十 - b.
2017 / 09 / 21 ( Thu )
「所領の方はもうよろしいので?」
「問題ない」
 エランは短く答えた。
「そうですか、それは安心いたしました。殿下の身を案じてセリカラーサ公女までもが都を飛び出したと聞いた時は心臓が潰れるかと思いましたよ。無事に合流できたのですね?」

 これらは、エランらがムゥダ=ヴァハナを逃れた後に広まった虚構だ。徹底的に根回しをされていたのか、今こうして戻っても、去った前日の空気とまるで変わらない。自分だけが蚊帳の外に放り出されたのかと疑うような、異様さがある。
 裏を返せばここにつけ入る隙がある。あくまで向こうが不正をしていない体(てい)でのし上がりたいのであれば――こちらが動くほどに計画は綻ぶ。

「ああ、この通りだ。しかし公女殿下は長旅でお疲れのようだ、すぐに部屋で休ませる」
 エランは自らの背後を示した。武装した兵士が七人と、全身を布で覆ったすらりとした物腰の女性が佇んでいる。
 当然ながらこの女性はセリカ本人ではない。イルッシオ公子から借りた兵士の一人がちょうどいい体格だったので身代わりに立てたのである。全ての事情を聞き知っている宰相は、自然な所作と流暢な言で話を合わせてくれた。
 そこかしこで聞き耳を立てているであろう連中の為の演出だ。

「……時に殿下」背の高い宰相は身を屈めて声を潜めた。「頼まれていた調べ事ですが、結果から言って『可能です』。前例があります上、法典の中には反する記述がありません」
「そうか。何から何まで恩に着る」
「なんの、目的が一致する限り、我々は協力を惜しみません。ご武運を」
 歪な笑みを浮かべたかと思えば、宰相は優雅に礼をしてその場を辞した。

 エランも身代わりの「姫」を寝室まで送り、大公の住まう区画へ向かった。
 移動しながら、なるべくゼテミアンの兵士を周りに印象付ける。彼らを実際に戦わせることになるかは不明だが、こうして連れているだけでも抑止力になるだろう。
 父がいるはずの建物の前まで来て、ついに足止めをされた。

「何人たりとも面会できません。医師さまからのお達しです!」
 頑なな拒絶と厳重な警備は予想していたことだ。エランは涼しい顔で「そうか」と頷いた。眼球のみを動かして、周囲を観察する。
(過剰なまでの緊張感。これは、どっちだ? 父上の死を隠蔽しているがゆえか、それとも本当に危篤なのか)
 結局そのところは探り切ることができなかった。勘で当ててみるならば、後者ではないかと思う。

 すぐに勘よりも当てになる情報源が現れたので、思考を一度切り替えることにした。深刻な顔をして外付けの階段を下りる者をさりげなく瞥見する。取り巻きを伴って出てきたのは、エランが現在最も会いたい人物――第六公子その人であった。
 地上に降りると、少年は心底驚いた表情でこちらに歩み寄った。

「エラン兄上、お帰りなさい。思ったより早かったですね」
「そうだな。案外早く片付いた」
 白々しい笑顔と挨拶が交わされる。場がざわついたようだが、エランは目の前のハティルのみに集中しているため、取り巻き連中が何を言っているのかは全く耳に入れていない。

 ――穏便に交渉したい。
 しかし相反する想いも持ち合わせていたのか、自覚していた以上に腹を立てていたのか、口からは穏便ではなく高圧的な物言いが飛び出ていた。

「よし。ツラ貸せ、ハティル」
「それはどういう……?」
 聞き覚えの無い誘い文句だったのだろう、意味がわからずに少年は瞬いた。
「ついて来い。話をしよう。そうだな、隣の屋上薔薇園なんてどうだ」
「わかりました」
 聡い弟はひと思案した後、従順そうに頷いて見せた。

 そうして階段を上り、件(くだん)の薔薇園に踏み入る。
 双方の暗黙の了解で付き人は連れていない。静かな場所で薔薇の香りに包まれながら、エランは切り出す言葉に窮していた。
 雨粒が肌を打つのを感じる。あまり長く話ができないかもしれないな、とぼんやり思った。

「僕が憎いですか」
 やがてハティルの方から口火を切った。感情を抑えているような声色だった。
 エランは特大のため息をついてから、弟を見据える。
「……その質問には答えづらい」

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