返るまでに間があった。

「安息の地に眠る聖獣が巡礼者と意識を……魂と縁を繋げて呼び寄せようとしている。有力な一説ですね」
 どこか強張った声でミスリアは応じた。
 それはつまり、聖獣は覚醒していない状態にあっても、遠い地に居る他者の意識に入り込む術を持っている、ということになるのだろうか。

「ふーん。なんかわかんないけど大変そうだね」
「そうですね。聖獣を蘇らせるというのはきっと、ただならない偉業なのでしょう」

 ――何故そこまで他人事のように言うのか。
 気になったものの――結局静寂を保ったまま、三人は階段を下りきった。



ミスリアの登場人物たちはよく階段を上下しながら会話してますけど、現実では話しにくい(+歩きにくい)のであまりしないほうがいいですね(笑)

エレベーターばんざい!

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37.d.
2014 / 10 / 24 ( Fri )
 晴夜の満月を仰ぐ少女を包む淡い光が、月から降り注いでいるのか、それとも少女自身から発せられているのか、ゲズゥ・スディル・クレインカティには見分けが付かなかった。
 深夜、無人となった屋上庭園の中心で、小さな聖女がパンジーに囲まれて佇むのを彼はただ見守っている。

 秋から冬にかけて咲く花であるだけに、パンジーたちの生命力と存在感は未だに揺るがない。身長が低く、遠くから見ると常緑種の影に覆われて印象が薄いが、近付いて眺めるとその色鮮やかさがいっそ煩いほどだった。

 明るい黄色と黒、薄紫色と白、桃色、オレンジ色――しかし一際目に付いて回るのは渋い紫色の花と、インディゴ。中心の黄色い一点を囲む濃いインディゴ色の花びらが、透き通る青に縁取られている。

 まるで色合いそのものが神秘を孕んでいるようで、異様に美しい。ゲズゥにはその美しさが普通の生き物の気配とかけ離れているように感じられた。かといって、魔物の類でもない気がする。
 元より建物全体は結界に守られていて、魔物は近寄れない仕掛けとなっているらしい。

 ――リィイイイイン――

 ふいに耳鳴りがした。
 最初は何かの虫だろうかと思って辺りを見渡した。何も見つからないので今度は数歩後ろに立つ弟と顔を見合わせた。リーデンは神妙な顔つきで顎をしゃくり上げる。弾みで、しゃりん、と大きな耳輪が襟巻に引っかかって音を立てた。

 視線の先を辿ると、ちょうどミスリアが右手をゆっくりと天に差し伸べている所だった。その仕草はたとえるなら、初めて経験する雨の粒を掌で堪能する子供と似ていた。

 十秒も経てば耳鳴りは消えた。
 ミスリアは一度頭(こうべ)を垂れ、また顔を上げた。横顔は栗色の髪にほとんど隠れている。唯一見える鼻の頭は、ほんのり赤みを帯びていた。

「――――――――――」
 ほっ、と白い息を零した後、少女の唇が耳慣れぬ言葉を綴った。
 共通語ではなかった。或いはコイツならわかるだろうか、と思ってゲズゥはリーデンを一瞥した。

「ザンネンながら僕も知らない言語だったよ」
 リーデンは小声で応じる。
「そうか」
 ならば仕方がない。二人はそれからはしばらく無言でミスリアの行動を見守った。

 当のミスリアは十分ほど微動だにせずに、ただ空を見上げたままその場に立留まっていた。

 ――雪が降り出しても良いような静かな夜だ。
 ゲズゥもなんとなしに空を見上げた。

 去年の今頃は自分は何をしていたのか――思いを馳せるも、不思議とまるで思い出せなかった。やはり聖女ミスリア・ノイラートと出会う以前の人生が、遠い昔に感じられる。靄の中ででも生活していたのだろうか。

