九 - e.
2017 / 09 / 04 ( Mon )
 何を、と問おうとして、途中で考え直す。なんとなく心当たりがあった。
「怖いの?」
「……ひとりの人間が全てを捨ててまで寄り添う甲斐が、自分にあるとは思えない」
「それを決めるのは、あたしだからね」
 エランから「結論」を言い渡された朝の記憶がまだ新しい。それは結論であり、申し込みだった。

 ――ゼテミアン公国第二公女、セリカラーサ・エイラクス姫。私がこれから歩もうとしている先に、希望があるのか破滅が待つのかは知れない。私の持ち札はあまりに少ない。与えてやれるものは何も無いし、幸せにしてみせるとも約束できない。
 ――それでも共に歩んではくれないだろうか。泥の中を這うような人生でも、お前が居てくれるなら、耐えられそうだ。

「手かして」
 ありったけの威圧を込めて右の手の平を差し出した。エランは躊躇いがちに応じた。
 重なる手の温かさに、ほっとした――時にそれはどんな不安や恐怖をも忘れさせ、時にごく平凡な風景をも輝かせる。セリカは被り物の下で頬を緩めた。
「なんにもないって、そればっかり……正直すぎよ。ま、好きだけどね。そうやってかっこつけないとこも」
 指を絡めて、握る。捕まえた青年の指はまず強張った。次第に解れて、握り返してくる。

「あたしの気持ちは変わらないわ。後悔なんて、しない」
「…………」
「あ、今笑ったでしょ。見えなくて残念だわ」
 目尻の雰囲気が柔らかくなったのは確かである。
「こんな顔で良ければ後でいくらでも見せてやる。飽きるまでな」
 答えた声はいかにも可笑しそうだ。これから一生付き合うのに、飽きたら困るなあ――とセリカがポツリと漏らせば、エランは声に出して笑った。

________

 ムゥダ=ヴァハナに連なる裏山にて夜を迎える。
 セリカは手頃な樹木に片手をついて支えとし、これより向かう先を眺め下ろした。曇り空のため、日が暮れ切っていなくても辺りがやたら暗く感じられる。

 都を守る強固そうな防壁は、思いのほか高くなさそうだ。角の物見やぐらにのみ明かりが灯っていて、壁際の通路は基本的に暗い。巡回する衛兵の装備や数を遠目に確認した。

「片手で数えられる程度しか居ないわよ」
 振り返らずに、背後から現れた気配に向けて話しかける。
「ああ。ほとんど矢狭間(アローループ)が設置されていない。こちら側から攻め入られる可能性が極めて低いと認識されているからだ」(アローループまたはスリット=外敵に矢を射る為の隙間)

 セリカの隣に並んで、青年はそう付け加えた。
 全て想定した通りだ。都の裏手の山は険しく、遠回りとなったが、その代わり虚を突くことが叶う。エランはこの山を抜けた経験が何度もあるらしく、最も効率良く進む道を熟知していたのである。
 第五公子は変装をやめて、以前の様相に戻っている。ターバンから垂らした布で顔の右半分を覆い、動きやすそうな服装に着替えていた。

 ――別れて行動する刻限が迫っている。
 そのことを思うと、セリカは落ち着かない。気を紛らわせたくて肩にかけた弓を指先で撫でたりした。
「人を射たことはあるか」
 ふいにエランが問いかけた。
「ない、と思う」
「そうか。これからもそうであれば、いいな」
「うん……」
 労わるような優しい声にたまらなくなり、目頭に涙が滲んだ。

 怖い。けれどそれ以上に、離れるのが嫌だった。別れたらそれが最後になるのではないか――。
 ほどなくして暗い視界の端に一層黒いものが浮かび上がった。「彼女」はいつぞやのようにエランの前に跪いて、報告をする。大公、ハティル公子、それにアダレム公子についてわかったことを。
「アストファン公子に動きが見られませんが、監視に気付いて敢えてそうしているようにも解釈できます」
「……わかった。監視の目をかいくぐられるかもしれないのは気がかりだが、仕方ない」
 エランは頷いて、踵を返す。イルッシオに借りた兵の方へ足を運び、支度をするように呼びかけた。

「お供いたしましょうか」
 密使の申し出をエランは即座に断った。
「いや、必要ない。ハティルが父上の『見舞い』に行っているというなら、私がそこに向かうのも便宜上は問題ない。それよりお前は、セリカ公女を送ってくれ」
「承知しました」
 黒づくめの女性がこちらに向いて頭を下げる。

 セリカの胸の内に焦燥感が沸いた。ここ数日ですっかり見慣れてしまっていた横顔が、もはやこちらを見向きしない。
 深い青の耳飾が揺れるのを目で追った。「待って」の一言が、喉でつっかえる。

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