 ふわり、緩やかな風が庭園を吹き抜けた。
 鼻の奥をツンとさせる冷風は、微かな花の残り香をも運んでくる。時を同じくして、聖女ミスリアが踵を返す。

「お疲れ様ー」
 リーデンがにこやかに声をかけた。
「はい、お待たせしました」
 ミスリアも微笑みを返す。急に寒さを思い出したのか、上着のフードを被り直している。

 今回は倒れたりしなかったな、とゲズゥは脳内に記録して置いた。

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37.c.
2014 / 10 / 23 ( Thu )
「取り乱すな、みっともない」
 ユシュハのその一言に、フォルトへからの返事は無い。
 彼はマントを翻して走っていた。あろうことかゲズゥから遠ざかり、屋根に向かっている。

(え? どういう流れ?)
 ミスリアは全員を順に眺めて回ったが、ゲズゥは目を細めるだけで追わない。リーデンは何故か笑っている。
「おいフォルトへ、何の真似だ」
 上司が問い質しても部下は足を速めるだけだった。

「こういう真似ですよ」
 彼はユシュハに向かって直行する。衝突する予感がしたのか、ユシュハは咄嗟に武器を構えている。だが彼女に体当たりする一歩手前で、フォルトへは方向転換した。ユシュハの肩に手を置いたかと思ったらサッと背後に回り、既に収めた三日月刀を鞘ごと振り上げた。

 鞘の装飾が煌めいたかと思ったら、宝石の彩りは宙に弧を描いた。
 短い呻き声を漏らした後、後ろ首を殴られたユシュハが前のめりに倒れる。その身体を、フォルトへは空いた右手で抱き抱えて支えた。そして軽々と肩に担いだ。

 ミスリアはあっという間に過ぎた出来事を、口を開け放したまま見守っていた。

「いっやぁ、すみません。教団相手に面倒事はごめんです。これ以上この人が暴れない内に撤収させていただきますね~」
「君の独断?」
 ニヤニヤ笑ってリーデンが問いかける。

「付き合いは短いんですけど、自分は先輩をよく知ってるつもりです。常に勝手な人なんですけど、ここまでじゃないハズ……表向きは普段通りでも、やっぱり何か違う感じがします。ちょっと冷静になるのを待ってくれません?」
「待ったら何かいいコトあるの?」

「う~ん、今思い浮かびませんので後でまた訊いて下さい。でも、先輩はともかく自分は貴女方を本気で捕えたいとは思ってませんから。付き合わされてるんですよ~」
 フォルトへが頬を緩めて答えた。

「ふーん。聖女さん? 粘る、追う?」
 ミスリアは頭を振る。フォルトへとユシュハの意見が食い違っているのは嘘ではないように思えた。
「私もクシェイヌ城にこれ以上の迷惑をかけるのは本意ではありません。お話でしたらまた後ほどお願いします……剣を収めてから」

「わかった。君がそう言うなら」
 リーデンは屋根から飛び降り、ミスリアの居る場所まで連絡通路を戻り始めた。途中、意見を乞うように、ゲズゥの前で止まって眉を吊り上げた。

「俺はどっちでも構わない」
 何事にも無頓着そうな声が返る。
「やった~。それじゃあ追ってご連絡します~」
 場違いなほど明るい様子でフォルトへが手を振った。それから彼は顎に手を当て、ひとりごちる。

「勤務時間外だから自腹で出せって拒否されるかな……まあいいか」
 彼は口元に手を沿え、屋上庭園の居る尼僧に言った。
「あの、修理代の請求は組織までどうぞ! お手柔らかにお願いします!」
 尼僧は見慣れぬ暴力沙汰に怯えているようだった。女性を強く殴りつけたフォルトへに対し、青褪めた顔で何度も首肯している。

 次にミスリアが屋根を見上げた時、「ジュリノイ」の成員たちの姿は忽然と消えていた。
 ひとまず安堵のため息をつく。
 やがて背後から人の気配が近付いた。

「さて、聖女さま。一から説明して下さいますわね」
「…………はい」
 ミスリアは精一杯の愛想笑いを浮かべて、尼僧の方を向き直った。

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